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第13話 翔べ!メイド学科!

「……それでは、もう一度作戦内容をご説明いたします」


 地底砂漠の(ふち)にたたずむ大きなテーブル岩。俺たちはその頂上に立ちながら、トロールたちのひしめきあう危険地帯を遠巻きに見つめていた。


「様々な選択肢を検討してみましたが、今の戦力でトロールを殲滅することは極めて難しいと言わざるを得ません。トロールの戦闘力、群れの数、砂漠という環境。全ての要素に無視できないリスクがございます」


「せめて各個撃破できれば良かったんですけどね」


「群れが連鎖的に反応する恐れがございますので、不用意な攻撃は控えるべきでしょう。……よって、隠密作戦が最善かと存じます」


 言うと、先輩はやや右手の方角に視線を移した。

 そこには奇妙な光景が広がっていた。切り取り線のようにも見える黒い点々が、殺風景な砂漠の真っただ中を貫いているのだ。

 さらに目を凝らすと、黒い点は突き出た岩の(かたまり)であることが分かった。さながら砂の海に浮かぶ岩礁(がんしょう)といったところか。


「あちらの岩場をご覧ください。あれに沿って進んでいけば、砂に足を取られることなく向こう岸にたどり着けるでしょう」


「ふん、よくもまあ都合よくあんな足場が残ってたもんだ。トロールにぶっ壊されてないのが奇跡だぜ」


「地下鉱脈の一部が露出したものと思われます。簡単に砕けるものではございませんから、トロールたちも後回しにしていたのでしょう」


 岩場は砂漠を縦断するように伸びており、岩同士の間隔もさほど離れてはいない。身軽な者なら難なく飛び移ることができるだろう。

 問題はトロールだ。

 岩場の周辺、そして砂漠の対岸には多数のトロールがたむろしている。迂闊に進めばたちまち発見されてゲームオーバー。先に奴らをどうにかしない限り、このルートは安全とは言えないだろう。

 というわけで、次のステップはトロールの排除だ。


「先輩、用意はできましたか?」


「はい。こちらに」


 先輩が持ち出してきたのはボックス型のバスケット。こんなにかさばるものをどこに隠していたんだろうと改めて思うが、ひとまず疑問は棚上げだ。

 俺はバスケットの持ち手を両手でつかみ、かかとを軸に数回転。ハンマー投げよろしく放り投げた。


「それっ!」


 闇に満ちたダンジョンの中、パステルカラーのバスケットが流れ星のように飛んでいく。

 それは洞窟の天井に激突すると、ちょうど砂漠の中心付近に落下した。

 落ちた拍子に大きな砂煙が立ちのぼる。

 ──来る。

 俺たちが反射的に身を伏せた直後、トロールたちが一斉に反応した。

 何十体ものトロールが起き上がり、まとわりつく砂をかきわけながらバスケットに近づいていく。まるでバイソンの大移動だ。


「砂漠を突っ切らなくて正解だったな。危うく奴らのしっぽを踏むところだったぜ」


 ジェイクさんがうんざりしたようにつぶやく。

 周囲に視線を巡らせると、真っ白な砂漠の底からトロールの黒い頭があぶくのように浮き上がっていた。数は……もうカウントするのも馬鹿らしくなってきた。

 もう巣穴なんて生易しい言葉では言い表せない。ジェイクさんの言葉を借りるなら、ここはまさにトロールの王国だ。

 とはいえ、こうなることはとっくに想定済み。隠れていた奴まで釣れたのはむしろラッキーと言うべきだろう。

 先頭のトロールがバスケットにかじりつこうとした時だ。落下の衝撃で緩んでいた留め金が開き、バスケットの中身がこぼれ落ちた。

 入っていたのは甘いにおいを漂わせるシュー生地の菓子──ププランだ。

 小麦色の輝きを放つププランが雪崩を打って転がり出る様は、海賊の宝箱からあふれんばかりの金貨をほうふつとさせた。

 当然ながら、食欲旺盛なトロールがこんなごちそうを見逃すはずがない。奴らは我先にとバスケットに飛び掛かり、押し合いへし合いしながらエサの奪い合いを始めた。


「あのバスケットには眠りを誘う妖精花の花粉袋が仕掛けられております。無論ププランの中にも。──どうぞ、存分にお召し上がりくださいませ」


 巨体に揉まれてバラバラになっていくバスケットを眺めながら、先輩が艶然とほほ笑む。

 効果はすぐに表れた。暴れるようにププランを貪っていたトロールが動きを止め、砂のベッドにゆっくりと身を横たえたのだ。

 程なくして次の一体が。そしてまた次の一体が。

 異変は群れの中心から始まり、徐々に外側へと広がっていく。

 最後の一体が眠りに落ちた後、俺たちはようやく身を隠すのをやめて立ち上がった。


「上手くいきましたね、先輩」


「ですが安心はできません。妖精花の効果は一時的なものですから」


「どのくらい効果が続くんですか?」


「確かなことは何も……。ただ、それほど長くはありません」


「つまり、行動を起こすなら今しかないと」


 俺と先輩はうなずき合うと、二人揃ってジェイクさんに視線を投げた。

 物理的な障害は取り除いた。この砂漠地帯を越えれば魔石の鉱脈はすぐそこだ。

 あとは、ジェイクさん次第だ。


「これがわたくしどもにできる最大限の助力でございます。この先どうするかは、ジェイク様ご自身がお決めになる他ありません」


「結局最後は自分で選べってか。ま、そりゃそうだな」


 崖淵に立つジェイクさんは腕組みしたまま動かない。灰色の瞳は洞窟に広がる闇を一心に見通していた。

 その目に映る景色は砂漠の向こう岸だろうか? それとも、もっと別の何か?

 俺たちは何も言わず、ただ待つことにした。

 決断は思いのほか早かった。


「……ここまでお膳立てされてノコノコ帰れるかってんだ。こちとら天下の大怪盗、グラスホッパー様だぞ」


 時間にしてみればほんの数秒のことに過ぎなかったが、それが持つ重みは一生分だ。

 緑のマントを(ひるがえ)すや否や、ジェイクさんは颯爽(さっそう)と走り出した。

 風のような速さで岩棚を駆け登り、そこからさらに助走をつけて大跳躍。とがった岩の頂点をテンポよく蹴りながら、奥へ奥へと進んでいく。

 素早くも静かな行軍は惰眠(だみん)を貪るトロールを一切刺激することなく、靴音すらも見惚れたように息を飲んだ。


「これがプロの本気か……。人間離れしてるなぁ」


「それだけ真剣な思いでこのクエストに挑んでおられるのでしょう。わたくしどもも負けてはいられません」


「分かってますよ。俺たちは俺たちにできることをやりましょう」


 魔石を入手することがジェイクさんの役目なら、この場に留まって不測の事態に備えることが俺たちの役目だ。

 俺がトロールを見張っている間、先輩は元来た道を監視して脱出経路の安全を確保する。真逆の方向を向いた俺たちは、互いの死角を補うような形で背中合わせになった。

 3分ほど経った頃だろうか。ジェイクさんの姿が完全に見えなくなった頃、先輩がぽつりとつぶやいた。


「ソウタ様はいつからお気付きになっていたのですか? ジェイク様が本来の力を隠していることを」


「初めて会った時からです」


 俺は事も無げに言った。


「ガルムってオオカミだから鼻が利くじゃないですか。だけど、ジェイクさんはガルムの近くで堂々とタバコを吸ってて、なのに全く気付かれてなかった。あの人はガルムの嗅覚が鋭いことも、あの場所が風下であることもちゃんと理解して、そのうえで一服してたんです。どう考えても素人のサボり方じゃありませんよ。だから分かったんです。この人はもっとできる人なんだって」


「……それは盲点でした」


「あの人のことだから、トロールがいることも最初から予想してたんじゃないでしょうか。だからトロールに出くわす前に探索を切り上げようとしたんですよ」


「なぜそう思われるのですか?」


「強い魔物に襲われて逃げ帰るくらいなら、ただの怠け者として馬鹿にされる方が精神的ダメージは少ないでしょう? 俺だってその気になれば、ってやつです」


 小さく息を吐く音が聞こえた。

 ためらうような沈黙の後、先輩がおずおずと口を開く。


「ソウタ様は、何と言いますか、その……」


「やけに詳しいな、って言いたいんですか?」


「……申し訳ございません」


「謝らなくていいですよ。ぶっちゃけた話、俺にもそういうところがあるっていうか……はっきり言うと似た者同士なんです」


 先輩が後ろを向いていて良かった。もし顔を合わせていたら、この気まずい空気に耐えられなかっただろう。

 そう、俺がお節介を焼いた理由はあまり自慢できるようなものではない。

 つまるところ同情であり、ある種センチメンタルな老婆心なのだ。

 さりとて"だからどうした"と開き直れない俺もまた、半端者なのだろう。苦笑と共に頬をかき、話の続きを(うなが)した。


「ま、まあ俺のことはいいです。それより、他にも話があるんでしょう?」


「はい。ジェイク様のことです」


「今のところ順調そうに見えますけど、何か気がかりなことでも?」


「いえ、具体的にこれ、と言えるようなものではないのですが……」


 そこで一旦言葉を区切ると、小さな声で言った。


「……ジェイク様の後押しをしたことが本当に正しかったのか、分からなくなってしまったのです」


「やけに弱気な発言ですね。急にどうしたんですか?」


「お二人のやりとりを聞いているうちに、ふと思ったのです。これほどの痛みに耐え抜いてまで命を懸ける意味はあるのだろうか、と」


「痛み、ですか」


「揺るがぬ思いを持っているからといって、必ずしも夢を叶えられるとは限りません。ジェイク様の覚悟はたしかに尊いものですが、その覚悟は諸刃(もろは)の剣でもあります。思いが強ければ強いほど、折れた刃はあの方を深く傷つけるでしょう」


「そんなことになるくらいなら、夢なんて捨ててしまえばいい。そう言いたいんですか?」


「分かりません。ですが、わたくしはメイドなのです。お仕えする方が失意に沈む様を見ているのは……辛いのです」


 足元に落ちる先輩の影が、頼りなげに揺れた。

 先輩がこんな風に心情を吐露するのは、おそらく初めてのことだ。この人はいつも堂々としていて、自分のやり方に疑問を抱いたことなんて一度も無かった。

 だが、それが俺の勝手な思い込みでしかなかったとしたら。


「仮に……ジェイク様がこのクエストを成し遂げられなかったとして。わたくしどもは一体、どのような顔であの方を出迎えれば良いのでしょうか? あるいは、ジェイク様が二度と帰ってこなかったら……己の行動がもたらした悲惨な結末を、わたくしどもは受け止められるのでしょうか?」


「難しいですね」


 俺は正直に答えた。

 ダンジョン探索に敢闘賞(かんとうしょう)は無い。崇高な理念が冷たい現実の前に(ひざ)をつく様を、俺たち冒険者は何度も目にしてきた。

 無論そうあって欲しくはないが、それでも"もしも"は起きるのだ。

 ゆえに、この問いに関して安易な意見を述べることはできない。

 ただ……メイド学科としてどうあるべきか、という質問にははっきりと答えることができる。


「わたくしは皆様が大事を成すお手伝いをすることが自分の役目だと考えておりました。その気持ちは今も変わりません。……ですが」


 息を止めた後、先輩はかすかに震える声で言った。


「こうして待っていると、つい考えてしまうのです。わたくしが"お手伝い"と呼んでいたものが、皆様を無責任に煽り立て、いたずらに苦しめていたのだとしたら──」


「そんなことはありません」


 だから俺は即答した。有無を言わせぬほど強い口調で。


「何かあったら自分のせいだ、なんて思ってるんですか? そういう考え方はジェイクさんに対して失礼ですよ。あの人は行動の責任を他人に押し付けるような人じゃない」


「ですが、元はといえばわたくしが」


「経緯なんて問題じゃありません。メイドの役目は(あるじ)の願いを叶えることです。だったら四の五の言わずに死ぬ気で役目を果たすしかないでしょう。"失敗するかも"とか"最初からやらなきゃ良かった"なんて言ってたら、それこそジェイクさんに怒られますよ。俺を腰抜け扱いしたくせにどの面下げて言ってるんだ、って」


 俺たちはジェイクさんに本気になれと言った。ならば、今度は俺たちが本気を見せる番だ。

 結果がどうなるかなんて知ったことではない。そんなことは結果が出てから考えればいいのだ。


「仮に最悪の事態が起きたとしても、ジェイクさんをけしかけたことを後悔する必要はありません。俺たちは、あくまで完璧なサポートができなかったことだけを悔やむべきなんです。それがメイドの矜持(きょうじ)ってものでしょう」


 言いつつ、俺は拳を無意識に握りこんでいた。覚悟を体に馴染ませるように。


「俺たちのやってきたことは、絶対に間違いなんかじゃない。この先何が起こったとしても、それだけは忘れないでください」


 思いの丈を語り終えると、俺は酸欠気味の肺にゆっくりと酸素を送り込んだ。

 「元気を出して」と、たったそれだけのことを伝えようとしていたのに、気付けばこんなにも理屈っぽい話になってしまった。こういう時、口下手な自分が本当に嫌になる。

 だけど、ただ黙って見ていることだけはしたくなかった。この人が自責の念にさいなまれる姿なんて、俺は絶対に見たくなかったから。

 一呼吸分の沈黙。いっとき、ダンジョンから音が消える。

 だが、先ほどに比べれば空気は和らいでいた。

 余韻と共に小さく息をついた時、俺の背中に何かが触れた。


「ありがとう、ございます。ソウタ様がお側にいてくださることを、これほど嬉しく感じた日はございません」


 先輩が寄りかかるように背中を預けてくる。わずかな重みと、確かな熱を感じた。

 俺は動かず、自身の背中で彼女の体をしっかりと受け止めた。


「まったく……普段はふざけてばかりなのに、こういう時だけしおらしくなるんだから」


「わたくしとて、時には思い悩むこともございます」


「それくらい、分かってますけど」


 声が震えていることに気付かれていないだろうか。いっそのこと、それをネタにからかわれた方が安心する。

 だけどこういう時に限って先輩は何も言ってくれない。つくづく俺の期待を裏切ってくれる人だ。


(それにしても……意外と軽いんだな)


 先輩は俺より一つ上だが、それでも女の子だ。腕は細いし、身長も一回り小さい。

 ……いや、むしろ一つしか違わないのか。

 たった一年でどれだけ成長できる? どれだけ強くなれる?

 もしかすると俺は先輩のことを誤解していたのかもしれない。先輩は最高のメイドだが、無敵ではないのだ。

 背中の重みが少しだけ増えて、桃色の髪が俺のうなじを撫でた。


「ソウタ様……」


 吐息のようなささやきが俺の耳をくすぐる。


「差し支えなければ、もう少しこのままでもよろしいでしょうか……?」


「それは」


「駄目でしょうか?」


「駄目では、ないです、けど」


 相手に否定させること前提の問いかけは本当にやめてほしい。不安そうな声で罪悪感を煽るのも禁止だ。正々堂々戦ってくれないとこっちには勝ち目がない。


「ふふ」


 許諾(きょだく)の言葉を引き出した先輩が鈴のように笑う。

 解きほぐされたような息遣い。こんなにも気の抜けた先輩は初めてだった。

 汗ばんだ俺の手に、先輩の白い指先が触れる。そして、


「あっ! ちょっと待ってくださいあれってジェイクさんじゃないですか!?」


「ええっ!?」


 ヤバい完全に忘れてた。

 本気がどうとか偉そうに語った直後にこれだ。本当に何をやってるんだ俺は……?

 と、ともあれ今はジェイクさんだ。俺たちは急によそよそしい態度で距離を取ると、のぼせ上った頭をクールダウンさせた。


「ほら、向こう岸にうっすらと人影みたいなのが見えませんか?」


「たしかに……そう言われると人の形に見えなくもありません。もう魔石を手に入れたのでしょうか?」


「分かりません。トラブルに遭って引き返してきたのかも」


 砂漠の向こう側は未知の領域だ。トロールの他に何らかの危険が待ち受けていたとしても、俺たちに知る術はない。なんなら魔石の鉱脈がトロールに破壊されていた可能性だってある。


「ここで気を揉んでも始まりません。戻ってきたらジェイクさんに直接聞けば──」


 俺はその先の言葉を口にすることができなかった。


「……嘘だろ」


 トロールが目を覚ましていた。

 それも1体や2体ではない。全てのトロールが、まるで示し合わせたかのようなタイミングで動き始めていた。

 寝ぼけ眼で砂中を進む怪獣たちの目的地は……向こう岸だ。


「まさか……ジェイクさんを狙ってるのか!?」


「落ち着いてくださいませ。まだそうと決まったわけではありません」


「それはそうですけど、このままじゃ……」


 寝起きということもあってか、トロールたちの動きは非常に緩慢だった。とても獲物を追いかけるハンターの動きには見えない。

 あるいはこの行動に意味などなく、単純に食後の散歩を楽しんでいるだけなのかもしれない。

 とはいえ時間の問題だ。このまま放っておけば、奴らは遅かれ早かれジェイクさんの存在に気付くだろう。そうなったらおしまいだ。

 どうする? ジェイクさんに合図を送るか?

 だが合図を送ったとして何の意味がある? 今動けばジェイクさんは間違いなくトロールに発見される。

 岩場を越えるのはもう危険だ。かといって他に脱出できそうなルートも無い。

 残された道は一つしか無かった。


「……俺が何とかします。先輩は隠れていてください」


「ソウタ様、何をなさるおつもりですか?」


「俺にしかできないことです」


 それだけ言い残すと、俺は目の前の砂漠に飛び込んだ。

 直後。吸い込まれるような感覚と共に、俺の体がたちまち砂に飲まれていく。

 沈む、沈む、沈む……。

 どこまで行っても足のつく場所なんてありゃしない。まるで底なし沼だ。

 ここに来て俺はようやく理解した。この砂漠はトロールのすみかであると同時に、獲物を捕らえる蟻地獄なのだ。


「今の俺は罠にかかったマヌケな晩御飯ってところか。ちょうどいいじゃないか」


 おあつらえ向きのシチュエーションだ。今日の俺は運がいい。

 砂の底で密かに笑うと、俺は行動を開始した。

 立つことすらできないのなら、最初から立たなければいい。

 俺は体を横倒しにすると、クロールよろしく手足を動かした。

 がむしゃらに砂をかくのではない。わずかな抵抗を上手く利用して、砂の海を泳ぐのだ。

 コツさえつかめば自由に動くのはさほど難しくなかった。水面ならぬ砂面から一旦顔を出すと、砂漠の中心を目指して再び泳ぎ始めた。


「よし、この辺でいいかな」


 先輩のいる場所から十分離れたことを確認すると、俺は次の行動に移った。

 そこらに散らばるガルムの骨を拾い上げ、狙いを定めて放り投げる。

 奴らはまだ俺に気付いていない。距離は遠いが、無警戒な後ろ姿に一発お見舞いすることは簡単だった。

 命中。

 背中の突起にガルムの大腿骨が直撃した瞬間、旅館の鹿威(ししおど)しにも似た快音が鳴り響いた。

 トロールの動きが止まる。

 100を超える個体が一様に振り返り、知性を感じさせない瞳が俺の姿をはっきりと捉えた時、


「──!!」


 咆哮(ほうこう)が轟いた。

 地響きのような雄たけびが空気を震わせ、洞窟の壁をみしみしと(きし)ませる。それは原始的な衝動の発露に他ならない。

 すなわち、食欲だ。


「──!!」


 またも咆哮。

 一路反転、トロールたちが再び動き出す。美味しい食事にありつくために。楽しいおもちゃで遊ぶために。

 頭を激しく振り乱し、濁った唾液を吐き散らし、大型重機さながらの大迫力で砂の中を突き進んでくる。まるで全てを飲み込む土石流だ。


「ちょっと早まったかな……」


 予想以上の反応に若干後悔しつつある俺。

 とはいえ本来の目的を果たすことはできた。

 陽動は大成功。敵がこちらに気を取られている限り、ジェイクさんに危害が及ぶことはない。

 このまま(おとり)となって時間を稼ぎ、ジェイクさんの帰還を待って砂漠から上がる。言葉にすれば非常にシンプルだ。できるかどうかは別として。

 だが、やり遂げる以外に選択肢は無い。

 だったらあれこれ悩んでも仕方ない。必要なのは絶望に中指を立てる度胸だ。


「さあ来い。冒険学部の底力を見せてやる」


 しぶきを上げて迫りくるトロールたちを前に、覚悟を決めたその時だった。


「この馬鹿野郎! 何勝手なことしてやがる!」


「その声は……ジェイクさん!?」


 突然の事に思わず顔を上げた俺は……あぜんとした。

 そこにジェイクさんがいたからだ。

 こちら側に戻ってきたわけではない。かといって岩場の上にいたわけでもない。もちろん砂漠を渡ってきたわけでもない。

 俺の目に映ったのは、向こう岸から一直線に飛んでくる(・・・・・)ジェイクさんの姿だった。


「……はぁ!?」


 ありえない。およそ人間に可能な跳躍力ではない。

 いやまあ……一部の超人冒険者ならできなくもないが、ジェイクさんはその手の逸般人(いっぱんじん)ではなかったはずだ。

 だが事実として彼はそれを成し遂げた。トロールたちの頭上を軽々と飛び越え、矢のような速さで向かってくる。

 やや前のめりの姿勢で、右手をこちらに突き出すように。


「手を伸ばせ!」


「えっ?」


「早くしやがれ! トロールのクソになりてえのか!」


 悩んでいる暇は無かった。トロールの群れはすぐそこまで押し寄せている。

 俺はもがくように砂を蹴ると、空に向かって必死に手を伸ばし──


「──!」


 つんざくような爆音。

 次の瞬間、俺たちは空を飛んでいた。

 いや、吹き飛ばされたというべきか。何らかの力が強烈な風を巻き起こし、俺とジェイクさんの体を打ち上げたのだ。


「これはいったい……」


「黙ってろ。舌を噛むぞ」


 俺の手を引きながら空中で器用にバランスを取るジェイクさん。

 心地よい浮遊感が全身を包む。地上に目を向けると、トロールたちがいらだたしげな様子で俺たちを威嚇していた。

 だがその平穏も長くは続かない。重力が再び俺たちを捕えたかと思うと、背筋の凍るような自由落下が始まった。

 迫る地面。真下にはおびただしい数のトロールが殺到し、エサを求めるピラニアのように砂漠を沸き立たせていた。

 喉元まで裂けた口が限界まで開き、ノコギリ状のおぞましい牙が俺たちの体を引き裂こうとした時、


「トびな!」


 俺は見た。あの(あかり)を。

 ジェイクさんが得意とする炎の魔術。

 小指の先ほどしかない小さな火種が一気に膨張し、トロールを焼き尽くす様を。

 真っ赤な爆炎が地上を覆い、遅れてきた爆風が上昇気流を発生させる。それが俺たちを飛翔させたものの正体だった。

 風にあおられ、ホームランボールさながらの勢いでかっ飛んでいく俺たち。高度が落ちる度にジェイクさんは爆発を起こし、その風圧を利用して滞空時間を稼いだ。

 爆発の威力に照準、そしてタイミング。ほんの少しでも調整を間違えれば、自分もろとも火だるまになってもおかしくない危険な曲芸。

 だというのに、ジェイクさんの顔にはひとかけらの恐怖すらも浮かんではいなかった。

 彼はついでのようにトロールを爆殺しながら、鼻歌交じりに空の上を跳ね回っている。まるでそれが自然なことだとでもいうかのように。

 緑のマントが風を受け、翼のようにはためいていた。


「……グラスホッパー」


 俺のつぶやきは度重なる爆発にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

 騒々しい空中散歩はその後もしばらく続いたが、俺たちが固い地面に着地したことでようやく終わりを告げた。


「お二人とも、お怪我はありませんか!?」


 先輩が息を切らせて走ってくる。彼女は俺たちの無事を確認した後、やや緊張した面持ちでジェイクさんに目を向けた。


「ほらよ」


 ジェイクさんは照れ臭そうに眼をそらすと、背負った袋の口を親指で指し示す。

 そこには袋に入りきらないくらい大きな魔石結晶が顔を覗かせていた。

 俺と先輩は同時に顔を見合わせると、どちらともなく安堵の息をついた。


「気を抜くのは早いぜ。まだやるべきことが残ってるだろ?」


 その言葉に俺たちは気を引き締め直す。

 見れば、怒り狂ったトロールたちが次々と砂の海から這い上がってくるところだった。


「お前ら、分かってんだろ?」


「もちろんです」


「言わずもがなでございます」


 共に死線を潜り抜けたことで、俺たちの間には強い連帯感が芽生えていた。この瞬間、全員が同じことを考えているという確信があった。

 俺たちは合図代わりに視線を交わすと、


「撤退ー!」


 一目散(いちもくさん)に逃げだした。



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