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第20話 メイドさん、お目付け役になる

「新学期が始まってからしばらく経ちますが、調子はどうですか?」


 冒険学部の校舎2階。北館の中央に位置する学部長室にて、俺は一人の女性と対面していた。

 軍服風の赤い詰襟(つめえり)とタイトなスカートを完璧に着こなした、赤毛の女性だ。

 細身でありながらも凛としたたたずまい。外見こそ若々しいが、きりっとした顔立ちと鋭い目つきは年長者さながらの厳格さと聡明さを兼ね備えていた。

 何を隠そう、彼女こそ冒険学部の最高責任者、エカテリーナ学部長その人なのだ。


「今のところ特に問題はありませんよ。むしろ今までで一番いい滑り出しかもしれません」


 俺が飾らない本音を告げると、エカテリーナ先生は満足そうにうなずいた。

 ごく普通の日常会話なのだが、この人の立ち居振る舞いがあまりにも堂に入っているので気分的には作戦報告に近い。実際、思わず敬礼しそうになったことも何度かある。


「学業においてもクエストにおいても、最近は貴方の良い噂を耳にしない日はありません。とても充実した日々を送っているようですね」


「そんなに話題になってるんですか?」


「ええ。特にリラ先生は貴方のことを高く評価しているようです。今学期の貴方の成績は100点満点確定だと太鼓判を押していましたよ」


「そ、それはどうも……」


 ヤバい。これは間違いなく例のアレが原因だ。

 ワイロで成績を買ってしまった俺は目を泳がせながら生返事をしたが、上機嫌のエカテリーナ先生が俺の異変に気付くことは無かった。危ない危ない……。

 さておき、学部長であるエカテリーナ先生がなぜ俺のような一生徒をここまで気に掛けるのか。

 その理由は至極単純で、彼女が俺の後見人を務めているからだ。

 この世界に来てからというもの、俺は幾度となくエカテリーナ先生に助けられてきた。

 身元の保証や学費の援助といった表面的なものだけではない。コネとか、コネとか、コネとか、それ以外にも様々な分野のコネで俺は彼女の世話になっている。

 あぁ、縁故採用(えんこさいよう)ばかりのわが人生よ……。

 ……何にせよ、エカテリーナ先生は俺にとって両親の次くらいに恩のある人だ。

 なので、教師と生徒という関係を抜きにしても、俺はこの人に頭が上がらなかったりする。


「ところで、今日は何の用事で俺を呼んだんですか? まさか世間話をするためじゃないでしょう?」


 俺が確認すると、エカテリーナ先生はかけっこで一等賞になった子供を見る母親のような顔でほほ笑んだ。


「その通りです。いつもながら鋭い洞察力ですね」


「鋭いも何も、始業式からたったの2週間しか経ってないじゃないですか。こんなに早く近況報告を求められても話す内容がほとんどありませんよ……」


 俺だってそこまで話し上手な人間じゃない。せめて1か月は期間を空けてくれないと話のタネがあっという間に尽きてしまうのだ。

 というか、この人はちょっとしたことで俺を褒めすぎじゃないか?

 親のひいき目みたいなノリなんだろうか。そりゃあ俺だって褒められて悪い気はしないが、思春期の男が見た目年齢20代の大人の女性にチヤホヤされるのは、何というかこう……ちょっとまずいんじゃないか? と思ってしまうわけだ。

 そんな俺の悶々とした気持ちを察したわけではないだろうが、エカテリーナ先生は緩んでいた口元を固く結ぶと仕事モードに切り替わった。

 一瞬にして張り詰める空気。俺は蛇ににらまれたカエルのような面持ちでボスのお言葉を待った。


「話というのは他でもありません。このところ、例の学科が不穏な動きを見せているようです」


「──!?」


 思ってもみなかった言葉に、俺は危うく()き込みそうになった。

 エカテリーナ先生は深刻そうな表情を崩さない。

 冒険学部に危険な学科は数あれど、彼女をここまで警戒させる学科はごくわずかだ。そのうえで俺を呼んだということは、俺に関係する学科の可能性が高い。

 ということは、あの学科が動こうとしているのか?

 俺はごくりとつばを飲み込みながら慎重に言葉を(つむ)いだ。


「あの人がまた何かやらかそうとしてるんですか? 性懲りもなく?」


「詳細は不明です。ただ、いくつもの危険な兆候が確認されています。そちらで何か心当たりはありますか?」


「分かりません……。最近はメイド学科の活動に集中していたので」


 完全に気を抜いていた。何かあれば向こうからすっ飛んでくるだろうと高をくくっていたばかりに、あの人の監視をおろそかにしてしまった。

 だが今さら後悔しても時間は取り戻せない。俺にできることは、来るべき災いを水際で食い止めることだけだ。


「先生の言いたいことは分かりました。あの人の計画に介入して、被害が出ないようにすればいいんですね」


「無論それが理想ですが、危険だと感じた場合は偵察だけでも構いません。報告さえいただければ後はこちらで処理します」


「心配し過ぎですよ。俺だって冒険学部の生徒です。ちょっとやそっとのことじゃ死にません」


「無理は禁物ですよ。貴方にもしものことがあれば貴方のご両親に顔向けできませんから」


「いや、顔向けどころか面識すら無いじゃないですか」


 まさか、はるばる地球まで行って父さんと母さんに面通ししてきたのか?

 物理的に無理があるだろと思ったが、絶対にありえないとは言い切れないのがこの人の怖いところだ。

 一見常識人に見えるが大胆さと実行力は紛れもなく冒険学部。不可能を可能にするくらい何てことは無いのだ。


「何をするにしても、まずは状況を確かめてからです。というわけで、この件はひとまず俺に預からせてください」


「ごめんなさい。いつも苦労を掛けますね」


「お互い様ですよ。それに、あの学科に関しては俺も他人事じゃないので」


 問題ばかり起こす学科だが、無関係を主張できるほど浅い間柄でもない。身内の恥をそそぐためにも、俺が頑張らねば。

 エカテリーナ先生は鷹揚(おうよう)にうなずくと、モデルのように完璧な立ち姿で俺に向き直った。


「いいでしょう。では改めて、貴方が所属するもうひとつの学科──格闘学科の調査を依頼します」



 格闘学科。読んで字のごとく、徒手空拳(としゅくうけん)で魔物と戦う術を教える学科である。

 彼らは剣も魔術も使わない。丈夫な鎧で身を守ることもなければ、マジックアイテムなどというまやかしに頼ることもない。

 鍛え抜かれた肉体だけが唯一の防具であり、最大の武器なのだ。

 などとかっこいい宣伝文句を考えてみたが、実際は担当教師が考案したうさんくさい拳法を教えているだけだったりする。

 もっとも、そのうさんくさい拳法が笑えるほど強いのだから世の中分からないものである。

 ただ、その実力に反して格闘学科を受講する生徒は少ない。

 受講生は俺を含めてたったの2人。しかも専用の建物はおろか、部屋一つ分のスペースすら用意されていない。

 先行き不安なメイド学科をはるかにしのぐぶっちぎりの零細学科、それが格闘学科なのだ。

 だが悲しいかな、これも因果応報というものだ。

 格闘学科はとある大きな問題を抱えている。その問題が解決しない限り、新たな生徒が門戸を叩くことはないだろう。


「すみません。そういう事情なので、しばらくの間メイド学科には顔を出せなくなります」


 いつものメイド学科にて。洗濯物を畳む手を一旦止めた俺は、みんなに向けて手を合わせた。

 カーペットの上には学園側から委託された洗濯物の山。見上げるほどの衣服タワーをぐるっと取り囲む形で、メイド学科の面々が腰を下ろしていた。


「そんなにかしこまらないでください。ソウタさんには十分過ぎるほど助けてもらいましたから、僕たちもこれ以上のわがままは言いません」


 てきぱきと洗濯物を畳みながら笑いかけるのはユニだ。

 顔はちゃんと俺の方を向いているのだが、二本の手は別の生き物のようにうごめいて作業を続けている。ブラインドタッチならぬブラインド畳みなんて高等技術が存在することに俺は驚くばかりだった。


「本当にごめん。学期明けで何かと大変な時期だから、せめて落ち着くまでは手伝いたかったんだけど」


 4月の入学シーズンは新規獲得のための重要なタイミングだ。この期間中にどれだけアピールできるかによって今後の受講者数が決まるといっても過言ではない。

 逆に言うと、ここを逃せば次の入学式までチャンスは巡ってこない。

 もっとも、ユニは俺と違って状況を楽観的に見ているようだ。


「大丈夫……とまでは言いませんけど、忙しいのには慣れてますから。受講生も何人か増えそうなので、人手不足になることは無いと思います」


「新規が増えたっていってもほとんどは掛け持ちだからなぁ。いや、俺が言えた身分じゃないんだけど」


「たまに顔を出してくれるだけでも嬉しいですよ。彼らなりにメイドの必要性を理解してくれたってことですから」


「理解したというより、先輩の口車に乗せられただけのような……」


 後輩が増えるのは嬉しいことだが、あの洗脳まがいのプレゼンが効果を発揮したと思うと複雑な心境だ。何らかの法令に抵触していないことを願う。


「それもありますけど、ソウタさんがあちこちで宣伝してくれたおかげですよ。メイド学科がすごい、ってみんな言ってます」


「宣伝? そんなことしてないけど……?」


「学園中で噂になってますよ。トロールの群れを全滅させたとか、ヨルムを片手でひねりつぶしたとか」


「完全に詐欺広告じゃないか」


 犯人はおおかたあの人だろうが、俺が追及したところでのらりくらりと言い逃れをするだけだ。真実とはかくも無力なものである。


「うふふ。何はともあれ、ソウタちゃんがメイド学科の未来を真剣に考えてくれてとっても嬉しいわ」


 俺たちの会話をほほ笑ましげに見つめるのはポピー先生だ。

 先生の動きは亀のように遅いが、だからといって作業スピードが遅いわけではない。柔らかな手つきで両手をこね回しているうちに、気付けばくしゃくしゃだった洗濯物が折り目正しく畳まれているのだ。

 ひょっとしてアイロンの魔術とか使っているのだろうか? いや、そんな魔術があるなんて話を聞いたことは無いけど。


「……だけど、今のソウタちゃんにはもっと優先すべきことがあるでしょう? 周りに気を配れるのは素敵なことだけど、だからって自分のことをおろそかにしちゃ駄目よ」


「分かってますよ。メイド学科をサボりの言い訳にするつもりはありません」


 正確にはサボっていたというより受講できなかったと言うべきだろう。

 何せ格闘学科は家無しの根無し草なので、担当教師を捕まえないことには日々の稽古すらままならないのだ。

 しかもこの教師が修行と称して頻繁に失踪するものだから、受講難度はさらに上昇する。おまけに帰ってきたら帰ってきたで厄介事を持ち込んでくるのだからたまらない。

 だが、どうやらポピー先生が言いたいのはそういうことではなかったようだ。


「ああ、違うの。別にソウタちゃんを叱ってるわけじゃないのよ。ただその……ね? ほら、格闘学科って、色々と難しい部分があるじゃない? 担当の方も、何ていうか、独特だし。だから」


 ポピー先生は歯切れの悪い言葉をおせちの重箱みたいに多段重ねした後、こちらの反応をうかがうように言った。


「しっかり準備しておいた方がいいんじゃないかしら、って思うの。薬や包帯なんかももちろんだけど……担架(たんか)とか、医務室の予約とか、あるでしょう?」


「……ありますね」


 俺は肯定するしかなかった。

 これだ。

 これこそが格闘学科に人が集まらない理由であり、エカテリーナ先生があれほどまでに神経をとがらせている理由なのだ。

 格闘学科の講義は危険である。

 「激しい運動をするから危険」とか「魔物と戦うから危険」とかそういう次元の話ではない。

 敷地内に無許可で地雷を仕掛ける爆破学科や、年がら年中危険物を飛散させている錬金学科ですら、あの学科には及ばない。

 格闘学科は、ただただ単純に人命を軽視しているのだ。

 一言で言うと武侠(ぶきょう)映画の世界だ。

 武の研鑽は何よりも崇高なものであり、それに伴って発生する"ちょっとした損失"はささいな問題に過ぎない……というのが格闘学科の考え方である。まあまあイカレていると思う。

 おかげで講義は怪我人続出。生徒たちは格闘学科に三行半(みくだりはん)を叩きつけ、現在に至る……ということらしい。

 らしい、と言ったのは俺自身がその場面を目にしたわけではないからだ。俺が入学した時点ですでに格闘学科は滅びに瀕していた。

 「じゃあなんでそんな学科に入ったの?」とか聞かないでくれ。メイド学科に入った経緯と同じだよ。俺は押しに弱いんだ……。

 俺がかつての大きな過ちを後悔していると、すぐ横から自信に満ちた声が聞こえてきた。


「ですがポピー様、ソウタ様とていつまでも子供ではございません。たくましく成長した今のソウタ様であれば、格闘学科のしごきにも負けることはないとわたくしは確信しております」


 そう言って俺を援護してくれたのはミスティア先輩だった。

 先輩も皆と同じく洗濯物を畳んでいたが、その仕事ぶりは……もう何と表現していいのか分からない。

 作業の効率化が極まりすぎたせいか、ほとんど動いていないようにしか見えないのだ。

 彼女の手が服を撫でると、ただそれだけで洗濯物があるべき形に変化していく。動きを真似ようとしても俺の腕では再現すらできない。まるでモーゼの奇跡だ。

 だから俺はいつもユニをお手本にしているのだが、そうするとなぜか先輩が不機嫌になるから困ったものだ。

 だがしかし、今日の先輩は珍しく機嫌が良かった。

 洗濯物を華麗にやっつけるかたわら、指先で軽快なテンポを刻み、陽気に鼻歌なんか歌っている。そのテンポで俺の(ひざ)をつつくのはマジでやめてほしい。


「そうは言っても心配なのよ。ミスティ、あなただって分かるでしょう? ソウタちゃんみたいな優しい子はああいう野蛮な学科に向いてないのよ」


「ポピー様はいささかソウタ様を見くびっているのではありませんか? ソウタ様は子犬のように可愛らしいお方ですが、その御心には獅子を宿しております」


「ちょっと待ってください。誰が子犬だって?」


「はぁ……たしかにそうね。アンブロシウス王のロイヤルコーギーは使節に(ふん)した暗殺者の喉を嚙みちぎった。あの瞬間、人々は初めて丸っこい毛玉の(かたまり)が獰猛なハンターであることを知ったのよ」


「ソウタさんはコーギーよりハスキーって感じですけどね」


「そういう感想は要らないんだよなぁ……」


「ええ、ですからわたくしどもがいたずらに気を揉む必要はございません。わたくしどもはソウタ様を信じて、笑顔で送り出して差し上げればいいのです」


 最終的に先輩がいい感じにまとめたので、俺はかろうじて怒りを飲み込むことができた。

 何だかんだ言って、みんな俺のことを考えてくれているのだ。子供扱いされたり子犬扱いされるのはごめんだが、その気持ちだけはありがたく受け取っておくことにしよう。


「心配してくれてありがとうございます。俺……ちゃんと帰ってきますから、それまで待っていてください」


 俺は胸の奥に温かいものを感じながら頭を下げ、


「ところで先輩、もうちょっと離れてくれませんか? すごく言いにくいんですけど、メチャクチャ作業し辛いです」


 さっきからずっと俺にくっついている先輩に言った。

 何かおかしいな? と思ったらこれだ。作業初めには向かい側にいたはずの先輩がいつの間にか俺の右隣に移動している。

 近いだけならまだしも、ほとんど密着しているせいで右手がほとんど動かせない。おかげで俺は左手だけで洗濯物を畳むという縛りプレイを強要されている。


「何でまたこんな嫌がらせを? 笑顔で送り出すって言葉は何だったんですか?」


「嫌がらせなど、とんでもない誤解でございます。わたくしはこうしてお側でソウタ様成分をチャージしているだけですので、どうかお気になさらず」


「またよく分からない造語が出てきた」


 この人の行動が唐突なのはいつものことだが、今日は輪をかけて意味不明だった。ソウタ様成分って何……?


「ソウタ様が格闘学科に行ってしまえば、当分はお顔を拝見することもできなくなります。ですから、今のうちにソウタ様の面白リアクション……もとい、凛々しいお姿を存分に目に焼き付けることで、来るべきソウタ様ロスに備えておこうかと思いまして」


「勝手にロスしないでください。まだ死んでません」


「では、冬ごもりの支度と言えばご理解いただけますでしょうか? 寒い冬を生き抜くためには口寂しさを紛らわせる糧が必要なのでございます」


「先輩が相当アレな人だということはよく分かりました」


 俺が半目でそう言うと、先輩はムッとした顔で俺をにらみつけた。


「せめてもの慰みでございます。もう少し女心を()んでくださいまし」


「そう言われても……どのみち寮で朝晩顔を合わせますよね? 昼ご飯だってちょくちょくユニと3人で食べてるじゃないですか」


「ですがそれ以外の時間は違います! ソウタ様がお側にいらっしゃらない間、わたくしはいったい誰で遊べばよろしいのですか?」


「他人で遊ぶのをやめてください……」


 抗議するように体が押し付けられる。俺は逆方向に傾きながらユニに助けを求めた。


「ユニ、何とかしてくれ」


「無理ですよ。僕なんかにミスティア先輩を止められるわけないじゃないですか」


 ユニは「またまた御冗談を~」みたいな顔で笑った後、何事も無かったかのように仕事に戻った。耳元で忍び笑いを漏らす先輩が実に腹立たしい。

 友に見捨てられて意気消沈した俺が次に頼ったのは大人だった。


「ポピー先生、教師としてガツンと言ってやってください」


 さすがにポピー先生まで俺を裏切ることはなかった。先生はやれやれといった感じで手を止めると、わずかに眉を怒らせて言った。


「ミスティ、いい加減になさい。これじゃあいつまで経っても洗濯物が片付かないわ」


「心配無用でございます。ソウタ様のお(ひざ)の上に洗濯物を乗せて、それをわたくしが畳めば、事実上の共同作業が成立いたしますので」


 ポピー先生はしわだらけの目を限界まで見開くと、


「なるほど、まさに比翼の鳥というわけね! ミスティ、あなたは本当に頭の回る子だわ!」


 この瞬間、俺は二度と大人を信用しないことにした。

 もう俺の味方は誰もいない。えいえい、と楽しそうにおしくらまんじゅうをする先輩を横目でにらみながら、俺は諦めたようにつぶやいた。


「まあ、こんなもんで気が済むなら……別にいいか」


 最近になってから分かったことだが、この人は見た目ほど大人じゃない。

 年相応に悩むこともあれば、ストレスを感じることだってある。それに気付いてからというもの、俺は先輩のいたずらにほんの少しだけ寛容になった。

 ただ、この人は割と調子に乗るタイプなので、譲歩したら譲歩した分だけエスカレートするのが厄介なところだったりする。

 もうちょっとお互いの距離感を大事にしてほしいなぁ……と俺が考えていたちょうどその時、玄関先から小さな物音がした。

 木板がかすかに軋む音は来客の訪れを告げている。おそらく、数はそれほど多くない。


「……また洗濯の依頼かな?」


 どのみち相手を待たせる理由は無い。俺は呼び鈴が鳴る前に立ち上がると(先輩は不満たらたらだった)玄関へと足を運ぶ。

 ……が、俺がドアノブに手を伸ばそうとした瞬間、それは起きた。

 向こうからドアが開いたのだ。

 開いたというか、飛んできた。戸板ごと。


「ごぶっ!!」


 全身で戸板を受け止めた俺はそのまま後ろに崩れ落ちていく。

 何、と思う間もなく転倒。

 仰向けの視界に映るのはメイド学科の天井と、破壊された玄関口。爽快な青空を背景に、2人の男女が並び立っていた。

 左にいるのは黒い髪の少女。年齢は俺よりやや上くらい。

 快活そうな顔立ちで、花模様のあしらわれた青のチャイナドレスが細い体によく似合っている。

 右にいるのは禿頭(はげあたま)の男。真っ赤なカンフースーツを着た東洋風の中年男性だ。

 隙のない身のこなしに、鋭い眼光。腹は多少出ているが、固く隆起した筋肉が鍛錬に費やした歳月を如実に語っている。

 異国情緒あふれる2人は無遠慮に足を踏み入れ、3歩進んだところで停止。両拳を突き合わせて軽く会釈した。

 全員がいぶかしげな視線を向ける中、男は気合を飛ばすように一言。


「ソウタよ、のんきに寝ている場合ではないぞ! 我ら格闘学科、始まって以来の一大事である!」


「今の俺も結構な一大事ですよ、ラオフー先生」


 全身の痛みに顔をしかめながら、薄目を開けて男の顔を見る。

 男の名はラオフー。格闘学科の教師であり、人の話を聞かない困った大人であり、冒険学部屈指のトラブルメーカーだ。

 そして、俺に戦い方を教えてくれた師匠でもある。認めたくないけど事実なんだから仕方ない。


「師範の言う通り、格闘学科は大きな岐路に立たされています」


 続いて口を開いたのは少女だ。

 彼女はセイレン。俺の姉弟子に当たる存在で、ラオフー先生の危険な講義を物ともしない天才だ。

 ラオフー先生に比べればまっとうな人間だが、彼女も人の話を聞かないことに変わりはない。

 というか、冒険学部生にコミュニケーション能力を期待してはいけない。

 セイレンは俺のかたわらに膝をつくと、倒れたままの俺の手をしっかりと握った。


「この難局を乗り切るためにはソウタさんのご助力が欠かせません。どうか、私たちのために力をお貸しください!」


「その前に俺を助けてほしいんだけど……」


 こんなに大勢の人が集まっているというのに、誰一人として俺を助け起こしてくれないし介抱すらしてくれない。

 「格闘学科の人間ならこの程度大丈夫だろ」みたいな認識が全員に共有されているのだろうか? だとしたらそれはとても悲しいことだ。


「その……お二人とも、もう少し順を追って説明していただけませんか? いきなりのことでソウタ様が混乱していらっしゃいますので……」


「む、それもそうであったな。このラオフーとしたことが、年甲斐もなく気が急いてしまったわ」


 そこでようやく先輩が助け舟を出してくれた。

 痛みにうめく俺の頭は先輩の膝に乗せられ、細い指が額の傷を労わるように撫でる。ひんやりとした感触に人心地ついたような気分だった。


「ああ、先輩が天使に見える……普段は悪魔なのに……」


「ソウタ様!? まだそちらに逝ってはいけません! わたくしはここにおります!」


「いやそれは分かってますけど」


 ラオフー先生を落ち着かせ、セイレンを落ち着かせ、ついでになぜかパニックを起こしていた先輩を落ち着かせた後、


「それで、一大事っていうのは何なんですか?」


 先輩に膝枕されたまま質問する俺。

 十中八九エカテリーナ先生の話に関係することだろうが、俺はそれをおくびにも出さず言った。こう見えてもしらばっくれるのは大の得意だ。

 ラオフー先生は俺の問いにすぐには答えなかった。

 神妙な顔で「実はな」とつぶやき、一度うつむき、あごを撫で、溜めに溜めた言の葉をくゆらせるように沈黙して、


「格闘学科に新しい生徒が来るんです!」


 待ちきれなくなったセイレンがすべてを台無しにした。

 不意打ち気味に見せ場を取られて盛大にむせ返るラオフー先生。

 だがそんな彼に注意を向ける者は誰もいない。俺も含めた全員が、セイレンの言葉に気を取られていた。


自殺志願者(しんじん)が、格闘学科に!?」


「何かの手違いではありませんか? 誰かのイタズラという可能性もございます」


 酷い言い草に聞こえるが、格闘学科の実情を知っている者からすれば当然の反応である。

 格闘学科の悪評については今や冒険学部の全生徒が知っている。たとえ入学直後の1年生であろうと、先輩や教師から注意喚起を受けているはずだ。

 なので、活動の実態をよく知らないままうっかり受講したなんてケースはまずありえない。

 どこぞの落第生が世を(はかな)んで死に場所を探しているのだろうか? それはそれで問題だが、俺としてはそちらの方が納得できる理由だった。

 しかし、セイレンの話によるとそんなわけでもないらしい。


「数日前に1年生が2人、格闘学科の講義を受けてみたいということで職員室を訪ねて来たそうです」


「よりによって2人も来たのか……何がどうなってるんだ」


「あいにく師範は留守だったのですが、その後何度か手紙でのやりとりを経て、正式に受講が決まったとのことです」


「つまり、まだ直接会ったわけじゃないんだよな? だったらやっぱりイタズラじゃないかな……」


 学園きっての危険人物を(たばか)るような愚か者がいるとは思えないが、少なくともまっとうな受講生がやって来る可能性に賭けるよりはマシだ。

 どうあれ実際に確認してみないことには話にならない。

 ただ、もし本当に受講希望者がいたとすれば、事態はもっと複雑になる。

 エカテリーナ先生もその点を懸念しているのだろう。未熟な生徒が格闘学科に関われば、待っているのは悲惨な運命なのだから。


「我が格闘学科が新たな門下生を迎え入れるのは実に久方ぶりのこと。寂寞(せきばく)と暮れなずむ(よい)の空に突如として現れし二つの星辰(せいしん)……私はこれを天啓(てんけい)と見た。ゆえにソウタよ、心得ておるな?」


 ようやく平静を取り戻したラオフー先生が真剣そのものといった表情で俺を見た。


「言いたいことは何となく分かりました。講義が上手くいくように手伝えばいいんですね? それで、できれば受講生をそのまま定着させたいと」


左様(さよう)。ここで仕損じれば我らに後は無い。そなたの手で後輩たちを教導し、果て無き武の道へと誘うのだ」


「……確認しておきますけど、武の道と書いて地獄って読んだりしませんよね?」


「時には閻魔に教えを()うこともあろう」


「なるほど。理解しました」


 この時点で俺の方針は決まった。格闘学科に新規は必要ない。

 後輩たちの命を守るために俺ができることはたった一つ。どうにかして彼らを説得し、講義という名の公開処刑を未然に防ぐことだ。


「それで、最初の講義はいつなんですか?」


 密かな決意を固めた俺は、何でもないような顔でタイムリミットを確認する。セイレンは熱意に満ちた表情で、


「本日です!」


「は?」


 と思った時にはもう遅い。俺の体は一瞬にして床を離れ、気付けば米俵よろしくセイレンに担がれていた。

 いつも思うのだが、冒険学部の人たちは総じて他人の自由意志というものを軽視しているような気がする。せめて事前に言ってくれ。

 ラオフー先生は荷物と化した俺を見て「うむ」と謎の満足感を得た後、今度はポピー先生に目を向けた。


「本当に慌ただしい人たちだこと。武の道とやらを志すのは結構だけど、よそ様の日常をかき乱すような真似はつつしんでいただきたいものね」


 ポピー先生はラオフー先生の狼藉にいたくご立腹の様子だった。

 ドアを壊された上に生徒を拉致されてキレない方がおかしいのだが、あまりにも人間味あふれる反応に俺は思わず涙が出そうになった。格闘学科じゃ絶対に見られない光景である。


「なに、心配めされるな女中(じょちゅう)殿。ソウタさえ返してもらえばこれ以上の面倒を掛けることはござらん」


「返す? "お借りする"の間違いでしょう? (りゅう)の国の人は変わった言い回しをなさるのねえ」


 あれ、おかしいな? ポピー先生も俺を物扱いしてるぞ? 

 じゃあ俺の立場っていったい……?


「ははは、これは異なことを言う。君子は庖厨(ほうちゅう)を遠ざくもの。志深きおのこの帰るべき場所は軟弱な女中ひしめく炉端(ろばた)にあらず。寒風吹きすさぶ荒野と決まっておる」


「……ふうん、そうなの。ラオフーさんって博識なのねえ」


 おまけにラオフー先生のノンデリ発言がポピー先生の逆鱗に触れてしまった。

 メイドの仕事を侮辱した者にメイドの加護は得られない。おそらく向こう半年は格闘学科の洗濯を請け負ってもらえないだろう。

 場の雰囲気がどんどん険悪になっていく中、セイレンが思い出したように声を上げた。


「おっと、そろそろ時間なので私は先に失礼しますね。行きましょうソウタさん! 師範も遅れないように来てくださいね!」


 セイレンが早口で言い終えた直後、体に急激なGを感じた。

 ごう、と耳元で風が鳴り、瞬く間にメイド学科の建物が遠ざかっていく。

 まさに疾風迅雷。俺を担いだセイレンは矢のような速さで林を駆け抜け、土ぼこりを上げながらグラウンドを爆走していく。

 最後に見えたのは、困り果てたような顔で苦笑する先輩の顔だった。



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