第23話 メイドさん危機一髪
皮肉にも、アスファルたちの絶叫がトロールを刺激してしまった。
肥大した両目がぐりぐりと動き、哀れな後輩たちに焦点を合わせる。トロールは角笛のような遠吠えを響かせると、獲物に向かって猛然と走り出した。
「う、うわああああああああっ!!」
獲物判定された2人のうち、先に逃げ出したのはアスファルの方だった。
もつれる足をがむしゃらに動かし、這うような姿勢で岩だらけの足場を乗り越えていく。
無理もない。冒険学部のカリキュラムがどれほど優れていたとしても、入学から10日足らずの新米を一流に育て上げることなど不可能だ。
これくらいの時期なら小型の魔物を一対一で倒せれば上出来。せいぜい5体が限界だ。
もちろん大型の魔物などもってのほかである。そういう意味では、逃げるという選択は非常に理にかなったものと言えるだろう。
しかし、今回に限って言えば、アスファルの迅速な判断は悪い方向に作用した。
知能の低いトロールは野性的な本能に従って行動する。目立つ動きはいたずらに興奮を煽るだけなのだ。
案の定、トロールはアスファルを最初のターゲットに決めたようだ。太い両手で地面をえぐり、その反動で急激な方向転換を果たす。
あたりに散らばる大きな岩もトロールの進撃を止めることはできない。駄々っ子のように腕を振るえば、進路上の障害物は一瞬にして無数の瓦礫と化す。
「くそっ、くそっ! 来るな! あっち行けったら!」
無我夢中で走るアスファルの背中に破壊の足音が近づいていく。その魔手が彼を捕らえる前に、俺は動き出していた。
「させるかっ!」
手中にあるのは平たい石板。ラオフー先生が砕いた岩山の破片だ。
サイドスローで構えると、横回転を加えるように投擲。
それはフライングディスクのような軌道を経て地面すれすれを滑空し、トロールの足に突き刺さった。
「──!!」
したたかに飛び散る鮮血。
幹のような足を両断するには至らなかったが、深々と食い込んだ石板はトロールに少なからぬダメージを与えたようだ。
トロールが前のめりに転倒し、痛みに体をばたつかせる。
「何をしておるかソウタ! そなたが手を出してしまうと修行にならんではないか!」
ほっと胸を撫でおろしたのも束の間、頭上から鋭い叱責が飛んできた。
声のする方向に視線を移すと、高い岩場の上に立つラオフー先生の姿があった。この人、ちゃっかり自分だけ安全地帯に……。
「これのどこが修行だっていうんですか! 俺には魔物を餌付けしてるようにしか見えませんよ!」
「然り! その恐怖が勝利への渇望を生み、俗人を真のもののふへと育てるのだ!」
「だからってトロールは無いでしょう! これじゃあ育つ前に食べられちゃいますよ!」
「安心するがよい。私とて大事な教え子をみすみす死なせるつもりは無い。いよいよ消化されるとなった時には救いの手を差し伸べようぞ」
「普通の人は胃袋に入った時点で手遅れなんですよ! この馬鹿!」
本当はもっと思いつく限りの罵倒をぶつけてやりたかったが、今はそれどころではなかった。
増援だ。穴の奥からお仲間のトロールたちがうじゃうじゃと現れ、次から次へと地上に這い出てきたのだ。
トロールたちの視線は一点に注がれていた。開けた場所にぽつんとたたずむフェザーの姿は、奴らの注目をことさらに引いたことだろう。
「フェザー!」
俺が呼びかけてもフェザーは反応を示さない。
足がすくんでいるのか、これ以上トロールを刺激しないようにしているのか。どちらにせよこのままではまずい。
彼を助けるために一歩を踏み出した瞬間、先輩が警告を発した。
「皆様、目を閉じてくださいませ!」
警告の意図はすぐに分かった。
見えたのはほのかに光る円筒形の容器。それは山なりの放物線を描いてトロールの前に落下し、小気味良い音を立てて破裂した。
弾ける光。
ダリル先輩がヨルムに使用したものと同じ、魔術式の閃光ランプだ。
地下から出たばかりのトロールにとって、この光はいささか強烈すぎたようだ。多くの個体が苦しむように目を押さえ、中には気絶する者までいた。
「先輩、グッジョブです」
「持ってて良かった閃光ランプでございます。……ですが、一網打尽には程遠いようです」
先輩の言う通り、動きを止めたトロールは全体の7割程度だった。残った3割は目をしばたたかせながらも歩を進めている。
だが、それでも敵の動きが鈍ったことには変わりない。俺はこの隙に乗じてフェザーのもとへと向かい、棒立ちしていた彼の肩を揺さぶった。
「フェザー、しっかりするんだ! 呆けてる場合じゃない!」
「え? あっ……はい! だ、大丈夫です!」
全然大丈夫じゃなかったけど突っ込むのはやめておいた。後はアスファルだが……
……と思った瞬間、トロールの巨体がサッカーボールみたいにかっ飛んでいくのが見えた。
一瞬のことだったが、そいつの足には石板が突き刺さっていたように見えた。つまりアスファルを追いかけていた奴だ。
こんな荒業ができるのはラオフー先生を除けば彼女だけだ。
「ソウタさん、こちらはお任せください!」
予想通り、セイレンがアスファルをかばうように拳を構えていた。
俺はセイレンの声に応えようとして、しかしすぐにそうする余裕が無くなってしまった。
おかわりだ。さらに多くのトロールが出現し、雪崩を打って俺たちに襲い掛かってきた。
「フェザー、走れ!」
「はっ、はい!」
とんでもない数だ。1体や2体ならともかく、これだけの大軍勢を相手にできるわけがない。
早々に抗戦を諦めた俺は、フェザーの尻を叩きながら走り出した。
もうめちゃくちゃな状態だった。いたるところでトロールが暴れ回り、ごちゃごちゃした岩場をさらにカオスな地形に変えていく。
数はあちらが上。足を止めれば圧殺される。
頼みの綱はセイレンだが、アスファルを守りながらでは彼女とて本来の力を発揮できないだろう。
このままいけば間違いなくジリ貧になる。そう考えた俺は、一か八かの賭けに出ることにした。
「フェザー! アスファル! よく聞くんだ!」
「ソウタ先輩、どうしたんですか!?」
「こんな時になんだよ!?」
息を切らせて答えるフェザー。トロールたちが邪魔でよく見えないが、アスファルも無事に生きているようだ。
「2人とも、ラオフー先生の教えを思い出せ! 今日の講義で学んだ技術を使って、この場を切り抜けるんだ!」
「俺たちにトロールと戦えっていうのかよ!? 無理無理無理無理無理だって! だってこんなの、頑張ればどうにかなるレベルじゃねえもん!」
「戦わなくていい! 逃げるだけでいいんだ!」
俺は彼らを安心させるように、努めて冷静な声を出した。
「トロールは頭が悪いし小回りも効かない。君たちがちゃんと力を使いこなせば、逃げ回ることくらいは簡単にできるはずだよ。後はセイレンが敵を倒してくれるのを待てばいい」
「それこそ簡単に言わないでくれよ!」
「いいや、できる! 絶対にできる! ラオフー先生は生徒に無茶なことばかりやらせるけど、無理なことは絶対にやらせないんだ!」
「ほ……ホントかよ……?」
「ああ、もちろん!」
すみません、噓をつきました。あの人は教え子に150%の実力を要求します。
だが「できる」という言葉は嘘ではない。あの2人には才能があり、生きるために必要な技術を既に体得している。足りないのは覚悟だけだ。
ラオフー先生の目論見通りに事が進んでいるのは癪だが、この状況を打破するには彼らの奮起に賭けるしかない。
ところがフェザーは思いつめたような顔で口を閉じ、アスファルからの返答も無い。
1秒、2秒と時間が経つ毎に、じわりとした不安が俺の中から染み出してくる。
これは万事休すか、と俺が思った時だった。
「ちくしょう……こうなりゃやけっぱちだあああああああっ!!」
聞こえたのはアスファルの雄たけび。それを皮切りに、トロールたちの動きが変わった。
まごついている。混乱している。姿こそ見えないが、アスファルの素早い動きにトロールたちが対応できていないのは明白だった。
続いて強烈な打撃音が聞こえてきた。護衛の任を解かれたセイレンが満を持して攻勢に転じたのだ。
「よし、これで──」
絶体絶命の状況に一筋の光明が差し込んだことで、俺の意識にわずかな油断が生まれた。
フェザーが焦ったような声を上げたのはその時だった。
「ソウタ先輩、あれを見てください!」
まばたき一つのタイムラグを経て"あれ"が指すものの正体に思い至った俺は、青ざめた顔で振り返った。
「──先輩っ!」
砂を嚙むような感触が口の中に広がっていく。
岩場から少し離れた場所。集団からはぐれた数匹のトロールが、逃げる先輩を追い回していた。
考えが甘かった。トロールは目先のことしか頭に無いから、わざわざ遠くにいる先輩を狙うことはないだろうと思い込んでいたのだ。
先輩も身のこなしには自信がある方だが、それでも複数のトロールを一人で相手にするのはあまりにも無謀だ。一刻も早く助けに行かないと。
……だが、俺が今ここを離れたら、フェザーを守る者は誰もいなくなる。
俺は逡巡するようにフェザーを見やり、
「行ってください! 早く!」
信じられないセリフに言葉を失った。
「……フェザー」
「教えられた通りに動けば大丈夫。ですよね?」
「あ、ああ……」
俺はフェザーの気迫に押し出されるように走り出した。
意表を突かれた、と言えばいいのだろうか。
白状するが、俺はここに至るまでフェザーのことを主体性の無い少年だと思っていた。
行動的な友人にくっ付いてきたおまけのような存在。それが彼に対する第一印象だった。
だが、その評価はたった今逆転した。俺を見送るフェザーの顔には強い意志のようなものが感じられたからだ。
その正体が何なのかまでは分からない。だが、もしかすると本当に格闘学科向きなのはアスファルではなくフェザーの方かもしれないと、そう思った。
後顧の憂いを振り切った俺は、鋭い跳躍を繰り返しながらごつごつした岩場を走り抜けていく。
先輩は善戦していたが、その顔には疲労が色濃くにじんでいた。
トロールの突進をステップでかわし、続けざまの薙ぎ払いを身をよじって回避。
しかし、そこで集中が途切れた。
「あっ……!」
小さな石に足を取られ、細い体が不安定によろめく。狙いすましたかのように腕を振り上げるトロール。
だが、トロールの拳より俺の方が一手速かった。
前のめりに飛び込んだ俺は即座に先輩の体を抱き上げ、そのままの勢いでトロールの股下をくぐり抜けた。
「ソウタ様っ!」
俺が助けに来ることなど予想もしていなかったのだろう。腕の中で先輩が跳ねるような動きを見せた。
「遅れてすみません。ケガはありませんか?」
一息ついた俺がたずねると、先輩は悲痛な表情で、
「メガネを落としてしまいました……」
「……大丈夫そうですね」
「ですがソウタ様! メガネが!」
「お、落ち着いてください! メガネなんて後でいくらでも買ってあげますから!」
名残惜しそうに背後を見る先輩を抱え、俺は逃走を再開した。
ひとまず窮地は脱したものの、だからといって戦況が有利になったかというとそんなことは全く無い。敵の数が多すぎるのだ。
とはいえ、ライブ会場みたいな混雑ぶりはかなり解消されていた。
開けた視界。周囲に目を向ければ、フェザーが機敏な動きで岩の間を転がっているのが見えた。足元をちょこまかと動き回るフェザーに対し、トロールたちは右往左往している。
穴の奥からは新たなトロールが出現していたが、奴らが生きて地上の土を踏むことはない。
なぜなら、穴の出口で最強の刺客が出待ちしているからだ。
「破ァッ!」
セイレンだ。
裂帛の気合を込めた掛け声が響く度、不用意に頭を出したトロールが蹴飛ばされていく。
まさに鎧袖一触。
尋常ならざるパワーがトロールの分厚い肉を陥没させ、紙くずみたいにひしゃげた巨体が固い岩壁に叩きつけられる。速すぎる動きは絶命の瞬間さえ悟らせない。
複数同時に来ても無駄だ。コンマ1秒の時間があれば、セイレンは10匹のトロールに必殺の一撃を打ち込める。俺にはセイレンの姿が分身しているようにすら見えた。
まるで現実離れした光景を前に、俺の口をついて出た言葉は、
「……もうセイレンだけでいいんじゃないか?」
ラオフー先生が生徒に無茶振りする原因のひとつに彼女の存在があると思う。
セイレンのようなデタラメ人間と毎日のように付き合っていれば、セイレン基準で生徒を見てしまうのも無理からぬことだ。先生もまた常識を破壊された哀れな犠牲者なのかもしれない。
残るはアスファルだが、こちらはまたとんでもないことになっていた。
「くっそおおおおおおおおお! なんで俺ばっかり狙うんだよおおおおおおおおお!」
なんと、残存するほぼ全てのトロールがアスファルを追いかけていた。
アスファルが特別美味しそうに見えたのか、はたまた彼の顔がお気に召さなかったのか。
数十匹ものトロールがたった一人の少年の後に続く様はある種の荘厳さすら感じさせた。おそらくこれを絵にすれば多くの人が宗教画と勘違いするだろう。
「それにしても、すごいスピードだなぁ……」
驚き半分呆れ半分でつぶやく俺。
アスファルの動きはフェザーとはまったくの逆。小細工など一切使わず、純粋な足の速さだけでトロールを振り切っていた。
付け焼き刃の修行だけでこの成長。恐るべきはアスファルの才能か、あるいは格闘学科の教えか。
何にせよラオフー先生の喜びそうな展開であることに違いは無い。
「ほれ、だから言ったであろう。余計な手出しなど無用だとな」
「そういうのを結果論って言うんですよ、ラオフー先生」
「ふん。前々から思っていたが、そなたは過保護ぬわーーーーっ! 目が、目がぁっ!」
先輩から借りた閃光ランプを投げつけるとラオフー先生は減らず口を止めた。
元凶が倒れた以上、状況がさらに悪化することは無い。残る問題は数十匹のトロールと、ぽっかり空いたダンジョンの大穴。
「……………………」
俺と先輩は周囲の惨状を見回した後、揃ってため息を吐いた。
もはや認めざるを得ない。講義は大失敗だ。
「うおおおおおおおおおおおお! こんな学科ああああああああ! 二度と来ねえからなああああああああああ!!」
トロールのいななきに混じって聞こえてきたのは、泣き腫らしたアスファルの魂の叫びだった。
・メガネ
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ミスティアが13歳の時におこづかいを貯めて購入した。
定価は金貨170枚(贅沢品扱い・税込)
【参考】
ピオネールの平均的な宿泊施設の利用料金:1泊2食につき銀貨3枚(金貨0.3枚相当)
王都クリシュカの高級料理店「象牙のくちばし」一等級フルコース:金貨3枚
リラ先生の月給:金貨25枚(手取り)
ソウタの全財産:金貨90枚




