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寮に帰ってからもスイレンはさっき見た光景が頭を離れない。
『あれ……なんだったんだ?最後の、キ、キ、キスしようとしてた?』
平凡で目立たない人生を目指すあまり恋愛と無縁で生きてきてしまったスイレンにとって、コハク達の甘い雰囲気は完全にキャパオーバーだった。
『ていうか、あの2人付き合ってたのか⁉︎仲良さそうだとは思ってたけど……あれ?でもキトラがどうとか言ってたよな。シエンさんは指輪してるけどコハクさんはしてないし。え?どうゆうことだ?』
断片的な情報しかないゆえに全体像が見えずスイレンは頭を抱える。だが、キャパオーバーで上がってしまったテンションは思考をあらぬ方向へ向かわせた。
『まさか!キトラって人はコハクさんの前の彼氏ですでに亡くなってるんじゃ……そこへ以前からコハクさんが好きだったシエンさんが猛アプローチして2人は両思いになったけど、キトラさんを忘れられないコハクさんはシエンさんに贈られた指輪をつけられずにいるとか⁉︎うわ!なにそれ!キュンキュンするんだけど!』
恋愛経験はゼロだが恋愛物は好きなスイレンは、自分の導き出した妄想に勝手に悶え出す。そして1人リビングでバタバタ暴れながら、さらに妄想を膨らませていくのだった。
あの後も妄想は進みに進んだ。ウタハはキトラの子供でキトラ亡き後コハクが育てているからシエンと一緒に暮らせないという所までいったところで、スイレンは流石に疲れてベッドに向かった。
しかし興奮であまり眠れなかったため翌朝は眠たそうにあくびしながらの出勤となった。2班の部屋へ向かおうと廊下を歩いているとトゲだらけの声がかけられる。
「配属3日目であくびしながら出勤とはいいご身分だな」
「………ホムラさん」
昨夜も寮で全く顔を見ることのなかったルームメイトがしかめ面で立っている。部屋にいた痕跡はあるのでスイレンが寝てから帰り起きる前に出て行ってるようなのだが、いったいどんな生活をしているのかスイレンには謎だった。
「今日はコハクさんが午前中いないから、俺達と行動するぞ」
「え?」
「なんだ?聞いてなかったのか?」
「はい。午前中いないことも。ホムラさん達と行動することも」
「昨日アイヒさんの話を一緒に聞いたなら俺達と行動するのはわかるだろう」
「?」
なんのことやらという顔をするスイレンにホムラのしかめ面が更に深くなる。
「……まさかそれも聞いてないのか?」
「はい。何も」
「まったく。あの人は」
はあっと疲れたため息をつくホムラ。だがその顔はいつもの張り詰めた表情とは違って、素のホムラが垣間見えた気がした。
「……なんだ?」
「いえ。ホムラさん、そんな顔もできるんだなと思って」
自然体な姿を見てしまったことでスイレンもポロッと本音を口にだしてしまう。
『しまった!こんなの先輩に言う言葉じゃないだろ!』
スイレンは出てしまった発言をフォローするために言葉を続けようとするが、ホムラを見て止まってしまう。ほんの一瞬顔を出した本当のホムラは、再び冷たい表情に隠されてしまったからだ。
「余計な話はしないと言っただろ。すぐにシエンさんのところに行くぞ」
踵を返して2班に向けて歩き出すホムラをスイレンが追いかける。
『なんか残念だな。もっと素のホムラさんが見たかったのに』
失礼な態度に怒りしかなかったはずなのに、僅かに見えた仮面の下がやけに気になる。もやもやと何かが芽生えかけているのにそれが何なのかわからず、スイレンは心の隅に気持ちを押し込んだ。
諸々の説明はコハクが来てからということで、午前中はシエン達から書類の書き方を学んだり色々な説明を受けて時間が過ぎて行く。はっきり言ってコハクよりもわかりやすく簡潔な説明に、やっぱりコハクが教育係に選ばれた理由がわからない。そんなことを考えているとコハクが出勤してきた。
「おはようございます。早かったですね」
「カグラ忙しいみたい。言いたいことだけ言われて追い出されたよ」
「相変わらずですね」
知らない名前の登場にスイレンは横で話を聞いてるしかできない。
「でも情報を引きだせるってのは糸関係で間違いなさそうだよ。俺達の出番だね」
「それについて話をする前に。コハクさん。スイレン君に糸のこと何も話してませんね」
「あ。そうだ。今日話そうと思ってたんだった」
「………すぐに説明してあげてください。何も知らずに戸惑っていて可哀想です」
シエンの呆れを含んだ視線にコハクがあははと笑ってごまかす。
そのまま会議室に移動して説明を始めるコハクの声は、とても優しいものだった。
「話すのが遅くなってごめんね。昨日アイヒさんが俺向けの案件って話をしてたよね。気づいてると思うけど、俺は2班の中でみんなとは違う役割を担ってるんだよ」
今までの違和感の答えがいよいよ知れる。期待と緊張でスイレンの体に力が入る。
「それは糸による特殊犯罪の捜査」
「……糸による特殊犯罪?」
「そう。公にはされてないけど、糸を使って魔法のようなことができる人達が存在するんだ。幻覚を見せたり、記憶を消したり、……毒を作り出したり。そういった特殊な能力によって引き起こされた犯罪に対処するのが俺の役目」
糸による特殊な能力。自分にだけ見えている光を思い出してスイレンの体が微かに震えた。
「なんでコハクさんがそんなことを?」
「それはね。俺も糸で色んなことができるから。初日に強盗団に囲まれた時、タイミングよくシエンくん達が来てくれただろ。俺の糸はシエンくんと繋がってて、お互いの居場所や危険を感じられるようになってるんだ。誰相手でもできるわけじゃないから、今のところ繋がってるのはシエンくんだけだけどね。これが俺の能力の1つ」
スイレンの震えが強くなる。特殊な人間が特殊な人間を捕まえる。なら、ここに自分がいることの意味は………。
「……なんで俺が選ばれたんですか」
「……スイレンくんには何が見えてるのかな?」
問いかけられた声はとても優しいものだった。だが自分に何かが見えているのがバレている状況にスイレンは恐怖しか感じられない。
「俺……あの……すみません………失礼します!」
逃げるようにその場を走り去るスイレン。残された3人は突然のことに呆気に取られている。
「………俺、失敗しちゃった?」
自分を指差して泣きそうな顔をするコハクにシエンも困った表情を向ける。
「まさかあそこまで怖がると思いませんでしたね」
「可哀想なことしちゃったな。とりあえず追いかけないと」
「あの……」
スイレンを追いかけようとするコハクをホムラが引き止める。
「俺に行かせてもらえませんか?」
寮にはろくに帰らずスイレンと顔を合わせれば不機嫌極まりない表情しか見せていないホムラの申し出に、コハクとシエンは考え込む。
「……えっと、任せていい?」
「はい。いってきます」
戸惑いがちに指令を出すコハクに力強く頷いて、ホムラがその場から立ち去る。残り2人は何ともいえない顔でそれを見送った。
備品室の奥でスイレンが体育座りをしている。備品の管理は新人の仕事なのでめったに他の人が来ることはなく、更に奥まった場所があるので逃げ込むにはうってつけの場所だった。
『どうしよう。逃げてきちゃった。まさか光の粒のことを知ってるなんて。………なんて思われてるんだろ……』
膝に顔を埋めて恐怖に体を震わせる。すると頭上から声がかけられた。
「やっぱりここか」
顔を上げるとホムラがいつもの無表情で立っていた。
「なんでここが……」
「新人はだいたいここに逃げ込むんだよ。隠れてサボったり、泣いたり」
「………ホムラさんもこっそり泣いてたんですか?」
「……ノーコメントだ」
恥ずかしがる様子がいつもの仮面から少しだけ漏れ出ていておかしい。スイレンはちょっとだけ気持ちが軽くなった。
「秘密を知られることが怖いか?」
視線を合わせるように屈んだ赤い瞳が覗き込んでくる。炎のような色に吸い込まれそうだった。
「………」
「お前が何をどんな風に見ているのか俺は知らない。どんな思いで生きてきたのかも。でもコハクさんはお前の秘密に気づいて、お前の孤独に気づいて、色んな反対を押し切ってお前を2班に入れた。シエンさんもお前のために何ができるか考えてる」
2人をよほど信頼しているのだろう。ホムラの顔が初めて見せる優しい表情に変わる。
「それに……お前はこのままでいいのか?ずっと1人で秘密を抱えて、誰にも心を開けず、冷たく寂しいところで一生を終えていいのか?持って生まれたものは変えられないが、それとどう向き合うかはお前次第だろ」
赤い瞳が燃えている。そこにあるのは芯のある強さだ。その強さがスイレンの怯えて隠れようとする心に、そっと火をつけた。
「俺……抜け出したい。自分が何者なのかわからず震えて逃げ続けるのは……もう嫌だ」
「……よく頑張ったな」
頭をくしゃりと撫でられる。温かいその手は、確かな安心をスイレンに与えた。
「さて。戻るぞ。コハクさんとシエンさんが待ってる」
「はい」
2人で会議室へ戻るために立ち上がる。歩きながらスイレンは少し気になったことをホムラに聞いた。
「なんでコハクさんは俺を気にかけてくれるんですか?反対を押し切ってまで自分のところに呼ぶなんて」
「ああ。まあ詳しくは本人に聞けばいいが………単純に苦しんでるヤツをほっとけない人なんだよ」
フワリと美しくホムラが微笑む。
その姿にスイレンの鼓動が大きく跳ねた。




