後編
「ルインさん、届けて欲しいものがあるのだが、いいかね?」
「ええ。どうぞ。」
修行の旅は、続かなかった。いや、続けられなかった。魔法を使うたびに、あの時の出来事が蘇って、俺を襲う。
セーナを殺した。その記憶の痛みに耐えられなかった。
村からもっとも離れた、名も知らぬ土地に家を建て、魔導師のローブも脱ぎ捨て、呪文書も焼き払った。
俺は知らない土地で便利屋として生きることにした。
「私の工場で作った織物だ。大事に扱ってくれ。」
男から受け取ったその布には、見覚えがあった。
「ここからだとだいぶ遠くて、申し訳ないのだが……。」
いやな予感がした。
「リート・マヒアの魔導師の屋敷だ。大きい屋敷だから、行けばわかる。」
リート・マヒア、俺が生まれ育った村。俺がセーナを殺した、あの土地。
脳裏にあの光景が蘇る。
「ルインさん、顔色が悪いが、大丈夫かい?」
「はい、すいません、大丈夫です。わかりました。リート・マヒアの魔導師の屋敷ですね。」
「あぁ、そうだ。頼んだよ。金は先払いだったな……。」
「いいです。お金はいりません。」
財布を出そうとした男の手を止める。
「いいのか?」
「ええ。サービスです。」
違う。
あの土地に行ったら、もうここには戻れない気がする。
「ありがとな。じゃ、よろしく。」
男は店から出て行った。
「…着いた。」
戻ってくるつもりなんて無かった。
道の向こうに、村が見える。
俺が旅立ったあの日と、何も変わらずに、その村はそこにあった。
ふと、真正面に見える村から視線をそらすと、そこにはぽっかりと開けた林間地があった。
俺がセーナを殺した場所。あの日と同じように、柔らかな風が吹いている。
気がつくと、俺の足は村ではなくて、林間地に向かっていた。
林間地に1歩踏み入れると、先ほどまで穏やかだった風が、急に強く吹きつけてきた。
「…魔法?」
足元をよく見ると、かすかに魔法円を描いた線が見える。
あの日に俺が作ったものではない。村の大魔導師が描いたものだろう。
…俺が呼び出した魔物を鎮めるために。
風で目が乾いて痛かった。
目を細めて、林間地の中央を見る。
そこには、白い歌姫の衣装を着た少女が立っていた。
「セーナ…?」
おそるおそる呼びかけてみる。
風になびく長い藍色の髪は、間違いなくセーナのものだった。
「セーナ」
さっきよりも大きな声で呼びかける。
すると、少女はゆっくりと振り返って、俺を見た。
「…違う。」
セーナじゃない。
あいつはセーナじゃない。
振り返った少女の顔は、怒りのためだろうか、それとも憎しみのためだろうか。
醜くゆがんで、鬼のような形相をしていた。
少女はゆっくりと俺に近づいてくる。
「…誰だ。お前、誰なんだよ。」
少女は何も答えない。
「何か言えよ…。なぁ、何か言ってくれよ。」
恐怖で胃がきゅっと締まる感じがする。
「…そうだ、お前、何て名前なんだ?」
俺が尋ねると、少女はぴたりと足を止めた。
「俺は、ルインだ。ルインって名前だ。…お前は?」
少女が口を開いた。
その声を聞いて、俺はめまいを起こしそうになった。
「わたしはセーナ。」
…嘘だ。
「あなたに殺された、セーナよ。」
…嘘だ。嘘に決まってる。
「あなたのせいで、あなたのせいで、わたしは…。」
聞きたくない。聞きたくない。
何も言わないでくれ…。
「そうだ…。俺のせいだよ、セーナ…。」
ぎゅっと目をつぶる。
ふと我に返ると、セーナの声がもっと違う声になっていることに気がついた。
そっと顔を上げて、少女を見る。
少女と、目が合った。
「わたしたちの苦しみを知るがいい!」
何百もの人々の声が重なったような、少女の声。
「幼き頃から抑圧され、全てを耐え、何もかもを奪われた、わたしたちの苦しみを知るがいい!」
俺ははっとした。
セーナの姿を使って話す、この声。
…今までの、全ての歌姫の声なんだ。
…この村に伝わる歌姫の風習。
小さな少女が魔導師以外の者とのかかわりを全て断絶され、家族からも引き離され、毎日毎日『歌姫』になるための訓練をさせられる。そこには本人の意思なんて存在しない。全ては魔導師と、村の掟によって決められる。
「セーナ…。」
どれほど苦しかったのか、俺にはわからない。
セーナの姿を借りた歌姫たちの声は、いつの間にか、嘆きの歌を奏でていた。
周囲に邪悪の気配が満ちる。
「今度こそ、俺が助けてやる。」
魔物が姿を現した。
魔物はあの日と同じように、強大だった。
でも、俺はひるまなかった。
この村に伝わる魔法は、決して他の土地で伝えられることは無い。それがなぜなのか、今、やっとわかった。
…大魔導師はこの魔物から力を得ている。
…そうでなければ、こんな魔物、とっくに退治されていていいはずだ。
腰につけていた短剣に手をかける。
…だから、この魔物がいなくなれば、魔法は無くなる。
…歌姫の風習も無くなる。
大きな唸り声をあげて襲い掛かってきた魔物に、俺はためらうことなく短剣を投げつけた。
魔物の喉にまっすぐに短剣が突き刺さる。
「ヴォォォォォォォォ!!!」
魔物が断末魔の叫びとともに消え去った。
次の瞬間、村から青い炎が柱となって天に昇るのを、俺は見た。
あれは、確か…。
大魔導師の屋敷にある、魔法の水晶の色だ。
村で魔導師たちが大騒ぎになっているのが聞こえた。
「セーナ…。」
林間地を見回す。
少女の姿は、消えていた。
俺は急に眠くなった。
…ここまで旅して、魔物を倒して…きっと、疲れたんだ。
芝生の上にどさっと倒れる。
…ちょっとだけ、休んでいこう。
俺はそのまま、目を閉じた。
夢を見た。
楽しそうにセーナが歌っている。
俺と一緒に遊んでいる。
セーナは自由になったのだ。
青い炎は村を包み込んだ。
ルインが倒れた林間地にも、青い炎は近づいていた。