12
警察署から車で30分ほどのところにその家はあった。
住宅街の一角に他の家と少し距離をおいて、メゾネットタイプの家が2つ繋がっている建物がある。その右側の家の駐車場に車が停まり、セキトとスイレンが降りてきた。
「セキトさん、ありがとうございました」
「どういたしまして。どうせ寮はここに来る通り道にあるからね。ついでだ」
2人がついたことに気づいて、車を停めたほうの家からコハクがでてきた。
「スイレンくん、いらっしゃい。セキトさんもありがとうございます」
「おはよう、コハクくん。キトラはもう出たのかい?」
「はい。今日もかなり早くに。ミソラさんにすっかりこき使われてるみたいです」
「ミソラは部下にはスパルタだからね」
この家はコハクとキトラが暮らしている家だ。そして、その繋がっているもう一つの家ではカグラとウタハが暮らしている。
「最初はどうなるかと思ったが、すっかりこの生活にも慣れたね」
「もう1年が経ちましたもんね」
1年前。ウタハの感情のコントロールがだいぶ落ち着いたことを受けて、生活環境を変えようという話がでたのだ。カグラも捜査に熱心に協力しているし、刑務所ではなく普通の家で暮らさせてはどうかと。
ただ毒のリスクはあるので何かあった時に対処できるよう、ちょうど寮を出ようとしていたコハク達が隣に住むことですんなり話が進んだ。
もちろんウタハは外出することはできないが、家にある庭で遊んだり、日の光がたっぷり差し込む部屋で過ごせるこの生活に大いに喜んでいる。
「結局俺が呼ばれたのはこの間のカグラが倒れた1回だけですし、平和なものですね」
「アギがまたウタハ君に料理を教えに来ると言っていたよ。カグラにきちんと食べさせたいとせがまれたらしい。まったく、どっちが保護者だかわからんね」
穏やかに話をする2人の横でスイレンは緊張している。それに気づいたコハクが、とりあえずさっさと対面を終わらせようと左の家の玄関を開けた。
「カグラ〜。ウタハく〜ん。入るよ〜」
中に声をかけて3人で入って行こうとすると、大きな怒号が響いてきた。
「カグラ!てめぇ、また徹夜しただろ!」
その声に3人が慌てて廊下を抜けてリビングへ向かう。
中を覗くと男性の胸倉を掴んで揺さぶっている少年がいた。揺さぶられているほうは頬を膨らませてそっぽを向いている。
「徹夜じゃない。1時間寝た」
「それを徹夜っつーんだよ!また倒れたらどうすんだ!」
「倒れないもん」
「いい歳したおっさんがもんとか言うな!」
ヒートアップしていく少年にさすがにセキトが止めに入った。
「ウタハ。それくらいにしなさい。徹夜じゃなくて揺さぶりでカグラが倒れる」
「そうだそうだ」
「カグラも睡眠はちゃんと取りなさいと言ったはずだが?」
「………時間が足りないんだもん」
ブーと頬を膨らませるカグラをセキトが睨む。その視線に小声で「ごめんなさい。もうしません」とカグラが謝ったことでやっとウタハの気持ちも収まった。
「騒がしくてすまないね。スイレン君おいで。2人を紹介しよう」
完全に子供2人と保護者にしか見えないその光景に、スイレンは戸惑いながら3人に近づいていく。
「まず、この子はウタハ君。14歳だからこの中では君が一番歳が近いね。仲良くしてやってくれ。ウタハ君。彼がこないだ話したスイレン君だよ」
「ああ。あんたがカグラと同じ目を持ってるってヤツか。よろしくな」
この5年弱。みんなの愛をたっぷり注がれたウタハはすっかり健康的に育っており、体つきも心も年相応の少年に成長していた。
『素直で可愛い子……?』
ホムラの情報に若干の違和感を感じるスイレンが首を傾げていると、コハクが苦笑した。
「ウタハくん、すっかりキトラの口調が移っちゃったね」
「昔は可愛かったのに……」
「うっさい。14歳に向かって可愛いとか言うな」
ウタハは年頃になりキトラの口調に憧れて真似をした結果、すっかり口の悪い少年に育ってしまった。カグラはウタハが反抗期に入ってしまったと嘆いている。
「そして、彼がカグラ。君と同じ粒子状の糸が見える人だ」
セキトに首根っこを掴まれているカグラを見る。聞いていた年齢よりはるかに若く、というより幼く見える。下手すればスイレンと同い年くらいに見えるのではないだろうか。
カグラは紫の瞳でジッとスイレンを見つめてきた。
「あなたが、俺と同じ人?」
その言葉に反応してカグラがセキトの手をするりと抜ける。先ほどまで不貞腐れて感情豊かだった表情が、急に無表情に変わった。
「君と僕が同じ?馬鹿なこと言わないでよ」
カグラから放たれた光の粒がスイレンを襲う。思わず構えても何の効果もなく、スイレンの頭で光が弾けた。
「カグラ!何を!」
コハクの驚きも意に介さず、カグラは口を開く。
「昨日の夕飯は牛丼?」
「………は?」
スイレンが間抜けな声をあげる。コハクとウタハは呆れた顔をして、セキトは楽しそうに笑っている。
「部屋、もっと片付けたほうがいいんじゃない?あと、何?このキラキラした絵の本。漫画?」
「な!な!な!」
次々とプライベートなことを言い当てられて、スイレンが赤面する。
「………ホムラ君のこと好きなの?とっとと告白したら?片想いほど不毛な物はないよ」
最後の言葉にコハクが額に手を当てて項垂れた。
「何なんですか!あなた!人の秘密をベラベラと!……秘密?え?なんでわかったの?」
怒りが混乱に変わり、スイレンは目の前の人物を未知の生物でも見るかのような目で見つめる。
「僕は人の記憶が読めるからね。他にも色々できるよ。理性を無くして暴れさせたり、糸を出せなくしたり」
語られる物騒な内容にスイレンがやや警戒をあらわす。それを見て満足そうにするとカグラは無表情のまま言葉を続けた。
「化け物ってのは僕みたいなやつのことを言うんだよ。君なんてちょっと目がいいだけの一般人だね」
そこまできて、スイレンはやっとカグラの言いたいことがわかった。
『わかりにくいけど優しいって、そういうことか』
きっとコハクからスイレンのことを聞いていたのだろう。唯一の光の粒子の見える仲間はどうやらとても不器用な人物のようだ。
それに気づくと、スイレンはずっと感じていた緊張がどこかに飛んでいってしまった。
無事カグラとの対面も終わり、ゆっくり話しをするために来客達はテーブルにつく。
キッチンではカグラがお菓子を取ろうとしてウタハに手を叩かれていた。
「糸を使ったからお腹空いてるのに」
「もうすぐ昼飯だからダメだ」
そう言ってホットココアが差し出されたのを嬉しそうに受け取って、カグラがスイレン達のところにやってきた。もはやどちらが保護者かわからない。
「しかし、うちの一族以外にこの目を持ってる人がいるなんてね」
ココアを両手で抱えて飲みながらカグラがスイレンをジッと見てくる。
「一族?この目は遺伝するんですか?」
「金色の王のことは聞いた?うちの一族の役目こと」
ここへ来る車の中でセキトからカグラの一族に関することは全て説明を受けていた。だが、あまりにも浮世離れしすぎていてスイレンはいまいち理解しきれていない。
「うちのご先祖様が王命を受けたのは、糸を見える目を持ってたから。当時は白の人と呼ばれる糸を出せる人しか糸を見ることができなかったんだよ。だから普通の人なのに糸が見えるご先祖様が選ばれた。そのうちに糸が見えるのが普通になると粒子を見える者がでてくるようになったんだけど、その目が遺伝するのは一握りでね。一族の中でこの目を持ってる者に歴史を記録する役目が引き継がれてきたんだよ。それも僕で途切れちゃったけどね」
特に役目を引き継げないことを悲しむでもなく淡々とカグラは話をしていく。スイレンはやっぱり物語でも聞いているような気分にしかなれなかった。
「あの、俺もカグラさんと同じ物が見えてるなら、同じようなことができるのでしょうか?記憶を読んだりとか」
「それは無理だよ。僕は役目を引き継ぐために赤子の頃から粒子を操る訓練を受けてきたんだ。見えるってだけの君に一朝一夕でできるものじゃない」
「そうですか」
別にやりたかったわけではないが、自分にも役立てることがあるならと思っていたスイレンは少し残念そうにしている。
「まあ、その目をどう使えるかはこれからだね。例の少年に接触する時は君にも来てもらうよ。いいよね」
「ああ。もともとそのつもりだ」
カグラの問いにセキトが答える。
「でも、俺は見えるだけで何もできませんよ?」
「いいよ。情報を引き出す能力も記憶を消す能力も、たぶん僕が対処できる。君はその際にどれだけの物がその目で捉えられるのかを知ればいいんだ。何をできるか知らないと、何をするかは決められないからね」
「スイレンくんはまだまだ入り口に立っただけだからね。俺たちも協力するから、これからどうしていくかを一緒に考えよう」
少し前まではその入り口にすら立てていなかったのである。スイレンはコハクの言葉に強く頷いた。