プロローグ それでも僕は
白く清潔な病室。
そこに大切な彼女がいる。
世界でただ一人しかいない僕の家族。
僕の妹――七草春菜が生気のない顔で、ベッドの上で横になっている。
僕は明るく、春菜に話しかける。
呑気に笑いながら話しかける。
「今日も来たよ、春菜」
「…………」
「聞いてよ。今日、中間テストが返って来たんだけどさ、なんと数学が96点だったんだよ」
「…………」
「僕がクラスで一番だったんだよ!」
「…………」
「だけど、国語が36点で赤点。来週に補習だってさ」
「…………」
「あっ! けど大丈夫だよ。他の教科は平均点以上だから。留年はしないからさ。心配しないで」
「…………」
「高校生活は勉強で大変だけど、すごく楽しいよ。友達も沢山できたし」
「…………」
「そういえば、クラスの女子に教えてもらったんだけどさ。最近この近くに美味しいケーキ屋さんが出来たんだって。春菜は甘い物大好きだし今度、一緒に行こうよ」
「…………」
「でも、それよりも僕は春菜と一緒に学校に行きたいな。兄として春菜の可愛い制服姿見たいし」
「…………」
「ははっ、何かさっきから僕ばっかり話してるね……」
「…………」
「そろそろ起きて、ちゃんと僕の話を聞いてよ、春菜」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ごめん」
と僕は春菜に微かな声で呟き、そっと手を伸ばして春菜の頬に触れる。
「……本当にごめん」
と僕は顔を俯かせて必死に涙を堪えながら微かに呟く。
けど涙は止まらない。
ポタリ、ポタリと涙が落ちていく。
だって分かっているから。
春菜が目を覚ますことは永延にないと。
僕がどんなに話しかけても、語りかけても無駄なんだと。
「それでも、ここに毎日来る、僕はバカなのかな? どんなに話かけても意味がないのかな?
こんなの僕の自己満足なのかな?」
と、僕は胸を押さえて悲しく呟く。
答えなんて、とっくの昔から分かっているくせに。
「うっ……ぐすっ」
嗚咽を漏らしながら僕は泣き続ける。
とにかく、ただ泣き続ける。
がしかし。
突如そんな時間は終わる。
――ゾワッ。
とこの世の物とは思えない嫌な気配を感じて体が震える。
それに僕は、
「……ごめん春菜。僕、行かないと」
と呟いて制服の袖で涙を拭って病室の窓から外の景色を眺める。
そこには絶望が広がっていた。
倒壊していく建造物、火災による煙、轟く人為らざる者の咆哮。
そんな光景を見て僕は自分に言い聞かせる。
――終わりだ。
――泣いてる時間はもう終わりだ。
きっと今、多くの人が泣いている。
多くの人が苦しんでいる。
「だけど、それでも僕は決めたんだ」
今から僕は罪を犯す。
自分の願いのためだけに罪を犯す。
何を犠牲にしても構わない。
だって、僕の希望は多くの人の絶望の上に成り立つのだから。
「行ってくるよ、春菜」
僕は最後にもう一度、春菜の頬を撫でる。
そして、病室を後にする。
覚悟はもう決まっている。
もう、引くわけにはいかないのだ。
もう、逃げるわけにはいかないのだ。
誰が傷つこうが進んでみせる。
ああ、何を犠牲にしようが進んでやるさ。
例え、それで悪に堕ちようが。
――それで春菜を救えるなら。
――もう一度、春菜が笑ってくれるなら。