第12話 メイド学科はそそのかす
トロールの足跡をたどってきた俺たちが見たものは、地底に広がる砂の海だった。
「"誘蛾鉱区"に砂漠……? 事前に聞いてた話と違うような」
「地図によると、このあたりは細い道が入り組んだ迷路のような地形になっているはずですが……」
「奴らが模様替えしたんだろ。一口にトロールっつっても地域によって個体差があるからな。よりにもよってこいつらは、砂漠に適応するタイプってことだ」
ダンジョンの環境は不変ではない。
クリシュカに存在する全てのダンジョンは内部で一つに繋がっており、それゆえ別のダンジョンから魔物が移動してくることがある。
酷い時には生態系ががらりと変わってしまうことも。比較的安全なダンジョンがいつまでも安全である保証はどこにもないのだ。
おまけに一部の魔物は周囲の地形を自分好みに変える習性がある。ケルベロスの炎は水場を蒸発させ、サンドワームは地面を掘り返して穴だらけにしてしまう。
それを踏まえて考えると、このトロールはかなり迷惑な部類の新人と言わざるを得ない。
「見ろよ、一族総出で領地開拓の真っ最中だ。トロール王国の皆様は相当な野心家でいらっしゃる」
あちこちから聞こえてくる奇妙な地鳴りは、トロールたちが壁や地面を破壊する音だ。
奴らは背中に突き出たウロコのような突起を叩きつけ、硬い岩盤をバリバリと削り取っていく。小さな破片をすり潰すのは子供のトロールだ。
そうして全てのものが粉々に砕かれ、最後にはきらきらした粒子となって砂の海を広げていく。砂の上に浮かんでいるのはガルムの骨だろうか。
「どうやらガルムはトロールを恐れていたようです。わたくしどもが来る前に襲撃を受けていたのでしょう」
「生存競争に負けたのか……。そう考えるとちょっとかわいそうだな」
「犬コロより自分の身を哀れんだ方がいいかもな。ああクソ、まったく最悪だ。よりにもよってこんな場所に巣を作りやがって」
俺たちは手持ちの地図に目を落とし、目的地を再確認した。
魔石の採掘地はこのエリアを抜けた先にある。別のルートは、無い。
「魔石が欲しけりゃ奴らの頭の上をまたいでいけってことだ。運よく居眠りしてくれてるといいな?」
砂漠と陸地の境界で立ち尽くす俺たち。
砂の中におそるおそる踏み込んでみると、さしたる抵抗もなく足が沈んでいった。
「これ、かなり深いですよ。下手するとまともに歩けないかもしれません」
「砂の上での戦闘は可能な限り避けるべき、ということでしょうか」
「勝ち目が無いとまでは言いませんけど、おすすめはしません。トロールがあと何匹いるかも分かりませんし」
ざっと見た限り、巣穴の拡張に勤しんでいるのが10匹。砂の中に潜って鼻先だけを見せているのが5匹。向こう岸で昼寝をしているのが10匹以上。暗がりに隠れている個体も含めれば、総数はもっと増えるだろう。
俺は先ほど惨殺されたガルムのことを思い出していた。
これほど凶暴な魔物がジェイクさんの魔術に怯えて逃げるとは思えない。それどころか、興奮して手が付けられなくなるかもしれない。
俺たちはここに来て作戦の立て直しを余儀なくされていた。
「何にせよ、見つからずに済むならそれに越したことはないと思います。とにかく魔石を手に入れることを最優先に考えましょう。トロールのことは……後でギルドに何とかしてもらう方向で」
「かしこまりました。でしたらここは一つ、策を練ることにいたしましょう」
ミスティア先輩は笑みに合わせてビッと指を立てた。
「3人寄らば家令の知恵と申します。皆で力を合わせれば、必ずやインスピレーションのきらめきをつかむことができましょう」
「意味不明ですけど言わんとすることは分かりました。ジェイクさんもそれで構いませんよね?」
「ん~、な~んかめんどくさくなってきたな。もう帰ろうぜ」
「またですか……」
二言目にはこれだ。予想はしていたが、この人はどうあってもクエストを投げ出したいらしい。
「せっかくここまで来たんですからもうちょっと頑張ってみませんか? ギブアップするのはそれからでも遅くないですよ」
「そうは言うがな。正直このヤマ、てんで苦労に見合わねえ。だいたい、トロールがいると分かってりゃこんなはした金でクエストを受けやしなかったぜ」
「でも、ここで諦めたら報酬はゼロですよ」
「どうってことはねえ。生きてる限り次があるんだ。どデカいヤマを引き当てりゃ、その場で一発逆転よ」
「そう上手くいくとは思えないんですけど……」
とはいえ、その言葉が慎重さから出たものなら、俺だって文句を言うつもりは無かった。
勇気と無謀は似て非なるもの。引き際を見極めるのも冒険者に必要な素養のひとつだ。
しかし。
「先輩、どうします?」
俺は先輩に横目で視線を送った。
「ふむ、そうですね……」
先輩は思案顔で指先をくるくると回していたが、ふと顔を上げ、
「今後の方針を決める前に、一つお聞きしたいことがございます」
ジェイクさんに視線を投げかけた。
「ジェイク様。あなた様はいったい何を恐れていらっしゃるのですか?」
ほんの一瞬、ジェイクさんの笑みが引きつったのを俺は見逃さなかった。
「……おいおい、まさか俺がトロール相手にイモ引いてるって言いたいのか? 勘弁してくれ。誓って言うが、そいつぁ大きな誤解ってやつだ」
「存じております。先ほどトロールに遭遇した際の判断は非常に理性的でございました。いささか慎重過ぎるきらいはありますが、ガルムに対しても同様のことが言えます。……だからこそ気になるのです。それほど賢明なお方が、なぜこうも簡単に見切りをつけてしまうのでしょう?」
「そりゃ、お前……」
ジェイクさんは何か言おうとして、そのまま言葉を飲み込んだ。
「初めはこらえ性の無い方なのかと思いましたが、それにしては妙に落ち着いております。それでは何がジェイク様の御心に二の足を踏ませているのでしょう?」
「あー、何を言いたいのかさっぱりなんだが。というかだな、そんなもんを知ってどうしたいんだ?」
頭を傾け、肩をすくめる。
「俺たちゃ赤の他人同士だろ。今日会ったばっかで、お互いさして思い入れがあるわけでもねえ。そりゃ、お前らだけで心細いのは分かるがな。それにしたって、俺みたいなちゃらんぽらんにこだわるよりもっとやる気のある奴を探した方がいいんじゃねえか?」
「ジェイク様。わたくしどもは今、ジェイク様とパーティーを組んでいるのです」
「それがそんなに重要なことなのか?」
「はい。わたくしはメイドですから」
確かな声で宣言する先輩。
「冒険者の皆様を陰ながら支え、そのお力が十全に発揮されるよう取り計らうのがメイドの務めでございます。付き合いの長さなど関係ありません。どのような方であれ、冒険者としての矜持を抱いてさえいれば、それはわたくしが全力でお仕えする価値があるのです」
先輩は静かに目を閉じると、透き通るような声で、
「わたくしにはジェイク様の抱えているものが何なのか分かりません。あるいは、打ち明けたところで解決することなどできないのかもしれません。ですが、わたくしどもが心からジェイク様のお力になりたいと願っていることだけは……どうか理解してほしいのです」
先輩の言葉を尽くした説得にジェイクさんが押し黙る。
彼は少しばつが悪そうに視線を巡らせた後、どもりがちに言った。
「ま……まあそうマジになんなって。大したことじゃねえ。この年になると訳もなく調子が悪くなったりするのは珍しいことじゃねえんだ」
ジェイクさんの返答は拒絶ですらなかった。
「手を貸してやるっつった手前、先に抜けちまうのは悪いと思ってんだ。お詫びと言っちゃ何だが、代わりに腕利きの助っ人を紹介してやるからよ。心配すんな、こう見えても顔は広いんだぜ?」
おどけたように両手を挙げて、取り繕うような笑みを見せる。先輩は露骨に落胆していた。
駄目だ。ジェイクさんは何もかもをうやむやにしようとしている。先輩の誠意が伝わっていないわけではないが、事情も分からないのにジェイクさんの心を動かすことは不可能だろう。
だから、ここからは俺の出番だ。
長々と言葉を連ねる必要は無い。本質を射抜くためには、たった一言あればいい。
「本気になるのが怖いんですか?」
「……!」
俺の放った一言は、ジェイクさんのにやけた笑みを一瞬で吹き飛ばした。
場の空気が急激に冷え込んでいく。だが、俺はそれに構わず言葉を続けた。
「ガルムの時もそうでしたね。逃がすくらいなら倒した方がずっと安全で確実なのに、ジェイクさんは火球を驚かすことにしか使わなかった。どうしてですか?」
「そ、それはさっきも言ったじゃねえか。手負いの……」
「手負いの獣ほど厄介なものはない。確かにその通りですね。奇襲攻撃が成功すれば一発で終わりますけど、もし仕留め損なったら面倒が増えます。さすがに負けはしないでしょうけど、たかがガルム相手にミスして大慌てなんて、みっともなくてたまったものじゃない」
「いや、そういうわけじゃ……」
「だけど最初から手を抜いていれば話は別です。"真面目にやってダメだった"なら言い訳もできませんけど、"怠けていたら痛い目を見た"なら笑い話で済みます。だから本気を出したくなかった。そうでしょう?」
皮肉なことに、俺はそういう人を誰よりも良く知っていた。だからこそ、彼をそのままにしてはいられなかった。
「プライドを守るための保険みたいなものです。全力で取り組まなければ徒労感は生まれない。惨めな思いをすることもない。だけど、同時に何かを得ることもない。自分から目を背け続ける限り、ずっとずっと同じ場所で停滞していくだけなんです」
先輩があっけに取られたような顔でこちらを見つめている。ジェイクさんはうつむいたまま、歯を食いしばるように何かをこらえている。
俺は今ジェイクさんが一番触れられたくない部分に手を出している。
俺自身、この場で殴り倒されてもおかしくないような真似をしている自覚はあった。
それでも俺はそうすることにした。自身の経験から、そうしなければならないと思った。
「ジェイクさん、道化を演じるのはもうやめにしませんか? いつまでも自分を偽り続けていたら、そのうち本当にやめられなくなっちゃいますよ。たとえ赤の他人であっても、俺は誰かがそんな風に潰れていく様を見たくないです」
「うるせえ!!」
拒絶の声が感情のままに叩きつけられる。
「さすが、学のある奴は言うことが違うな! 額縁に飾っても恥ずかしくない完ぺきなお説教だ! ピカピカの物差しで他人様の人生を計るのはさぞ愉快な気分だろうな、ええ!?」
ジェイクさんが俺をにらみつける。沸点を超えた怒りと羞恥心が彼の顔を真っ赤に染めていた。
だが、その怒りはきっと俺に対してのものじゃない。
「俺だって初めから腐ってたわけじゃねえ。ガラにもなくデカイ夢抱えて、がむしゃらに突っ走ってた頃だってあったんだ。だけどな、そんな無茶やれるのは若いうちだけだ。年を取ってくると、嫌でも自分の天井ってやつが目についちまう。認めなきゃいけなくなる。俺は英雄になれねえんだって」
ぎゅっと握った拳を震わせ、苦虫を噛み潰したような顔で言葉を絞り出していく。
「クエストに失敗しても、"次こそは"って思えるうちはまだマシだ。だけどそのうち"またか"になって、しまいにゃ"やっぱりな"だ。しくじる度に、俺は俺が無能だって事実を嫌というほど見せつけられる。人生の貴重な時間を費やして得たものがてめえに対する失望だなんて笑っちまう。だったら真面目にやるだけ無駄だろうが。自分とかいう期待できねえゴミ野郎に賭ける価値なんざないだろうが! 違うか!?」
「それは違います!」
「未来のあるガキが知った風な口を利くんじゃねえ! 何度も、何度も、何度も! 死に物狂いで努力したのに何も手に入れられなかった奴の気持ちが分かるか!? 自分は大した奴なんかじゃねえ、ドブ川の下でコソ泥やってたあの頃から何ひとつ前に進んじゃいねえって気付いた時の絶望が分かるかって言ってんだよ!」
食ってかかるような勢いで身を乗り出すジェイクさん。
剣呑な空気を感じ取った先輩が間に割って入ろうとするが、俺はそれを手で制した。
先輩には悪いが今は大事な話の最中だ。
今この瞬間、ジェイクさんは自己を守るための仮面を脱ぎ捨て、本当の意味で俺たちと向き合っている。その事実に比べれば俺の身の安全など二の次三の次だ。
俺はもう一度ジェイクさんの目を見る。
幾度となく挫折を経験し、もはや挑戦することを諦めつつある彼の気持ちが分かるかと聞かれれば、答えはひとつだ。
俺は静かに息を吸うと、
「そんなの、分かるに決まってるじゃないですか!!」
張り裂けんばかりの声で怒鳴り返した。
「誰だってカッコ悪い自分と向き合いたくない! 俺だって嫌だ! 恥ずかしいし、みっともないし、無力感とやるせなさでいつだって死にたくなる!」
ジェイクさんに負けじと本音を爆発させると、それすらも上回る勢いで感情をぶつけた。
「だからメイド学科がここに来たんです。世界一恐ろしい魔物と戦う冒険者を助けるために!」
「は? ま、魔物ぉ?」
素っ頓狂な発言に気勢を削がれるジェイクさん。対する俺は大真面目にうなずいた。
「その通りです。人を脅かす者。闇に隠れてその命を食らう者。それはもう魔物以外の何物でもないでしょう」
「お、おう……?」
「だったら話は簡単です。魔物相手に一人で戦う必要はありません。パーティーを組んで、全員で挑めばいいんです。勝つために手段は選ばない。囲んでボコって骨まで食らう。それが俺たち冒険者の流儀でしょう! 違いますか!?」
あまり大きな声を出せばトロールに気付かれるかもしれない。あるいはガルムを呼び寄せるかもしれない。
だが、そんなことを考えるのは後でいい。
突如としてキレ始めた俺に思わずたじろぐジェイクさん。戸惑いながら様子をうかがう先輩。
2人の視線にさらされながら、俺は息継ぎすら惜しむように言葉を畳み掛けた。
「頑張って、必死に頑張って、全力であがいても、その先に待っているのはどうしようもない絶望かもしれない。絶望を恐れるのはいたって普通のことです。足がすくむのも無理はありません。だけど仲間がいれば勝率は上がります。互いの弱点を補えます。万一負けても、みんなで慰めあうことができます。それってすごく大切なことだと思うんです」
それこそが冒険学部で学んだ教訓であり、同時にメイド学科で教えられたことでもある。
困ったら他人に頼る。言葉にすれば当たり前のことだが、これがなかなか難しい。自分自身のこととなると、なおさらだ。
そんな時に黙って傍観を決め込むくらいなら、俺は自分のエゴを押し付ける方を選ぶ。メイド三訓とかいう訳のわからないものより、俺にとってはこっちの方が重要だった。
「これまでのジェイクさんは失敗ばかりだったかもしれません。だけど今回は事情が違う。ここにいるのはジェイクさんだけじゃありません。俺たちがいます。1人ではできないことも、3人ならできるかもしれない。だったら賭けてみる価値はあります。本気になる意味はあるんです」
「だから」と続けながら、俺は自分でも驚くほど好戦的な笑みを浮かべた。
「やりましょうよジェイクさん。数は力です。3対1で、絶望を袋叩きにしてやりましょう。きっと楽しい。最高の思い出になりますよ」
メイド三訓その3:笑顔は最高の奉仕




