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第24話 御社の経営理念に感メイを受けました!

 全ての後始末を終えた俺たちは、疲れた体を引きずって冒険学部へと帰ってきた。

 現在時刻は10時過ぎ。すでにとっぷりと日は暮れており、グラウンドにも人の姿は無い。

 寮の窓から漏れ出る明かりと星の光を頼りに、俺たちは医務室へと向かった。


「診察は終わりました。2人とも目立ったケガは無いみたいです。ただ……精神的なショックが大きいとのことで、今夜は医務室に泊まることになるそうです」


 医務室から出てきたセイレンはかなり元気を無くしていた。

 扉の向こう側でどのようなやりとりが行われたのか知らないが、おおよその見当はつく。

 そして、何を言われたとしてもセイレンには頭を下げることしかできない。なぜなら彼らは一方的な被害者なのだから。


「うまく言えないけど、セイレンが一人で背負い込む必要は無いんじゃないかな。とにかく今は全員無事で良かった、ってことにしておこう」


「はい……」


 しょげ返るセイレンを慰めながら、俺たちは学生寮への道のりを歩いていく。

 あの後、セイレンがほとんどのトロールを駆逐したことで戦闘は終了した。

 生き残ったわずかなトロールは恐怖に震え上がりながら誘蛾鉱区(ゆうがこうく)の奥深くへと逃げていき、それきり二度と戻ってくることはなかった。

 我が物顔で他種族を食い散らかしてきた彼らは、ついに自分たちが食物連鎖の頂点ではないことに気付いたのだ。彼らの脳裏には青いチャイナドレスを着た羅刹の姿が永遠に記憶されることだろう。

 ちなみに、ダンジョンの穴は格闘学科が総出で(といっても99%セイレンとラオフー先生だが)埋めることになった。

 その辺の岩山を2人が引っこ抜いて穴の中に突っ込むという雑な解決法だったが、見方を変えれば以前より強固な封鎖ができたと言えよう。これで駄目ならもう知らない。

 そんなことより、俺たちは今後について考えなければならない。

 ……といっても、答えはとっくに出ているのだが。


「たいへん申し上げにくいのですが……アスファル様とフェザー様をこれ以上格闘学科に関わらせるのはおやめになるべきかと」


 俺たちの意見を代弁するかのようにミスティア先輩が言う。

 異論は無かった。あるはずが無い。あんな騒ぎを起こしておいて「明日も来い」なんて言えるほど俺たちは鬼じゃない。


「我ながら見通しが甘かったですね。正直、ここまで大事になるとは思ってませんでした」


(いた)し方ありません。ラオフー様のお考えを予測することは誰にもできませんから」


「だとしても、です。俺は先輩なんだから、本当なら後輩を守らなきゃいけないのに」


 結局俺は2人を助けるどころか、けしかけただけだ。

 もしも彼らが根性を出さなければどうなっていたか。考えただけで背筋が凍るような思いだった。


「っていうか、そのラオフー先生はどこに行ったんだ……? いつの間にかいなくなってたけど」


「もしかすると師範はへそを曲げているのかもしれません。ご自分の考えが受け入れてもらえなかったから」


「受け入れるったってなぁ……。こっちの命なんて何とも思ってないような人と分かり合えるはずがないよ」


 ラオフー先生が自身の価値観を改めない限り歩み寄れる余地は無い。

 真のもののふだか何だか知らないが、武侠(ぶきょう)ごっこがしたいならそっちで勝手にやってくれ。

 俺たちは武の道に命を捧げるつもりは無い。生きるために強くなりたいのだ。

 だが、そんな俺のぼやきに疑問を呈したのは他ならぬセイレンだった。


「……ですが、果たして本当にそうなんでしょうか?」


「セイレン?」


 不意に立ち止まったセイレンに俺たちの視線が集中する。彼女は眉を寄せながら、


「師範は本当に人の痛みに無頓着なんでしょうか? 私たちは師範にとって武術を極めるための肥やしに過ぎないのでしょうか?」


「それは……」


 そりゃそうだろ、と言いかけた俺はとっさに口をつぐんだ。

 よくよく考えてみると、俺はそこまでラオフー先生を理解しているわけではない。あの人が人命軽視の危険人物であることは確かだが、そうなった理由を深く考えたことは無かった。

 ただ何となくのイメージで、弟子に厳しい武芸者という型に当てはめていたのだ。

 無論、そのイメージが覆されたことは一度も無い。先ほどから首を傾げている先輩だって同じだろう。

 だが……この口ぶりからすると、セイレンの目から見た老師ラオフーは、俺たちとはまた別の姿をしているのかもしれない。


「ずっと気になっていたんです。師範はなぜこの学園にいるんだろう、って」


「なぜって……自分の流派を広めるためだろ? だからあんなに躍起になって受講生を増やそうとしてるわけで」


「ですが、それならこの場所にこだわる必要はありませんよね?」


「え?」


 一瞬、セイレンの言わんとしていることが理解できなかった。


「ああ見えて師範はひとかどの人物ですから、危険を承知で弟子入りを望む人は山ほどいるんです。富や名声が欲しいなら権力者に仕えればいいし、学園側に干渉されたくないなら自分で道場を建てればいいじゃないですか。なのに、師範はあえて冒険学部という場所を選びました。そこには何か意味があると思いませんか?」


「……そう言われると、そんな気がしないでもないような」


 セイレンに指摘されたことで、俺は初めてその矛盾に気付いた。

 流派の繁栄とか、武の探求とか、いわゆる"それっぽい理屈"を念頭に置いた場合、冒険学部という枠組みはラオフー先生にとって足かせでしかない。

 嫌ならさっさと辞めて別の場所に行けばいいのだ。あの人にはそれだけの実力がある。

 だが、ラオフー先生は今もここにいる。生徒たちから総スカンを食らいながらも、格闘学科をかろうじて存続させている。

 なぜ? そうすることでラオフー先生は何を得る?

 その答えを口にしたのはやはりセイレンだった。


「師範はきっと私たちに伝えたいことがあるんですよ。それが何なのかは、分かりませんけど……それでも、私たちが考えているような独りよがりなものではないと思うんです」


「ラオフー様の根底にあるもの……ですか。それさえ分かれば説得は可能だとおっしゃりたいのですか?」


「分かりません。ですが、弟子である私には師の教えを正しく理解する責任があります」


 そう言うとセイレンは身を(ひるがえ)した。

 寮に背を向け、薄闇の広がる林へと。その方角にはラオフー先生が稽古に使う広場がある。


「私、もう一度だけ師範と話してきます! お二人とも今日はありがとうございました! それではまた!」


 矢継ぎ早に言葉を撃ち出すや否や、セイレンは林の奥へと消えていった。あっけに取られた様子でそれを見送る俺たち。

 嵐が過ぎ去った後のような静けさがあたりを包む。


(伝えたいこと、ねえ……)


 雲をつかむような話だが、セイレンが言うからには何らかの根拠があるのだろう。彼女がラオフー先生と過ごしてきた時間は俺なんかよりずっと長い。

 もっとも、掛け持ちの俺や付き合いの短い先輩にとってはいささか難解すぎる謎なのだが。

 俺と先輩は互いに思うところがありながらも、うまく言葉にすることができないまま漫然と歩いていく。

 背後から慌ただしい足音が聞こえてきたのは、俺たちがちょうど寮の前まで来た時だった。


「ソウタ先輩!」


「その声は……フェザー?」


 まさかと思って振り向くと、フェザーがよたよたと走ってくるところだった。

 俺たちが急いで引き返すと、彼はほっとしたように足を止めた。


「す……すみません、少しだけ、お時間を……」


「まずは休もう。俺たちは逃げないから」


 (ひざ)に手をついて呼吸を整えるフェザー。彼の回復を待ってから、先輩が口を開いた。


「フェザー様、急にどうなさったのですか? 今夜は医務室に泊まると聞いておりましたが……」


「あっ、はい。それはその通りなんですけど、先輩たちにどうしても言わなきゃいけないことがあって」


「それは今日じゃないと駄目なことなのか?」


「絶対に、ってわけじゃないですけど、その、気分的に、できるだけ早いうちにって」


 フェザーの服は寝間着姿で、足には医務室用のスリッパをはいたままだ。よほどの急用なのだろうと俺が思っていると、


「あの……ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」


「……は?」


 平に頭を下げるフェザーを見て、俺は二の句が継げなくなった。

 てっきり何か聞き間違えたのかと思い、先輩に視線を送る。しかし先輩もよく分からないといった風に首を振るだけだった。

 いくら考えても、謝罪を受ける理由がさっぱり分からない。

 申し訳ないと言われても、申し開きをするべき人間は俺たちであってフェザーではない。それどころか、


「いやいやいやいや、その考え方はおかしいよ。迷惑をかけたのはこっちの方だし、謝らなきゃいけないのもこっちなんだから」


「だけど、僕がふがいないばかりに先輩たちの手を(わずら)わせてしまいました。僕がもっと早く動いていれば、皆さんがここまで苦労することは無かったのに」


「ふがいないって……あんな状況でまともに動ける方が異常だよ。君たちはまだ1年生なんだから、無理に背伸びしなくてもいいんだ」


「それじゃあ僕が納得いきません! 次はちゃんとやってみせますから、どうか見捨てないでください!」


 俺は今度こそ自分の耳を疑った。

 次? 次とは何のことだ?

 思い浮かぶものは一つしかないが、それこそありえない。

 俺は動悸を抑えるように胸をつかむと、絞り出すように言葉を(つむ)いだ。


「……ちょっと待ってくれ。フェザー、もしかして、君は……まだ格闘学科の講義を受けるつもりなのか?」


「だ、駄目ですか!? やっぱり破門!?」


「違う! そうじゃなくて……!」


 興奮のあまりぱくぱくと口を震わせる俺。呼吸困難になった俺に代わって先輩が言葉を継いだ。


「フェザー様は此度(こたび)の講義が恐ろしくなかったのですか?」


「えっと、すごく怖かったです。トロールなんて本の挿絵でしか見たことなかったし、あんなにたくさんの魔物を見たのも初めてでした。死を身近に感じた、っていうんでしょうか? 少なくとも、授業でやったダンジョン実習なんかとは比べ物にならないような衝撃を感じました」


「なるほど」


 先輩は相槌(あいづち)を打つようにうなずき、


「でしたら、なぜ格闘学科をお辞めにならないのでしょう? 格闘学科にいれば、このような事態に何度となく見舞われることになります。それでもよろしいのですか?」


「あんまり良くは無い、です。僕だって死ぬのは嫌だし、もっと安全な教え方をしてくれたらなあ、って思います」


 フェザーはすねたように口をとがらせ、しかし続く言葉で、


「でも、遅かれ早かれああいうことは起きるものじゃないですか。だったら別にいいかなって」


 何のてらいもなく言った。

 余りにも何気ない口調だったので、俺はフェザーの本意がつかめなかった。

 というか今だって分からない。遅かれ早かれ?


「……とりあえず、一から順に説明してくれるかな?」


 俺は混乱する頭でどうにかそれだけを言った。

 自分の意図が伝わっていないことにやっと思い至ったのだろう。フェザーは慌てて「すみませんっ」と謝罪すると、ごくりとつばを飲み込んでから話し始めた。


「たしか、ソウタ先輩は留学生……でしたよね? だったらすぐに分かったと思うんですけど、クリシュカの人たちは魔物のせいで町の外に出られないんです。僕たちは城壁の中で生まれて、城壁の中で暮らします。中には外の世界を知らないまま一生を終える人もいます」


「知識としては理解してるけど……やっぱりつらい暮らしだよな」


「つらい、でしょうか? その辺はよく分かりません。実際、冒険学部に来る前の僕は特に不満を感じてませんでしたから」


 それは強がりではないのだろう。語るフェザーの表情には何の陰りも見られなかった。


「とにかく、僕もそういう人たちと同じで、ごく普通のクリシュカ人だったんです。一度も町を出たことがなくて、それを疑問に思ったこともなくて。家族や親戚も戦いとは無縁の仕事についていました。だから、冒険者も、魔物も、ダンジョンも……僕にとっては遠い世界の話でしかなかったんです」


「なら、どうしてわざわざ冒険者になろうと思ったんだ? 何かきっかけみたいなものがあったのか?」


「そんな大したものじゃないですよ。ある日、ふと思ったんです。いつまでこうしていられるんだろう、って」


 その言葉を口にした時、先輩がわずかに反応した。


「城壁はいつまでも僕たちを守ってくれるわけじゃありません。崩れない保証なんてどこにもない。よその町では空を飛ぶ魔物に襲われたって話も聞きました。兵隊さんは絶対に僕たちを守ってくれるって言うけど……だったら戦ってくれる人がみんないなくなってしまった時、残された僕たちはどうなるのかなって」


 俺はかけるべき言葉を失ったままフェザーの話に耳を傾けていた。

 彼の言っていることは幼子の杞憂などではなく、現実に横たわる脅威だ。

 クリシュカという国は一見して盤石に見えるが、その実危ういバランスのもとに成り立っている。

 それに気付いた者が取れる選択肢は2つ。

 不安から目を背けて薄氷の上の平穏を享受するか、思いきって行動するかだ。

 どちらが正しいという話ではない。ただ、多くの者は前者を選び、フェザーは後者を選んだのだろう。


「僕たちは生まれた時から崖っぷちにいるんです。いつ落っこちるのかは誰にも分かりません。そんな日は永遠に来ないのかもしれない。だけど、最悪の瞬間がやってきた時に指をくわえて見ていることしかできないのは……絶対に嫌だと思ったんです」


「だから冒険学部で、戦士学科で、格闘学科なのか。最悪にあらがう力が欲しかったから」


 フェザーはこくりとうなすいた。


「僕がダンジョンをやっつけてやる、なんて大それたことは考えてません。僕はただ、いざという時に何ができるのか、どこまでできるのかをあらかじめ知っておきたかったんです。だから、今日のことはむしろいい予行演習になったと思ってます。……結果は駄目でしたけど」


 昼間のことを思い出してがっくりとうなだれるフェザー。

 そういえば、あの時のフェザーは色々と変だった。

 最初は恐怖のあまり身動きが取れなくなったのかと思っていたが、今にして思えば、あれは戦うための決意を固めようとしていたのだ。

 ゆえに遅かれ早かれ、なのだろう。

 いつか来ると思っていた最悪が一足先に顔を覗かせただけ。彼にとってはその程度の認識だったのだ。


「あっ、でも収穫もありましたよ!」


 フェザーは朗らかな笑みを見せると、


「分かったんです。危なくなったら逃げちゃえばいいんだって。少なくとも僕は逃げるって選択肢を学ぶことができました」


 興奮気味に言った後、こちらをうかがうように、


「こ、これもひとつの成長……ですよね?」


「……ああ、すごい進歩だよ」


 俺は冗談めかして笑うと、フェザーの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 くすぐったそうに目を細めるフェザー。なぜか隣で色めき立つ先輩。よく分からんが先輩が挙動不審なのはいつものことだ。


「……っと。すみません、そろそろ医務室に戻らないと。担当のお姉さんに無理言って、10分だけ外出を許可してもらったんです」


 はっと顔を上げると、コマみたいな勢いで体をターンさせるフェザー。

 見れば、医務室の入り口に当直の少女が立っており、剣呑(けんのん)な笑顔でこちらをにらんでいた。どうやらタイムアップは近そうだ。


「それじゃあおやすみなさい。きっとたくさん迷惑をかけちゃいますけど、これからも僕たちをよろしくお願いします」


「それはもちろんだけど……僕たち? アスファルも続けるつもりなのか?」


「二度と来ない、なんて言ってましたけど、負けず嫌いのアスファルがあれくらいで根を上げることは無いと思います」


「あれくらい……なのか。タフなんだな」


「だって僕たち、戦士学科ですよ?」


 得意げに言うフェザーは少しだけ大人っぽく見えた。

 最後にもう一度お辞儀をすると、フェザーは医務室へと戻っていった。しばらくの間、俺たちはその場で彼の後ろ姿を見届けていた。

 フェザーの姿が完全に見えなくなった後、俺たちは改めて寮に向かおうとしたところで先輩すっごい邪魔ですどいてください。


「あの……通せんぼをやめてくれませんか? そろそろ帰りたいんですけど」


 俺の前に立ちはだかった先輩は、お菓子をねだる子供のような目で俺を見つめている。俺はわずかに顔を傾けて、


「先輩、何がしたいんですか? 用件を言ってくれないと分かりませんよ」


「ソウタ様のなでなで待ちでございます」


 また先輩が謎の発作を起こし始めた。突拍子もない展開に慣れてしまった自分が怖い。


「なでなで待ちと言われても、そんなサービスはしてませんよ」


「ですがフェザー様はなでなでの恩恵を受けておりました! これでは格差が広がるばかりです!」


 撫でろ撫でろと大型犬のように頭を突き出す先輩。俺は格闘学科仕込みの足さばきでディフェンスを抜けると、寮の中へと逃げ込んだ。


「話は変わりますけど、先輩にも似たような経験があるんですか? いや、何となくそんな気がして」


 学生寮の玄関ホール。小走りで追いついてきた先輩に、先ほど感じた疑問を投げかけた。

 というのも、先輩もまた思い当たる節があるような態度を見せていたからだ。

 先輩は撫でろモードを一旦止めると、


「わたくしに限った話ではございません。クリシュカに生きる者はみな、大なり小なり同じ悩みを抱えております」


 先輩らしからぬシリアスな口調。つかみどころのない人だが、彼女にも彼女なりの葛藤があるのだろう。

 いや、だからこそなのか? 先輩のことだから、自分の底を見せないのがプロの証とか考えてそうだ。


「クリシュカの人たちはどうやってその悩みを乗り越えるんですか?」


「人それぞれでございます。ですが、わたくしはメイドとして事態に立ち向かうことを決めました」


「冒険者のためのメイドってやつですか」


 それは先輩の行動原理であり、メイド学科の理念を形作るものだ。

 目先の安全だけを考えるなら、大きな屋敷で金持ちに仕えた方がいいに決まっている。

 だが先輩はそれをよしとしなかった。荒くれ者の冒険者に仕え、あえて危険なダンジョンに潜る道を選んだ。一日でも早く真の平和を手にするために。

 年端もいかない少女がそんな決断をするためにはどれほどの勇気が必要だったのだろう? 平和な日本で生まれ育った俺にはその心中を想像することすらできない。


「……何というか、すごいですね。この国の人たちはみんな覚悟が違う」


 感慨深く息を吐くと、先輩は苦笑を返した。


「そうせざるを得ないだけです。わたくしにしてみればソウタ様の方が異様に思えます」


「俺が?」


「はい。疑問、と言うべきでしょうか」


 奇妙な間。

 先輩は何やら考え込むように目を伏せた後、遠慮がちにたずねてきた。


「……あの、ソウタ様は、ご自分の世界に帰りたいとは思わないのですか?」


 出し抜けな問いかけに対して、俺は間を置かずに答えた。


「そりゃ、俺だって年末年始は日本に帰ってゴロゴロしたいですよ。家族にお土産も持っていきたいし、日用品だって買いたいし。だけど現状自由に行き来する手段が無いわけで」


「い、いえっ、そういう意味ではなく! というか軽すぎではありませんか!?」


「そう言われても……先輩だってたまには里帰りしたくなるでしょう?」


「それとこれとは話が違います!」


 何度かズレたやりとりを繰り返した後、先輩は場の空気をリセットするかのように深呼吸すると、


「わたくしは、ソウタ様が必ずしもクリシュカと運命を共にする必要は無いということを申し上げたかったのです」


「ああなんだ、そういうことですか」


 俺はぽんと手を叩いて納得した。

 そう。異邦人である俺にとって、クリシュカの問題はどこまで行っても他人事に過ぎない。

 万一この国が滅びたとしても、何ら被害を受けることはないのだ。


「たしかに……部外者の俺が命懸けでクリシュカのために戦うのはおかしいといえばおかしいですね。そんなことしなくても、元の世界に帰れば二度と魔物におびえなくて済むんですから」


 左様(さよう)でございます、と首肯(しゅこう)する先輩。


「帰る手立てが無かったとしても、冒険者などという危険と隣り合わせの仕事を選ぶことはございません。もっと安全な仕事、あるいはもっと安全な国を選ぶ自由がソウタ様にはございますでしょう?」


「まあ、そうですね」


 ドライな言い方をすれば、クリシュカを捨てて別の国に移住するのが最も賢い生き方だと思う。外国にも魔物はいるだろうが、クリシュカに比べればずっと少ないはずだ。

 そう考えると、先輩の疑問はまったくもって正しい。俺にはこの過酷な大地に留まり続ける積極的な理由が無いのだ。


「にもかかわらず、ソウタ様はご自分の意思で冒険学部に入学し、日夜ダンジョンに挑んでおります。いったいどのような信念がソウタ様を突き動かしたのですか?」


「俺がこの道を選んだ理由、ですか……」


 しばし答えに窮してしまう。

 理由が無いわけでは無い、と思う。だが、今までそういうことを具体的に考えたことは無かった。

 なぜ戦うことを決めたのか。なぜ冒険者になろうと思ったのか。

 難しい問いだ。だがその答えは、俺の胸の内に確かに存在する。

 俺はこれまでの人生を反芻(はんすう)し、様々な人の顔を思い浮かべていく。

 そして最後に先輩の顔をしっかりと見て、ありのままの本心を告げた。


「俺が冒険学部に入学した理由は──その場のノリです」


 先輩は愕然(がくぜん)としていた。それはすぐさま憤慨に変わり、


「なりゆきで決めたのですか!? ご自分の人生の左右するような選択を、何となくで!?」


「なりゆきの何が悪いんですか! こっちは突然異世界に迷い込んで何が何だか分からない状況だったんです! そんな時に冒険者っていうおあつらえ向きの選択肢が目の前を通ったら誰だって飛びつくでしょう!」


「信じられません! つまり何ですか? クリシュカに来て初めて目にしたのがパン屋の看板なら今頃パン屋で下働きをしていたというのですか!」


「たぶん……そうかも?」


「ああっ……!」


 顔を押さえてふらりと崩れ落ちる先輩。

 ……これ、俺が悪いのか? 俺は社会を舐めてるのか?

 いやそんなはずは無い。俺と同じ立場になったら誰だって同じことをする。

 「とりあえず流れに任せて、生活が落ち着いてから今後のことを考えよう」となるはずだ。そうだよな?


「あの……仕事人間の先輩には理解できないかもしれませんけど、実際みんなそんなもんだと思うんです」


 ロビーのど真ん中でうずくまる先輩に、おそるおそる声をかける。


「この仕事じゃなきゃ駄目だとか、人の役に立ちたいとか、そういう熱意を持って生きてる人はほんの一握りなんです。普通の人はもっと適当に物事を決めて、惰性(だせい)で生きてるんですよ」


「適当……惰性……」


 にらみ上げるような視線が非常に怖い。俺は上ずった声で、


「だっ、だってそうでしょう? そんなに都合よく人生の目的が見つかったら苦労しませんよ。だからみんな、家から近いとか、給料が高いとか、偶然求人広告が目に入ったとか、そんな理由で選ぶしかないんです。それが世の中ってやつなんです」


「偶然……」


「ああっ、すみません失言でした!」


 おどろおどろしい気配がどんどん濃くなっていく。俺は先輩の闇堕ちを防ぐために必死で言い訳を重ねた。


「誤解しないでほしいんですけど、今の仕事にやりがいを感じてないわけじゃないんです。だけどそれは冒険者を続けていくうちに自然と生まれてきたものだから、その」


「……続ける動機であって、始めた動機ではないと?」


「そう、そうなんです」


 先輩がようやく顔を上げてくれた。まだ表情は不満げなままだが。

 俺は首の皮一枚で繋がったような感覚に肝を冷やしながら、


「だから、理由なんて大した問題じゃない、っていうのが俺の結論です。嫌々始めたことでも、そのうち楽しくなってくるかもしれない。自分なりの責任感みたいなものが芽生えてくるかもしれない。ありもしない天職を探すより、目の前の仕事に意義を見出した方がコスパがいいでしょう?」


「単なる妥協のように思えますが……」


「妥協でもいいじゃないですか。おかげで俺は冒険学部(ここ)に来て、先輩と知り合うことができました。それじゃ駄目ですか?」


 俺がおどけた笑みを見せると、先輩は口をもごつかせながら立ち上がった。


「はぁ……最近のソウタ様はますます口達者になってきたように思います。あの頃の純真無垢なソウタ様はどこに行ってしまったのでしょう?」


「屁理屈と詭弁(きべん)が大好きな悪い先輩の影響を受けたんです。文句はその人に言ってください」


 皮肉に皮肉で返してやると、先輩のむくれ面がさらに酷くなった。

 ここまで徹底的に先輩をやり込められたのは人生で初めてかもしれない。カメラがあれば記念写真を撮っていたところだ。


「普段は先輩がやりたい放題してるんだから、たまには立場が逆になったっていいじゃないですか。ほら、そろそろ機嫌直してください」


 何だか急に楽しくなってきた俺は、子供をあやすような手つきで先輩の頭を撫でた。めでたくなでなで解禁である。


「あ……」


 先輩がこちらを見上げる。その瞳は蛍火のように揺れていた。

 まるで気の抜けた風船みたいに、彼女を包む怒気がしぼんでいく。

 俺は何もしゃべらず、壊れ物を扱うように彼女の頭を撫で続けた。

 苦痛ではない沈黙がしばらく続いた後、先輩がか細い声を出した。


「あの、ソウタ様」


「な、何ですか? 俺はご要望通り撫でノルマを達成しただけですよ?」


 動揺のあまり心臓が飛び出そうになるところだった。

 くそっ、こんなことなら最初からやらなきゃよかった。もうちょっとこう……軽いおふざけのノリで済むと思ってたのに。

 しかし幸か不幸か、今夜の先輩はそんな俺をからかうことは無かった。彼女は夢の中をたゆたうような表情で、


「先ほどのお話ですが、一つだけ訂正したいことがございます」


「何でしょう?」


「ソウタ様は偶然や妥協といったお言葉を使いましたが、わたくしにはもっと適切な言葉があるように思うのです」


「たとえば?」


「そうですね、たとえば──」


 先輩は息を吸い、


「運命、という言葉はいかがでしょう」


 その時の彼女の表情を、あえてここでは語るまい。

 俺の貧相な語彙(ごい)では、そこに込められた感情を正しく表現することができなかったからだ。

 俺は思わず息を止め、先輩もなぜか息を止め。

 一瞬ののち、自らのこっ恥ずかしいセリフを自覚した先輩が起き抜けの猫のように飛びのいた。


「も、もうこんな時間ですね! それではおやすみなさいませっ!」


 返事をする間もなかった。先輩は早口言葉みたいに定型句を唱えた後、あっという間に廊下の向こうへと消えていった。

 取り残された俺はしばらくその場で固まっていたが、やがて気を取り直すと、


「ふう。やっぱり女の子は怖いな……」


 俺は体にこもった熱を逃がすように服の(えり)を開けた。

 今のはかなりギリギリの場面だった。ここが人気のあるロビーだから良かったものの、部屋の中だったら間違いなく俺の自制心がぶっ壊れていた。

 女の子という生き物はみんなああいう伝家の宝刀を隠して持っているのだろうか? だとしたら、俺はとんでもない剣豪に目をつけられたことになる。


「もっと気を引き締めないとな。今はそれより先に片づけなきゃいけないことがあるんだから」


 「よし」と声を出して緊張の糸を結び直すと、俺は今来た道を逆走し始めた。

 寮を出て、医務室の前を横切り、グラウンドを抜けて、その足は林の奥へと向かう。

 偶然ではなく運命という先輩の言葉はあながち間違いではなかった。

 まさに運命のいたずらだ。セイレンの疑問。フェザーの思い。そして先輩との会話を経たことで、俺は(はか)らずもラオフー先生の真意に近づきつつあった。

 そして俺の予想が正しければ、ラオフー先生を説得することは、可能だ。

 とはいえあまり時間は残されていない。

 できれば明日の講義が始まる前に決着をつけておきたい。でなければ、また同じことの繰り返しになってしまう。


「先生がまともに話を聞いてくれればいいんだけど……」


 ラオフー先生は相当な頑固者だ。俺たちの気持ちをそのまま伝えたところで、あの人が素直に聞き入れるとは思えない。

 何とかして、先生に話を聞いてもらうよう考える必要があった。


「どうしたものか……」


 悩むこと一時間強。

 熟考に熟慮を重ねた末、俺は暴力に頼ることにした。



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