第17話 メイドさん、インチキする
「えー、それでは研修内容の説明に移りたいと思います」
ロビーに集まった研修生の前で、責任者らしき眼鏡の事務員が声を張り上げる。
研修生は全部で30人前後といったところだろうか。大陸各地から呼び寄せたということもあり、種族や外見はみな個性豊かだった。
とはいえ、全体の傾向らしきものは存在する。
具体的に言うと、ムキムキの男がとにかく多い。女性も何人かいるようだが、いずれも気の強そうな人ばかりだ。
「皆さんにはこれから実践形式でクエストをこなしていただきます。もちろん、ただ単にどこそこに行って魔物を倒せばいいというわけではありません。依頼書に自ら目を通し、受付で必要な手続きを済ませてから目的地に向かいます。冒険者になってからの予行演習のようなものですね」
どうやら冒険者活動の基本となる「クエストを受諾する、遂行する、報告する」という一連の流れを経験させることが研修の目的のようだ。
さすが冒険者ギルド。彼らを部屋に押し込めて退屈な講義を聞かせるつもりはさらさら無いということか。
「今回は全員が同じ大規模クエストを受託したという体で進めていきます。では、準備ができた方からこちらの依頼書をお受け取りください」
研修生が整列……と言っていいのか微妙なところだが、おおむね一列に並んで依頼書をもらっていく。
書面に目を通したマッチョマンたちが「ほう」とか「上等だ」とか自信ありげな態度を見せるあたり、そこまで面倒な仕事ではないのだろう。おそらくパワーで全てが解決できるタイプの依頼だ。
「依頼内容は魔物の討伐。場所は……クリーク川の上流域とのことです」
依頼書の写しを手にしたミスティア先輩が耳打ちする。
元々は先輩だけが助っ人に来る予定だったので、俺の分の写しは無い。こういう時コピー機の存在が無性に恋しくなる。
「目的地はダンジョンじゃないんですね。どうせならダンジョンの環境を体験してもらった方が勉強になると思いますけど」
「誘蛾鉱区の例もございます。ダンジョンの中は地上よりも不確定要素が多いと判断したのでしょう」
「えっ? じゃあ新入生をいきなりダンジョンに放り込む冒険学部っていったい……?」
「冒険学部は引率の先生方がたいへん優秀でいらっしゃいますので」
「否定はしませんけど……なんだかなあ」
先輩を詰めても仕方ないので俺はこの疑問にフタをすることにした。
「川ってことは、相手は水棲の魔物ですか?」
「ボダッハという魚の魔物でございます。クリシュカでは馴染みの無い魔物ですが、春先から目撃情報が増え始めました」
「また新種ですか? 次から次へと出てくるなぁ」
スマホゲーの新キャラみたいな勢いで魔物が増えていく国、それがクリシュカである。
地上で繁殖を始める前に駆除するのが理想だが、さすがにそう上手くはいくまい。
かといって放置すれば魔物はどんどん増えていく。結局のところ、目の前にある問題を一つ一つ片付けていくしかないのだ。
賽の河原の石積みにも似た徒労感。それを打ち破るための一番槍が彼らというわけだ。
「必要事項を記入された方はカウンターに提出してください。はい、そちらの、一番右側です。記入方法が分からない方はお近くの係員におたずねください。その他、御質問等がありましたら遠慮なくお申し付けください」
眼鏡の事務員が手振りをまじえて説明を続ける。すかさず一人の男が声を上げた。
「なあ、もちろん報酬は出るんだろうな? お試しとか何とか言って、体良くタダ働きさせたら承知しねえぞ」
「ご安心ください。依頼書に記載してある通りの額をお支払いします」
「へっ、その言葉忘れんなよ!」
にらみを利かせて念押しする男に事務員が会釈を返す。直後に別の者が質問をぶつけた。
「研修ってことは現場に行って仕切る奴がいるはずだよな? どこのどいつがそれをやるつもりだ?」
「私を含め、ここにいる者たちで監督に当たらせていただきます。具体的に申しますと、赤い腕章を付けている者がそうです」
「……はっ。おいおい、マジかよ?」
男は鼻で笑うと、大仰な動きであたりを見回した。
あ、これはちょっと良くない流れだ。
「見ろよ。ここの連中、枯れ木が服着て歩いてるようなもんじゃねえか! そんな貧相なナリでどうやって俺たちをエスコートなさるっていうんだ?」
「ご安心ください。こう見えても彼らは高度な戦闘技能を有する上級職員です、皆さんの手を煩わせることはありませんよ」
「確かに雑魚のフリをするのは一流みたいだな。おかげでカカシと間違えるところだったぜ」
男は職員たちに一瞥をくれると、こちらに視線を滑らせた。
腕章を付けた俺と先輩を舐めるように観察した後、口にしたのはおおむね予想通り、いや予想以上のセリフだった。
「枯れ木にカカシ、そのうえこっちはガキに女と来たもんだ! これじゃあどっちがどっちのお守りだか分かりゃしねえ! なあみんな! こいつはたんまり護衛料を上乗せしてもらわないとなぁ!」
男の叫びに呼応するかのように、盛大な笑い声が響いた。
そう来たか。
お手本のようなヤクザ仕草を目の当たりにした俺は、呆れを通り越して感心していた。
難癖を付けて報酬を吊り上げるだけでなく、ことさらにマッチョイズムを刺激することで他の研修生をも味方につける。アウトローの習性を知り尽くした見事な脅迫術だ。
いや、そんなのんきなことを考えてる場合じゃない。ひとまずこの状況を何とかしないと。
あの男が余計なことをしてくれたせいでロビーは大騒ぎになっていた。
研修生は声高にシュプレヒコールを繰り返し、ギルド側に報酬の増額を要求する。職員たちは彼らを落ち着かせようと四苦八苦しているが、今のところ成果はゼロだ。
というか、この手の人たちってどうして他人を煽る時だけ息ピッタリなんだろうか。ひょっとして全員グルなんじゃないか?
なんてことを考えていた俺は、ふとあることに気付いた。
研修生の中に、この騒ぎに加わっていない一団がいたのだ。
中心にいたのは若い女性だった。
すらりとした長身。厚手のレザージャケットと丈の長いレザーパンツに身を包み、金色のショートヘアをサイドに流している。
一際目を引くのはジャケットを飾る大きなボタンだ。
ボタンは髪の色と同じ金色をしており、それが窓から差し込む陽光を受けてきらきらと輝いていた。純金ではないだろうが、それでもかなりの値打ちものだ。
つまり……己の力でそれだけ稼げる人、ということでもある。
その女性は目の前の狂騒を面白そうに見物していたが、しばらくするとさすがに飽きてきたようだ。彼女はうんざりしたように息を吐き、
「──黙りな!」
ぴしゃりと一喝。それだけで騒ぎは収まった。
嵐の後のように静まり返るロビー。
女性は全員の視線が自分に集まったことを確認すると、悠々とした足取りで男に近づいていく。男の肩がびくりと震えた。
「な……なんだよ。文句あんのか?」
「大有りさ。大の男がこんなところでピーピーがなりたてるんじゃないよ。情けなくって見てられない」
「連中がはした金で俺たちをこき使おうとするからだ」
非難がましくつぶやく男に対し、女性はあっけらかんと言った。
「まだるっこしいねえ。報酬に不満があるならこいつら全員ぶっ殺して奪えばいいじゃないか。カカシとガキの息の根を止めるくらい簡単だろう?」
そうだろう? と笑顔で同意を求めるが、首を縦に振る者は一人もいなかった。
そりゃそうだ。彼らとて職員たちが無能でないことくらい分かっていたのだろう。
ただ、ゴネれば行けると思ってつい調子に乗ってしまっただけ。頭が冷えた時点で祭りはお開きなのだ。
だが、騒ぎを起こした張本人はまだ納得していないようだ。
ふてくされた顔の彼が次にやり玉に挙げたのは……あ、やっぱり俺だった。ちくしょう。
「そうは言うがな、こいつらが足手まといになるのは事実だぜ。見ろよこのガキ、いくつに見える?」
「あんたのしなびたオツムよりは若そうだね」
「いいとこ15だ。顔も幼い。とても地獄を知ってるようには見えねえ」
「年齢と強さが比例すると思ったら大間違いだよ。私は7つの頃から自分よりデカいボウガンを抱えて塹壕に潜ってた。あんたみたいなマヌケの頭を撃ち抜くためにね」
それとも、と続け、
「あんたはアッチの毛が生え揃うまでロクに剣を握ったことも無かったのかい? そりゃ結構。お優しいママに感謝するんだね」
「てっ、てめえ!」
顔を真っ赤にした男が羞恥に震える。二回戦も女性の方に軍配が上がったようだ。
今度こそ祭りは終了。男は舌打ちと共に黙り込み、緊迫した場の雰囲気が徐々に落ち着いていく。
正直、助かった。
あのタイミングでこっちの事情を根掘り葉掘りつつかれていたらまずいことになっていた。結果的に庇ってくれたとはいえ、俺がまだ学生であることを知ったらさすがにあの女性も黙ってはいなかっただろう。
密かに胸を撫で下ろすと、俺は女性に頭を下げた。
「ありがとうございます。助かりました」
「あんたを助けたわけじゃない。見てくれだけで相手を計るバカが嫌いなだけさ」
悩ましげに息をつく女性。酒焼け気味だがよく通る声だ。
「それに、ヤバい奴ほど普通のフリが上手いからね。目の前にいるとぼけたガキが竜殺しの英雄じゃない保証なんてどこにもないだろ?」
言うと女性は口の端を上げ、
──と、気付いた時には懐に入り込まれていた。
速い。
いや、物理的な意味の速さではない。
ひとつひとつの動作に無駄が無いというのだろうか。曲線的でしなやかな動きはヒョウを連想させた。
息のかかるような距離で不敵な笑みを見せる女性。彼女は俺の手を無遠慮に持ち上げると、
「ただ……あぁ、こりゃ駄目だね。こんなに貧相な腕じゃドラゴンどころか卵の殻を剥くのも一苦労じゃないか。だから僕ちゃんはメイドを雇ってるのかい?」
がっかりしたように言った。
なんてこった。この人は全方位に人を煽るタイプだ。ある意味さっきの人より性質が悪い。
「まあいいさ。戦場じゃ頼れるのは自分だけだ。せいぜい死なないように頑張るんだね、僕ちゃん」
「ご配慮いただきありがとうございます。ですが、わたくしどもも素人ではございませんので」
「──っと」
先輩が割り込むように体を滑り込ませてきた。表情はいつも通りだが、少し、言葉にトゲを感じた。
女性もそれに気付いたのか、俺の腕を離すと軽やかな動きで3歩分の距離を取った。不敵な笑みをたずさえたまま。
「そうカッカするんじゃないよ。今のはほんのあいさつさ」
女性は髪をかき上げると、
「一応、名前を教えといてあげるよ。私の名はエクレール。覚えて損はないよ」
そう言って腕を組むエクレールさんのもとに数人の男たちが集まってくる。先ほど騒ぎを傍観していたグループだ。
彼らもご多分に漏れず筋肉質な男たちだが、他の者より動きが洗練されていた。腕力だけが取り柄のチンピラとは違う。
「少し前までフォレで傭兵をやってたんだけど、所属してた傭兵団がぶっ潰れちまってね。仕事が無くなって色んな国をブラついてたらあんたらにスカウトされたってわけだ」
「フォレ?」
「魔物より人間の方が怖い国さ。旅行に行くのはおすすめしない」
よく分からないが非常に危ない場所だということは理解した。危険度で言うならクリシュカもどっこいどっこいだと思うが、治安の悪さ比べは虚しくなるだけなのでやめた。
「フォレは知らなくても姐さんの二つ名くらいは知ってるだろ? "早業のエクレール"ってやつさ」
取り巻きの一人が得意げに言う。
おそらくは傭兵時代の部下なのだろう。その目は彼女に対する信頼と尊敬に満ちていた。
だが俺はそんな彼に対して「知りません」と返すことしかできない。別に俺が悪いわけではないが、何となく申し訳なかった。
「知らない? 嘘だろ? じゃあ赤槌傭兵団は? 黒森の戦いは知ってるよな?」
「す、すみません。それも分かりません」
「マジかよ。クリシュカってのはもんのすげえド田舎なんだな……」
にわかにざわめく男たち。
これ、俺が無知なのか? それともただの地元ネタなのか?
周囲にちらりと視線を向けるが、一連の単語に反応した人間はいなかった。先輩はポーカーフェイスを貫いていた。
そんな俺の困惑をよそに、取り巻きたちは武勇伝語りをヒートアップさせていく。
「エクレールの姐さんは突撃隊長だったんだ。姐さんは腕も立つし、おまけに頭もいい」
「戦術だって的確だ! 黒森の戦いではあの"金拍車の騎士"でさえ姐さんを仕留めることはできなかったんだぜ!」
「この馬鹿! 負け戦を誇らしげに話すんじゃないよ!」
「ひっ! すんません!」
知らないワードがどんどん出てきて反応が追い付かない。俺は悩みに悩んだ末、愛想笑いでごまかすことにした。
「悪いね。戦場から遠ざかると口ばかり肥えてくるから困ったもんだ」
「い、いえ……」
「だけどあいつらの言うことも間違っちゃいない。私はお高い女だからね。自分を安売りするつもりは無いのさ」
不意に、エクレールさんの表情が剣呑さを垣間見せた。
ああ、また良くない流れだ。
だが何となく予想はしていた。
この人も曲者だ。曲者だからこそ、冒険者になろうとしているのだ。
「エクレールさんも値上げ交渉をしたいんですか? さっきは逆のことを言ってた気がしますけど」
「みみっちい駆け引きに興味は無いね。私は冒険者ギルドを見定めたいだけさ」
「見定める?」
「冒険者になるってことは、ギルドの下につくってことだろ。私は傭兵だからね。無能な雇い主に命を預けるのはまっぴらごめんなのさ」
「見定めて、ダメだったらどうするつもりですか?」
「もちろんそこでさよならさ。あんたらは研修だとか言ってふんぞり返ってるけど、選ぶのはあんたらじゃない。私らだ。……あんまりボヤボヤしてると大やけどするよ」
底冷えするような恫喝に職員たちが身震いする。
だが、筋は通っていると思った。
俺たちが彼らを試しているように、彼らも俺たちを試している。俺たちは互いに対等なのだ。
ならば何も気負う必要は無い。
好きなだけ見定めればいい。俺たちは俺たちなりの全力で向き合うだけだ。
「分かりました。それじゃあ、今日はよろしくお願いします」
俺が笑顔で手を差し出すと、エクレールさんは少し虚を突かれたような顔をした。
だがすぐに笑みを深めると、
「ふん、案外度胸のある僕ちゃんじゃないか」
「ソウタっていいます」
「雑魚の名前に興味は無いよ。覚えて欲しいなら私に一泡吹かせてみな」
「頑張ります」
浅く握り返された手。
それが離れようとした瞬間、俺はエクレールさんの手をもう一度捕まえた。
「? 何を──」
彼女の表情が不可解から怒りへと変わる刹那。
「その前に、そろそろ財布を返してくれませんか?」
「……へえ」
よし、さっそく一泡吹かせたぞ。
この場で勝ち誇りたい衝動をこらえながらエクレールさんを見つめる俺。
彼女は興味深げに俺を見つめ返した後、懐から俺の財布を取り出した。周囲から驚きの声が上がる。
「よく気付いたね。大したもんだ」
「カマをかけただけですよ。最初に腕に触れた時点で"何かしたかも"とは思ってたので、あとは消去法です」
"早業"の異名を持つ者が誰かを試すとなれば、その選択肢は自然と限られてくる。
ぶっちゃけ盗られたという確信は無かった。だが俺が持っている貴重品といえば財布だけなので、一か八か勝負に出てみたのだ。
何しろこっちは卵の殻すら剥けない僕ちゃんなのだ。間違えたところでこれ以上評価が落ちることは無い。
「あのガキ、姐さんの仕掛けに気付いたのか……」
「信じられねえ……どういう洞察力してやがる」
取り巻きたちが化け物でも見るかのような表情で口々にささやき合う。カマをかけたという俺の言葉は謙遜だとみなされたようだ。
いや、まあ、過小評価されるよりはいいんだけど……。いやでも……。
「あの、本当に当てずっぽうで言ってみただけなんです……」
「それは皮肉のつもりかい? こっちは今まで誰にも気付かれたことが無かったってのに」
「偶然ですよ。知り合いが先日スリ被害に遭ったばかりなので、無意識に警戒してたんです」
「へたくそな言い訳だね。私に恥の上塗りをさせるんじゃないよ」
エクレールさんは押し付けるように財布を返すと、浮足立つ部下を眼光一つで大人しくさせた。
(ふう……間一髪だった)
大人の世界は舐められたら負け、という話をどこかで聞いたことがある。
どれだけ巨大な組織でも、"大したことないじゃん"と思われたらその時点でおしまいなのだ。形のないイメージは現実にまで影響を及ぼし、発言力はどこまでも落ちていく。
そういう意味ではかなり危うい場面だった。先ほどの"テスト"によって失われるのは俺の所持金ではなく、ギルドの信用なのだから。
気付くのがもう少し遅れていたら、エクレールさんは最悪のタイミングで俺に、引いては冒険者ギルドの権威に泥を塗っていただろう。
(ただ、これだけでエクレールさんが納得してくれるとは思えないんだよな……)
今のは単なる小手調べ。おそらく、エクレールさんに冒険者ギルドを認めさせるにはもう一手必要になる。
彼女を完全に屈服させられるほどの何か……それを見つけられない限り、おちおち研修などやっていられないだろう。
などと俺が思っていると、エクレールさんの前に歩み出た者がいた。先輩だ。
「うん? 今度は何だい?」
すでに話は終わったものと考えていたのだろう。こちらに背を向けようとしていたエクレールさんは、唐突に現れた通せんぼメイドに眉をひそめていた。
だが先輩は動じない。どこ吹く風で会釈を返すと、
「いえ、大したことではありません。こちらをお渡しするのを忘れておりましたので、今のうちにご返却をば」
指先に挟んだものを軽く掲げた。
それは金色のボタンだった。彼女のジャケットをまばゆく彩るそれと全く同じ。
「──っ!?」
反射的に自身の胸元を探るエクレールさん。全員の視線がそこに集中する。
「あっ!」
その時になって俺は気付く。
一番上のボタンだけ色が違う。金色ではなくピンクだ。
先輩の髪と同じ桃色のボタン。しかも明らかに子供用の、ファンシーなクマちゃんを象ったデザインである。
賭けてもいい。絶対に最初はこんなボタンじゃなかった。
「……いつの間に」
愕然とした顔で、いやそれどころか幽霊にでも出くわしたような顔で先輩を見るエクレールさん。
"早業"のプライドを粉々に打ち砕いた先輩は、涼しい顔で言った。
「お召し物のボタンが外れておりましたので、勝手ながら修繕させていただきました。だらしのないお方を見るとついついお世話を焼いてしまうのはわたくしの悪い癖でございます」
「だっ、だからってあんた、なんでこんな……!」
ニコニコ上機嫌のクマちゃんを見せつけながら過呼吸気味に唇を震わせるエクレールさん。先輩は悪びれもせず、
「本来なら同じものを使うべきなのですが、外れたボタンが家具の隙間に入り込んでおりましたので。取り急ぎ、手持ちのボタンで応急処置をさせていただきました」
「…………」
エクレールさんがゆっくりと肩を落とし、無言で顔を覆う。
そのままうつむき、微動だにしない。
「姐さん……?」
不穏な沈黙がしばし続く。
取り巻きたちが不安そうに見つめる中、彼女は咳をするように息を吐きだした後……笑った。
「はははははははははははははっ! こいつは傑作だ!」
一転、腹を抱えて爆笑する姿に一同が目を丸くする。
だが当の本人は周囲の視線などお構いなしに笑いこけている。
俺たちはどうすることもできず、互いに顔を見合わせるだけだ。先輩だけがいつもと変わらぬ様子で微笑を浮かべていた。
エクレールさんはそれこそ飽きるまで笑い尽くした後、すっきりとした顔で先輩を見た。
「あんた、名前は?」
「ミスティアと申します」
「ミスティアか。あんた、面白いね。冒険者ってのはみんなあんたみたいな奴ばかりなのかい?」
「皆様と同格など恐れ多いことです。わたくしめは一介のメイドに過ぎません」
「そいつは楽しみだ。適当に小銭を稼ぐつもりだったけど、考えを改める必要がありそうだね」
そう言ってクマちゃんボタンを指で弾くエクレールさん。
「こいつは勉強代としてもらっておくよ。よく見りゃ、意外と可愛いもんだ」
「お気に召していただけたようで何よりでございます」
うやうやしい面持ちで道を開ける先輩。
だが俺には分かる。あの人は今、心の中で満面のドヤ顔ダブルピースを決めている。少しだけ緩んだ口元がその証拠だ。
とはいえ、今回ばかりは先輩グッジョブと言わざるを得ない。
立て続けに恥をかいたエクレールさんがこれ以上ちょっかいを掛けてくるとは思えない。あの表情を見る限り、俺たちは彼女のお眼鏡にかなったと見るべきだろう。
初っ端からすったもんだあったが、これでようやく当初の目的に集中できる。新人研修はまだ始まったばかりなのだ。
「お互いの仲も深まったことですし、そろそろ次のステップに進ませていただいてもよろしいでしょうか? 冒険者たるもの、時間にルーズではいけませんからね」
ひと段落ついたところで眼鏡の事務員が手を叩いた。
予想以上に時間が押しているのだろう。しきりに時計を確認する姿にかなりの焦りを感じた。
「それとエクレールさん。できれば部下の財布も返していただけませんか? 彼らも稼ぎの多い方ではありませんので」
「抜け目のない奴が他にもいたとはね。あんたの名前は?」
「広報部のディケットと申します。以後お見知りおきを」
他の職員たちがぎょっとした顔でポケットを確認する中、エクレールさんは上着を軽く揺らした。
直後、大量の財布が床にばらまかれた。
……この人、ジェイクさんの生き別れの妹とかじゃないだろうな?
いや、もうこの際何でもいい。本来の仕事に戻ろう。
「雨降って地固まる、といったところでしょうか。ソウタ様もお見事でした」
いつの間にか先輩がすぐそばまで来ていた。
「さっきも言いましたけど、俺は勘に頼っただけですよ。先輩の方がすごいじゃないですか」
仕掛けたのは俺たちの間に割り込んだ瞬間だろう。
あの短時間で、相手に気取られることなくボタンを縫い付けるなんてとても人間業とは思えない。まるで手品だ。
だが、俺の素直な賞賛に対して先輩は申し訳なさそうに首を振った。
「お褒めいただきありがとうございます。ですが、今思えば軽率な行動だったかもしれません」
「どうしてそう思うんですか?」
「それは……」
そこで言葉を止める先輩。
彼女はそのまましばらく口ごもっていたが、ややあってから困り笑いを浮かべた。
「……あの方がソウタ様を甘く見ていらしたことが、とても悔しくて。思わず姑息な手段を使ってしまいました」
「姑息……ですか? ちょっとよく分かりませんけど」
「インチキ、でございます。……実を申しますと、エクレール様のボタンは外れてなどいませんでした」
「え? それじゃあ……」
「ですので、ボタンを取り外してから改めて付け替えさせていただきました。いわゆるひとつのマッチポンプでございます」
「手間が二倍に増えてるじゃないですか」
恐るべしメイド神。
先輩の本気を目の当たりにした俺はただただあぜんとするばかりだった。




