089 境界線に立つ者たちへ【メリー視点】
頭を失った無の王は白い灰に変わり、崩れていく。フィロメナがグリモワールの浄化に成功したのだ。その灰の中に埋もれるようにして倒れ伏すサクは、太陽に灼かれて絶叫しながら消滅した。
これでやっと終わった……のだろうか。やがて静寂が訪れ、誰もが無の王であった灰を凝視していた。
「私たち……勝てたのですね!」
エルヴェが静寂を破り、満面の笑みでこちらを振り返る。いつも落ち着いている彼が、見たことないほど、喜びに興奮していることが伝わってくる。皆がボロボロだったが、何とか最後まで戦い抜けた。ここに残っている騎士たちも生き延びて、未来を勝ち取れた喜びを分かち合い歓喜する。
「はい、エルヴェ」
アイゼアがパッと手を開いてこちらに向けている。
「えっと……?」
何をするのかわかっていないエルヴェに手本を示すために、メリーはアイゼアとハイタッチを交わした。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
アイゼアはにこりと微笑む。やっと少しずつ、本当に終わったのだという実感が湧いてきた。
「なるほど。私もやらせてください!」
エルヴェもわくわくと胸を踊らせた様子でアイゼアとハイタッチを交わす。
「ほーら、スイウー」
「は? なんで俺まで……ったく、今回だけだ」
スイウは悪態をつきながらもアイゼアに応じてハイタッチを交わした。
「あとでフィロメナ様ともしましょう!」
エルヴェは喜びを抑えきれない様子でフィロメナの元へと早足で歩き始めた。
フィロメナと合流し、騎士たちの治療も終えたあと、メリーたちは帰路へとつく。天界の階段を下り、天界と冥界の門がある場所まで戻ってきていた。
グリモワールが浄化されて呪いが消えたことで、中に封印されていた天王や冥王を始め、天族や魔族、氷像と化していた者たちも元に戻っていた。この様子であれば、召喚されていた魔物もおそらく消滅したはずだ。
冥界の門──鳥居の前までスイウが歩み寄り、こちらを振り返る。
「俺はここでお前らとはお別れだ」
その言葉でスイウは魔族だったのだ、と今更思い出す。であれば当然この冥界の門の前で別れることになる。フィロメナももしかしたらそうなのかもしれない。
アイゼアは隊長格の騎士に遅れて戻る旨を伝え、騎士たちを先に戻らせた。
スイウが冥界の門を開くと、門の向こう側の世界は黄昏色に染まり、紅く燃えるような彼岸花が咲き乱れている。スイウは一歩冥界に足を踏み入れ、こちらへ向き直る。
「メリー、これで契約は終わりだ」
スイウが手をこちらの世界へと差し出す。
「私は契約を継続しても構いませんけど」
自分の中に何となく別れ難い思いがあり、素直に口にする。冥界へ帰るのなら、スイウとはこれが今生の別れになるだろう。
「阿呆が。契約を継続したままだと俺が冥界に帰れん」
「……そうですね」
呆れたような表情でため息をつく姿はいつもと変わらないスイウだった。メリーはとっさに笑顔を作り、その手を取る。
「契約解消の代償は何にしますか?」
契約解消には相応の代償を必要とする。体の一部か、魂の一部か。
「俺が勝手に結んだ契約だ。俺が代償を払う」
スイウは一度目を伏せ、静かに息を吸う。月のような色の瞳がメリーを捉え、唇が言葉を紡ぐ。
「我が名は『 』。代償を払い、汝『 』との契約解消を宣言す」
キン、と金属が断ち切れるような音が頭の奥で響き、一瞬光に包まれ目が眩む。そっと目を開くと、胸の奥から何かが失われたような、物足りないような、奇妙な喪失感がメリーの中に残った。
「じゃあな、お前ら。メリーとアイゼアはあんまり生き急ぐなよ。しばらくは顔も見たくないからな。それから──助かった。礼を言う」
たったそれだけ言いきると、こちらの言葉も聞かずスイウはあっさりと冥界の門を閉じた。鳥居の向こうにはスイウの姿も、あの黄昏の空ももう見えない。
「こちらこそ、ありがとうございます……スイウさん」
もう届かないが、それでも言葉にしたくなった。スイウに契約を交わされ、二人での旅から始まった。ここまで来られたのは紛れもなくスイウのおかげでもある。
「いやー……スイウは最後までスイウだったねー」
別れを惜しまないスイウらしい潔さがどこか可笑しくて、皆と目が合ったあと、ひとしきり笑いあった。
「あたしも天王様に今後のことを聞かないといけないから、ここに残るわね。本当は、みんなと一緒にいけたらいいのにって……思ったんだけど……」
フィロメナはじわじわと目尻に涙を溜め、やがてポロポロと大粒の涙を零す。
「あはは、フィロメナはホント泣き虫だね」
「そっそんなことないわよ!」
フィロメナは目元をごしごしと乱暴に拭う。それでもじわじわとまた涙が溜まってきていた。
「フィロメナ様、寂しくなりますね……」
「そうね……あたし、またみんなに会えるかしら?」
「会えるよ。もしセントゥーロへ来たらいつでも遊びにおいで」
「それよりもフィロメナさん。無理はしないように、ですよ」
「それはあんたの方でしょ、メリー」
フィロメナは泣きながら、ニッと強気な笑みを浮かべる。
「あたし、きっと会いに行くわ! またね、みんな!」
天高く響く明朗で快活な声が、メリーたちの背中を鼓舞するように力強く押した。そして一歩、また一歩と彼女との距離が開いていく。フィロメナはこちらの姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
* * *
カーラントの船に乗り、メリーたちは無事にセントゥーロ王国の王都サントルーサに到着した。今回のことは騎士を取りまとめていた部隊長が代表して王国へ報告したらしい。カーラントの身柄は騎士団預かりとなり、今は投獄されている。
やっとサントルーサに到着し、今は宿屋のラウンジでエルヴェと二人で会話を楽しみながらゆっくりと過ごしていた。
「エルヴェさんは紅茶を淹れるのも本当に上手ですね」
「お褒めいただいて嬉しいです。よろしければ今度は手作りのお菓子も振る舞わせてください」
「いいですね! 私、蜜漬けにした果実の焼き菓子が希望なんですけど……」
「わかりました。腕によりをかけてお応えしますよ」
エルヴェが楽しそうにしているのを見て、こちらも嬉しい気持ちになる。料理上手のエルヴェが作る焼き菓子はきっと絶品なのだろう。今から楽しみで仕方ない。
「いいね、それ。僕も混ぜてくれないかな」
騎士団本部に戻っていたはずのアイゼアが背後からひょっこりと顔を出す。
「今日はもうお戻りになられないのかと思っておりました」
「いや、それなんだけど……明日、二人に登城するようにってお達しが来てね。それを言いに来たんだよ」
急で申し訳ない、とアイゼアは苦笑した。
「と、登城ですか!? 何かお咎めを受けるのでしょうか? やはり拒否権はないのですよね?」
「ないよ。でもお咎めじゃなくて逆だと思うけどね」
王からアイゼアが指名で呼び出され、共に旅していた者も呼ぶようにお達しが来たのだとアイゼアは付け加えた。
エルヴェはあまり気乗りしてないようだが、メリーにとっては好都合だった。むしろ、この時を待っていたと言っても過言ではない。
「セントゥーロ国王からの誘いで直接物申せる機会をもらえるなんて、願ったり叶ったりですね」
「え、ちょ……も、物申す? くれぐれも失礼のないように頼むよ……?」
アイゼアの苦笑がますます苦々しいものへと変わる。少々気の毒ではあるが、こちらも理由なく引っ掻き回そうというのではない。
「相当反感を買うと思いますが、私はそんなこと承知で言うつもりですから」
「メリー、本当に君って人は……」
アイゼアは深いため息と共にがっくりと項垂れた。エルヴェは心配そうに見守りながら、アイゼアにもそっと紅茶を差し出す。
「ところでメリー、君は一体何を言うつもりなんだい?」
「あぁ、それなんですけど──」
* * *
翌日、指定された時間通りに国王との謁見が行われた。アイゼアが少し前に、その後ろにメリーとエルヴェが並んで跪く。
「此度の活躍、大義であった」
「身に余る光栄に存じます、陛下」
国王からの労いの言葉をアイゼアが形式に従って返す。
「そなたたちがストーベルを追い、戦っていなければ恐らく手遅れになったであろう。私はそなたらの働きに応え、褒賞を与えたい。何か望むものを申すが良い。可能な限り叶えよう。アイゼアよ、そなたは何を望む」
「褒賞など恐れ多いことでございます。私は騎士としての勤めを全うしたに過ぎません。ですがもし何か望みを聞き入れていただけるのであれば、後ほど話をさせてはいただけないでしょうか?」
メリーは昨日、アイゼアに何を国王に進言したいのか話をしておいた。アイゼアはその話を快く受け入れ、協力してくれることになったのだ。
「そうか。ではエルヴェよ、そなたの望みを申してみよ」
「……アイゼア様、望みがあれば言っても良いものなのでしょうか? それとも辞退することが正しいのでしょうか?」
エルヴェは小声でアイゼアに尋ねたが、アイゼアが返すより前に国王が答える。
「遠慮せずとも良い」
「はっ、はい。私はベジェという村で暮らしておりましたが、襲撃により村や田畑が荒らされてしまったのです。田畑が荒れたままではあの村の方々は暮らしていけません。どうか住居だけでなく、田畑の復興にも助力していただけないでしょうか?」
エルヴェとアイゼアと初めて会ったときに行った村だ。ミルテイユがけしかけた魔物によって村は荒れ果てていたことを今でも覚えている。
「そなたや村の者たちの心労は察するに余りある。復興のための人員を長期的に派遣すると約束をしよう。では、メレディスよ。そなたの望みを申してみよ」
昨日は物申すなどと勢いづいていたが、この厳格な空気に飲まれ、さすがに緊張を覚えた。下手をすれば自分すら投獄される身となりかねないからだ。
「私の望みは……カーラント・クランベルカの減刑と、我が祖国スピリア連合国の是正に力を貸していただきたく存じます」
その瞬間、国王を取り巻く宰相や大臣、貴族たちがざわめく。ストーベルによる残虐行為の片棒を担いだカーラントは処刑すべきと糾弾する声が上がる。
「静粛にしなさい」
国王の威厳に満ちた静かな声が、この場にいる者全員を黙らせた。沈黙の中、国王はメリーに問いかける。
「聞いての通り、カーラントは大罪を犯した身。メレディスよ、そなたはなぜカーラントの減刑を求める。兄妹の情か?」
「失礼を承知で申し上げます。それは私からお話させていただけないでしょうか?」
「ではそなたに問おう、アイゼア」
「まずこちらを見ていただきたいのですが……」
アイゼアは秘書官に分厚い紙束を手渡し、秘書官が国王へと手渡した。
「カーラントの減刑を求める嘆願書と署名を集めて参りました」
「これほどの人数が……?」
「カーラントは確かにストーベルの配下として加担しておりました。ですがストーベルたちを止める戦いにおいて協力し、多大な貢献をしております。彼がいなければ敗北していた可能性が高かったといっても過言ではありません。おかげで多くの騎士が命を救われ、共に戦った騎士の名がその署名欄に連ねられているのです」
署名の紙は相当な厚さになっていた。アイゼアの呼びかけだけでなく、あの地で戦った騎士たちも協力して集めてくれたのかもしれない。
謁見の間が再びざわめきで埋め尽くされている。そんな馬鹿なことがあるのか、戦った騎士がそう言っているのであればそれが正しいのでは、協力したとはいえ減刑は……など様々な意見が飛び交う。そのざわめきが収束し、国王はしばらく目を伏せて思案したあと、ゆっくりとアイゼアを見つめる。
「戦いで何があったのか、詳しくはこの署名の者たちに聴取し、処断はそれから下すこととする。それで良いか? アイゼアよ」
「陛下の寛大なご配慮を賜り、感謝いたします」
アイゼアは恭しく一礼をした。まずは一つ、交渉結果は上々だ。
残すはもう一つ、こちらは自分がどれだけ説き伏せられるかにかかっている。二人を奪い、多くを歪めてきたスピリア連合国を潰すためにも、なんとか聞き入れてもらわなくては。
「メレディス。そなたはもう一つ、スピリア連合国の是正の協力と申していたな。先に言っておくが、内政干渉はできぬ。ただでさえ此度の件で関係は危うくなっている。深刻な国際問題に発展しかねんような対応はできぬのだ」
非はスピリア側にあるとはいえ、セントゥーロ側としても戦争は避けたいのだろう。霊族と人間の戦争の大半は霊族側の勝利で終わることは歴史が証明している。
人間は何度も霊族に返り討ちにされてきたのだ。スピリアを批判できる立場ではあるが、逆恨みされ、黙らせるために戦争でも吹っかけられたらたまったものではない。極力関わりたくないというのが本音だろう。
「重々承知しております。直接スピリアへ働きかけてほしいわけではないのです。今回の件を世界へ発信する際、調査報告の内容として私とカーラントの告発及び、スピリア国内で繰り返されている非人道的な実験の数々を発信していただきたいのです」
メリーは語気を強めて訴える。国王の目に鋭く厳しい光が見えた。それをどう受け取っていいのかはわからないが、関心を引きつけられたことだけは間違いないだろう。
「……つまり国際世論を味方につけ、スピリアに動かざるを得ない状況を作り出してほしい、ということなのだな」
「はい。忌まわしい実験を繰り返し、魔力による支配を画策する者は何もストーベルやクランベルカ家に限った話ではないのです。あの国はそういった事例が蔓延しております。ここで芽を摘まなければ、また同じようなことが今後起きても不思議ではありません」
「此度のような事が再度……それを捨て置くことはできぬが……」
国王は静かなため息と共に、小さく唸りながら考え込む。やがて伏せられた目が開いた。先程の雰囲気とは打って変わり、真剣で親身になってくれているような気持ちにさせるような目をしていた。
「そなたやカーラントは、知っている全てを話す覚悟があるということだな?」
「はい。クランベルカ家より持ち出した物証も僅かではありますが現存しております。カーラントであれば更なる物証を研究所から掬い上げることも可能です」
「その物証を今見ることはできるのか?」
「はい。こちらがその物証でございます」
メリーはメラングラムの研究所から持ち出した混合魔晶石と書類を秘書官に手渡す。
「それは魔力の高い後継者を生み出すための人体実験の資料です。魔晶石は複数の属性を一つに固めたものなのですが、問題なのはそれに使われているのは全て霊族の命だということです」
国王は驚きに目を見開き、混合魔晶石を光にかざしながら凝視する。
「霊族は魔晶石になるという話は聞いたことがあるが、それを用いているということか?」
人間の国の王だが、魔術に関しても造詣が深いらしい。前回謁見した際にもスピリアのしきたりに詳しかったことを思い出す。セントゥーロの国王はかなり勤勉な人なのだろう。
「仰る通りです。陛下が持っておられる混合魔晶石は、複数人の命を無理矢理一つに固めたものです」
「人命を……禍根は相当深刻なようだな。更に物証を集め、そなたの証言に確証が得られるようであれば告発も同時に発信すると約束しよう」
「ご助力感謝いたします」
メリーもアイゼアに倣い、恭しく礼をした。
「……告発をし、上手く国際世論を味方につけてスピリアを動かせたとしよう。そこから国を変革できるかはそなたの……否、そなたらの手にかかっている。一個人が大きなものを動かすことは決して容易なことではない。私がそなたの力になれるのはこの程度でしかない。国内でも助力してくれる者を探し、味方にすることを忘れぬよう」
国王の言葉にメリーは動揺した。この人は本当にこちらの事情を憂えてくれているのだとわかったからだ。
国王は自国を優先して当然だ。むしろそうでなくてはならない。もちろん禍根を断つためというのが一番の理由だろうが、それでも他国の事情に心を痛め、僅かでも力を貸そうとしてくれたことに感謝と畏敬の念が込み上げた。
本来であればメリーもクランベルカ家の一員として責め立てられてもおかしくない立場だというのに。
「ご忠告痛み入ります」
メリーは国王の言葉を噛み締め、心に刻んだ。
「アイゼア、メレディス、そなたらの願いを聞き入れるかは調査が済み次第判断する。報告は追ってさせる」
こうして国王との謁見が終わり、三人はやっと緊張から解放された。
宿屋への帰路につき、夕暮れの街を歩く。夕食はアイゼアのオススメの居酒屋に連れて行ってもらった。エルヴェは料理を興味深そうに観察していて楽しそうにしているし、アイゼアは本当によく食べる人だ。
エルヴェがアイゼアに食の感想を聞くが、味覚に自信がないのか返答はどうにも的外れだった。エルヴェはアイゼアの注文したものを取皿に分け、次から次へとメリーに差し出す。
期待の眼差しに応えて感想を口にすると、アイゼアのときよりは好感触そうな表情で頷いて聞いてくれた。
人目を気にせず、陰口も叩かれることなく、友人と賑やかに店で食事を楽しむのは人生で初めてだった。そう言うと、二人はちょっと悲しそうな顔をして更にメリーの前に料理を差し出してきた。そんなに大食いではないのだが。
アイゼアはお酒を片手にいろんな話をしてくれたし、メリーも小さなグラスに一杯だけもらって、これまでの旅の話をした。
スイウと旅が始まったときのこと、フィロメナとスイウだけで旅をしたときのこと。辛く苦しいことも多かったが、今は少しだけ笑って話せる。
それからフィロメナがいたらきっとこの料理は感激してたんじゃないかとか、スイウにお酒を飲ませてみたかったとか、たまにちょっとしんみりしながらも終始楽しい時間が過ぎていく。美味しいものを食べて、たくさん二人と会話を交わした。
ミュールとフランのいない世界。
スイウとフィロメナと別れた世界。
それでも世界は刻一刻と進んでいく。寂しい思いを抱えながら、それでも胸が弾むような楽しいひとときを過ごして、これからを生きていくのだろう。




