第四話 『断罪と終焉』――全ての真実が暴かれた時、元カノは絶望に顔を歪ませ、俺は新しい恋と最高の明日へ歩き出す
秋晴れの空の下、赤と白の回転灯がけたたましく回り、サイレンの音が学園の敷地内に不協和音を奏でていた。
文化祭の喧騒は、すでに別の種類の興奮と恐怖へと変わっている。
特設ステージの上で、蛇神錬次は二人の警察官に両脇を抱えられていた。
かつて爽やかで生徒思いの教師として通っていた男の面影は、もはや微塵もない。高価なスーツは乱れ、脂汗で額の髪が張り付き、充血した目は泳ぎ続けている。
「は、離せ! 離せよ! 俺は何もしていない! これは生徒の狂言だ!」
蛇神は往生際悪く叫び散らすが、警察官の一人が冷徹な声で告げる。
「署で話を聞きます。証拠は揃っているんですよ、蛇神さん。横領だけじゃない、未成年者に対する淫行疑惑についてもね」
その言葉に、蛇神の顔色が土気色に変わる。そして、あろうことか彼は、近くでへたり込んでいる璃々花を指さして叫んだ。
「そ、そうだ! あの女だ! 姫川璃々花が俺を誘惑したんだ! 俺は被害者だ! 生徒に脅されて、仕方なく……!」
その醜悪な責任転嫁の言葉は、マイクを通してグラウンド全体に響き渡った。
璃々花がビクリと体を震わせ、虚ろな目で蛇神を見上げる。
「……え?」
「全部お前が悪いんだ! 俺の人生を返せ! この売女が!」
蛇神は口汚い罵声を吐き散らしながら、パトカーへと押し込まれていった。
愛を囁き、甘い言葉で自分を肯定してくれた「大人の男性」の最後の言葉が、自分への罵倒だったこと。その事実は、璃々花の心を完全に粉砕するのに十分だった。
「嘘……嘘よ……先生、愛してるって……」
璃々花は乾いた唇でそう呟き、ガタガタと震え出した。
周囲の生徒たちからは、軽蔑と嫌悪の視線が突き刺さる。
「うわ、見苦しい」「自分のこと棚に上げて」「結局、似た者同士だったってことか」
かつて彼女を崇拝していたファンたちの声は、今は鋭利な刃物となって彼女の全身を切り刻んでいた。
俺、九頭竜咲夜は、その光景を冷ややかな目で見下ろしていた。
隣には、天城夜空が静かに佇んでいる。
「……終わったわね。あっけない幕切れ」
「ああ。あんな男に騙されて、俺を裏切った代償だ」
俺たちが立ち去ろうと踵を返したその時、璃々花が這うようにして俺の足元にすがりついてきた。
「さ、咲夜くん……待って……!」
彼女の手が俺のズボンの裾を掴む。俺は汚いものを見るような目でそれを見下ろした。
璃々花の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、かつての美貌は見る影もない。
「ごめんなさい……私、どうかしてたの。先生に洗脳されてて……本当は、咲夜くんのことしか好きじゃないの。信じて……!」
彼女は必死に訴えかけてくる。
『洗脳されていた』『被害者だった』というポーズを取れば、優しい俺なら許してくれると思っているのだろうか。
その浅はかな計算高さが、余計に俺の神経を逆なでした。
「……離せ」
「い、嫌っ! お願い、見捨てないで! 私にはもう咲夜くんしかいないの! やり直そう? ね? 昔みたいに……」
「昔?」
俺は鼻で笑った。
「昔の君はもう死んだんだよ。俺の中でな」
俺は屈み込み、彼女の耳元で、誰にも聞こえないように囁いた。
「あの映像を見たよ。君が俺のことを『いらない』って言って、あいつと笑い合ってる映像を。……あれを見て、俺が君を愛せると思うか?」
璃々花の瞳が見開かれ、絶望の色が広がる。
彼女はようやく理解したのだ。自分の犯した罪の重さと、それが絶対に取り返しのつかないものであることを。
「あ、あぁ……」
「さようなら、姫川さん。二度と俺に関わらないでくれ」
俺は彼女の手を振り払い、夜空と共に歩き出した。
背後で「いやぁぁぁぁッ!」という、獣のような悲鳴が聞こえたが、俺は一度も振り返らなかった。
***
騒動の翌日。
俺と夜空は、理事長室に呼び出されていた。
重厚な革張りのソファに深々と座っているのは、夜空の祖父であり、この学園の理事長を務める天城厳だ。
その向かいには、校長、教頭、そして学年主任が直立不動で並び、滝のような汗を流している。
「……して、今回の不祥事。どう落とし前をつけるつもりだ?」
理事長の低い声が部屋の空気を凍りつかせる。
校長が震える声で弁明を始めた。
「は、はい……蛇神教諭については懲戒免職とし、警察の捜査に全面的に協力します。九頭竜くんの処分は撤回し、名誉回復に努める所存で……」
「努める、ではない!」
ドンッ! と理事長が杖で床を突いた。
「貴様らが九頭竜くんの訴えに真摯に耳を傾け、適切な調査を行っていれば、ここまでの事態にはならなかったはずだ! 『事なかれ主義』で生徒一人の人生を潰そうとした罪、万死に値する!」
「ひっ……!」
「校長、教頭、および学年主任。貴様らには本日付で懲戒解雇を言い渡す。退職金など出ると思うな。管理責任を問われる覚悟をしておけ」
三人の教師はその場に崩れ落ちた。
特に、俺を威圧的に尋問した学年主任は、顔面蒼白で俺の方を見たが、俺は冷たく視線を逸らした。因果応報だ。
「そして、九頭竜くんをいじめていた生徒たちについてだが……」
理事長は手元のリストに目を落とした。そこには、俺への誹謗中傷を行ったり、嫌がらせをした数十名の生徒の名前が連なっていた。夜空が解析して特定したリストだ。
「彼らには無期停学、および大学への推薦取り消し処分を下す。我が校の品位を貶めた者たちに、未来への切符を渡す義理はない」
それは、進学校であるこの学園の生徒にとっては、死刑宣告にも等しい処分だった。
俺は小さく息を吐いた。これで、俺を苦しめていた全ての元凶が排除されたことになる。
「九頭竜くん。君には辛い思いをさせたな。詫びて済む問題ではないが、学園として最大限の補償を約束しよう」
理事長が頭を下げる。
俺は慌てて首を振った。
「いえ、理事長……それに、夜空さんがいなければ、僕は今頃どうなっていたか分かりません。彼女に救われました」
俺が隣の夜空を見ると、彼女はふん、と顔を背けたが、その耳が赤くなっているのを俺は見逃さなかった。
「……当然のことをしたまでよ。私の学園が汚されるのが我慢ならなかっただけだわ」
「はっはっは! こりゃあいい。孫娘が男を連れてくるとはな」
理事長が豪快に笑い、部屋の空気が少しだけ緩んだ。
***
教室に戻ると、空気は一変していた。
俺がドアを開けた瞬間、騒がしかった教室内が水を打ったように静まり返る。
かつて俺の机に花瓶を置いた連中、教科書を破いた連中。彼らの席は空席になっていた。停学処分を受けたからだ。
残った生徒たちも、俺と目を合わせようとしない。恐怖と、罪悪感と、そして媚びへつらうような卑屈な色が混じっていた。
「よ、よう九頭竜……おはよう」
以前、俺を無視していたクラス委員の男子がおずおずと声をかけてきた。
「あのさ、俺たち、騙されてて……お前のこと疑って悪かったよ。ほら、蛇神が全部悪いんだし、俺たちも被害者っていうか……」
俺は自分の席にカバンを置きながら、彼を冷ややかな目で見つめた。
「被害者? お前が俺の机に『死ね』って書いたこと、忘れたわけじゃないよな?」
「えっ……い、いや、あれは周りの空気に流されて……」
「流されれば、人を傷つけてもいいのか? 謝ればそれで済むとでも?」
俺の一言に、彼は口をパクパクさせて押し黙る。
クラス中が凍りついた。
「許してほしいなら、言葉じゃなくて行動で示せ。……まあ、俺はお前らと仲良くするつもりはないけどな」
俺は教科書を開き、彼らを視界から消した。
もう、彼らの機嫌を伺う必要はない。俺は俺の道を行く。孤独かもしれないが、以前のような惨めな孤独ではない。尊厳ある孤高だ。
それに、今の俺はもう一人じゃない。
放課後。
俺は屋上への階段を登っていた。
重い鉄の扉を開けると、夕焼けに染まった空と、風に揺れる銀色の髪が目に入った。
天城夜空。
彼女はフェンスに寄りかかり、街を見下ろしていた。
「遅かったじゃない」
彼女は振り返り、悪戯っぽく微笑んだ。
「悪い、ちょっと担任と話しててさ。新しい担任、随分と腰が低くてやりづらいよ」
「ふふ、私の祖父に締め上げられた直後だからね。しばらくは、あなたはこの学園のVIP扱いよ」
俺は彼女の隣に並び、同じ景色を見つめた。
眼下には、平和な日常が広がっている。
あの騒動の後、蛇神は逮捕され、ニュースで大々的に報じられた。借金まみれだったことも発覚し、示談金も払えず、実刑は免れないだろうと言われている。
璃々花は、家庭崩壊の末に自主退学したと聞いた。噂では、遠くの親戚の家に預けられ、転校先でも「教師と不純異性交遊をして学校を追い出された女」という噂が広まり、引きこもり同然の生活を送っているらしい。
彼女たちが味わっている地獄を思うと、胸がすくような思いと同時に、哀れみすら感じる。
だが、もう俺には関係のないことだ。
「ねえ、咲夜」
夜空が不意に俺の名前を呼んだ。
「ん?」
「私との契約、まだ覚えてる?」
「契約? ……復讐を手伝う代わりに、俺のITスキルを貸すってやつ?」
「そう。復讐は終わったけれど……契約終了にするつもり?」
夜空は少し不安そうに、長い睫毛を伏せた。
その表情を見て、俺の心臓がトクンと跳ねる。
いつも強気で、冷徹な彼女が見せる、年相応の少女の顔。
俺は彼女の方へ向き直り、その小さな手をそっと取った。
「契約終了なんて言わせないよ。……俺は、これからも君の隣にいたい」
「……え?」
「最初は利害関係だけだったかもしれない。でも、今は違う。俺は、夜空のことが好きだ。君がいてくれたから、俺は自分を取り戻せた。これからは、俺が君を守りたい」
俺のストレートな言葉に、夜空の顔がみるみる赤く染まっていく。
彼女は口をパクパクさせ、視線を泳がせた後、小さく咳払いをした。
「……な、生意気ね。私を守るなんて、百年早いわよ」
そう言いながらも、彼女は俺の手を握り返してくれた。その指先は温かく、強く。
「でも……あなたがそう望むなら、特別に許可してあげる。私の隣に立つ権利を、あなたにだけあげるわ」
「ありがとう、お嬢様」
「もう、その呼び方はやめてってば」
俺たちは顔を見合わせ、初めて心からの笑顔を交わした。
夕日が二人の影を長く伸ばし、一つに重ねていく。
かつて俺は、全てを失ったと思っていた。
信頼も、愛も、居場所も。
だが、瓦礫の中から立ち上がり、戦った先で手に入れたものは、以前よりもずっと輝かしく、強固な絆だった。
「さあ、帰ろうか。夜空」
「ええ。……明日も、明後日も、よろしくね。咲夜」
俺たちは手を繋ぎ、夕闇の迫る街へと歩き出した。
冤罪から始まった地獄の日々は終わりを告げ、俺たちの新しい物語が、今ここから始まろうとしていた。
それはきっと、どんな過去よりも明るく、幸せに満ちた日々になるはずだ。




