094 カーテンコールはまだ早い(2)【ミュール視点】
ストーベルの意識を幻術で奪い、ミルテイユの水術と氷術を合わせた魔術で封じこめることができた。
それから少しすると冥界に魔族が戻り、通常の状態というものを取り戻して機能し始める。程なくして死者の審判が始まった。
本来であれば亡くなった順番に行われるらしいが、冥王という冥界を統べる王の命令で、クランベルカ家関係者から処理されていくことになった。
当然ストーベルは真っ先に連れて行かれ、ストーベル側についていた者たちから順にいなくなっていく。
ミュールは彼らを幻術で眠らせていたため後回しとなり、元々何も問題のないフラン、ストーベルを封じ込めるために戦ったミルテイユ、ジューン、ジュニパーはクランベルカ家関係者の中で一番最後に審判を受けることとなった。
カーラントの部下たちの審判もいよいよ終わると、遂にミュールたちの番がやって来た。
クランベルカ家関係者の中でも、ストーベルを始めとする血縁者やその幹部、共に戦ったカーラントの部下たちは冥王自らが裁きを下していた。
宮殿の最奥の部屋に入ると、奥の玉座に全身黒っぽい身なりをした艶っぽさのある女性が鎮座していた。五人は横に並び立ち、少し高い位置にある玉座を見上げる。
「怖い……」
「大丈夫だ、フラン。私がついてる」
フランは静かな空間と冥王の放つ威圧感に緊張したのか、ミュールの影に隠れた。恐怖が落ち着くよう腕を回し、フランの二の腕のあたりをさする。
「幼子よ、怯えずともよい。それと、まずはそなたらを褒めねばならぬ。封印から解けたばかりの我ではストーベル共を黙らせるのはさすがに骨が折れたであろうからなぁ」
冥王はその顔に似つかわしくない、にこにことした深い笑みを浮かべ、機嫌良く言葉を続ける。
「特にそなたら。破滅の阻止の方でも、よう尽力してくれた。大活躍ではないか」
「えへへ……良かったね、ミュールお兄ちゃん」
「話はまだ終わりではないぞ?」
照れくさそうに微笑んでいたフランが、再び緊張した面持ちに戻り、冥王をじっと見上げる。
「その活躍がどこまで魂に背負った罪を軽減しておるかは別の話だ。なんの意味もなかったときのために、我くらいはそなたらを労ってやらねばさすがにかわいそうであろうと思ってのことだ」
「ワタシ、感謝された。嬉しい」
やや作業感のある労いでも満足したのか、ぽそりとジュニパーが呟く。
「さて、審判を下させてもらおうぞ」
冥王は両手のひらを水を掬うように合わせると、そこに白い炎が生まれる。火球のように浮かび上がると五つに分かれた炎はそれぞれ一つずつ胸の前に降りてきた。
やがて白かった炎が色づき始め、自分の目の前の炎は暖炉の炎のような柔らかな朱色に灯る。フランはミュールと同じ朱色をしていたが、他の三人は違うようで、隣にいるミルテイユは髪と同じ青紫色、ジューンは血のような赤、ジュニパーは淡い青色をしていた。それをじっくりと眺めた冥王は、ふむ……と声を出して頷く。
「やはり全員地獄行きか。仕方あるまいな」
「えっ!? ふ、フランまで、ですか?」
意義を唱えるつもりはなかったが、思わず声に出してしまった。フランが地獄などと呼ばれるような場所に落とされるようなことをしただろうか、とミュールは戸惑った。
「フランは人を傷つけたこともないのに、なぜ……」
「さすがに理由までは我もわからぬしなぁ」
フランを除く四人が地獄行きなのは想像がついていたが、どれだけ考えても理由がわからなかった。愕然とするミュールの袖をフランは引き、こちらを見上げる瞳と視線が合う。
「わたしには、なんでなのかすぐわかったよ」
「フランは理由がわかるのか?」
「うん。わたしは誰も傷つけてないけど、それはメリーお姉ちゃんが一生懸命守ってくれてたからだよ」
フランの言う通りだった。メリーがいつも暴力や暴言を受けないよう矢面に立って盾になってくれていた。だからフランも自分もあの屋敷で笑って過ごせていたのだ。
「嫌なことも怖いことも、代わりに全部やってくれた……わたしが手を汚さずにいられたのはそういうことなの。メリーお姉ちゃんはわたしの代わりに何度も何度も傷ついた……そうでしょ、ミュールお兄ちゃん」
フランのやるせない表情に、胸が苦しくなる。大半をベッドの上で転がっているしかできなかった自分の不甲斐なさ、そして数え切れないほどの後悔の念に襲われる。
「そうだな。本当は私がお前やメリーを守ってやらなきゃいけなかった……」
「そうじゃない、それじゃ同じなんだよ!」
フランが珍しくこちらを叱りつけるように語気を強める。
「わかってたのに、ずっとメリーお姉ちゃんやミュールお兄ちゃんに甘えて変わろうとしなかった。わたしが地獄に行くのは、嫌なこと全部押し付けて……自分だけ逃げてきた罰なんだよ!」
それが地獄行きの真実なのかはわからない。だがもしそれが真実なら、人というものは罪を背負わずに生きるなど到底無理に近いだろう。それ以上の善行を積め、ということなかもしれないが。
「幼子の方がようわかっておるではないか。図体だけはでかい未熟者め」
「ははっ、酷い言われようだなァ、ミュール」
冥王とジューンは余程痛快だったのか、遠慮することなくこちらを笑い飛ばしてくる。
「ミュール兄さまに謝って。そんな言い方傷つく」
ジューンの言い方を咎めるジュニパーだけは味方してくれているらしい。これから地獄なんて場所へ向かうのに、ずいぶんと暢気な会話が目の前で繰り広げられている。
「ねぇ、質問。地獄ってみんな一緒? 家族と一緒なら、ワタシ別にどこでもいい」
「それいいね! 一人ぼっちよりみんな一緒なら楽しそう!」
まるで観光気分のジュニパーとフランにミュールは面食らう。思わず隣にいたミルテイユと顔を見合わせ、あまりのおかしさに少しだけ笑い合う。だがフランやミルテイユたちと共にいくなら地獄という場所がどんな場所でも悪くはないように感じた。
「そなた、面白いことを言う。複数人で同じ地獄に送られたらどうなるか、我も興味あるなぁ。確かに地獄は一人で逝かねばならぬという規則はない。これで浄化が早まるなら良し、そうでないなら後で分離させればよいしな。此度の騒動……冥界も変わらねばならぬが、地獄の在り方も改革の時が来たのやもしれぬ、か」
冥王は大人の艶っぽい見た目に似合わず、無邪気に表情を変えながら、一人妙に腑に落ちたように頷く。
「冥王様、お伺いしたいのだけど……地獄とはどんな場所なのかしら?」
「罪を理解し、魂の穢れを濯ぐのが地獄という場所だ。その形は人によって変わる。怯えずともよい。何も痛みを与え続けられるだけが全てではないからな。まぁ、痛い思いを避けられる保証もせんが」
行けばわかることだと冥王は言い、早々に追い払われると、魔族の案内で地獄の門があるという場所へ案内されることになった。
しばらく歩くと階段があり、その先に大きな扉付きの門が見えた。少し手前で待たされ、案内をしてくれた魔族が門番の魔族と少し会話を交わす。
「はぁぁぁー!? 複数人一緒に!?」
という門番の魔族の声が天高く響いた。程なくして門番の魔族に引き渡されたが、その姿には見覚えがあった。
「お手手繋いで地獄行きって、お前らかよ……」
心底呆れたと言わんばかりのため息と共に、じっとりとした鋭い目つきでこちらを睨んでくる。
濃藍色の髪に月のような色の瞳、片目には眼帯、そして猫の耳と尻尾。ふわふわと風に靡いてる生成り色のマフラーはメリーを傍で見守ってくれていた魔族の青年だ。態度は悪いが、根は良い人だということをミュールは知っていた。フランと共に進み出て、軽く会釈する。
「こうしてお会いするのは初めてだな。メリーの兄のミュール・クランベルカだ。その節はどうも、うちの妹が世話になった」
「わ、わたしはフラン・クランベルカと申します!」
フランはスイウの威圧感に気圧され、ややぎこちなくちょこんとスカートを摘み挨拶する。
「はぁ、どうも。というか、お前たちがメリーの……」
青年の鋭い目つきが、少しだけ興味深そうに丸くなった。
「あ、あのっ、メリーお姉ちゃんを助けてくれてありがとう、猫さん!」
「ネコサン……不要な情報だとは思うが、俺にはスイウって名前がある。ネコサンはやめろ」
「はぁい、スイウさん」
「まぁいい。ここからは俺が案内人として先導する」
スイウはそう言うとサッと踵を返し、門を目指して階段を上り始めた。離れてしまわないよう、その後を五人で追う。門の扉の前まで来ると、扉に手を添えながらスイウが振り返った。
「この先には魂を餌にする魔物みたいなものが潜んでる。で、これがその魔物を祓う灯り」
スイウは棒の先に吊り下げられたランタンのようなものをこちらへ見せてくる。
「貪り喰われたくなかったら離れない方がいい」
「わたしたち食べられちゃうの?」
「たまにいる。案内役がやられることもある。万が一のときは応戦するし、俺はヘマしたことないから安心しろ。阿呆は除くがな」
「なぁ、その魔物みたいなヤツはオレでも倒せんのか?」
「倒せるが、道は絶対に外れるなよ。再三言ってんのに調子に乗って追いかけた阿呆が何年かに一度喰われてる。道の外は奈落の底とでも思え」
どうやらその魔物のようなものはこちらの攻撃も通るらしい。だが一番の安全圏はあの灯りの中だろう。
「フラン、スイウさんの灯りから離れなければ大丈夫だって」
ぽんぽんと頭を撫でると、フランはスイウに向かってよろしくお願いしますと頭を下げた。
スイウが何か小さく言葉を口にすると扉が軋みながら開いていく。向こう側に見えたのは黄昏色の空に真っ赤な世界、その中に一筋の道が遠くまで続いているのが見える。
地獄などと言われるせいで炎が燃え盛っていたりするのかと思っていたが、どうやら違うらしい。扉を抜けた先は普通の開けた緩やかな山道のようだった。一面びっしりと咲いた彼岸花の中に道があり、その部分だけ地面に生えた草の緑が見えている。
「質問がないなら行く」
「じゃあ質問」
そう言って小さく手を上げてみる。スイウは目でこちらへ話を進めるように促した。
「父様たちってどうなった?」
興味本位で聞くと、スイウは遠くを見てげんなりとした様子でため息をついた。
「基本的に地獄に叩き落としたが、暴れまくるから魔族数人がかりだわ、勝手に道を逸れて逃げてどんどん喰われるわで……この六十年で一番疲れた」
「それは……うちの者が迷惑をかけたようで申し訳ない」
「まぁそれも仕事の内だからな。それより、ストーベルの話だが、アレは地獄にはいない。地獄ってのはまだ救えるヤツの行くところだからな」
地獄にはいないというならどこに、というごく普通の疑問が湧く。
「じゃあどこへ?」
「そういう魂が行き着く場所ってのは知らない方が良い。想像もつかんような悍ましいものが待ってる。他に質問ないなら行く。内容はこの先、地獄までの道を歩く際の質問に限らせてもらう」
どうやら無駄な質問で時間を割かれたことが嫌だったらしい。特にその点に関しての質問もなく、扉の向こう側へと足を踏み出した。
しばらく道を行くと、おもむろにスイウは指を差す。
「そこの一際大きな窪み。あのうるさい女、確か……ジェスタだったか? 逃げ出してそこで喰われた。助けてーって手を伸ばされてもなぁ? さすがの魔族でもお手上げだから歩く前に注意してるわけでって感じだろ」
つまり目の前でジェスタが喰われる光景を眺めていたのだろう。ジェスタは冥界で初めて会ったが、それでもやはり顔を知っている者の末路として聞いてしまうと背筋が凍るようだった。
「まだどれも最近だから、阿呆共が踏み荒らして喰われていった痕跡がそこかしこに残ってる」
確かによくよく見ると彼岸花が所々踏み荒らされたように乱れている。スイウや魔族たちは相当苦労したのだという現実が目の前にありありと残っていた。
地獄まではそれなりに距離があるらしく、緩やかな登り坂の道を進んでいく。
ミュールは少し歩調を落とし、ミルテイユの隣を歩き始める。たった一人で向かうと思っていた地獄へ共に歩いていく人がいるというのはやはり少しだけ不思議な気分だ。
「もしミルテイユにだけ辛いものが待っていたら、その時は私がお前についていくつもりだった」
「それはどういうこと、ミュール様?」
昔と違い、敬語の崩れたミルテイユの話し方がくすぐったくて、少し頬が緩む。フランやジュニパーと同じだと笑わないでくれ、と前置きをしながら口を開いた。
「もしお前の方が背負った罪が重かったとき、共に地獄に行けるよう頼もうと思っていたって話だ。穢れは肩代わりできるものでもないみたいだし。それに……いや、単純に私は離れたくないだけなのかもしれないな」
素直な気持ちをミルテイユへと向ける。十年前から本当は一緒にいてほしいと願っていた。だがそれを伝えたところで、失われた十年が戻ってくるわけでもない。だからこそ再会できた今、離れ難く感じていることを言いたくなったのだ。
目を丸くしながら、無言でこちらを凝視するミルテイユに段々と居心地が悪くなり目を逸らす。
「そんなこと言われても困るか」
「ミュール様! ご自分が何を仰ってるのかわかっておられるのですか!?」
食ってかかるくらいの勢いのある物言いに気圧されながらも、言葉の続きに耳を傾ける。
「わたくしはこの命が尽きようとも……魂ある限り、ミュール様の従者としてどこまでも付き従うと誓います」
十年前と変わらない態度でミルテイユは強く言い放った。従者として、という言葉に長い時の流れを感じる。
当時、きっとミルテイユは自分を好きでいてくれた。だがあんな酷い言葉をぶつけられ、十年の間にもいろんなことがミルテイユを襲っただろう。そのときに自分は助けてもやれず、彼女は一人苦しんでいたに違いない。
それだけの時が経てばその恋心が冷えに冷えていてもおかしくはなかった。ベッドの中でぐだぐだとミルテイユへの思いを引きずっていたのは自分だけだったようだ。
「あはは、喋り方が昔みたい。私は今までみたいに気さくに話してくれてる方が新鮮で良かったのに」
「そ、そう……ミュール様がそっちがいいっていうなら」
ミルテイユの喋り方を指摘することで誤魔化し、話をすり替えた。違和感を感じるのか少しだけぎこちないミルテイユの表情に、ずっと抱いてきた想いがじわじわと溢れてくる。
「それにしても五人で地獄行きなんて思いもしなかったわぁ。ジューン様も嫌がらずついてきてるし」
ミルテイユはそれまでの自由に振る舞っていたような話し方に戻してくれたようだ。やはり従者ではない素のミルテイユを見ているようで、こちらの方がより好ましく感じられた。
ミルテイユが後ろを振り返り、つられてミュールも振り返る。ジューンとジュニパーが楽しそうに会話を交わしているのが見えた。
あの日からどれくらいの時が経っているのかわからないが、わりと短期間の内に二人は仲良くなったように思う。ジューンは心を開いた相手には人懐っこい性格なのかもしれない。
「私だけ場違いねぇ……」
「どうしてそう思う?」
「私はクランベルカの血なんて引いてないもの。ジュニパーも家族と一緒って言っていたし、わたくしはよそ者なのよねぇ」
「違う。ミルテイユも家族」
こちらの会話が聞こえてきたのかジュニパーがすかさず言葉を挟んできた。
「銀髪の騎士のお兄さん言ってた。血の繋がってない大切な家族がいるって。だから血が繋がってなくても家族になれる。ミルテイユ、知らなかったんだ?」
ふふん、というちょっとだけ優越感に浸ったような小さな笑みをジュニパーは浮かべる。
「ミルテイユとワタシ、一緒に頑張って喧嘩止めた。だから家族」
銀髪の騎士、という単語にメリーの傍にいた仲間の青年の姿を思い出す。
ミュールはジュニパーとも冥界で会うのが初めてだった。『お父さま』ではなく『家族』に強く拘るのはクランベルカ家ではかなり珍しい思考の子だと思っていたが、もしかしたらあの青年の言葉の力もあるのかもしれない。
「元々その辺うちはテキトーだろ? 兄弟同士で殺し合いみたいなことしてきて家族とか言われてもなァっつー感じ〜。メレディスと家族になれって言われてもオレは絶対無理」
ジューンはカーラントの従者をしていたことを覚えている。従者というのは大抵、主をそれなりに慕っている者が多い。
「あぁ、カーラントは同い年だからって、よくメリーと当てられて半殺しにされてたっけ。そりゃ恨むか」
「ミュール、てめぇ兄貴のこと馬鹿にしただろ今」
馬鹿にする意図はなかった。主を何度も痛めつけるメリーを好きになれるはずはないだろうなという共感の話だったのだが。
「そんなつもりはなかった。けど、模擬戦で惨敗してたのは事実だし、そのせいでお前もメリーを嫌いになったんだろう?」
「知ってる! わかってんだよ、んなこたァ! あー!! むしゃくしゃしてきただろ、クソがっ」
ジューンは頭を掻き毟りながら、メレディスを一度で良いから見返してやりたかったと吠える。
あの仲が良いとは言えなかった兄弟たちとこうして、まるで何もなかったみたいに普通の会話を交わしてることが不思議でたまらなかった。それはお互い死んだ身だからなのだろうとミュールは思う。死によってしがらみから解放され、自分の素でいられるからだ。
それが生きている間にできなかったことが少し悔やまれる。ストーベルの存在が、自分たちを取り巻く全てを捻じ曲げ、歪め、変質させてしまったのだ。
「オレが勝てなくても兄貴が勝つ……もう兄貴はメレディスなんかに負けねぇんだからなァ!」
「そうかも。カーラントの幻術はなかなか練度の高いものだったし、メリーを上手く封じたら勝てる可能性はあるな」
「お、だろ〜? 意外とわかるヤツだな、ミュールは」
したり顔をしているジューンにふっと笑いが込み上げる。彼は少し単純で素直な性格のようだ。
「えー! ミュールお兄ちゃんはメリーお姉ちゃんの味方でしょー? なんでカーラントお兄ちゃんの肩持つのーっ」
「私はメリーの味方だ。ただカーラントも強いからなーって言っただけで……」
「ふーんだ。裏切り者ぉー」
フランはスイウの隣を歩きながら、膨れ面で怒っていた。
そんななんてこともない会話を交わす地獄への旅路は、陰鬱さなど吹っ飛ばしてしまうほどに賑やかで楽しいものだった。
最後の丘を登ると先は切り立った崖になっており、そこから向こうの世界は、上は黄昏の空、地平線の彼方から下は黒く塗りつぶされた底の見えない広大な暗闇が広がっていた。この暗闇の先に地獄はあるとスイウは言う。
「そうだ、別れの前に言っておく。ミュール、フラン、破滅を止めてくれたこと、魔族として礼を言う」
「礼なんて……私もフランも、ただメリーを助けたかっただけだ。それより、私たちが言った『願い』は聞き届けてもらえるのか?」
「見ての通り俺には無理だが、他のヤツらが何とかするだろ」
「そう、なら良かった。ありがとう」
スイウの返答に良かったね、とフランと視線を合わせて笑い合う。
あの破滅を止める戦いの最中、フランと二人、魂を引き換えにしてメリーを救おうとした。メリーの周りには、スイウを含めた仲間が四人立っていた。その気配へ、フランと共に『願い』を託したのだ。
それにしても魂は喰われたはずなのに、なぜここに留まっているのだろうか。体が透けて見えることと何か関係があるのかもしれないが、この世の理はわからないことの方がずっと多い。
「ここから飛んだらその先が地獄なわけだが、冥王から一つ伝言を預かってる。飛ぶときに全員で手を繋ぎ、到着するまでは絶対に手を離さないこと、だそうだ」
おそらく離せばバラバラのそれぞれの地獄へと行き着くのだろう。離れないようミュールはフランの体をしっかりと抱え込む。もう片方の手をミルテイユと繋ぎ、その隣にジュニパー、ジューンと続く。
「勇気がないならローアンみたいに突き落としてやろうか?」
どうやらローアンは飛び降りるのを渋って突き落とされたらしい。ミュールは試しに下に広がる暗闇を覗いたが、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。
「私は大丈夫だ。皆は?」
「わたくしは問題ないわ」
「ワタシ、平気」
「こんなんでビビってたら、もっと早く死んでるっつーの。ナメてんのか?」
「わたしはミュールお兄ちゃんもみんなもいるから大丈夫だよ」
全員覚悟も決まり、ミルテイユの手がこちらの手を強く握る。
もう二度と離さない。
この魂の尽きるその時まで。
想いを込め、強く強く……握り返した。
「なら行こうか」
「良い旅を」
スイウのよく意味のわからない別れの挨拶に疑問を感じながら、四人で揃えて腕を後ろへ引き、膝を少し屈める。
「せーのっ!」
腕を思い切り振り上げると同時に前へと飛び、五人は崖下に広がる暗闇へと身を投じた。
地獄とはどんな場所なのか。その先に待つものがたとえ炎の海でも、光の届かぬ深海でも構わない。どんな罰も責め苦も受け入れる。
誰にも褒められない、むしろ後ろ指を差されるようなことばかりの人生だった。優しいミルテイユを一方的に傷つけた。フランには寂しい思いばかりさせ、悲しませてきた。そしてメリーには散々迷惑をかけ、悩ませ、苦しめてきた。兄として、家族として、何をしてやれたのか思いつかない。
それでも確かに、皆がくれた幸せな記憶が宝物のように胸に残っている。この手には大切なフランとミルテイユ、そして新しく家族だと言ってくれたジューンとジュニパーがいる。こんな愚か者には贅沢過ぎる、幸せな最期だとミュールは思った。
「メリー……!」
急速に遠くなっていく黄昏の空を見上げ、声を張り上げ別れを告げる。
「私は本当に幸せ者だった。お前も必ず、大切な者たちと幸せになりなさい……」
最期に幸せだったと胸を張って、言えるように。
泣きそうになるほどの切実な願いを込めて、最期に──愛する妹へ言霊の魔法をかけた。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
次回からはメインキャラクター5人の物語へと戻ります。
全16話ほどですが、スイウの失われた記憶を軸に、その因縁と決着をつけるまでの物語です。
よろしければ、お付き合いくださると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




