第1話:供給される平穏
この街の空は、いつだって完璧ではない。
一見すれば透き通っているが、目を凝らせばはるか高空で、虹色の波紋が微かに、けれど絶え間なく揺れている。それが聖都の加護――毒や塵を遮断する巨大な「膜」の正体だ。街の空気は常に浄化され、一定の湿度と温度に保ち続けている。吸い込む空気はどこまでも清潔で、ひんやりとしていて、けれど、どこか作り物の香りがした。
「おい、手が止まってるぞ。次だ」
「……あ、ごめん、父さん」
僕は錆びついた梯子を担ぎ直し、父さんの後に続いた。
僕たちの仕事は『**維持供給者**』。
街灯に填め込まれた魔石を回収し、エネルギーが充填された新しいものに詰め替えて回る。指先はいつも魔石の煤で黒く汚れ、爪の間には使い古された魔力の残り香がこびりついている。
次の街灯に移動して……広場の掲示板が見えたその瞬間、
「ガレノスが大型を仕留めたぞ!」
広場から地鳴りのような歓声が沸き上がった。
僕は梯子を抱えたまま、そわそわと広場の方を盗み見た。
父さんは呆れたように鼻を鳴らす。
「大型は『膜』の維持に回るんだよ、聖都が持っていく。俺たちの仕事は変わらねぇ」
「でも、大型だよ? きっと凄いのが獲れたんだ」
「はいはい。ほら、行ってこい。その代わり、戻ったら残りの三区画、急いで終わらせるぞ」
「本当!? ありがとう、父さん!」
僕は梯子を父さんに預けると、弾かれたように広場へ走った。
僕はこの生活に、これといった不満はない。配給される魔力エネルギーは安定しているし、僕たちの明日は約束されている。でも、だからこそ、膜の外から持ち込まれる「戦果」は、僕たちにとって最高の娯楽であり、唯一の「外」との繋がりだった。
掲示板の最前列に滑り込む。そこには、書き立てのログが躍っていた。
【供給識別:第104回・東の外征】
【主担当:『一閃』のガレノス】
【対象:大百足】
【評価:心臓A、外殻A】
周囲の大人たちが「これで今期の配給エネルギーは安泰だ」と、安心の声を漏らしている。
けれど、僕の目に見えているものは、そんな無機質な数字じゃない。
この「A」という評価の裏側に、僕は見た。
浄化もされていない、本物の風が吹く外界。咆哮する巨獣の喉元に、一瞬の閃光を叩き込むガレノスの背中。あの人は、僕たちが見上げるこの「揺れる天井」の向こう側で、血の匂いがするほど生々しい「本物の熱」に触れているのだ。
「……かっこいい」
指先で、その名前に触れる。
『外征供給者』になりたいわけじゃない。重い武器を持って、危険な化け物と殺し合うなんて僕には想像もつかないから。でも、あの眩しい閃光のその先に、あの人が見ているはずの「本物の空」を、僕も一度でいいから見てみたかった。虹色の膜に邪魔されない、どこまでも突き抜けるような、本物の青空を。
父さんのところへ戻り、再び梯子に登る。
魔法灯の蓋を開け、新しい魔石を差し込む。充填されたばかりの魔力が石の奥で淡く拍動し、昼の光の中でも、それが「生きているエネルギー」であることを主張していた。
(俺が今、この手で収めたこの力も、元を辿ればあの人が獲ってきた命なんだ)
そう思うだけで、単調な仕事が特別なものに変わる気がした。
梯子の上から見渡せば、清潔で、静かで、何も変わらない僕たちの街。
僕は今日も、この平和な箱庭の明かりを繋いでいく『維持供給者』だ。けれどいつか、あの閃光が連れてくる風を追いかけて、この透明な壁の向こう側へ。
少年は、手の届かない場所にある「本当の空」を、ただひたすらに夢見ていた。




