第7話 メイドさんはパン屋さんではない
ダリル先輩はヨルムが死んだことを念入りに確認し、それから剣を収めた。
熾烈な戦いが終わり、"花冠の沼地"に再び静寂が戻ってくる。
俺はミスティア先輩が来るのを待った後、ハンマーを回収したレナ先輩と合流した。
「どう? カッコよかったでしょ?」
鼻高々なレナ先輩に、俺は素直な賞賛で応じた。
「お見事、って感じですね。まさかあんな隠し玉を持ってるとは思いませんでした」
「冒険者は必殺技の1つや2つ持ってないとやってけないからねー。……っていっても、そう何度も使える代物じゃないんだけどさ」
見れば、ハンマーと鎖の接続部分が完全にちぎれていた。
力任せに振り回した反動か、あるいは以前からガタが来ていたのか。どちらにせよ修理しなければ使い物にならないだろう。
「この子、仕掛けが複雑過ぎるせいで耐久性が駄目駄目なのよね。普段使いする分には問題ないんだけど、鎖を伸ばすとすーぐこうなっちゃうの」
「それって欠陥武器なんじゃ……?」
「うーん、そういう考え方もあるかな」
レナ先輩は恥ずかしそうに笑うと、
「でもさ、絶体絶命の状況を覆すためにはそれくらいのリスクは付き物じゃない? 実際、これのお陰で逆転できたわけだしさ」
それに、と続け、
「いざって時は頼もしい仲間が守ってくれるから、アタシは安心して無茶できるの。……まあ、今日はちょっと調子が悪かったみたいだけど」
気遣うような視線の先、ダリル先輩がうつむきがちに歩いてくる。歩みが遅いのは負傷のせいではないのだろう。
俺は何と声をかけていいのか分からず、無言で彼の姿を見つめていた。
勝手に行動したことを怒るべきなのだろうか? それとも全ては済んだこととして水に流すべきなのだろうか?
俺は迷うように視線を動かし……その時初めて"それ"に気が付いた。
「これって……」
俺はダリル先輩の足元に釘付けになっていた。続いて先輩がそれに気付き、レナ先輩も気付き、ダリル先輩が苦々しげな表情を見せた。
あの時ダリル先輩が転んだ理由。それは何かしらの罠でも、バイパーのせいでもない。
これ以上無いくらい単純で、笑ってしまうくらい馬鹿げた理由だ。
「靴紐が、ほどけてる……」
つまり……ダリル先輩は自分で自分の靴紐を踏んずけてしまった、ということになる。
ほどけた理由は容易に想像がつく。
夕食の後、ダリル先輩は泥で汚れた靴を洗い、そのままテントに入った。その後、寝ていたところを先輩に起こされ、ヨルムらしき痕跡を見つけたという知らせを聞く。
いてもたってもいられなくなったダリル先輩は、干してあった靴を履いてキャンプ地を飛び出す。十分に装備を確認することもなく。
彼は最初から靴紐を結んでいなかった。たったそれだけのことだったのだ。
もしも他の誰かがこんな説明をしたら、俺は馬鹿げた話だと笑うだろう。
ダリル先輩はとても用心深い人だ。そんな彼が靴紐を結び忘れるなんてポカをするはずがない。仮に事実だとしても、そんなことが起きるのは極めて低い確率だろう。
だが、実際にそれは起きてしまった。
100万分の1だろうと、1億分の1だろうと、現実になってしまった時点でそれは動かしようのない失敗なのだ。
「あ、っと……」
レナ先輩は何か言いかけたものの、すぐに口をつぐんで、それから出し抜けに明るい声を出した。
「あ、あはは! ダーリンがドジ踏むなんて超珍しいじゃん! 明日は槍が降るかなー、なんて……」
大げさに振る舞うことで、場の空気を少しでも和らげようとするレナ先輩。だが、
「……いいや、これは私の油断が招いたことだ」
枯れたようなつぶやきがレナ先輩の言葉をさえぎった。
「無様なものだ。他人にあれだけ偉そうな口を叩いていたくせに、当の自分はこんな初歩的なミスを犯してしまうんだからな。靴紐も満足に結べんのは私の方だったというわけだ」
「そ、そういうことは誰にだってあるじゃん! 今日はたまたま不運が重なっただけでしょ!」
必死に反論するレナ先輩。しかしダリル先輩は首を振った。
「いや、これは必然だ。たしかに私は功を焦っていたし、自分なら上手くやれるという慢心もあった。何より──」
申し訳なさそうに俺と先輩を見て、
「私は君たちメイド学科に対抗心を抱いていた。いや、ムキになっていたと言うべきだな」
「それは……メイド学科に頼ることが甘えだからですか?」
「そうだ。私にとって君たちの力を借りることは自分の未熟さを認めるようなものだった。だから君たちを置いて一人でヨルムを倒そうとしたんだ。もっとも、結果はこの様だが」
自嘲するように言葉を吐き出すダリル先輩。
ダリル先輩は他人に厳しいが、自分にも厳しい人だ。だからこそ彼は、自らの失敗を"たまたま"と切り捨てることをしなかった。
いや、むしろ自分のことだから余計に許せないのかもしれない。己の弱さを最も知る人物は、己を置いて他にいないのだ。
「どう言い繕ったとしても、私のせいで皆を危険にさらしてしまったことには違いない。……すまなかった」
そう言って、ダリル先輩は深々と頭を下げた。
重苦しい空気があたりを包む。
ダリル先輩はその姿勢のまま動かず、レナ先輩は助けを求めるように周囲を見回している。俺もどうすればいいのか分からず、ただ沈黙だけが無限に引き伸ばされていく。
誰もが口を開くのをためらう中、場違いなほどいつも通りな先輩の声がした。
「ダリル様、これをご覧くださいませ」
ふわりとした動作で手を掲げる先輩。なんとそこには、半分に切られた食パンが載っていた。
「……パン?」
生まれて初めてパンを目にしたような顔のダリル先輩。先輩は軽く首肯し、
「はい。おっしゃる通り、皆様の夕食にお出しした食パンの残りでございます。"鉱夫の枕"という名のパン屋で、今朝焼きあがったばかりのものを購入いたしました」
「あ、ああ……それが何か?」
意味が分からず戸惑うばかりのダリル先輩。かくいう俺も同じ心境だった。レナ先輩に至っては首を90度くらい傾けている。
しかし先輩は俺たちの疑問に答えることなく話を続けた。
「このパンはわたくしが焼いたものではございません。無論、自らの手で麦を育て、自らの窯で焼き上げた最高のパンをご提供するのが理想ではございますが……わたくしはあえてその方法を選びませんでした。ですが、わたくしはそれを怠慢だとは思いません。なぜならわたくしも、"鉱夫の枕"の店主様も、それぞれに定められた役割を全力で果たしているのですから」
先輩はパンを仕舞うと(死角に入った瞬間いきなり消えた。どこに仕舞ったんだ?)、空になった手を虚空へと向けた。
「今一度お考えくださいませ。戦士に守られる治癒師はただの足手まといでしょうか? 魔術師の光弾が姿なき悪霊を貫く時、武闘家は己の拳を無力だと恥じるのでしょうか?」
腕先を順繰りに俺たちへと向け、
「いいえ、そのようなことはありません。わたくしどもは冒険者です。冒険者は個性を尊び、不揃いをよしとする者。完ぺきでないことに何の問題がありましょう?」
その腕先を、自らの胸元へと戻した。
「人は不完全な生き物です。短所があるのは当たり前。どれだけ注意を重ねても、ミスをゼロにすることなどできません。……だからこそ、人は群れ集うことを学んだのです」
ようやく俺たちにも先輩の言いたいことが分かってきた。
全員の表情に理解の灯がともったことを確認すると、先輩は半歩前に進み出た。視線の先には唇を固く結んだダリル先輩がいる。
「ダリル様。常に完ぺきを求めるあなた様の姿勢をわたくしは素晴らしいと思います。ですが、この世に完ぺきなものなど存在いたしません。ダリル様がどれほど努力を重ねたとしても、いつかどこかで綻びは生じるのです」
それは嫌味でも死刑宣告でもなく、単なる事実の確認だ。
現実は厳しい。物事はちっとも思い通りにいかないし、運命の女神はいつだって俺たちを驚かせる隙をうかがっている。
しかし先輩はそこで終わらず、さらに言葉を重ねた。
「ですから、その綻びを直す役目をわたくしどもにお任せ願いたいのです」
「君たちに?」
「はい。皆様のたゆまぬ努力が築き上げた99%の完ぺきに、最後の1%を添えるお手伝い。それこそが、わたくしどもメイド学科の仕事なのです」
先輩は長い話を締めくくると、それ以上何も語ろうとしなかった。
だがそれでいいと思った。俺たちにできるのはほんのわずかな後押しだけ。
このクエストの主役はメイドではなく、冒険者なのだから。
メイドはすでに責務を果たした。後は、主次第だ。
「……ソウタくん、そしてミスティアくん」
ダリル先輩が意を決したように口を開いた。その表情は硬いままだが、そこに後ろ向きな感情は含まれていない。
「クエストを達成することはできたが、ヨルムとの戦闘によって我々は消耗している。残っているのはバイパーだけとはいえ、気を抜けば再び窮地に陥ってしまうかもしれん」
重々しく言った後、ダリル先輩は大きく息を吸った。
繰り出す言葉は決意と共に、
「──だから、頼む。我々全員が無事に帰還できるよう、君たちメイド学科の力を貸してくれ」
まっすぐな目でこちらを見つめるダリル先輩。
俺と先輩は声を揃えて、
「委細承知いたしました。メイド学科に万事お任せを!」




