16
ホムラとのデートから数日後。スイレンは研究手伝いのためにカグラのもとを訪れていた。
「おはよう。ウツギ君。ここでの生活はどう?」
「意外と楽しいよ。俺は兄弟いないから弟ができたみたいで」
「そっか〜。俺もひとりっ子だからそれは羨ましいかも」
「あとカグラさんは……手のかかるペットみたいでちょっと面白い」
子供どころかまさかのペット扱いにスイレンが爆笑する。本人の前では絶対に言えないけどねとウツギは唇に指を当てた。
すると噂の張本人が現れる。
「なんだか楽しそうだねぇ」
「カグラさん。今日はよろしくお願いします。………寝不足ですか?」
リビングに入ってきたカグラは眠そうに目を擦っており、うっすらクマもできている。
その様子にキッチンで用事をしていたウタハの厳しい視線が飛んだ。
「………2時間は寝ました」
ウタハの視線が更に厳しいものになる。
「……スイレン君の用事が済んだら仮眠します」
やっとウタハの視線から解放され、カグラはホッと息を吐く。そのやりとりにウツギはやれやれと肩をすくめた。
「じゃあ、さっそく僕の部屋に来てもらおうか。ウツギ君はウタハの勉強をよろしくね」
「了解。ウタハ君、用事が済んだら今日は数学からやろうか」
ウタハは返事をしながらカグラにコーヒーとサンドイッチの乗ったお盆を渡す。それを受け取ってリビングを出ていく後ろ姿にスイレンがついていった。
カグラの部屋は壁一面本棚で囲まれており、ズラリとあらゆる分野の専門書が並んでいる。机の上も本や資料でいっぱいだ。
ベッドはあるが使われている形跡はなく、それ以外で唯一の家具であるソファの上に毛布が乱雑に置かれている。どうやらそこで寝起きしているようだ。
「さて。まずはこの映像を見てもらおうかな」
タブレットを取り出してきてみせられた映像には、コハクとシエンが映っている。ただ向き合って会話をしているだけの映像に、スイレンはどう反応していいか戸惑う。
「……やっぱり僕と同じようだね」
何かを確認し終えるとカグラはタブレットを机に置いた。
「今のはコハク君がシエン君の気持ちを落ち着かせている映像なんだよ。糸を使ってね」
その言葉にスイレンは先程の映像を思い返す。だが糸の光は見えていなかった。
「わかりやすいように目って表現をしてるけど、実際には糸の粒子は視覚で感じてるわけではないんだよね。第六感とでも言うべきか。とにかく全身で感じ取った情報を、理解しやすいように脳が視覚化してるっていうのが本当のところ」
「……はあ。だから映像だとわからなかったんですね」
「そういうこと。つまり目で見ることは関係ないんだよ。それは目を瞑ってようが壁の向こうだろうが遠く離れた場所だろうが、糸による何かが起これば感じとることができるということ。まずはその辺の感覚を鍛えるところから始めるのが良さそうだね」
ふむふむと楽しそうにカグラは紙に何かを書いていく。
「たしか君はホムラ君と同じ部屋だったよね。なら彼相手に毎日この訓練をしてもらおうかな」
そう言いながら渡された紙を見て、スイレンは言葉を失った。
カグラの話が終わり2人がリビングに戻ると、アイヒが来ていた。
「アイヒ君。いらっしゃい」
「邪魔してるぜ。なんかまたややこしいガキが増えたって聞いてな。様子見に来た」
自身も虐待を受けて救い出された経験があるため、アイヒは時々ウタハの様子を見に来ていた。
「あれ?お前コハクんとこの新人だろ?久しぶりだな」
「おひさしぶりです」
答えながらも心ここにあらずなスイレンにアイヒが訝しむ。
「どうした?なんか様子が変だな」
「能力を伸ばす訓練を言いつけたからね。緊張してるのかも」
飄々としているカグラの態度に嫌な予感がして、アイヒがメモを覗き込む。
「……なるほど。頑張れよ」
「……はい」
同情の眼差しを向けられてスイレンは更に途方に暮れていった。
スイレンがカグラの家に行っている頃。コハク達はトカゲの捜索のヒントになるものがないか、過去の通報などを洗いざらい調べていた。
「デート……デートかぁ。いいなぁ。甘酸っぱいなぁ」
「コハクさん、どうしたんですか?」
会議室で資料を見ながら頭に花の咲いているコハクにシエンが不思議そうな顔をする。
「スイレンくんに非番は何してたの?って聞いたらホムラくんとおでかけしてたんだって。自分のお気に入りの店に連れてったりしてたって。可愛いよねぇ」
「あの2人順調なんですね。そろそろ付き合うかな」
「キュンキュンするね〜。愛らし過ぎる!」
恋愛トーク大好きなコハクは後輩2人の恋愛事情に悶えている。
「コハクさんは非番は何してたんですか?」
「キトラは仕事だからウタハくんと遊んでました。まあアイツは休みでも疲れ果てて寝てただろうけどね。まだ家に帰ってくるだけマシだと思うことにするよ」
「残念な人ですね。本部に行かない方が良かったんじゃないですか?」
「まあ仕事に一生懸命なのはいいことだから、今はそういう時期なんでしょ。シエンくんは何してたの?」
「ロクイさんと博物館に行ってました。手作り弁当付きです」
「え〜。それ絶対おいしいやつ!」
キャッキャッと楽しそうに話していると追加の資料を取りに行っていたホムラが帰ってきた。2人を見て渋い顔をする。
「……それは人目につくところではやめてください」
資料を見ているシエンの腕の中にコハクがおさまっている。ホムラの苦情もあまり効果はなく、「ごめんね〜」と言いつつもしばらく2人は離れなかった。
昼過ぎにスイレンが署にやってきた。すぐに資料を調べている3人のところに顔を出す。
「お疲れさまです」
「お疲れ、スイレンくん。どうだった?」
「色々と勉強になりました。カグラさんてやっぱり凄いですね」
カグラに説明された内容を簡単に話し、渡された紙を少し戸惑いながらコハクに渡す。
「寮でこの訓練をホムラさん相手にやれって言われました。しかも毎日」
「……あらまあ」
内容を見たコハクは少しニヤニヤしてしまう。そのままホムラに声をかけようとしたところで、ゼンが部屋に入ってきた。
「コハク。ちょっといいか。お前向けの相談が来てる」
「俺向け?わかりました。すぐ行きます」
これについては後でねと紙をスイレンに返し、コハクは部屋を出ていく。中途半端な状態になってしまったスイレンは、ホムラに「お前も資料を調べるのを手伝え」と言われ机に座らされた。