第15話 メイドさん、学級崩壊を憂う
冒険学部の活動は大きく分けて午前と午後の二段構成となっている。
午前は座学。生徒たちは教室に集まり、ダンジョン探索に必要な知識を学ぶ。
午後は屋外活動。多種多様な学科で己のスキルを磨き、クエストを受け、ダンジョンを探索する。
学園側は「どちらの活動も重要であり、一方だけを軽視すべきではない」というスタンスで生徒を指導しているが、建前と実情は必ずしも一致しないのが世の常だ。
退屈な授業と血沸き肉躍る大冒険。しかも報酬付き。
血気盛んな若者たちがどちらを優先するかなんて、改めて考えるまでもない。
ゆえに、一部の不届きな生徒が"授業"と書いて"仮眠"と読むようになるのは時間の問題だった。
「──はい、次はテキスト74ページを開いてください。そろそろお腹が空いてきた頃かと思いますが、授業が終わるまでもう少しですから頑張りましょうね」
のんびりした口調で授業を進めるのは語学担当のリラ先生だ。
文系、インドア派、非戦闘職と三拍子揃ったこの女性は、今日も白のブラウスにタイトスカートという一般教師みたいな格好で生徒たちの前に現れた。
性格は温厚で生徒思い。普段の言動も極めて常識的で、生徒を幻術で弄ぶことも無ければ魔物をけしかけたりもしない。まさに普通を絵に描いたような人だ。
とはいえここは冒険学部。普通であることが必ずしも良いことではない。
ある意味、この凡庸さこそがリラ先生を苦しめていると言えるだろう。
「それではアキュートくん、ライオネル王の『見よ、汝らの頭上に』から章の終わりまで読み上げてください」
テキストに目を落としながら生徒の名を呼ぶリラ先生。しかし反応は無い。
「……アキュートくん?」
リラ先生が再度呼びかけるが、教室は静まり返ったまま。
不審に思った先生が顔を上げる。
教室の奥へと視線を移し、机に突っ伏したまま動かない少年を見つけると、大きく嘆息。
「仕方ありませんね。それでは次の人……グロムくん……グロムくん? あの、先生の声が聞こえてますかー?」
いくつもの寝息が教室を満たす中、途方に暮れたような声が虚しく響き渡る。
クラスメートをフォローする意味でも言っておくが、彼らとてリラ先生を困らせたいわけではないのだ。
しかし悲しいかな、時間は有限だ。
魔物は日夜活発に活動し、冒険者ギルドにはクエストがあふれている。言い換えれば、それだけ多くの人々が助けを求めているということだ。
打倒ダンジョンの使命感に燃える冒険学部生が、そのような状況を傍観していられようか? 答えはノーだ。
そんなわけで彼らは受けられる限りのクエストを受け、夜遅くまでダンジョンに潜り、不足する睡眠時間をこうして補っているというわけだ。
うん、全然フォローになってないなコレ。
「はぁ……もういいです。疲れている人はそのままにしておいてあげましょう」
リラ先生は出席簿と教室の様子を何度も見比べながら、まだ夢の国に旅立っていない生徒に目星をつけていた。
相手の顔を念入りに観察し、今度こそ起きていることを確認した後、
「それではマナさん、先ほど言ったように74ページの……ちょっとマナさん!? どうして授業中に内職をしているんですか!?」
怒声とも悲鳴ともつかない声を上げた。
「ごめんなさいごめんなさい! クエストの期限が迫ってるんです! 明日までに鉄の矢を100本作らないといけないんです!」
「そんなことは知りません! 今は授業の時間ですよ!」
「でもでも、このクエストに失敗したらもう後が無いんです! 報酬がもらえなかったら今月はもうゴボウしか食べるものが無いんです! 先生は可愛い生徒にそんなひもじい生活をさせるつもりですか!?」
「そっ、それは……」
清々しいまでの逆ギレだが気弱なリラ先生には極めて有効だった。先生は悔しそうに唇をわななかせた後、がっくりと崩れ落ちた。
ごく少数のまともな生徒が同情の眼差しを向ける。大多数の生徒は目を開けてすらいなかった。
リラ先生はそのまましばらく肩を震わせていたが、自身を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐くと、おもむろに立ち上がった。
ぴんと伸びた背筋。いつになく真剣な様子に生徒たちも思わず居住まいを正す。
「ええ、そうですね。たしかに、語学の知識がダンジョンの攻略に役立つことはないでしょう。トロールがリリック豊かな謎かけ合戦を挑んでくることはありませんし、ラフォーレ16世の詩歌になぞらえた仕掛けがダンジョンに隠されている可能性はゼロです。冒険者を目指すあなた方にとって、座学はタルトの上に添えられたセルフィーユの葉っぱと同じなのかもしれません」
嗚咽を飲み込むように息を吸い、
「……だけども! だけどもです!」
叫びと共に教卓を叩くリラ先生。その目は教育者としての情熱に燃えていた。
「文化とは! 教養とは! 役に立つかどうかで決めるものではありませんっ! それは私たち人類が歩んできた歴史の証明であり──」
その時、中庭から正午を知らせる鐘の音が聞こえてきた。タイムアップだ。
ハッスルしていたリラ先生が石のように硬直する。
その一方で、生徒たちは呪縛から解き放たれたように立ち上がり、号令もそこそこに教室を飛び出していく。
「うっし、お勤め終了! メシだメシ!」
「それよりダンジョンだ! めくるめく血と闘争の日々が俺たちを待っているッ!」
「あと98本……あと98本……!」
賑やかな声が徐々に遠ざかっていく。
ほぼ無人となった教室に取り残されたリラ先生。彼女はたっぷり10秒かけて、ぎこちない動きで天を仰ぐと、
「くうぅぅぅぅぅぅ……!」
教卓の向こう側に沈んでいった。
*
「……ということがあったんだ」
「うわあ……それはリラ先生も災難でしたね」
午後。メイド学科を訪れた俺は、先ほどの出来事をユニに話していた。
「それにしても意外ですね。ソウタさんのクラスは授業態度が良いって噂を聞いてたんですけど」
「うーん、それも間違いじゃないけど……何ていうか、うちのクラスは物事の優先順位がはっきりしてる人が多いんだよ」
「優先順位?」
「とにかくダンジョン探索と魔物退治ありきってこと。だから普段は真面目でも、クエストが忙しくなった途端に総崩れになる」
言いつつ、作り置きのクッキーを口に運ぶ俺。メイド学科には常に何かしらのお菓子がストックしてあるので、昼食代を節約したい時にうってつけの場所なのだ。
「同じ座学でも魔物学や魔術理論の授業だとこうはならないんだよ。歴史は……そこまで熱心じゃないけど、不真面目ってほどでもない。だけど語学は……」
「どのクラスも同じなんですね。僕のクラスも語学が苦手な人は多いですよ」
気まずそうに言いよどむ俺を見てユニは苦笑していた。
念のため説明しておこう。冒険学部における語学とは、現代文と古文を組み合わせたような教科のことだ。
授業内容は基本的な読み書きに始まり、基礎を習得した後は詩の朗読や古典の解読といったやや文学的な方面へと舵を切る。そこまで専門的な知識を掘り下げるわけではないが、他の教科に比べれば文系色は強い。
語学という教科そのものにケチを付ける気は無い。文系だろうが理系だろうが、学びというものはすべからく人の心を豊かにするのだから。
だが、果たしてそれが冒険者に必要かと問われると……ちょっと自信が無くなってくる。
あるか? 役立つ機会。
「そりゃ、知識が無いよりはあった方がいいと思うけどさ。読み書きだけできればそれでいいだろって言われたら、それ以上何も言い返せないっていうか」
「魔物には愛の歌より炎の呪文ってことですか」
「夢の無い話だなあ」
椅子に座ったままぐでーっと四肢を投げ出す俺。この調子だとリラ先生の受難はしばらく続きそうだ。
気だるげな動きで次のクッキーを手に取ろうとした時、部屋の奥から小さな笑い声が聞こえてきた。
「あらまあ、とっても男の子らしい合理的な考え方。だけどちょっとだけ勉強不足。"もう少しがんばりましょう"ね」
「ポピー先生」
声の主はソファに深く腰掛けながら、弓なりに細めた目で俺たちを眺めていた。
メイド学科の担当教師、ポピー先生である。
丸眼鏡を掛けた高齢の女性。クラシカルなメイド服に身を包み、レースのついたモブキャップで頭を覆っている。
メイド服のデザインはミスティア先輩とそれほど変わらないが、受ける印象はかなり違う。先輩がお屋敷を取り仕切る敏腕メイド長だとすれば、この人は揺り椅子に座って子供をあやす乳母メイドだ。
「ポピー先生、俺たちが勉強不足ってどういう意味ですか? 語学の授業と冒険者に何の関係が?」
俺の問いに対する先生の答えはやや遠回しなものだった。
「若い人はすぐに結論を急ごうとするのよ。でもそれじゃお勉強にならないわ。肩の力を抜いて、自分の頭でもう一度考えてみて」
「そう言われても分かりませんよ」
正直、見当もつかない。学者や役人ならともかく、冒険者が文学的な才能を磨いたところで使い道など無いと思うのだが。
ユニに目を向けると、やはり俺と同じように首をかしげていた。出来の悪い生徒2人は釈然としない表情で答え合わせの時間を待つ。
俺たちがうんうんうなっている間にポピー先生はお茶の用意をしていた。
人数分のカップを用意し、ぬるめの紅茶になみなみとミルクを注ぐ。角砂糖は4つ。拒否権は無い。
「そうねえ……まずは"使い道が無い"っていう先入観を捨てるところから始めましょう」
ゆったりとした手つきでカップをかき混ぜながらポピー先生が言う。
「冒険学部のカリキュラムはね、クリシュカの偉い人たちが一生懸命考えて作ったものなの。冒険者を育てるための全てがここに詰まってるのよ。だったら無駄な授業なんてあるはずが無いでしょう?」
「理屈としては分かりますけど、語学への理解をいくら深めても冒険者のスキルアップには繋がらないと思いますよ」
「本当に? ソウタちゃんはそう言い切れるくらい真剣に語学と向き合ってきたの?」
「それなりに、って感じですかね。異世界人の俺にとっては外国の言葉ですから、ちゃんと勉強しておかないといざという時に困るんですよ」
「まあ素敵。それじゃあソウタちゃんはリラ先生の授業で一度も居眠りしたことがないのね」
「…………」
「うふふ、正直者って損よねえ」
言い辛そうに目をそらす俺を見てポピー先生が笑みをこぼした。
仕方ないだろ。どんなに頑張っても無理な時は無理なんだ。
眠気を解消するためには寝るしかない。これは万物不変の真理だ。
まあ……普段の体調管理が甘いだけなんじゃないかと言われたらそれまでだが。メイドの不養生とはまさにこの事である。
「……参考までに聞きたいんだけど、ユニはどうなんだ?」
「もちろん真面目に授業を聞いてますよ。前回のテストは満点でした」
「マジですか……」
「従者のたしなみですから。無礼な言葉遣いで主人に恥をかかせる従者なんてかっこ悪いでしょう?」
さらりと言ってのけるユニはできる男の顔をしていた。
まずい。このままでは俺がメイド学科一の不良生徒になってしまう。今後はより一層気を引き締めねば。
謙虚な姿勢を取り戻した俺は慌てて襟を正した。
「やっと目を覚ましたみたいね。おはよう、ソウタちゃん」
俺の心境の変化を見抜いてか、ポピー先生が満足そうにうなずいた。
「それで、なんだけど……実は、今のソウタちゃんにうってつけのクエストが来てるの。どう、やってみない?」
「それって、さっきの話に関わることですか?」
「ええ。そのクエストをこなせば、きっとソウタちゃんの疑問も解決するはずよ」
含みを持たせた言い方に俺の好奇心は嫌でも刺激される。先輩もそうだが、俺の周りのメイドさんは人を乗せるのが妙に上手い。
「語学関係のクエストってことは……古文書の調査とか?」
「それは見てのお楽しみ。ああでもないこうでもないって考えることも大事なのよ」
「開けてびっくりは勘弁してくれませんか? そういうの苦手なんですよ」
「詳しい話はミスティに聞けばいいわ。あの子なら今頃食堂にいるはずよ」
食堂と言われて思い浮かぶのは冒険者ギルドのカウンターだ。あの場所でジェイクさんにまつわる依頼を受けたことはまだ記憶に新しい。
「本当はミスティに任せるつもりだったけど、ソウタちゃんも一緒にいてくれた方が何かと都合がいいでしょう?」
「いてもいなくても変わらないような気がしますけどね。力仕事以外は先輩だけで済ませちゃいますから」
「ソウタちゃんの前だから特別にはりきってるのよ。あの子、意外と見栄っ張りなの」
外付けアタッチメントみたいな扱いの俺だった。
「いまいち釈然としませんけど、とりあえず行ってみます」
クエストの内容は不明だが、ポピー先生がそこまで推すならやらざるを得まい。加えて言うなら、先輩同伴というのが実に心強い。
甘ったるいミルクティーを飲み干した俺は、手早く支度を済ませてメイド学科を後にした。
「ソウタさん、頑張ってください。ミスティア先輩にもよろしく」
「しっかり勉強してきなさい。……もしかすると、リラ先生を救うためのヒントが見つかるかもしれないわよ」
ドアを閉める直前に聞こえたその言葉が、やけに印象に残っていた。




