第1話 メイドさん、ダンジョンに立つ
深い深い地の底へと続く、巨大な洞窟が広がっていた。
迷路のように枝分かれした道。暗がりの向こうから聞こえてくる、魔物のうなり声。吹き抜ける風は生暖かく、かすかに血の匂いがした。
ここは謎と危険に満ちあふれた魔の領域。文明の光すら届かないこの場所を、人々は魔物たちの地下牢獄──ダンジョンと呼んでいた。
そして、俺は。今まさに。世にも恐ろしいダンジョンの真っただ中で。
メイドさんにお世話されていた。
「若鶏と春野菜のロースト、ラップ茸のソテー、こちらはアップルパイでございます。チキンのソースはソウタ様のお好みに合わせて濃いめにしておりますのでご安心を」
場違いなほど真っ白なテーブルクロスの上に、これまた場違いに彩り豊かな料理が並べられていく。
椅子やテーブルは折り畳み式とは思えないほど格調高いデザインをしており、土ぼこりをさえぎる天幕はビロードのような生地で仕立てられていた。
気分はさながら高級ホテルのフルコース。少しでも気を抜くと、ここがダンジョンの中であるという事実を忘れそうになる。
まるで白昼夢でも見ているような錯覚に囚われながら、俺は目の前のメイドさんに呆れた視線を向けた。
「あの……ミスティア先輩? さすがに俺一人じゃこんなに食べきれないんですけど……」
返事の代わりに素敵な営業スマイルを見せるメイドさん。どうやら俺の意見を考慮するつもりは無いらしい。
手品みたいに増えていく料理の数々に圧倒されながら、俺は忙しなく動き回るメイドさんの姿を目で追いかけていた。
歳は十代後半。桃色の長髪と透き通るような青い目を備えた、気品のある少女だった。
服装は白と黒を基調としたメイド服に、フリルの付いた純白のヘッドドレス。ふわりとしたロングスカートの下に見えるのは、艶やかな黒のパンプスだ。
基本に忠実でありながらもエレガントな雰囲気を漂わせるコーディネート。いわゆるお手伝いさんというよりも、貴族の屋敷で働くメイドさんに近い。
外見だけでなく立ち居振る舞いも堂に入ったものだ。全ての動きに無駄がなく、かつ洗練された美しさを兼ね備えている。
清楚、華麗、貞淑、謙虚……まさに人々がイメージするメイド像を体現したような少女だ。
もっとも、彼女の人となりを知る俺からすれば、そのイメージに「したたか」とか「図太い」といった単語を付け加えたくなるのだが。
と、そんなことを考えているうちに配膳が終わったようだ。
ずらりと並んだ絶品料理が宝石のような輝きを放ち、食欲をそそる匂いが一斉に漂ってくる。まるで料理自身が食べてくださいと誘っているかのようだ。
……と思ったらウチワで扇いでいたのか。芸が細かいというか何というか……。
「さあ、冷めないうちにお召し上がりくださいませ」
メイドさんは素知らぬ顔でウチワを仕舞うと、戸惑う俺を促した。
一応言っておくが、不味そうだから躊躇しているわけではない。
この人が作る料理は間違いなく美味い。それは分かっている。
問題は、これが二度目の昼ご飯だということだ。
「召し上がれって言われても……さっきみんなでご飯を食べたばかりじゃないですか。どうして俺だけ追加でご飯が出てくるんですか?」
思いきって疑問をぶつけてみる俺。メイドさんは楚々とした動作でうなずくと、
「おそれながら、先ほどの食事だけでは不十分と判断いたしましたので」
「不十分? どうしてですか?」
「他の皆様が何杯もおかわりをなさっているというのに、ソウタ様は普段の半分以下の量しかお召し上がりになっていませんでした。これでは体が持ちません」
叱るような口ぶりのメイドさん。俺は慌てて理由を説明した。
「これから魔物と戦わなきゃいけないから、腹八分目にしておこうかなって。俺は前衛ですから、お腹がパンパンに膨れた状態で魔物とどつき合いをするのはできるだけ避けたかったんです」
「それこそ本末転倒というものです。命懸けの戦いが控えているというのに、ソウタ様はひとかけらのパンとベーコンの切れ端を最後の晩餐になさるおつもりですか?」
「いや、まだ死にたくはないですけど……」
「でしたらなおのこと、しっかりとした食事をお取りくださいませ」
淑やかだが有無を言わせぬ口調。そして押し切られるようにフォークを手にする俺。知り合ってから1年経つが、この人を口で言い負かせたことは一度もなかった。
「よろしいですか? 食とは力であり、命であり、冒険者の強さの源でもあるのです」
無言で料理と向き合う俺の耳に、朗々とした声が響いてくる。
「パサパサのオムレツが巨人の一撃を受け止められるでしょうか? 冷え切ったスープがドラゴンの咆哮に抗えるでしょうか? 答えは否、でございます。
脆い小石で堅固な城は築けません。日々の小麦一粒、水一滴から戦いは始まっているのです。一流の冒険者を目指すのであれば、そのことをしかと胸に留め置いてくださいませ」
「わ、分かりましたよ。そこまで言われたら食べないわけにはいきません」
「ご理解いただけたようで何よりでございます。腹が減っては魔物は討てぬ。ジューシーなチキンと熱々のアップルパイで立ちふさがる敵を薙ぎ倒しましょう!」
「誤解を招く表現だなぁ……」
腕を振って豪語するメイドさんに後押しされ、俺はようやく料理に手を付けた。
自己紹介が遅れたが、俺はソウタ。
地球生まれの地球育ちだが、ひょんなことから異世界に飛ばされてしまった。ゴブリンやエルフが当たり前のように存在し、ドラゴンが雄々しく空を舞う、剣と魔法のファンタジックな世界に。
この辺の事情を詳しく説明すると長くなるので、その話はまた今度にしよう。それより今は、俺の側で優雅な笑みを浮かべる謎のメイドさんについて語るべきだろう。
彼女の名はミスティア。
この世界の住人であり、俺が所属する冒険者養成機関──ヴィエッタ学園冒険学部の生徒だ。俺よりひとつ上の3年生なので、俺は彼女のことを先輩と呼んでいる。
魔物がはびこるこの世界において、戦闘と探索のスペシャリストである冒険者は社会の維持に欠かせない存在だ。冒険者の卵である俺たちもまた、責任の一部を担っている。
俺たちは学業と鍛錬に精を出す傍ら、クエストをこなして人々の暮らしを助ける。あるいは魔物を倒して平和を守る。
今回は後者だ。新たに発見された魔物に対処するため、俺たち冒険学部生はパーティーを組んでダンジョンの奥へとやってきた……というわけだ。
(とはいえ、今のところはほとんど飲み食いしてるだけなんだけど……)
運がいいのか悪いのか、目当ての魔物は一向に現れる気配が無い。
他のクラスメートが偵察に向かっているが、帰ってくるのはいつになることやら。あまり遅いとデザートが追加されかねない。
とりとめのない思考を巡らせながら、アップルパイの濃厚な甘味に舌鼓を打つ。たとえ2度目の昼ご飯だとしても、美味いものは別腹なのだ。
先輩はそんな俺の様子を満足そうに眺めていたが、ふと何かに気付くと、
「ソウタ様、しばしお待ちを」
ハンカチを手にした先輩が俺の頭にそっと触れる。
数秒ののち、彼女がつまみ上げたのは小さな砂粒の塊だった。
「あ、ありがとうございます。さっき見回りに行った時に付いたのかな……」
「お気を付けくださいませ。身だしなみにも気を使ってこそ一流の冒険者でございます」
「まだ見習いですけどね」
「心は錦と申します。それに、こうしたささいなことの積み重ねが生死を分けることもございますので」
「さすがメイド学科のエースって感じですね。プロ意識が高い……」
冒険学部には多種多様な学科が存在し、生徒たちはそこで様々な技能を学ぶことができる。
戦士学科は近接武器の扱い方を。黒魔術学科は攻撃用の魔術を。中には爆破学科や魔物使い学科なんて変わり種もある。
ミスティア先輩が所属するのはその中でも異端中の異端、メイド学科だ。
メイド学科は戦いに関する技能を何ひとつ教えない。
主な活動内容は炊事に洗濯、そしてお裁縫。それ以外にも色々あるが、どれを取ってもダンジョン探索や戦闘に直接寄与するものではない。
やっていること自体はごく一般的なメイドの業務とほとんど同じ。ある意味冒険者とは対極に位置する職種であり、一見するとそこに学ぶ価値など無いように思える。
しかし、だからこそ、それはとても重要な仕事なのだ。
「百戦錬磨の英雄であろうと、日々の生活なくして強さを維持することなどできません。お腹が減れば動きが鈍り、徹夜が続けば思考が鈍ります。偶然目に入った砂粒が忍び寄る魔物の姿を隠してしまうかもしれません。だからこそ、わたくしどもメイドがお世話しなければならないのです」
教えを説く司祭のようにメイドの重要性を語る先輩。
冒険者が生身の人間である限り、衣食住の問題は切っても切り離せないものだ。
灼熱の洞窟に挑むこともあれば、不衛生な沼地に迷い込むこともある。時には味気ない保存食だけで何日も生き延びなければいけないことだって。
過酷な環境は冒険者の心身を着実に衰えさせる。弱りきった彼らを待ち受ける運命は、多くの場合悲惨なものだ。
ゆえに、メイドが必要なのだ。
他者への気配りに長けた奉仕のエキスパート。あらゆる家事に精通し、パーティー全体のコンディションを最高に保ち続ける縁の下の力持ちが。
「……というわけで、ソウタ様もそろそろ本格的にメイドの修行を始めてみるつもりはございませんか? いつまでも掛け持ちのまま、というのも据わりが悪いかと存じますが」
「いやまあ、それは……そのうち考えるってことで」
で、実を言うと俺もちょくちょくメイド学科の講義を受けていたりする。
とはいえすでに別の学科をメインにしているため、あくまでもサブというか、人手が足りない時の助っ人的な立ち位置に過ぎない。
自分でも半端なことをしている自覚はあるのだが、こればっかりは許してほしい。
メイド学科の活動にどれだけ興味があったとしても、俺は男の子なのだ。いざという時のために鍛えておきたいと考えるのは自然なことだと思う。
あと、本格加入したらメイド服を着せられそうで怖い。
いや、さすがに男なら燕尾服だと思うんだけど、万が一ということもある。平気な顔してとんでもないことをしでかすのがミスティア先輩という人なのだ。
「いかがなさいましたか? 食が進んでいらっしゃらないようですが……」
「いえ、何でもありませんよ?」
じっと探るような視線が怖い。先輩が変な気を起こす前にと、俺は急いで料理を平らげることにした。
「実に良い食べっぷりでございます。メイドとして長く働いておりますが、浅ましくがっついていらっしゃる殿方ほどそそるものはございません」
「先輩って本当にいい趣味してますよね」
「恐縮です」
「褒めてないんだよなぁ……」
先輩は「まあ」とわざとらしく驚いて、
「でしたら大衆向けの表現に差し替えさせていただきます。"美味しく食べてくださってありがとうございます"、と」
「……まあ、それなら」
「ふふっ」
彼女は密やかに笑うと、俺の耳元にそっと唇を寄せた。
「他にも食べたいものがありましたら、いつでもお申し付けくださいませ。他の皆様には内緒で、特別に奮発させていただきます」
特別、の部分に熱を込める先輩。
俺は思わず息を飲み、
「……お代はいかほどで?」
「時価でございます」
「リスクが高すぎる……」
全ての皿を空にして、差し出された紅茶で一服することしばし。満腹感で気が抜けつつあった俺の耳に、いくつかの足音が聞こえてきた。
小さく規則的な足音は魔物のものとは違う。偵察に出ていたクラスメートたちが帰ってきたのだ。
「おいソウタ、サボるのはその辺にしとけや。やっこさん、とうとうお出ましだぜ」
「急いで急いで! もうすぐそこまで来てるよ!」
キャンプから出た俺たちは、クラスメートの先導に従ってダンジョンの奥へと足を進めていく。
ダンジョンとはこの地域一帯に広がる大規模な地下トンネルの総称であり、同時に魔物たちの住処でもある。
ダンジョンが発見されてからかなりの時間が経過しているが、その全容を把握できた者は誰一人としていない。
それだけならいい。固い地面の下に何が埋もれていようと、どれだけの魔物がいようと地上にいる俺たちには関係ない。できることならお互い不干渉でいたいものだ。
ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。
というのも……この魔物たち、どいつもこいつもエサを求めて地上にやってくるのだ。
「……あれが討伐対象か」
大きな角を曲がったところで、俺は足を止めた。
闇の中から近付いてくる強烈な敵意。
肌を刺すような冷気と共に、白い何かが姿を現した。同時に先輩が手配書をめくり、
「確認いたしました。氷の魔物ジェド・マロースに間違いありません。情報通り地上へと向かっているようです」
それは巨大な雪だるまの魔物だった。だが、クリスマスに街角で見かけるような可愛げのある雪だるまではない。
切り立った氷河のように厳めしい体。血走った目。つららでできた牙の隙間からは、吹雪のような吐息が絶え間なく流れ出ている。
もう一目で分かる。こいつとは絶対に分かり合えない。死にたくなければ、戦うしかない。
他のメンバーが慌ただしく迎撃の準備を整える中、俺は後ろにいた先輩に声をかけた。
「先輩、ジェド・マロースが地上に出るまでどれくらい掛かりそうですか?」
「早くて2日。遅くとも3日でダンジョンの入り口に到達するものと思われます」
「つまり、俺たちが失敗したらもう間に合わないってことですね」
「左様でございます」
ため息のような返答に、俺もため息で応じた。
これが冒険者の立ち向かうべき脅威だ。
今や多くの魔物がダンジョンを"脱獄"し、地上を徘徊している。水際で食い止めようにも、各地に点在するダンジョンの入り口を全て封鎖することは現実的ではない。
それでも、可能な限り防ぐことはできる。危険度の高い魔物をあらかじめ処理しておくだけでも、地上の負担は大きく減ることだろう。
軍隊は地上の魔物に手いっぱいで、ダンジョンの内部にまで手が回らない。たとえヒヨッコの見習いであろうと、冒険者である俺たちがやるしかないのだ。
決意を新たに、強大な魔物とにらみ合う俺たち。先輩の声が聞こえたのはその時だった。
「皆様、これを!」
投げるように渡されたのは一着のジャケットだった。
厚手の生地を使用したフード付きの防寒着だ。襟元にはモコモコの毛皮が縫い込んであり、裏地に触れると陽だまりのような暖かさを感じた。
「布地にサラマンダーのウロコを縫い合わせた特別製でございます。ジェド・マロースの冷気で皆様が凍えぬようにと夜なべして作りました」
「こんなに手間のかかるものを人数分作ったんですか? 俺たちのために?」
「お気になさらず。これがわたくしの務めですから」
先輩は恭しく一礼すると、仕事は終わったとばかりに踵を返した。
彼女は決して振り返らない。なぜなら俺たちの勝利を誰よりも信じているからだ。自分の役目は戦いの結末を見届けることではなく、帰ってきた俺たちを笑顔で出迎えることだと知っているからだ。
彼女はこれからキャンプに戻って温かいお茶の支度を始めるのだろう。ならば、俺たちのやるべきことはひとつだ。
「いってきます、先輩」
「いってらっしゃいませ、ソウタ様。お早いお帰りを」
暖かい言葉を背中に受けた俺は、防寒着に素早く袖を通した。
そして走り出す。
魔物との死闘? いいや。楽しいお茶会の前に、ちょっとした腹ごなしをするだけだ。
コンディションは万全。モチベーションは最高。負ける気はしなかった。
俺達には最高のメイドがついているのだから。
この物語は世界の真実に迫る冒険譚でもなければ、勇者が魔王を倒す話でもない。
冒険者とメイド。俺と先輩。
誰でもない者たちが繰り広げる、ありふれた日常の物語だ。
本日中に5話まで投稿します。




