エピローグ:ただの男に戻る場所
鍵を回す音が、無機質な部屋に小さく響いた。
街の喧騒はもう届かない。窓の外には、彼が持ち帰った「A」評価の心臓が変換され、虹色の檻となって街を優しく包み込んでいる。だが、その光が部屋の隅々にまで入り込むことはない。ここは、光の供給源に最も近い場所でありながら、最も影の濃い場所だった。
ガレノスは、腰のベルトから一振りの短剣を外した。
無駄な装飾を排し、ただ獲物を一撃で屠るためだけに研ぎ澄まされた鋼。その刃が中枢神経を捉えるわずかな感触が、まだ掌に残っている。続いて、皮膚の一部と化していた鉄の鎧を一つずつ外していく。革ベルトを解くたびに、肉体に食い込んでいた緊張が、疼きとなって溢れ出した。
鏡の中にいたのは、英雄などではなかった。
全身に刻まれた古い傷跡と、消えない泥の染み。そして、何よりも深く刻まれた疲労。
脇腹の痣をそっと撫でる……あの灰色の故郷を失った日から、数え切れぬ死線を潜り抜けてきた。
「……リソース、か」
独り言が、冷えた空気に溶ける。
どれだけいい素材を持ち帰っても、故郷は戻らないというのに……。
彼は洗面台の蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗った。
滴る水滴が、首筋を伝って床に落ちる。
街の人々は、明日もこの「平穏」が当然のように続くことを疑わない。虹色の結界が夜を払い、変換されたエネルギーが文明を回す。その巨大な循環の起点に、一人の男の磨り減った命が置かれていることなど、知る必要さえないのだ。
ガレノスは、簡素なベッドに体を投げ出した。
沈み込むマットレスの感触が、彼を「外征供給者」という職分から、ただの疲弊した人間へと引きずり戻していく。
窓の外では、死せる灯が静かに、そして美しく街を照らし続けている。
ガレノスは、その光を見る余裕もなく、深く、重い眠りの底へと沈んでいった。




