鏡14
14
その日の朝はいつもにも増して良く晴れ渡っていた。
「よう、ぜってぇー決めるぞ。」
「おう。もちろんだ。」
あの真一が少し興奮してる。気合の入り方がハンパじゃない。
春の大会であれだけ焦がれた準決勝。
ここからは生徒も希望者に限り授業免除で応援に来ることが出来る。
『あったりまえでしょ。絶対行くから死んでも負けんなよ。』
弥生・・・見てろよ・・・弥生。
「今日は暑くなるな。」
「おう。マウンドの上はハンパじゃねぇーだろうけど、相手だって同じだ。お前が誰かに負けるなんて考えられねぇ。」
「ま、頭ん中まで熱くなりすぎないように気ぃつけるよ。」
くそ・・・みんな真一かよ・・・
試合開始前の挨拶に両チームの全員がホームベース前に並ぶ。相手チームの視線は全員真一に向けられていた。
慣れていることとはいえ、決して気分の良いもんじゃない。
もうすぐ、こっちも向かせてやるからな・・・
しかし、さすが強豪と謳われることだけはあり、試合は前半から投手戦の様相を訂し均衡していた。
しかしその中でも俺は3打席を終えて、2安打1四球1打点と絶好調だった。
今日はタマが見えてる。真一になるまでもない。
見てるか・・・弥生・・・
絶対お前を甲子園に連れて行ってやるからな・・・
しかし、3対1とリードで迎えた8回表、1アウトを取ったところで急に真一のタマにキレがなくなった。
「ボール・フォア。」
ヒットのランナーを1塁に置いて真一は更にフォア・ボールを出した。
何だろう・・・
微かに感じた違和感。
しかし、それが何なのかが分からない。
「ドンマイ!打たせていくぞっ! 1ダウンっ!」
俺の頭は急激にフル回転していた。急にボールのキレがなくなったとはいえ、そこまで疲労している風でもない。いや、もちろん疲れていない訳ではないのだが、俺達は春の時とは違うんだ。ここは
イン・ローのスライダーを引っ掛けさせてゲッツーで・・・
打球は、いわゆるゲッツー態勢で少し前進守備を敷いていたショートの吉田さんの左を襲った。
抜けた・・・
恐らく真一も同じ思いだったのだろう、カバーのためホームに向かって1歩踏み出したところで、名手・吉田さんが横っ飛びでその打球を抑えた。
助かった・・・
しかし、何とか2塁はフォース・アウトに取ったものの、さすがにファーストは間に合わず、ほっとしたのもつかの間依然2ウト1‐3塁とピンチは続く。
「ナイス・ショートっ! 2ダウンっ! しまっていこうっ!」
せめて・・・せめてここでマウンドに行くべきだったのだ。
明らかに普段と違う真一の表情に違和感を抱いたまま、俺は間抜けにも、そのままキャッチャーズ・ボックスに座り、その結果、真一は次の2番バッターにもフォア・ボールを出した。
2アウト満塁。差は2点。2アウトなら打った瞬間ランナーは打球を見ずにスタートを切れる。1ヒットで間違いなく同点の場面だ。
「どうした?真一・・・」
さすがに慌ててマウンドに駆けつけた俺は励ますつもりが、逆に問いただしてしまった。
「すまん・・・ちょっとな・・・」
何だこの違和感は・・・
俺はそこで初めて違和感の正体を真剣に考えた。
「何隠してんだ?俺にも言えないことか?あっ・・・」
真一のユニフォームの右の腿の辺りに明らかに砂とは違う汚れがあった。
血・・・?
「お前指見せてみろ。」
ミットで口元を隠し、ナインや伝令の岩井さんにも聞こえない声で言った。
「なんでもない・・・いや・・・すまん。頼む。せめて後一人だけ。黙ってくれ。頼む。」
俺はなんて間抜けなキャッチャーだったんだ。
この回から俺が受けていたほとんどのボールには真一の指先から出た血が付いていたはずなのに、それに全く気付くことが出来なかった。恐らく爪を割ったか、血豆でも潰したのだろう。ピッチャーの指先は本当にデリケートだ。ほんの少しの痛みや違和感だけでもボールに影響が出ることがある。
今の真一なら絶対吉田さんの方が上だ。しかし、このチーム相手に吉田さんが通用するとは限らないし、真一で負けるならある意味仕方がない。
「どうしたんだ?どっか痛いのか?」
岩井さんに知られる訳にはいかない。
「いえ、大丈夫です。何でもありません。」
真一がこれだけ自己主張するのも珍しい。ここは運を天に任せるしかない。
しかし、再開された直後の初球、アウト・コースを狙ったボールが真ん中に入り、打球は無常にもさっきのファイン・プレイを嘲笑うかのように吉田さんの頭上を遥かに越えていき、それは満塁の走者を一掃する、逆転の2ベースヒットになった。




