第3話 メイドさん、お出かけする
翌日。俺とミスティア先輩は朝早くに冒険学部を出発した。
目的地は学園の南西に位置する"花冠の沼地"と呼ばれるダンジョンだ。ダンジョンの入り口で依頼人と合流し、そのまま探索を開始する手はずとなっている。
「うん、いい天気だ。雨が降らなくて良かった」
一足先に正門を出た俺は、軽いストレッチをしながらあたりの様子を確認していた。
気候は晴天。門の外には緑豊かな平原が広がっている。
正面には東西に伸びる大きな街道。遠くを見れば、鬱蒼とした森と河川が代わり映えのしない景色にアクセントを加えていた。
まさに森と水の国。起伏の少ない地形と見渡す限りの大自然はクリシュカの代表的な風景でもある。
しかし、見た目の美しさに惑わされてはいけない。
冒険学部の敷地を一歩でも出れば、そこはもう外の世界だ。魔物の世界と言い換えてもいい。
「先輩、はぐれないようにしっかり付いてきてくださいね。学園の外は何が起こるか分かりませんから」
俺は程よい緊張感を保ちつつ、遅れて出てきた先輩に注意を促した。冒険学部生にとっては今さらなセリフだが、こういうのは声に出して己に言い聞かせることが大事なのだ。
先輩もその辺りはちゃんと心得ているのだろう。俺の言葉に素直なうなずきを返すと、
「では、エスコートをお願いいたします」
恥じらうように手を差し出した。
「……あの、その手は何ですか?」
怪訝な顔の俺に対して、先輩はきょとんとした顔で、
「あら、手をつないでくださらないのですか?」
「片手で魔物と戦えっていうんですか? 自殺行為ですよ」
「ですが、外では何が起こるか分かりませんから。万が一にもソウタ様とはぐれないようにいたしませんと」
何食わぬ顔で俺の発言をオウム返しする先輩。しかし、すぐに表情を崩し、
「ささやかなメイド流ジョークでございます。広い心でお許しくださいませ」
「性質の悪い冗談だなぁ」
「色よいリアクションを返してくださるソウタ様も悪いのですよ? そのようなお顔を見せられたら、わたくしもつい興が乗ってしまいます」
「ネズミをいたぶる猫みたいな理屈でちょっかいを掛けないでほしいんですけど……」
「あぁ、まさにそのお顔でございます。本日のソウタ様はサービス精神旺盛ですのね……」
先輩はうっとりした顔で息を吐くばかりだった。俺を困らせるのがそんなに楽しいか。
サディスト先輩をこれ以上悦ばせるのもアレなので、俺はさっさと移動を開始することにした。
門前の衛兵に別れを告げ、街道を西へ。忘我の境地から復帰した先輩も俺の後に続いた。
「もう気は済みましたか? そろそろ真面目にやらないと怒りますよ」
「承知しております。冗句にかまけて主の足を引っ張るようではメイド失格ですので」
「手を引っ張るのはセーフなんですかね……?」
「その時はソウタ様がリードしてくださるのでしょう? でしたらわたくしが引っ張ることにはなりません」
「お坊さんのとんちかな?」
手を引いてエスコートはさすがにやり過ぎだが、外が危険であることは疑いようの無い事実だ。
この世界には魔物が存在する。
一口に魔物といっても千差万別だが、その多くは人間よりも強く、大きく、そして凶暴だ。地域によって危険度はまちまちとはいえ、地球基準の害獣対策では不十分だろう。
おまけに、この国にはダンジョンなんてものまである。
途方もない数の魔物を擁するダンジョンが地上の環境に何の影響も与えないはずがない。ダンジョンから出てきた魔物が地上のあちこちで繁殖を続けた結果、この国は世界一魔物の多い危険地帯になってしまった。
今や人々は城壁のある町の中でしか暮らすことができず、街道を通るだけでも何かしらの武装が必須となる有様。
だからこそ、その窮状をどうにかするために俺たち冒険者の力が求められている。
冒険者はただの便利屋ではない。国の未来を背負って戦うヒーローなのだ。
*
南西の森林地帯に足を踏み入れて30分と少し。俺たちはごく浅い谷底のような地形を歩いていた。
左右を崖に挟まれた細い道。頭上には大きく張り出した岩棚があり、その下にできた横穴が"花冠の沼地"の入り口だった。
「もうすぐ着くみたいですけど……先輩、今は何時くらいですか?」
「8時50分でございます」
俺が問いかけた時点で先輩は懐中時計に目を落としていた。彼女は時計の盤面に指先を這わせながら、
「集合時間が9時ということを考えると、理想的なペース配分かと存じます。ソウタ様は良いタイムキーパーになれるかもしれません」
「偶然ですよ。魔物に出くわしていたらもっと遅くなってました」
3歩歩けば魔物に当たるとはクリシュカ人がよく口にする言葉だ。裏を返せば、俺は今日一日分の運をすっかり使い果たしてしまったとも言える。
とにかく今は結果オーライということにしておこう。俺は歩く速度を若干落とすと、横穴の壁に寄り掛かっている女性に声をかけた。
長い茶髪をポニーテールのようにまとめた、背の高い女性だった。
依頼書の内容が正しければ、おそらく彼女が依頼人のパーティーメンバーだ。たしか名前は……
「あの、レナ先輩……ですよね?」
「お、当ったりー!」
その女性はこちらを見るなり人懐っこい笑みを見せた。
ややあってから、おずおずと確認するように、
「そう言うアナタはメイド学科……で合ってるよね?」
「はい。俺は2年のソウタで、こっちは3年のミスティア先輩です。今日はよろしくお願いします」
「あー良かった! 人違いだったらマジ恥ずくてどうしよって思ってたの」
「人違い? メイド服を着た冒険者なんてメイド学科以外にいないと思いますけど……」
「おそらくソウタ様がメイド服を着ていらっしゃらないのが原因かと思われます」
「それを言うなら燕尾服だと思いますけど……まあ言いたいことは分かりました」
たしかに一人だけメイド服でもう一人が私服だと確信が持てなくなるのも無理からぬことである。
ちなみに、今の俺は白いカッターシャツの上に黒いコートを羽織っている。コートはやや大きめのサイズで、何だか昔ミュージカルで見た海賊船長を彷彿とさせるデザインだった。
厳密に言うと私服ではなく制服……いや、元制服というべきか。
最初は日本で着ていた学ランをこっちの世界でもそのまま使っていたのだが、戦闘による破損と修繕を繰り返すうちにどんどんデザインが変わっていったのだ。まるでテセウスの船である。
「ほら、やっぱりメイド学科っていうくらいだからみんなメイドか執事さんだと思うじゃん? だからアナタを見てちょーっぴり焦っちゃったわけ」
「混乱させちゃってすみません。俺は他の学科と掛け持ちしてるので、本職メイドってわけじゃないんです」
何の気なしに言ってから、俺は慌てて言葉を継ぎ足した。
「いや、だからといって中途半端な仕事はしませんから安心してください」
「あはは、オケオケ。うちにも掛け持ちしてる人はいるからその辺は大丈夫だよ」
気さくに笑うレナ先輩。依頼に来たダリルという人とは真逆の、かなり取っつきやすそうな人だ。
身なりは人を表すというが、彼女の服装も言動から受けるイメージそのものという感じだった。
体にフィットしたインナーウェアに、ラフなデザインのショートパンツ。金具付きのベルトをたすき掛けにすることで、背中に大きなハンマーを固定している。
いちいち聞かなくても分かる。この人は近接戦闘に特化した職種──戦士学科の生徒だ。
「改めて自己紹介しとこっか。アタシはレナ。ダーリンと同じで戦士学科の4年! よろしくね、ソウちゃん!」
というわけで、さっそく答え合わせができた。そして俺に変なニックネームが付いた。
レナ先輩は名乗りに合わせてイエーイとピースサインを作り、俺はもじもじと手を挙げることで応えた。先輩はダブルピースで対抗した。
「いやー、こんな陰気な場所に呼び出しちゃってゴメンね? 普段はアタシとダーリンだけで探索してるんだけど、さすがにこのダンジョンをサポート無しで攻略するのはめんど……骨が折れるかなーって思ってさ」
「いえ、構いませんよ。それよりダーリンっていうのは……」
といっても目星はついているのだが、一応聞いておいた方がいいだろう。
レナ先輩は口元に手を当て、忍び笑いを漏らすように、
「そ。いっつも便秘の一番酷い日みたいな顔してるカレのこと」
「な、なるほど……ダリルだからダーリンですか」
「えへへ、可愛いでしょ? 顔が怖いんだから名前だけでも可愛くしなきゃ駄目よねー」
「……ノーコメントです」
「わたくしはとても素敵なネーミングだと……んんっ!」
すんでのところで先輩の口をふさいだ俺は、横穴の奥から大股で歩いてくる人物に挨拶をした。
「おはようございます、ダリル先輩。俺たちは──」
「自己紹介はいい。あれだけ大声で話していれば嫌でも耳に入ってくる。願わくば、君たちの名前を知る魔物が少ないことを祈るばかりだ」
開口一番皮肉を飛ばすこの人が、俺たちに依頼を寄越したダリル先輩である。昨日と変わらず不機嫌そうだが、レナ先輩の話からするとこれが地顔のようだ。
ただ、それはそれとして今は怒っていると思う。まあ便秘顔とか言われたら当然か……。
「あっ……お、おかえりダーリン! その、中の様子はどうだったの?」
不幸なことに、横穴に背を向けていたレナ先輩は俺たちより気付くのが遅かった。
彼女は背後からの声にビクリと飛び上がった後、すぐさまごまかすように大声を出した。
気まずい沈黙。ダリル先輩は彼女に無言で一瞥をくれると、思考を切り替えるようにまばたきをした。
「少し先まで調査してみたが、危険な兆候は見られなかった。奴はもっと奥の方にいるようだ」
俺はダリル先輩が提出した依頼書の内容を思い出していた。
あれによると、ダリル先輩はとある討伐クエストを受けており、その対象が"花冠の沼地"に潜んでいるということらしい。
「奴、っていうのは討伐対象のことですか?」
俺がたずねると、ダリル先輩は必要最低限の動きで首肯した。
「大蛇の魔物ヨルム。現時点では奴が"花冠の沼地"の支配者と言ってもいい」
「現時点では? それってどういう……」
「時間が惜しい。詳しい話は後だ」
ダリル先輩は俺の言葉を手で制すると、穴の奥に向かって歩き始めた。
せっかちな人だが、たしかにこんな場所でいつまでも立ち話を続けるのは良くない。
何しろここはダンジョンの玄関口だ。いつ何時住人が顔を出してもおかしくない。
俺たちは地上にしばしの別れを告げると、ダリル先輩を追って"花冠の沼地"へと入っていった。




