093 カーテンコールはまだ早い(1)【ミルテイユ視点】
死者の魂は冥界へと送られるという世界観。
けれど、本編では冥界は今機能を停止しています。
それぞれの死の果てに辿り着いた地。メリーに討たれたストーベルも例に漏れず冥界へと魂が送られてくる。
冥界に留まる死者たちとストーベルの、本当の最期の戦いの話。
ミルテイユはストーベル直属の部下で、メリーたちにとって敵の女性です(彼女が討たれたのは056〜057話)
見たことのない平原に立たされていた。少し湿り気を帯びた風が、血のように赤い彼岸花を揺らす。天を仰げば黄昏色の空がこちらを見下ろしていた。
周りには何人か人がおり、会話を交わしている。その言葉の端々から、ここにいる者たちは死者なのだと理解した。
最期の記憶が蘇る。あまり大きくない少年の手が差し伸べられた。優しい藤色の瞳が、機械とは思えないほどの憂いの色を滲ませて。
憎らしくて、羨ましい。
愛されないのは同じなのにどこまでも純真で、嘘まみれの「人」という生き物を信じている。だがきっと愛されない苦しみと孤独に狂う時がくる。少年の皮を被ったあの機械人形にそんな呪いをかけた。
たがあれ程強く感じていた嫌悪も憧憬の念も、自分が死んだと冷静に理解した今となっては少しも湧いてはこなかった。
何のために生きてきたんだろう。何のためにあんなに固執し、縛りつけられて生きていたのだろう。そんな虚しさが心を支配する。もっと自分の心のままに、家もしがらみも捨ててしまえば良かった。
死んで怖いものなどなくなった身勝手な心がそう叫んでいた。生きていたらそんなことできるはずもないくせに。
家のため、クランベルカ家に全てを捧げて生きてきた。力による支配も、家を守らなくてはという使命感も、爛れた愛憎も、ただただ虚しいものに感じられた。
ただこの心に最後に残ったのは、ミュールに会いたいという思いだった。また拒絶されようと構わない。このまま死んで消えるのなら、最後に一目だけでも会ってから逝きたい。
もう守らなくてはならない家も、これ以上嫌われたくないという思いも、この命も、逆らえない命令も、死んだことで何もかも意味を失った。もう自分を縛るしがらみはなくなったのだ。
ミュールはメリーに破壊されて死んだと聞いた。ならばきっとこの場所のどこかにいるのではないか。そんな希望が捨てられずにいた。気づけばミュールの面影を探し、ミルテイユは歩き出していた。
* * *
あれからどれくらい時間が経っただろうか。この世界には時間の流れというものがない。ずっと永遠の黄昏が空に貼り付いている。
お腹も空かず、喉も乾かず、歩き続けると少しだけ疲れる。まだ一日も経っていないような、もう何ヶ月も経ってしまったような不思議な感覚だった。
だがどれだけ探してもミュールの姿を見つけることはできなかった。この不思議な場所を彷徨い歩き、結局最初の場所へと戻ってきてしまった。
そこによく見知った人だかりを見つける。皆一様に体が透けており、その中心で項垂れている人物には見覚えがあった。カーラントがあれほど大切にしてきた人は、結局守りきれなかったのだと悟る。
「あらぁ、ジューン様じゃない。お久しぶりってとこかしら?」
「……ミルテイユ?」
ジューンは顔を上げると、くしゃりと泣きそうになりながら顔を歪めた。
「カーラント様、しくじったのねぇ。アナタはメリーちゃんに殺されちゃったのかしら?」
ジューンに尋ねると、首を横に振った。悔しそうに握りしめられた拳が震えている。
「兄貴と……あと、てめぇが念入りに嬲ってた銀髪の騎士だ……」
「あの子、幸薄そうな見た目の割に、意外としぶといのねぇ」
ジューンを殺したのがあの騎士の青年だというのはわかるが、カーラントがジューンを手にかけたというのはにわかには信じられなかった。
実験対象にならないよう懸命に、あれこれと手を尽くしていた。名前が上がるようならすぐに報告してほしいと、ストーベルの部下であったミルテイユへ頭を下げてきたことすらあったほどだ。
「そんなことより、オレは間違ってたのか!? オレは兄貴が望んでるっつーから親父の実験に乗った……なのに、違ったんだ。意識はぼんやりしてたけど、確かにオレは兄貴を殺そうと……!」
今しがた死んだばかりなのか、ジューンはこれ以上ない程に取り乱し、ボロボロと涙を流している。
「ジューン、泣かないの」
ぽそりと小さな声と共に、ジューンをつんつんと引っ張る少女がいた。
「ジュニパー……なんで、お前がっ」
「ワタシたち家族だから。泣いてたら慰める。あたりまえ」
ジュニパーは大きく両手を広げてから、ジューンをふんわりと抱き寄せ、無表情のまま、よしよしと小さく呟き頭を撫でている。
「……! 悪ぃ。オレが取り込もうとしなけりゃ、ジュニパーが兄貴に殺されることもなかったかもしれねぇってのに!」
「ワタシ、死んだの? 死んだら冥界って世界に住む。お母さまに会えるかも……楽しみ」
いつもはぼーっとしたジュニパーが小さく笑顔を浮かべ、そわそわと体を揺らしている。
最初来たときは疎らだったが、今はかなりの人がいる。大半がクランベルカ関係の者で、ちらほらと騎士の姿も見える。崩れるように蹲って泣いている、当主候補だったジェスタの姿も見受けられた。
ジュニパー、ジェスタと当主候補二人が立て続けに死んだということは、メリーが遂にストーベルと交戦を始めたということだろう。
「向こうはメリーちゃんの殺戮祭りかしら。あの子、昔から怖いのよねぇ。加減がないから」
そう、特に大切にしているものを傷つけられたときのメリーは手のつけられないバケモノだった。その性質を利用し、生きる希望を失っていたミュールの元へ彼女を差し向けたのは他でもない自分だ。
疎まれていた自分ではなく、可愛がっていたメリーなら、ミュールは快く厚意を受け入れてくれるだろう。おまけにメリーはあのストーベルですら扱いに悩み、手を焼いていた。
彼女なら多少強引でもミュールの近くにいようとし、守ってくれると思って利用した。そして望み通りメリーはミュールを傍で守り、世話をし始め、ミュールは死に向かっていたという話から一転、生命維持に努めるようになったと聞いた。
だからミルテイユはメリーが大好きだった。そんな本心の言葉も、メリーからは「どうでもいい」と切り捨てられてしまったが。
「メレディス、か」
「アナタ頑なにメリーって呼ばないわよねぇ。ま、別に良いけど」
どちらが勝つのだろうか。ストーベルか、メリーか。ジュニパーのおかげで平静を取り戻したのか、様子の落ち着いたジューンに気まぐれに問いかける。
「ねぇ、ストーベル様とメリーちゃん、どっちが勝つと思う?」
ジューンは問いかけられて、迷うように視線を彷徨わせる。周囲に寄り添っている部下たちの顔や遠くの景色までを、警戒するような怯えた瞳で見渡した。そうして、間をおいて口を開く。
「メレディスに勝ってもらわなきゃ困んだよ。メレディスが負けるってことは、兄貴も死ぬってことだからな」
「カーラント様は寝返ったの? どうして?」
「……兄貴は親父が裏切ってオレを殺したからだっつってた」
やっと合点がいった。カーラントがメリーの側についたのはジューンを奪われたことが原因だろう。なんてことはない、いつものカーラントだ。
「オレ、まだ兄貴に何もしてやれてねぇよ。ここまで生きて傍にいられたのは兄貴のおかげだってのに。絶対恩返しするって決めてたのに……」
「律儀なことねぇ」
「……それよりてめぇはどうなんだよ。親父とメレディス、どっちが勝つと思ってんだ?」
少し苛立ったようにこちらを睨むジューンに近寄り、首を傾げながら瞳を覗き込む。氷色の瞳はカーラントと同じなのに、受ける印象は全く異なる。青白い炎のように揺らめく瞳を見つめながら、ミルテイユは微笑む。
「ミュール様はどっちが勝ってほしいって言うと思う?」
「はぁー? そんなの言わなくてもメレディスの方だってわかりきってんだろ?」
「うふふ、ならワタシはメリーちゃんに勝ってもらわないと困るわぁ。ミュール様の悲しむお顔は見たくないものねぇ」
その瞬間後ろから勢いよく首を絞められる。すでに死んだ体でも呼吸が細くなると苦しくなるようだった。
「ジェスタ! 喧嘩はダメ……!」
「何がメリーに勝ってほしいだ、ふざけないでよ!」
ミルテイユは水術を展開し、背後のジェスタへ向けて放つ。ジェスタは瞬時に離れ、こちらへ鋭い殺気を向ける。
この場にストーベル派とメリー派の派閥が生まれていた。そしてジェスタの背後から、ゆっくりと近づいてくる気配にミルテイユは息を呑む。それはジューンや周りの部下たちも同様だった。
「ジェスタ、お前は正しい。ミルテイユ、ジューン……裏切り者には罰が必要なようだな」
それは紛れもなくストーベルの姿だった。
「お父さま、ジェスタは喧嘩売った。ミルテイユとジューン、悪くない」
「ジュニパー、二人は私を傷つけようとしてくるのだ。悪いのはどちらなのか、わかるだろう?」
「でも、喧嘩始めたのはジェスタ……でも、本当はお父さまを守ろうとしてた……? ううん、ダメ。みんな家族だって、お父さまが言った! 喧嘩はダメ、お話で解決」
ストーベルはくだらないと行った様子でわざとらしくため息をつく。
「聞き分けの悪い子はお仕置きが必要だな」
「お父さま……? どうして、ワタシ間違ってる……?」
「そうだ、お前が間違──」
「いいや、間違ってねぇなァ! 喧嘩はダメだ。喧嘩をけしかけてる親父をオレらで止めなくっちゃだよなぁ!」
ジューンはジュニパーと肩を組み、「な!」と同意を求めて覗き込む。ジュニパーは少しだけ嬉しそうにこくこくと頷き、キュッと表情を引き締めてストーベルを見つめる。
「……ストーベル様も死んじゃったんですねぇ。メリーちゃんに殺されちゃいましたか?」
本日二度目になるこの質問をストーベルにも投げかける。メリーという名前を聞いた瞬間忌々しげに歪む表情に、本当にメリーに直接殺されたのだと察した。
「誰に向かって口を利いている、ミルテイユ」
「ここは死者の国。今のストーベル様は我がジェーム家を守ってくださるわけでもないですし、もう従う意味もないでしょう? アナタのしたかったことも、死んだらそれで終わりですし」
ストーベルは青筋を立てて怒りを露わにする。自由を謳歌したがる心が思ったままを言葉にしていく。
ずっと、逆らったことなんてなかった。
恐ろしい、ストーベルに逆らえば殺される。もう死んでいるが、それでも睨まれれば身の竦むような思いになるのは変わらないようだ。
「まだ終わってなどない……殺れ、お前たちっ」
「お父さま、ダメ! 喧嘩はやめてぇ!」
ストーベルの命令と共にストーベルに従う者たちが数の少ないこちらへと攻撃をしかけてくる。こちらも武器を呼び出し応戦する。
「クソ親父ィィっっ!! 兄貴を苦しませやがってェェ!!」
怒りに火のついたジューンがストーベルへと斬りかかっていく。ジューンとストーベルは鋭い剣戟を何度も交わし、やがて押し負けたジューンが地面へと転がる。
「その程度か。身の程知らずの無能が」
ジューンを焼き切らんとする業火をミルテイユは水術で封じ込める。
「生意気な……!」
そのままストーベルを一気に水球で包み、すかさず氷術で閉じ込めようと魔力を込める。
「ミルテイユ、オレが周りのヤツらを払う!」
「お父さまを止めて、家族の喧嘩、やめさせる。お願い、ワタシもミルテイユ守るから……!」
立ち上がったジューンと戦う決意を固めたジュニパーが術に集中するミルテイユを守るために駆け寄る。ストーベルは内側から炎術で対抗しているのか、なかなか氷漬けにすることができない。
「私がこの死の世界を支配し、あちら側も手に入れてみせる。邪魔をするなミルテイユ!」
ストーベルの声に植え付けられた恐怖心が湧き上がる。だがここでやめれば次は何をされるかわからない。死ぬよりずっと悍ましい何かが待っているような気がした。
「邪魔者は死ねっ!!」
「……このっ、てめぇが死ねってんだよ、クソがっ!」
ジューンはジェスタへ剣を向け、斬り払う。ストーベルを信奉する者が次々に現れ、とうとう当主候補のローアンまでもが加わった。
メリーたちがあちら側で勝利を収めるほど、死者としてこちら側へ雪崩込んでくるということらしい。その場にいた騎士たちも加わってくれているとはいえ、まさに多勢に無勢といった様子に近づいてきている。
こちらについているのがカーラントの精鋭の部下たちといっても勝ち目は薄いという焦燥が募った。
「てめぇをここで行かせたら、兄貴まで殺すんだろ!? んなことさせるかああぁぁぁ!!!」
ジューンは更に攻撃の勢いを増し、部下を鼓舞しながら戦っている。
「カーラント様に救われたご恩が我らにはある! 死してなお、その恩に酬いる機会を与えられたのだ! 怯むな!!」
ジューンの声に励まされ、部下の一人が声高に叫ぶと、それに呼応するようにして雄叫びが上がる。カーラントの部隊は幻術が得意な者も多いため、敵側には徐々に無力化された者も増えてきていた。
あとは自分がストーベルを封じ込めれば終わる。そのはずが徐々に押し返され、薄く氷の張っていた水球がただの水球に戻ろうとしていた。
ストーベルとミルテイユは魔力量は比較的近いが、それでも御三家の血を引くストーベルの方が明らかに格上だ。属性が有利だからこそ拮抗してはいるものの、やはり魔力量の差には敵わないのかもしれない。
柄にもなく本気になっていた。別にここで踏ん張る意味もない。メリーは好きだが、強い思い入れがあるわけでもない。世界の行く末もどうだっていい。自分はすでに死に、命に拘る必要もない。ストーベルに与えられる罰を受け入れるだけで、終わる。
だがなぜか、ここで引き下がってはいけないような気がした。理由なんてない。もしここにいるのがミュールなら、きっと戦い続ける方を選ぶという確信があった。
たとえ姿が見えず共にいられないとしても、選ぶであろうその道を歩みたい。同じ道を。そんな理由とも呼べないもののために、ミルテイユは立っていた。
その瞬間、氷術が一気に芯まで通り、気付けばストーベルは氷の中に固く閉じ込められた。
「え……どうして……?」
ストーベルが封じられると、今度は次々にストーベルについていた者たちが眠るように倒れていく。
「喧嘩、終わった! 家族で傷つけ合わない……よかったぁ」
ジュニパーだけはとりあえず収束したことを喜んでいるが、ミルテイユは何が起こったのか理解できずに困惑していた。わかっていないのはミルテイユだけではないようで、ジューンやその部下たちもキョロキョロと周囲を見回している。
「わぁーい!! すごいすごーい! ミュールお兄ちゃんってこーんなに強かったんだぁ!」
場にそぐわない、興奮気味にはしゃぐ少女の声が響く。
「そんなことないよ、みんなが頑張ってくれてたからだな」
「でもでも……わたしのお兄ちゃんとお姉ちゃんが世界でいっちばん最強なんだもん! そうだよね?」
「一番なら私かメリー、どちらか片方じゃないのか?」
「違うよ。二人で、世界最強なの!」
「ふふ……いや、それにしても本当に体が軽い。十年ぶりくらいかな?」
少女と軽やかな青年の声が氷漬けになったストーベルの向こう側から聞こえる。その声はずっとずっと待ち焦がれていた声で間違いない。
少女は「ミュールお兄ちゃん」と言った。この向こうに本当にミュールがいるのだろうか。睨まれても、不快な顔をされてもいい、一目だけ会いたいと願ってしまう。
だが、拒絶されたときの恐怖からか、その一歩が踏み出せずにいた。やがて氷の後ろから人影が現れる。
クランベルカ家の血を引く証である薄紅色の髪の青年は橙色の髪の少女の手を引いてこちらへ歩いてくる。その体はジューンと同じように透けていた。
春の木漏れ日のような優しい若草色の瞳と視線が合い、止まったはずの心臓がどくりと脈打ったような気がした。
「あぁ、やっぱり……あの水術はお前だったんだな」
そしてその瞳がゆっくりと穏やかに細められ、温かくこちらへと微笑みかける。
「久しぶりだな、ミルテイユ」
愛しい人の声が、十年の時を経て再びこの名を呼んでくれた。この瞬間をどれほど焦がれ、夢見ていたことか。ミルテイユは感極まり、言葉に詰まってしまっていた。
「辛い思いをさせたな。私が至らないばかりに……」
気づけばミュールは手の届く距離まで近づいていた。
『私はもうお前の顔など見たくない。二度と目の前に現れないでくれ』
あの日の拒絶の言葉が鮮明に蘇る。
「なぜ……ワタシの顔など……もう二度と見たくないと、仰ったでしょう?」
ミュールは苦しそうに表情を曇らせ、僅かに顔を背ける。
「怒ってるのはわかってる。弁解をさせてもらえるなら、あれは私の本心じゃない」
「ではなぜ、傍に置いてくださらなかったのです!?」
「私と関わり続ければ、お前は近いうちに殺処分されていた。父様もわざわざ直接出向いて、私に圧をかけてきたからな」
ミルテイユは思わず目を見開いた。ミュールはいつも本心をミルテイユに打ち明けてくれていた。それこそ他の兄弟やストーベルに聞かれたらまずいようなことや、抱いてはいけない夢や自由の話も。何かあれば全てを話してくれると信じていたために、事実を秘匿して偽りを口にしていると思わなかった。
「ワタシをストーベル様から守る、ため?」
その問いに、ミュールは静かに頷いた。
「そのためとはいえ、私はお前を必要以上に傷つけた。人が変わったようだという話を聞いて、ずっと心配してたんだ。お前を歪ませてしまったのは、私のせいだとわかっていたからな」
沈痛な面持ちで、その瞳が真っ直ぐにミルテイユを捉える。
埋まらない思いを憎しみで埋め尽くして誤魔化して生きてきた。八つ当たりのように他者を傷つけ、満足した。
傷ついてるのは自分だけではない。もっと苦しんでくれれば、自分はまだ幸せなのだと安心できた。拒絶されるほど嫌われ、もう二度と会えない人を恋い慕い続けるより、その方が余程楽だった。
ミュールの残酷な言葉に秘められた愛情に気づけず、憎しみを向け続け、何もかもを傷つけてきた。それはミュールのせいではない。ミルテイユ自身の弱さがそうさせただけの話だ。逃げずに受け止めていく道もあったはずなのだから。
「ミュール様とは一切関係ありませんね。全てはワタシのしたことだもの」
そう言い切るとミュールは困ったように笑み、右腕を小さくさする。昔から変わらない、言葉に困ったときの癖だ。
「……すまなかった。それから、ここで父様と戦ってくれてありがとう」
ミュールの労いの言葉が沁みて、ズキズキと胸の奥が痛んだ。同じ道を選びたくて、歩みたくて戦った。その選択に間違いはなかった。最後の最後で、正しい道を選択できたのだと思えた。
「いえ、ワタシにとっては当然。ミュール様に喜んでいただけるのなら、これ以上の幸せはない……」
その言葉に偽りはない。十年前も今も、変わらない思いだ。込み上げる幸福感に笑みが零れた。こんなに自然に素直な気持ちで笑ったのはいつぶりだろうか。
「良かった……最後にミルテイユの笑顔を見られて」
耳を疑うようなミュールの言葉に胸が高鳴るような気持ちになる。自身が最後一目会いたかったと思っていたように、ミュールも同じ気持ちでいたことが信じられないくらい嬉しかった。
「わたくしも、同じ気持ちで……ずっとミュール様の姿を探してたわ……」
ただクランベルカ家に身を捧げ、命を散らせただけの人生。それでも、穏やかに笑い合えたこの一瞬は何物にも代え難い宝物となった。
「ミュール様と離れたあの日から、ずっと会いたかった。最後に会えて、わたくしも心から嬉しい……」
あんなに胸を締めつけて苦しめられたはずの、共に過ごした頃の記憶が今は輝いて見える。贖いきれない罪に塗れていると自覚していても、ミュールのおかげで自分は、それでも幸せだったと心から思える。
──誰から、何と非難され、罵られようとも。




