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第28話 メイドさんは点が辛い・下

 結論から言おう。

 ごめんなさい俺が浅はかでした。


「ソウタさん、あちらのお客様がグラスを落とされたので破片を片付けてください! 僕はお客様の手当てをしてきます!」


「分かった!」


「それが終わったら3番テーブルにジェラートの追加です! あと、向こうのパイ包みは5番に持っていってください!」


「えっと……3番ってどこだっけ?」


「手前にある柱の側!」


「りょ、了解!」


 若干キレ気味のユニに急き立てられた俺は、カートを勢いよく転がしていく。

 甘かった。今俺が運んでいる"パドスの雪解け・ラッフルベリーソースと練乳を添えて"より甘い。

 足を止めている暇が無いし、同時に複数の仕事をこなさないといけないし、何より人が多すぎる。

 そのうえ今夜はダンスパーティーと来た。大人しく席についている人なんてほとんどいないし、音楽隊がひっきりなしに曲を奏で続けるものだから、ともすればゲストの呼びかけを聞き逃してしまいそうになる。

 情熱的な調べと共に、タタンと床を踏み鳴らす音が響く。俺たちはタンゴのようなリズムにはやし立てられながら、ホールじゅうを駆けずり回っていた。


「ああ、そこの君! ちょっといいか?」


 空になったカートを返しに行く途中で、パリッとしたスーツを着込んだ男に呼び止められた。

 領主の使用人……つまりは俺の上役にあたる人だ。

 おそらくかなり急いでいるのだろう。彼は背後にチラチラと視線を走らせながら、畳みかけるような早口で言った。


「アシュクロフト卿に持病の薬を持ってくるよう頼まれたんだが、急に別の用事が入ってね。悪いが、閣下にこの薬を届けてくれないか?」


「もちろん構いませんけど、どの人がアシュクロフト卿──」


「すまない、さっきからずっとバークシャー公爵を待たせてるんだ! それじゃあよろしく頼むよ!」


 彼は粉薬と水の載ったお盆を押し付けるや否や、競歩選手みたいな足取りで去っていった。一瞬ののち、その姿が人ごみに紛れて消えた。


「……嘘だろ」


 俺は血の気が引くような思いで口をパクつかせた。

 まずい。渡す相手が分からないのももちろんだが、それが薬というのが何よりまずい。下手すると命にかかわる。

 すぐさまユニに助けを求めようとして……駄目だ。ユニはホールの反対側でご婦人方に捕まっている。


「くそっ、せめて名簿くらい渡してくれれば良かったのに……!」


 セキュリティ対策だか何だか知らないが、パーティーが始まる直前に辞書みたいな来客リストを渡されて「これ全部暗記してください」なんて言われても普通の人間にできるはずがない。そんなことができるのはメイド学科の中でも先輩とユニとポピー先生だけだ。

 あれ? 俺、足手まとい?


「貴方から見て10時の方向。白いあごひげを伸ばした老人がアシュクロフト卿です。あの方は右耳が遠いので左から話しかけるように」


「……!」


 氷のように淡々とした声が、半ばパニックを起こしかけていた俺の心を落ち着かせる。

 ひとまず指示通りに薬を渡し終えると、俺は声の主に礼を言った。


「ありがとうございます、エカテリーナ先生。危うくとんでもないミスをするところでした」


「勝手の違いに戸惑うのも分かりますが、どのような時でも冷静さを忘れてはいけませんよ」


 そう言うと、壁際に立っていたエカテリーナ先生は2、3歩横にずれてスペースを空けた。

 続いてヒールのかかとがトントンと床を打つ。どうやら話に付き合えということらしい。

 あるいは、てんてこ舞いの俺を見かねて合法的にサボれる口実を作ってくれたのかもしれない。ひとまず俺はそのご厚意に預からせてもらうことにした。


「エカテリーナ先生も招待されてたんですね。投資家がメインって聞いてたから驚きましたよ」


「冒険学部という機関は大陸全土から注目されていますから、こういった場に駆り出されることも多いのですよ。いわば客寄せです」


「ああ、だから普段と同じ仕事着だったんですね」


 馴染み深い赤の詰襟(つめえり)に目を向けると、エカテリーナ先生は少し悪戯っぽい笑みを見せた。


「おや、がっかりさせてしまいましたか? こんなことなら情熱的なドレスを用意するべきでしたね」


「それはそれで反応に困りますよ。生徒を誘惑してどうするんですか」


「少なくとも、貴方がいれば他の有象無象をあしらう手間は省けます。下心が見え透いていると、つい足を踏みつけてやりたくなりますから」


 この人が壁の花をしている理由が良く分かった。半径10メートル以内に男性が全く存在しない理由も。

 おまけに言うと、何人かの女性が「お姉様……ステキ……」とかつぶやいている理由も、だ。


「あの……できるだけ穏便にお断りしてくださいね。一応、お得意様になるかもしれないんで」


「心配には及びません。軍人だった頃の武勇伝を聞かせれば大抵の者は逃げていきます」


「……現役時代に何やらかしたんですか?」


「分からず屋たちに力の論理を教えただけです」


 やはりこの人も冒険学部だ。暴力の行使に遠慮が無い。


「それよりもっと有意義な話をしましょう。ソウタ、貴方はこのイベントをどのように評価しますか?」


 教鞭(きょうべん)のように指を振り、授業さながらの雰囲気で問いかけるエカテリーナ先生。俺は我知らず気を付けの姿勢を取っていた。


「パーティーの意義についてはちゃんと理解してますよ。気合や根性だけじゃ戦いに勝つことはできない。裏で色々な根回しをしてくれる人がいるおかげで、俺たちは安心して戦いに集中することができるんです」


「理想的な回答です。ああ、やはりドレスに着替えておくべきでしたね」


「そういうご褒美はちょっと……コンプライアンス的にまずいのでは」


「冗談です」


「先生……冗談が下手ってよく言われません?」


 きっと仕事に人生を捧げてきたせいでおふざけの適切なラインというものが分からないのだろう。真面目過ぎるのも考え物だ。


「メイド学科に所属している貴方には今さら言うまでもないことですが、戦いには様々な形があります。武器を取って戦う者、後方で戦いを支える者、日常を守る者。この国に生きる全ての人間が、何かしらの形でダンジョンと戦っているのです」


「それを忘れてしまうと戦いどころじゃなくなるってことですね」


 エカテリーナ先生は神妙に同意した。


「我々が最も恐れるべきは分断です。皆が一丸となって戦うことができなければ、ダンジョンに勝利することなどできません。貴族と民衆の分断はその最たるものです」


 ほんの数時間前まで愚痴を垂れ流していた身としては、かなり耳が痛いお言葉だった。

 とはいえ余計なことを言ってエカテリーナ先生の心証を悪くすることはない。俺は貝のように口を閉じたまま先生の話に耳を傾ける。


「私財を投じて経済を回すのは貴族の責務と言っても過言ではありません。傍目(はため)には領民を(かえり)みず贅沢三昧をしているようにも見えますが、その恩恵は巡り巡って多くの人々を救っているのです」


 ささやくような、それでいてよく通る言葉と共に、先生の視線がダンスホールへと向けられる。


「ソウタ。貴方も一流の冒険者を目指すのであれば、自分の足元だけに目を向けず、広い視野を持って物事を見るようにしなさい。それが大人への第一歩です」


 遠く視線の先にはきらびやかな社交界の一幕が映っている。

 美しい衣装に身を包み、孔雀のように舞い踊る人々。どこか浮世離れした彼らの姿を見ていると、今目にしているもの全てが夢幻であるような気さえしてくる。

 俺はその光景に思わず息を飲み、こういう世界もあるのだな、と思い、


「……だけど、足元に目を凝らさないと見えないものだってあるんじゃないですか?」


 口をついて出たのはそんな言葉だった。

 言ってから、しまったと思った。

 これではエカテリーナ先生の話を全然聞いてませんでしたと言っているようなものだ。

 先生が理不尽な理由で怒ることは無い。逆に言うと、彼女が怒る時は真正面からド正論で詰めてくるということでもある。その恐ろしさたるや魔物の比ではない。

 いったいどのようなお叱りを受けるのか。俺は戦々恐々とした思いで先生の顔色をうかがい……

 ……しかし、そこに浮かぶ表情は俺の予想したものではなかった。


「ふむ、貴方を見出した私の目に狂いは無かったようですね。花丸をあげましょう」


 腕を組んだまま、しみじみとうなずくエカテリーナ先生。

 本日2つ目の花丸をいただいた俺は、数秒の沈黙を経て、


「いやいやいやいや、何でそうなるんですか。さっきの話と全然違うじゃないですか」


「違うものですか。私は足元だけを見るなと言いましたが、足元を見るなとは一言も言っていませんよ」


「いや、でも……こういう考え方って駄目なんですよね? 近視眼的というか……」


「では、考えを改めますか?」


「…………」


 途端に押し黙る俺を見て、エカテリーナ先生は笑みを濃くした。

 それからおどけたように片眉を上げ、


「いいですかソウタ。全ての人間が同じ価値観を持つ必要はありません。むしろ多くの価値観を内包することが我々人間の強みと言ってもいいでしょう」


「ええっと……考えの違う人がたくさん集まれば、それだけ色んなアイディアが生み出せるってことですか? なんだか冒険者みたいですね」


「たしかに、仲間同士の連携を維持しつつ互いの持ち味を生かすという点では同じですね」


 一拍ののちに言葉を続け、


「貴方は異なる価値観を理解し、そのうえで別の道を選び取った。つまり、貴方には自分が目指すべき冒険者のヴィジョンが明確に見えているということです。これが花丸でなければ何だというのですか?」


 とがった爪先が虚空を滑り、魔術の光がらせん状の軌跡を描く。生み出されたのは親指大の花丸模様だ。

 完成した花丸をロウソクのように吹き消すと、エカテリーナ先生は壁から背中を離した。


「そろそろ仕事に戻りましょうか。あまり怠けているとルブリン侯爵に皮肉を言われてしまいます」


「先生に皮肉を言えるのは命知らずだけですよ」


「たしかに、それが貴方の欠点であり美点でもあります」


 そこで初めて自分の発言が皮肉になっていたことに気付く。

 顔を引きつらせる俺に背を向けると、エカテリーナ先生は社交界の輪に戻っていった。

 一人残された俺は、先生の言葉を飲み下すように深く息を吸った。


「自分が目指すべき冒険者のヴィジョン……か」


 様々な思いが頭の中を渦巻いていた。

 が、それは今考えるべきことではない。とにかく今は、このカオス一歩手前のパーティーを成功に導かなければ。

 というか、このままサボっていると冗談抜きでユニが死んでしまう。それどころか使用人の中にも続々と脱落者が出始めている。

 (くし)の歯が抜け落ちるように同僚たちが消えていく様はちょっとしたホラーだった。


「こりゃ、本格的に覚悟を決めないとマズいな……」


 もう疲れたなんて泣き言は言ってられない。仲間たちの犠牲を無駄にしないためにも、残っている俺たちが頑張らなければいけないのだ。

 と、決意も新たに俺が動き出そうとした、その時だった。


「……ん?」


 視界の隅にちらりと映ったのは、ピンクの色彩。

 それはホールの反対側、厨房へと繋がる扉の前に現れたものだ。

 艶やかな輝きを放つ、桃色の髪。黄金比のように洗練された微笑。気品に満ちた(たたず)まい。

 この館にメイドは何十人といるが、彼女ほど完成されたメイドは誰一人としていないと自信を持って言える。


「先輩……!」


 この時、俺の頭の中ではヒーロー番組の一場面がリフレインしていた。巨大化した敵怪人と合体ロボットが対決するシーンだ。

 つまり、勝ち確である。

 ピンチに駆け付けたヒーローの行動は迅速だった。

 彼女は料理を運ぶメイドたちを指揮する(かたわ)ら、風のような速さでホール内を巡り、瞬く間にトラブルを解決していく。

 お得意の口八丁で喧嘩を仲裁し、完全無欠のべろべろばーで赤子を泣き止ませ、ノック一つで老人の喉詰まりを治し、返す刀でカツラのズレを修正する。

 そして最後に、テーブル端のジェラートをこっそり口に放り込んだ。あの人にかかればつまみ食いすら絵になるのだから恐れ入る。

 まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍。メイド無双である。

 にも関わらず、先輩の存在感はこの場において非常に希薄だった。

 ほとんどの者は彼女がいることにさえ気付いていない。正確に言うと、気付かせていない、だ。

 彼女は一切の物音を立てず、さながら影を踏むように他人の死角を歩いている。こうして遠目で見ていなければ、俺ですら先輩の姿を見落としていたかもしれない。

 先輩は理解しているのだ。このパーティーの主役はメイドではないということを。メイドという存在は、(あるじ)を引き立てるためにいるのだということを。

 ホールの中央では、美しく飾り立てた紳士淑女の華々しいダンスが続いている。

 だが、俺の心は熟れんばかりに咲き誇る満開のバラではなく、その根元にひっそりと寄り添う一輪の花に吸い寄せられていた。


「噂に違わぬ仕事ぶりだ。どうやら君たちに依頼したのは正解だったようだね」


 声も無く先輩の姿に見入っていた俺は、唐突な声に視線を移した。

 いつの間にやら、初老の紳士が俺の前に立っていた。

 穏やかな顔をした、背の高い老人だった。顔に刻まれたしわは深いが、まっすぐに伸びた背筋は年齢による衰えを感じさせない。

 俺は動揺を顔に浮かべたまま立ち尽くしていた。

 彼を知らなかったからではない。彼ほどの人物がこんな隅っこで、しかも俺みたいな下っ端に話しかけてきたことが信じられなかったからだ。


「……ルブリン侯爵」


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