第29話 レジェンダリーメイド
「すまないが、少しの間ここで休ませてもらっても構わないかな? パーティーの熱気にあてられてしまってね」
「は、はい」
ピオネールの領主──ルブリン侯爵は、そう言うが早いか俺の隣に移動していた。
俺は心臓をばくばくと震わせながら、できるだけ失礼の無いように発言した。
「な、何か御用でしょうか?」
「もっと砕けた感じで話しなさい。幸い、今は聞き耳を立てている者もいない」
はっとした顔で周囲を見回すと、俺たちの近くには人っ子一人いなくなっていた。
ホールの一角に広がる不自然なまでの空白。
偶然なんてものじゃない。どう考えても意図的に人払いされている。
これは、侯爵をゆっくりと休ませてあげようという使用人たちの配慮なのだろうか?
それとも。
「そうだ、暇潰しに何か話でもしてくれないか? 君のような年頃の人間と会話する機会は少なくてね」
「話って言われても……俺はただの学生ですから、侯爵様の興味を引くような話はできませんよ」
「それでも構わない。恥ずかしい話だが、この年になってくると自分の武勇伝はもはや語り飽きてしまってね。今はもっぱら、若者たちの活躍を聞くことで元気を分けてもらっているのさ」
「はあ……」
口調は柔らかだが、その響きには有無を言わせぬものがあった。
ある種のプレッシャーとでもいうのだろうか。真綿でやんわりと首を絞められるような感覚は、未だかつて経験したことのないものだった。
「緊張して話せないかね? いいだろう。ならば、まずは私から話すとしよう」
侯爵は鷹揚にうなずくと、
「最近、知り合いから面白い話を聞いたんだ。なんでもヴィエッタ学園にはメイド学科なるものが存在して、そこに依頼を出せばどのような問題でも快刀乱麻を断つがごとく解決してくれると」
「あ、はい。お褒めいただきありがとうございます」
「しかも、その中の一人はクリシュカの生まれではなく、それどころかこの世界の人間ですらないという」
「…………」
今さら自分の出自を隠し立てするつもりはないが、だからといって誰彼構わず教えているわけでもない。俺が異世界人であることは、意図して調べなければ分からないはずだ。
……ひょっとして、初めからそのつもりだった? この依頼そのものが?
もしそうだとすればとても光栄なことだと思うし、同時に申し訳なく思う。
「率直な意見を聞かせてほしい。ソウタ=マツユキくん、君は現在の戦況をどう見ている?」
「五分五分って印象ですね。善戦してはいるけど、いまいち決定打に欠けるというか」
「我々も同じ見解だ。君たち冒険者の活躍でダンジョンの調査は飛躍的に進んでいるが、それだけでは根本的な解決足り得ない。結局のところ、ダンジョンに巣食う魔物を一掃しない限りこの国に平和が訪れることはないのだからね」
「勝つ見込みはあるんですか?」
「負けるために戦をする者はいない。だが準備に時間がかかるのは事実だ」
言葉と共に息を吐くと、侯爵は鷹のように鋭い目つきでホールを見渡した。
「ヒト、モノ、カネ……いくらあっても足りるものではないし、あればあるだけ確実な勝利に近づく。そのために各国の有力者を集め、こうして君たちを招いた。全てはクリシュカのためだ」
右から左へ。怜悧な視線がホール全体をくまなく網羅し、最終的に一点へと収束する。
「ソウタくん、私は君たちの活動を高く評価している。大した志も持たず、富と名声ばかりを追い求める冒険者が多い中、君たちは無私の心で人々に奉仕してきた。生半可な覚悟でできることではない」
「それは、どうも……」
「君自身の出自も非常に興味深い。異なる世界で培われた知識と発想は我々に新たな気付きをもたらすだろう」
「それについては何とも言えません。異世界人っていっても、向こうじゃただの一般人ですから」
「今さら謙遜することは無いだろう。君の特殊性は数々の実績が雄弁に物語っている」
俺の謙虚な態度にますます気を良くした風なルブリン侯爵。
もしやこの「実績」の中にはミスティア先輩が広めたデタラメも混じってるんじゃなかろうか、とちょっと不安になってきた俺だった。
どちらにせよ、侯爵は俺たちメイド学科に強い関心を向けている。それ自体は悪いことではない、と思う。
問題は、彼が俺たちに何を求めているのか、ということだ。
「おっと、つい前置きが長くなってしまったね。寿命が短くなるにつれて舌は長くなる。こうして若い者と話していると特にそう感じるよ」
こちらの考えていることを察したのだろう。ルブリン侯爵は朗らかに破顔すると、
「端的に言うと、君たちを支援したい」
「パトロンになるってことですか? だけど、俺たちはそこまでお金に困ってるわけじゃありませんよ」
「金銭面に限った話ではない。私なら君たちをもっと大きな舞台に立たせてやることができる」
「大きな舞台?」
「優秀な従者には優秀な主人を、ということだ。この先訪れるであろう重大な戦局において、メイド学科の力はダンジョンを打ち倒す最後の一押しとなるだろう」
「侯爵様の直属になれってことですか?」
「私ではなく、クリシュカの未来を背負う者たちに仕えるんだ。いわば英雄の介添人、あるいは君たち自身が影の英雄と言ってもいい」
「スケールの大きい話ですね」
「しかし、君たちならこの大役を果たすことができると私は信じている」
こちらをじっと見定めながら、言葉に熱を込めていく。
「もちろん買い叩くつもりはない。君たちの実力にふさわしい地位と報酬を約束しよう。君が首を縦に振ってさえくれれば、今すぐにでも叙勲式の準備を始めるつもりだ」
強い口調でまくし立てた後、
「君たちのような逸材を埋もれさせておくのは国家の損失に他ならない。どうか、私の申し出を受けてはくれないだろうか?」
そう言うと、ルブリン侯爵はこちらに向かって手を差し出した。
こちらを見下すような態度ではない。かといってへりくだっているわけでもない。ただただ純粋な誠意と情熱を感じた。
無論、相手は生き馬の目を抜く貴族社会を渡り歩いてきた切れ者だ。この行動に演技や打算が全く無いかといえば微妙なところだろう。
だが……それを差し引いて考えても、侯爵が俺たちを高く買っていることは疑いようのない事実だった。
この人は本気で俺たちを必要としている。メイド学科の力を必要としている。
だからこそ、こういった返答をしなければいけないのは心苦しかった。
「申し訳ありませんが、侯爵様のお誘いを受けることはできません」
差し出されたままの手が、ぴくりと動いた。侯爵の眉も。
「それはどうしてかな? 報酬が不満なのか? それとも見知らぬ国のために命を懸ける気にはなれない?」
「どちらでもありません」
「では、何が気に入らない?」
「単純な話ですよ。他にやりたいことがあるからです」
「やりたいこと……?」
「はい。例えば……弁当作りですね」
「……何だと?」
予想外の言葉に困惑する侯爵。俺は自然と声を弾ませながら、
「あのですね、冒険者って偏食家がやたら多いんですよ。牛乳嫌いな人とか、意地でも野菜を食べない人とか、そりゃもう子供みたいな人ばっかりで。だから弁当一つ取っても色々工夫しないといけなくて、すごく大変なんですけど……これがハマってくると意外と楽しいんです」
「……君は料理にこだわりがあるのか?」
「料理だけじゃありませんよ。他にも朝起きられない人とか、お風呂嫌いの人とか、クエストの期限にルーズな人とか……とにかくお世話しなきゃいけない人がたくさんいて、毎日大忙しなんです」
「つまり、何かね? 君はこの国の運命よりも彼らの方を優先するというのか?」
「そうですね。たまにならいいんですけど、誰かの専属になると他の仕事をする時間が取れなくなってしまうので」
「なぜだ!? 有望な冒険者ならまだしも、最低限の自己管理すらできない無価値な輩ではないか! そんな連中に尽くすことに何の意味がある!?」
「意味はあるかもしれないし、無いかもしれない。だけど、分からないうちから切り捨てるようなことはしたくないんです」
声を荒げる侯爵に対し、俺は断固とした口調で言い返した。
「玉磨かざれば宝とならず、です。今はグータラでも、何かのきっかけでやる気を取り戻すかもしれない。ちょっとしたアドバイスで才能が開花するかもしれない。そういう人たちが少しでも前に進めるようにお手伝いするのが俺たちの仕事です」
俺の言い分に納得したわけではないのだろうが、侯爵は口元を押さえるような仕草でどうにか怒りを飲み下した。
「……凡庸さの中から価値あるものを拾い上げようとする君の姿勢には感服した。しかし、そのような手間をかけるより初めから価値が分かっているものに投資する方が効率的ではないかな?」
「数字の上ではその通りですね。だけど、俺たちが向き合っているのは顔の無いのっぺらぼうなんかじゃない。血の通った人間なんです。軽々しく優劣を決めていいものじゃない」
「君の考え方は感傷的すぎる。もっと大局を見て行動したまえ」
「時には大局からこぼれ落ちたものに目を向けることも大事でしょう。今一番助けを必要としているのは、そうやって見過ごされてきた人たちなんです」
「私のやり方が間違っていると言いたいのか? 子供じみた理想論がクリシュカを救えるとでも?」
「両方正しくて、両方間違ってるんです。片方だけじゃ絶対に上手くいかない。なぜなら俺たちは全く同じものについて話しているからです」
「同じ? それはどういう意味だね?」
いぶかしむ侯爵に対し、俺は両手を軽く広げ、
「言葉通りの意味です。侯爵様の言う"クリシュカ"を形作っているのは、少数の価値ある人たちだけじゃないでしょう?」
「……それは」
「だから、そういうことなんです」
そこまで言って、俺は少しだけ口調を和らげた。
「俺は侯爵様の考えを否定してるわけじゃありません。あなたのようにシビアな判断を下せる人間がいないと社会は回らない。だけど、俺たちはもっと別のやり方でこの国の力になりたいんです」
エカテリーナ先生が唐突にあんな話をした理由がようやく理解できた。
先生はこうなることを知っていて、そのために心の整理をする時間を与えてくれたのだ。俺がその場の雰囲気や感情に流されることなく、冷静な判断を下せるように。
俺は先生の計らいに感謝しつつ、自分が進むべき道を選び取った。
「俺たちが仕えるのは王様でもなければ、英雄でもない。特定の誰かでもない。誰でもない誰かのために全力を尽くすこと──それが、俺の信じるメイド学科なんです」
それは飾らない俺の本音だった。
もう少し包んだ表現にするべきか迷ったが、最終的には自分の立場をはっきりと表明することを優先した。もしこれで侯爵の不興を買ったとしても、その時はその時だ。
しばらくの間、ルブリン侯爵は完全に沈黙していた。
固く絞られた表情筋。視線を下に向けたまま、物思うように長い息を吐き出していく。
そうして古い空気を全て吐き終えた後、侯爵はゆっくりと顔を上げた。
「……面白い。"サーミ離宮の屋敷精霊"が君と共にいる理由が良く分かったよ」
「……何ですか、それ?」
「知らないのか?」
ルブリン侯爵はしばし考え込むと、
「10年ほど前のことだ。陛下の母君であるエミーリア様の邸宅で、ある噂が流れ始めた」
「噂?」
「メイドの姿をした幼い少女の話だ。その少女はどこからともなく現れると、まるで心を読んでいるかのように来客の要望を言い当て、瞬く間に叶えてしまうという」
俺は反射的にホールに目を向けていた。
パーティーは今も続いており、そのさなかには踊るように仕事をこなす彼女の姿が見えた。
「あまりの神業ぶりに社交界は一時期騒然となったものだ。禁術に手を染めた奥方が異界から精霊を呼び出したに違いないとね」
「…………」
「その後も彼女は数々の伝説を打ち立て、その度に人々を驚かせた。しかし、その噂はある時期を境にぷっつりと途切れてしまった」
侯爵もまた、俺と同じようにホールを見つめていた。
彼は呆れたように口元を緩め、
「屋敷を去る直前、彼女はこんなことを口にしていたという。自分の力を真に必要としている者がいるから、と」
俺は彼女の生き生きとした姿をしっかりと目に焼き付けた後、ふと思い出したように口を開いた。
「もしかして、あの人にも声をかけたんですか?」
「ああ。ついさっきね」
「あの人は何て言ったんですか?」
「今の君と全く同じことを」
そう言うと、ルブリン侯爵はどこか哀愁の漂う笑みを見せた。
「今日ほど老いを恨めしく思ったことは無いよ。ああ、私もあと50歳若ければ君たちと共に走ることができたのになあ!」




