第36話 メイドの不養生
ACT7はACT5と同様サクッと終わるタイプの話です。
「先輩が、病欠?」
それを聞いた俺は、ラオフー先生が講義を早めに切り上げた時のような顔をしていた。
「ポピー先生、それって確かな情報なんですか? 単に依頼か何かで出掛けてるだけなんじゃ……」
「私だって驚いてるわ。でも、どうやら間違い無いみたい」
お馴染みのメイド学科にて。到着早々衝撃的な事実を告げられた俺は、めまいのするような気分で天を仰いだ。
隣にはユニがいて、やはり俺と同じような表情を浮かべている。普段はふわふわの綿毛みたいなポピー先生も、今日ばかりは真面目な様子だった。
「今朝早くに寮母さん経由で学園に連絡があったそうよ。体調が悪いのでお休みさせてくださいって。だから、たぶんメイド学科にも来られないんじゃないかしら」
「あの先輩が、体調不良……しかもドクターストップじゃなくて、自主的に休んだんですか? 一大事じゃないですか」
三度の飯より他人のお世話が好きなミスティア先輩が、ちょっとやそっとのことで病欠なんてするはずが無い。
あの人は両手が折れたら口を使って服を縫うような筋金入りのメイドなのだ。単なる頭痛や微熱程度なら、それこそお首にも出さないだろう。
となると、今回はそれ以上のことが起こった? あるいは感染性の高い病気にかかってしまった?
ポピー先生に探るような視線を投げるが、先生は首をすくめるだけだった。
「どうかしらね。でも……重い病気ならただのお休みじゃなくて入院になるはずでしょう? だったらそこまで心配する必要は無いんじゃないかしら」
あの子にしては珍しいことだけれど、と付け加えるポピー先生。
「とにかく、あまり気を揉んでも仕方ないわ。ミスティがいなくて落ち着かない気持ちは分かるけれど、私たちはいつも通り仕事をこなしましょう」
「はい……」
「気になるならお仕事が終わった後にでもお見舞いに行ってあげればいいじゃない。あの子、きっと喜ぶわよ」
「そうします……」
ぼんやりした顔で生返事を返す俺。それを見た2人はやれやれといった風にほほ笑んでいた。
「でも、ソウタさんの気持ちも分かりますよ。ミスティア先輩って無敵みたいなイメージがありますから、いきなり病気って言われたら思わずぎょっとしちゃいますよね」
「うん……。先輩って自己管理もきっちりしてる人だから、なおさら病気になった理由が分からないっていうか」
「やっぱり疲れが溜まってたんじゃないですか? ほら、先月は依頼が次から次にやってきて大変だったじゃないですか」
「……そういえば、新学期が始まってからまだ1か月しか経ってないのか」
「ソウタさん、忘れてたんですか?」
「そういうわけじゃないけど……短い間に色んなことがあり過ぎて、もう半年ぐらい経ってるような気がしてたんだ」
先月は本当に盛りだくさんだった。
ダリル先輩のヨルム討伐クエストに始まり、親父の頼みに付き合い、冒険者ギルドの研修に参加し、格闘学科の面倒事を解決し──いや待て、全然解決してないだろ。
と、とにかく……毎日が波乱の連続で、俺と先輩はいつもその渦中にいたのだ。
こうして思い返せば、原因は明白だった。こんなハードワークを1か月も続けていれば体調を崩さない方がおかしいのだ。
「顔には出てませんでしたけど、ミスティア先輩も相当無理をしてたんじゃないでしょうか。そうそう、領主様のパーティーが終わった翌日なんて、連絡も無しに休んでたんですよ!」
「え? いや、あれは──いやなんでもない」
「?」
いぶかしげなユニをよそに、俺は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
自分が情けなかった。俺は先輩とずっと一緒だったのに、彼女がここまで無理をしていたことに気付けなかったのだ。
だが同時に、こうなることは決して避けられなかっただろうという確信もあった。
先輩は困っている人を見過ごすことができない。仮に俺が休息を勧めたとしても、彼女はどこ吹く風で仕事を続けるだろう。そういう人なのだ。
しかしそれでも、せめてもう少し強く言っていれば、あるいは何かが変わっていたのかもしれない。
とはいえ先輩は強情だから、もっと強引にでも休ませないと、いやでも、あの人をやり込めることなんてそう簡単には──
「──タちゃん、ソウタちゃん!」
「え? な、何ですか突然!? びっくりするじゃないですか」
「それはこっちのセリフよ」
ポピー先生は眉間のしわを深めるようにこちらをにらむと、
「もうとっくにミーティングは始まってるのに、何回呼んでも全然反応しないんだもの。てっきり魂だけでお見舞いに行ってしまったのかと思ったわ」
「そんな特技はありませんよ」
「だったら風に吹き飛ばされてしまわないようにしっかりと捕まえておきなさい。この世界には魂を盗む魔物だっているのよ?」
「すみません、気を付けます」
顔を赤らめながら謝罪すると、ポピー先生はすぐさま表情の険を緩めた。
「よろしい。それで、これからソウタちゃんにやってほしい依頼なんだけど……」
「はい、何でも言ってください」
頬を叩いて気合を入れると、はきはきとした声で言った。
過ぎたことを悔やんでも仕方ない。今の俺にできることは、先輩の分までメイド学科の仕事を頑張ることだ。グダグダと落ち込んでいる暇があったら、一つでも多くの依頼をこなして先輩を安心させてあげるべきだろう。
やる気に満ちた俺の表情に笑みを深めるポピー先生。
先生はその口元を意味深に震わせると、
「依頼人はユニという名前の男の子よ。同じ学科の先輩が病気で寝込んでいるから、その子が元気になるまでお世話をしてあげてほしいの。どう、お願いできるかしら?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で硬直する俺。
ポピー先生は何食わぬ顔でこちらを見つめており、ユニは生暖かい目で俺を見守っている。
俺は先ほどとは比べ物にならないくらい顔を赤くしながら、
「りょ、了解しましたっ」
せき込むようにそう答えた。
*
今さらな説明だが、冒険学部は全寮制である。
クリシュカという土地が魔物だらけであることに加え、敷地自体が町の外にあるため、自宅から通学することが非常に困難だからだ。
もっとも、生徒数はそれほど多くなく──むしろ一般的な学校に比べれば遥かに少ないので、寮の数は2つしか無かったりする。
寮分けの基準はおそらく適当だ。というか、そうせざるを得ない。
何しろ冒険学部に年齢性別種族国籍その他諸々の規定は一切存在しないのだ。場合によっては7歳児と200歳のエルフが机を並べて授業を受けることすらある。
とにかくそういうカオスな環境なので、寮には学年や男女の区分けというものが無いに等しい。せいぜい風呂の時間帯が別になるくらいだ。
正直風紀の乱れが心配でならないが、ひとまずそれは置いておこう。
重要なのは、男の俺がいともたやすく先輩の部屋まで来ることができたという事実だ。冒険学部のモットーである自由と自立の精神を今ほど尊いと思ったことは無い。
「先輩、俺です。起きてますか?」
控えめにノックを2回、それから間を持たずして、ドアの向こうに声を投げかけた。
そのまま10秒ほど待ってみたが、反応は無い。
「先輩、大丈夫ですか?」
もう一度声をかけてみるが、結果は同じだった。
まだ寝ているのだろうか? あまり考えたくないが、返事すらできないような状態なのかもしれない。万一の可能性が頭をよぎった途端、背筋が冷えるような感覚が襲ってきた。
思い切って寮母さんにカギを開けてもらうべきか、俺が真剣に検討し始めた、ちょうどその時だった。
「ソウタ様ですか……?」
消え入りそうな声と共に、目の前のドアがわずかに開かれた。
薄暗い部屋に光が差し込み、ドアの隙間から桃色髪の少女が顔を覗かせる。その瞬間、俺はあっと声を上げた。
「先輩が……メイドじゃない!?」
「まさかの戦力外通告でございますか!?」
「ち、違いますよ! メイド服を着てないから一瞬誰だか分からなくて……」
弁解しつつ、今一度先輩の服装を確認する。
先輩はいつものメイド服ではなく、白いレース地の寝間着を身にまとっていた。
首元の部分が開いた、通気性の良さそうなネグリジェ。スカートにはフリルが付いており、その下からオシャレなサンダルのつま先が見えていた。
やや少女趣味な感はあるが、西洋人形のような先輩の顔立ちと非常にマッチしていて、これはこれで悪くないと思う。
俺が新鮮な気持ちでその姿を眺めていると、先輩が不安げに口を開いた。
「……何もおっしゃってくださらないのですか?」
「え?」
「ですから、その……感想と申しますか」
どうやら俺が黙っていたことで変な誤解をさせてしまったようだ。俺は妙に女の子らしい態度の先輩にドギマギしながら、
「変な格好だなんて思ってませんよ。雰囲気が違ったから驚いただけです」
「自分ではよく分からないのですが……そこまで違うのですか?」
「普段はザ・メイドさんって感じですけど、今はいいとこのお嬢様みたいに見えます」
理由は自分でもよく分からないが、先輩から漂う気品みたいなものがそう思わせるのだろう。
先輩は俺の感想を咀嚼するように口をうごめかし、
「そう言って褒めてくださるのは嬉しいのですが……個人的には複雑な心境でございます」
「お嬢様は嫌なんですか?」
「わたくしはむしろお嬢様にお仕えする立場ですので。メイドたるもの、己の輝きで主の姿を陰らせるようなことがあってはなりません」
「先輩がそれを言うのは今さらな気もしますけど……」
俺の記憶が正しければ、この人はいついかなる時でも自己アピールを欠かさない出しゃばりメイドさんだったはずだ。
しかし、自己認識と他者の評価は必ずしも一致しないものだ。慎ましさを美徳とする先輩は、この事態を収めるべく懐から白いヘッドドレスを取り出した。
外見に多少のメイド属性を付与することで、にじみ出る高貴なオーラを中和しようという魂胆なのだろう。実に涙ぐましい努力である。
手慣れた動きでヘッドドレスを取り付けると、先輩は一仕事終えたかのように息を吐いた。
「……では、もう一度ご感想を」
「はっきり言いますけど……なんちゃってメイド感がすごいです。お嬢様がお遊びでやってるように見えます」
「悪化……しているのですか……」
「残念ですけど……はい」
「ああっ……」
真っ青な顔で、まるで亡霊のようなうめき声を上げる先輩。
と、その体がふらりと傾き、
「先輩っ!」
ドアの間に滑り込むと、すんでのところで先輩を支えた。
体に触れた瞬間、かなりの熱を感じた。普通に受け答えしていたからつい油断してしまったが、これは本格的にまずそうだ。
俺は先輩の肩を抱きながら、一歩一歩慎重にベッドへと連れていく。
「先輩、俺のことが分かりますか?」
「え、ええ……大丈夫です。少し、頭がふわふわいたしますが……」
しゃべり方が少々おぼつかないが、意識ははっきりしているようだ。
ただ……体力の消耗が思ったより激しいのか、その足取りは不安定だ。こんなことなら抱えてあげれば良かった。
「もう医者には診てもらったんですか?」
「今朝、医務室で……。ただの風邪のようなので、お薬だけいただいて、自室で養生するようにと……」
「素人意見ですけど、そういうのって魔法でパパっと治してもらえないんですか?」
「できないことはありませんが……体に免疫を付けておかないと、すぐに再発するおそれがあるそうです……」
「理解しました。とにかく重い病気じゃなくて良かった」
ほっと胸を撫で下ろしつつ、ぐったりした様子の先輩をベッドに横たえた。
水と薬を飲ませた後、俺はベッドの横でしばらく経過を観察することにした。
最初は苦しそうに息を吐いていた先輩だが、30分ほどすると薬が効いてきたのか、その表情が少しずつ落ち着いてきた。
それからさらに30分ほど経過した頃、先輩が静かに目を開けた。それを見た俺は無意識に握り込んでいた拳を緩め、疲れたような笑みを浮かべた。
「申し訳ございません。わたくしとしたことが、ソウタ様のお手を煩わせてしまいました」
「一瞬心臓が止まるかと思いましたよ。そんなにしんどいなら無理して出てこなくても良かったのに」
「ですが……ソウタ様ですから」
短い一言。だが、そこに込められた意味が分からないほど俺は馬鹿じゃない。
俺は先輩の頭を優しく撫でると、精一杯の気持ちを込めて言った。
「ありがとうございます、先輩」
「わたくしのセリフを取らないでくださいませ。礼を言わなければならないのはわたくしの方ですのに……」
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか。俺がお礼を言いたい気分だったんですよ」
軽い感じでそう言うと、先輩は緩んだ口元を隠すように布団を引き上げた。
「食欲はありますか? まだお昼を食べてないなら、今から作りますけど」
「いえ、これ以上ソウタ様にご迷惑をお掛けするわけには」
「食欲はありますか! まだお昼を食べてないなら、今から作りますけど!」
一字一句はっきりと言い直すと、先輩はさらに布団を引き上げ、申し訳なさそうな目でこちらを見た。
「……お願いいたします」
「リクエストはありますか?」
「特にありませんが……できれば消化のいいものを。吐いてしまうと後片付けが大変ですので」
「どうせ俺が片付けるんだからその辺は気にしなくていいですよ」
「えっ? ですが、メイド学科の方は……」
「休みました。先輩の看護をしてやれって2人に言われたんです」
「はあ……」
間の抜けたような返事をする先輩を置いて、俺は調理室へと向かった。
生徒の個室にも簡易なキッチンっぽいものが無いわけではないが、あそこでできるのはせいぜいサンドイッチを作ることぐらいだ。温かい料理を作ろうとすれば、かまどのある調理室か本校舎にある食堂を借りるしかない。
俺は寮母さんに事情を話し、いくつかの食材を分けてもらうことにした。
作るのは麦粥だ。本当は米粥の方が作り慣れていたが、この国では米がほとんど流通していないんだから仕方ない。
「はい、どうぞ。冷めないうちに食べてください」
完成したのは柑橘系の果物とハチミツを混ぜた甘い麦粥だった。寮母さんいわく、この地方では広く親しまれている料理らしい。
出来上がった料理を先輩のところに持っていくと、彼女はなぜか目を丸くしていた。
「何か変なところでもありましたか? 味見はしたので不味くはないと思いますけど」
「あ……いえ、そういうわけではございません。ソウタ様が優れた料理人であることはわたくしも存じておりますので」
「にしては褒められた記憶が無いんですけど……?」
メイド学科の講義で料理を作ったことは何度もあるが、先輩が合格点を出してくれたことは一度も無い。どれだけ親しい間柄でも、メイドの仕事に関しては一切の妥協を許さないのが先輩なのだ。
俺の疑わしげな視線に気付くと、先輩はすました様子で、
「お客様に自信をもってお出しできるレベルではないというだけで、わたくし個人としてはソウタ様の腕を評価しております。まあ、味付けが多少雑なのは気になりますが」
「それがうちの家庭の味なんですよ。ほら、いいからその雑な料理をさっさと食べちゃってください」
「え、ええ……」
と言ったものの、先輩は何やら不思議そうな顔で麦粥を見つめたままだ。
食欲が無い、というわけでは無いのだろうが……どちらかというと、他のことに気を取られているような感じだった。
「まだ何かあるんですか? そういう意味ありげな反応を見せられるとめちゃくちゃメンタルに来るんですけど……」
「も、申し訳ございませんっ。わたくしはただ、こういった状況に慣れておりませんので……つい」
「こういった状況って……他人に看病されたことが無いんですか? というか、風邪を引いたのも初めてとか?」
「それもありますが……」
先輩は何度か口をもごつかせた後、
「わたくしはずっとお世話をする方でしたので、こうして誰かにお世話されていると、その……自分がいるべきではない場所にいるような気がして、気が休まらないと申しますか」
「つまり……恥ずかしいんですか?」
「……かもしれません」
不承不承といった感じでうなずく先輩。その顔が赤いのは熱のせいだけでは無いだろう。
それにしても……まさかお世話されることに慣れていないだなんて。これはもう職業病どころか生まれ育った環境に問題があるんじゃなかろうか。
ルブリン侯爵の話によると、先輩は物心つく頃にはすでに大人たちと肩を並べて来客の応対をしていたという。年相応の遊びに目もくれずバリバリ仕事をこなす娘の姿に、ご両親はさぞ複雑な思いを抱いていたことだろう。
何にせよ先輩がもじもじしている理由は分かったので、俺はシンプルな解決策を提示することにした。
「分かりました。とりあえずこのままじゃお粥が冷めちゃうので、俺が食べさせてあげますね」
「そちらの方が恥ずかしいではありませんか!」
「だって先輩がいつまで経っても食べようとしないんだから仕方ないじゃないですか。おとなしく『あ~ん』されてください」
「『あ~ん』だけはご勘弁くださいませ! 恥ずかしくて死んでしまいます!」
「俺だってさんざん『あ~ん』されたんだからおあいこですよ。食べるのがゲテモノ料理じゃないだけ100倍マシです」
「分かりました! 食べます! 食べますから!」
「最初からそう言えばいいんですよ」
俺の手から強引にスプーンをもぎ取った先輩は、一呼吸を置いてから、
「……いただきます」
すくい取ったお粥を口に運ぶと、そのまま目を閉じた。
生つばを飲み込み、姿勢を正して裁定を待つ俺。
彼女は神妙な顔で何度かあごを上下させた後、薄く目を開け、こう言った。
「甘い、です」
美味しい、ではないところがなんとも先輩らしい微妙な気遣いを表していた。俺はまた合格点をもらえなかったのだ。
だが、それでも俺はこの答えに満足していた。
「甘い」と口にした時の先輩は、とても甘い表情をしていたのだから。




