084 その瞳は常に前へ(2)【メリー視点】
ストーベルの“理想郷”を、価値観や思考が似ているからこそメリーは理解してしまった。『導手再誕計画』とは、先代当主フレッサを導き手として蘇らせる計画。優しい人が死ななくて済む世界とは、フレッサが弱者を庇って死なずに済む可能性を……仇である人間を徹底排除した世界。
全ては大切な人のために。そのためなら自身の全てを捧げ、世界すら滅ぼすことも厭わない。
──支配のための破壊じゃない。これは……復讐だ。
ストーベルはフレッサを失った悲しみと憎しみを、人間へと向けたのだ。だが、理解できるからといって、情も共感も動揺も一欠片も湧いてこない。
黒いリボンを握りしめたまま座り込むストーベルに、メリーは容赦なく火球を叩き込む。ストーベルの鋭い眼光がこちらを向き、加減されていない出力で全ての火球を薙ぎ払った。
「……フレッサを傷つけた報いを受けてもらう……楽には死なせんぞ、メリー!!」
ストーベルは炎術を光線のように照射してくる。メリーは間一髪で魔術障壁で受け止めた。魔力の限り延々と浴びせられる光線に、魔術障壁の耐久が削られていく。
「あなたの思惑も事情もどうでもいい。ミュール兄さんとフランを殺した罪、その命をもって清算してもらうまでです……!」
メリーはカバンから魔術試験管を引き抜き、投げつける。氷術が炸裂した瞬間、ストーベルは魔術障壁を張り、光線が途絶えた。
メリーは地面を踏み込み、炎狼を二匹作り出しながら、ストーベルへと肉薄する。杖を逆手に持ち、首を目がけて突き出すが、杖に往なされて攻撃が逸れる。
「魔力切れのお前に負けるほど甘くはないわ……!」
ストーベルは瞬時に後退し、術式をこちらへ放った。溶岩の波がメリーの身長の数倍の高さでこちらを飲み込もうと押し寄せてくる。
強烈な魔力と激情を孕んだ、強力な術式だ。きっと魔術の知識がなければ、見た目の恐ろしさに惑わされていただろう。知識を授けてくれたミュールと自身の魔術の才能に感謝した。
もう『父さんの呪い』にメリーはかかってはいない。父さんは絶対。父さんには敵わない。父さんは恐ろしい。父さんは素晴らしい。精神に刷り込まれた呪いはもう解けたのだ。
「弱い。こんなもんですか……ストーベル」
「安い挑発か。それとも虚勢か?」
媒体に魔力を込め、圧縮していく。押し寄せる溶岩の波の脆い部分を冷静に見極めるため意識を集中させた。迫る熱がじりじりと肌を焼く。寸前で見抜いたその一点へ鋭く火球を放つ。溶岩の波は火球と共に一瞬にして弾け飛んだ。
「火球ごときに、私の魔術が破られた……?」
大技ほど魔力の制御は難しく、広がりやすい。ストーベルの魔力であれば大抵の魔術士にはそれでも勝てるだろう。だがそれは誰にでも通用するわけではない。
「あなたは自分が優れた霊族だと思ってるみたいですけど、それは妄想です」
ストーベルに勝てなかったのは精神的に支配され、思い込まされていたことが大きい。そしてもう一つ大きな要因がある。
「一人だとこんなにも弱い。あなただけで私に敵うとでも思いましたか?」
魔術士の一対一の戦いは、個々の精神状態にも左右されるが、基本的には個人の能力と技量がそのまま勝敗に直結する。だからこそ格上相手には必ず複数人で挑むのだ。
「術を一つ破ったくらいで舞い上がるとは、おめでたい。お前は私より格下だ。魔力量だけが魔術ではない。お前には魔力以外のものが圧倒的に足りていない」
「知ってますよ。でもそれはミュール兄さんが教えてくれました。見誤りましたね」
ストーベルはグリモワールを手に入れ、あたかも自分が世界を支配できるだけの力を得たと勘違いした。その結果、不要とばかりに周囲の者たちを切り捨てた。
ミュール、フラン、グースとハックル、ミルテイユ、ジューン、カーラント、ジェスタ、ジュニパー、ホワートル、そしてメリー。他にも知らないだけで、切り捨てられた者たちが大勢いるだろう。
精神を掌握し、従えさせ、数の力で権威を振るっていたストーベルが、その強みを捨てて捨てて捨て続けてここまで来た。誰も味方してくれない一人ぼっちのメリーが、一人、二人と仲間を増やして、たくさんの人に支えられてここまで来た。
そうしてストーベルはじわりと追い込まれている。それに気づいていないのか、気づかないフリをしているのか。何にせよグリモワールさえあれば全てが叶うという驕りが足元を掬ったのだ。
ストーベルが鋭く放った炎の槍を火球で相殺する。再度火球に魔術を消されたことに余程驚いたのか、ストーベルは目を見開いた。
「誰も助けに来てくれませんね」
交戦を始めたときよりも戦いが劣勢に傾き、精神面を崩しつつあるストーベルの魔力は少しずつ精彩を欠いてきている。カーラントと策を話し合ったときに少しだけ教えてくれた知識が役に立っていた。
精神を崩しても幻術使いとは違い無力化することはできない。だが少しずつ崩して優位に立ち、弱気にさせることで、魔術の完成度に影響を及ぼすことができると。
「格下はそっちですよ、ストーベル。あなたは一人では何もできない」
メリーは媒体に魔力を注ぎ、火球を大量に滞留させる。
「何を言う……お前自身が一人ではないか。私には大勢の部下がいる」
「その部下、切り捨て過ぎてもう誰も残ってませんけど?」
ストーベルへ向けて畳み掛けるように火球を放っていく。一つ一つは小さくとも、圧縮する魔力量によっては見た目以上の威力が出る。そして数が重なればそれは個々の持つ威力以上のものを発揮する。
もちろんこの程度の魔術ではストーベルを殺す決定打には到底なり得ない。それでもストーベルを焦らせ、余裕を奪い、劣勢へと追い込むには十分だ。
ストーベルと火球の打ち合いとなり、持ち前の威力と瞬発力で徐々にメリーが押していく。ストーベルは障壁を展開したが、それすらも火球の物量で叩き割った。
「何だこの物量は……魔力切れではなかったのか? この……バケモノがっ!!」
技術や知識を授けてくれたミュール、カーラント。力を合わせることを教えてくれた仲間たち。それらがメリーの中で糧となり、ストーベルを打ち破ろうとしていた。
「あなたはグリモワールの力に溺れ、自分を実力以上に過信し過ぎました」
爆発を伴う火球がいくつも直撃し、ストーベルを吹き飛ばした。一人では敵わなかった相手だった。この旅で出会った仲間たちが、自分をここまで強くしてくれたのだ。
ストーベルの放つなけなしの魔術を杖で薙ぎ払う。火球をかろうじて躱してはいるが、そればかりに気を取られているようだ。
投擲用のナイフを後ろ手に持ち、火球に紛れさせて投げる。避ける方向を誘導し、ナイフがストーベルの右足に命中した。
「こんなナイフで足止めのつもりか?」
「そうですよ」
その瞬間、ストーベルは右足から崩れ片膝をつく。
「……毒を盛ったな。魔術士の風上にも置けんヤツめ」
「魔法薬って便利だと思いませんか?」
「魔法薬学……卑怯で脆弱な者共の学問だ」
「この麻痺薬、ミュール兄さんの体の痛みを緩和するために開発した失敗作なんですよ」
ナイフに塗っておいた麻痺薬が効いてきたらしく、ストーベルの顔にわかりやすく焦燥が滲む。
ミュールのために鎮痛剤の研究に没頭していたせいで、この手の薬品は得意中の得意だった。ストーベルは足を引きずりながら、こちらと距離を取ろうとしている。
「逃げないでくださいよ」
残っていた左足の腿を付け根から火球で溶断する。今度こそ進む力を失ったストーベルはそのまま地面へと転がった。
往生際が悪くて困るな、と内心思いつつ、諦めの悪さなら自分もあまり人のことは言えたものではないだろうと苦笑する。やはり自分は、この下劣な男の血を色濃く引いているのだと再認識した。
ストーベルとの距離は一気に縮まり、杖の切っ先を眉間につきつける。穢れた魔力と罵られた力が二人の周りを包み込み、ストーベルは杖の切っ先を見つめながら本能的恐怖にガタガタと震え出した。
「なぜ……なぜわからんのだ……お前は私と同じはずなのだ。愛する者のためなら何だろうとやる。わかるだろう? ならば、どんな手段であろうと、ミュールとフランを蘇らせたいはずだ!」
「そうですね。蘇らせる方法があるなら」
「私に手を貸せば、理想郷で二人は蘇る。迷う必要などない!」
ストーベルがフレッサのために、彼女を害さない完璧な世界を作ってから蘇らせようとしている気持ちは理解できる。もしミュールとフランが帰って来るのなら、二人を害さない完璧な世界を作って、呼び戻したいとメリーでも思う。
復讐の旅に出たばかりの頃、メリーは自分の命だけでなく、他人の命も利用して成し遂げようとしていた。あのとき間違いなく、メリーはストーベルと同じ場所にいた。ただ、背中合わせに立っていた。
「確かに迷う必要はないですね」
だが、今は違う。誰かを犠牲にする選択は大勢仲間がいるように見えて一人ぼっちで、真に孤独なものであることを知った。
そして、一人では限界があることも。誰かと手を取り合い、協力し合うことでしか成し得ないものがあることも。
ストーベルと同じ立場だとしたら、メリーも人間を根絶やしにしようとするのかもしれない。知らない人間が何人死のうと、関係ない。邪魔なら消す、それはメリーもストーベルも同じだった。
だが、ストーベルの理想郷は、自分を慕い、従ってくれる仲間の命を薪として焚べて初めて達成される。そこにメリーとストーベルとの決定的な違いがあった。
私が焚べるのは──私の命だけだ。
「私はもう……目的のために仲間の命を焚べるのは、やめたんです」
メリーは杖の切っ先に炎をまとわせる。その揺らめきを見て、ストーベルは腕を使ってジリジリと後退った。
「私はあなたに死んでほしいなんて、もう望みません」
「め、メリー。わかってくれたのか……?」
「いえ、わかりません。別にあなたに望まなくても、自分で奪えばいい話ですので」
その瞬間ストーベルの顔が絶望に凍りつく。
「望む未来は、この手で切り拓く」
振り上げられた杖の切っ先に、ストーベルの目が見開かれる。
「やめろ……メ──」
炎をまとった杖の切っ先を眉間に突き刺すと、ストーベルは喉が焼き切れそうなほどの断末魔の叫びを上げた。耳障りなはずの声がどこか遠くに聞こえた。
ストーベルは頭を押さえながら後ろへと倒れ込む。杖を更に奥へ押し込むとミシミシと嫌な音を立て、同時に肉の焦げる臭いが鼻につく。骨の焼け崩れていく感触と共にゆっくりと顔面が押し潰されていった。
やがて強張って海老反りになっていたストーベルの体から力が抜け、ぐったりと動かなくなる。突き刺さっている杖を引き抜いてもストーベルは動き出すこともなく、気付いたら声も上げなくなっていた。
「……何だ、こんなもんですか」
率直な感想が口から漏れた。ストーベルをやっと殺せたという高揚感はなかった。
憎しみも、怒りも、悲しみも、喜びも、達成感も、爽快感さえもない。ただただ殺すべき男を殺した、果たすべき自身の役目を果たした、という事実と認識だけがそこに横たわっている。
ミュールとフランは……もう戻ってこない。心の中に、静かな隙間風が吹いていた。それでも少しだけ、呼吸が楽になったような気はする。焼け焦げた戦場の空気をゆっくりと吸い込み、静かに吐き出して天を仰いだ。
メリーは価値感も考え方も、ストーベルによく似ていた。どこまでも自分の意思でしか行動する気がなく、“誰かのために”という理由では動かない。
全てを踏みにじってでも自分の信念を押し通そうとする。その利己主義がストーベルのような凶器にならずに済んだのは、メリーの信念を『大切な人を守りたい』という形へ導いたミュールやフランのおかげだった。
もしミュールとフランがメリーに『人』として大切なことを教えてくれていなければ。心を傾け、真正面から向き合ってくれる仲間や友人たちに出会えていなかったら。
──きっと私は、ストーベルと同じ道を歩んでいた。
「これでようやく前に進めます。そうですよね、ミュール兄さん、フラン……」
そう呟いたメリーの瞳はもう、ストーベルの拉げた顔を映しはしない。




