083 その瞳は常に前へ(1)【メリー視点】
「カーラント、アイゼアさんを!」
アイゼアをカーラントに任せ、背後から迫っていたストーベルの魔術を媒体から放つ魔術で相殺する。
突然狙いの矛先をアイゼアに向けさせたことにメリーは憤りを感じていた。目敏く弱みを見せた者を刈り取ろうとするその狡猾さややり口を、嫌というほど理解している。
媒体に魔力を込め、触媒を取り出す。素早く詠唱し、魔術を象るための名を与える。媒体から杖へ完成した術式を付与し、杖で接近戦を挑む。
「あの人間にそこまでしてやる価値があるのか? 魔力を持たぬ下等動物……この世に最も不要な存在だというのに」
「あなたほどではありませんね」
「この私が不要? 愚かなお前には理解できぬか、我が理想の崇高さが」
白い杖は圧縮された炎の力をまとい、鋭い輝きを放っている。寄るもの全てを焼き切らんとするメリーの杖の一撃一撃を、魔力をまとうストーベルの杖が弾き返していた。
「弱者など滅びれば良い。強者を盾に使い、優しさを貪り、守られていることも理解せぬ痴れ者共め……!」
素早く詠唱を済ませたストーベルの術式が地表に大きな法陣を描き、炎の大蛇が召喚され、メリーへと襲いかかってくる。
魔術障壁を展開したが障壁ごと炎の大蛇に飲み込まれ、凄まじい熱と圧迫感でメリーを焼き切ろうとする。杖に溜め込んでいた術を解放し、炎の大蛇を相殺した。
「私は……誰も食い物にされることのない理想郷を実現する!!」
何と浅はかでくだらない野心だろうか、とメリーは目眩を覚える。弱者を守る強者という構図を“食い物にされている”と最もらしく語っているが、結局のところ自分に不都合な者を切り捨てたいだけにしか聞こえない。
こんな理想とも呼べない理想のために、ミュールとフランは殺されたのだ。聞けば聞くほどに、憎しみの炎がメリーの心を燃え上がらせていく。
「くだらない。今ここで、私の手で終わらせます」
次から次へと襲いかかる炎術を躱し、こちらからも攻撃を放って打ち消す。もうずっとこんな魔術の応酬が続いている。
呼吸は乱れ息苦しい。魔力はスイウに割かれた分まで急速に減っていく。火傷の疼くような痛みが焦燥を煽った。熱風にやられ、喀血して咳き込む。じりじりと追い詰められているのはわかっていた。
「まだ立ち上がるか。相変わらずしぶとさだけは一人前だな」
地面に何度叩きつけられようとすぐに体勢を立て直し、立ち上がることはやめなかった。この心は決して折れない。折らせない。
「ミュール兄さんとフランを殺したあなただけは……絶対に生きて帰さない……!」
メリーが膝を折れば、二人は安らかに眠れない。二人の命を無意味なものにしたくはなかった。二人がいたから未来を拓こうと思えた。二人がいたから、メリーは皆と共にここまで来られた。
ここで屈すれば、二人の命はくだらない野望のための礎となってしまう。それでは二人の願いも命も尊厳も何もかもが踏みにじられたままだ。
命も願いもこの手は救うことができなかった。ならばせめて最後に残る二人の尊厳だけは守り抜かなければ。
この手が世界を救うというのなら、この手がストーベルの野望を終わらせるというのなら、それはメリーだけではなく二人の力でもある。この手はメリーの手であり、ミュールの手であり、フランの手でもあるのだ。二人の命はくだらない野望のためでなく、未来のために、人々のためにあったのだと証明したかった。
「ミュールか……アレは元々体も弱いわ、人の情を捨てきれぬわで、弱者の極みのような男だったな。魔力や魔術の才覚はあっただけに惜しい存在ではあったが。そういえば、ノルタンダールでの暮らしは楽しかったか、メリー?」
ストーベルの見下しきった目がメリーを見据える。
「アレが命を絶たないよう保つのは苦労した。お前の性格は扱い難かったが、共に住まわせてからは献身的に介護していたと聞いている。おかげでアレは使命を全うすることもできた。メリー、お前を褒めてやろう」
まるで物のような扱いで語るストーベルに激しい怒りと殺意が沸き立つ。冷静さを欠いた方が負ける、そう口にしていたミュールの言葉を思い出し、悔しさを噛み殺した。
「ミュールもお前を手放し難かっただろう。アレは賢い……お前が私に利用され、傍に置かれていることに気づいていたはずだ。だが解放して逃さなかった……なぜかわかるか? それは『弱い』からだ。アレは自分の幸福を維持するために、お前ともう一人のゴミを共に犠牲に──食い物にすることを選んだ。虚無感と絶望に一人取り残されるのが怖かったのだろうなぁ。全てが私の想定通りだった」
何もかも上手く事が運んだとばかりにストーベルは自己陶酔に溺れ、体を打ち震わせて嗤う。
だがメリーは知っている。仮にミュールにそういった弱く脆い気持ちがあったのだとしても、真に強い人だったということを。ミュールは一度、メリーにフランを連れて逃げるように言ったことがあった。
もし自身の幸福を手放すことが怖かったというのなら、ミュールはその恐怖を押し殺し、メリーとフランの幸せと未来を優先したということだ。
ミュールは今でも尊敬と憧れに値する兄だ。それをストーベルは知らない。勝手な妄想を意気揚々とぶちまけているに過ぎない。その滑稽さがあまりにも可笑しくて笑いが抑えられなくなり吹き出す。
「どうした? 尊敬していたミュールにすら利用されていたと知って壊れたか?」
「いいえ、嬉しくてたまらないんですよ。私が最期までミュール兄さんの希望になれたのなら、それは本望ですから」
たとえストーベルの目論見通りに進み、仕組まれて共に暮らした関係だったとしても、そこにあった小さな幸せと互いを思う気持ちに嘘や偽りはなかった。その証拠が、今もメリーの髪と共に揺れている。自分は決して一人ではない。
「そんな薄っぺらい言葉で私たちの思い出を覆せるわけもない」
同時に気づく。魔術の形も一つではない。強い者には強い術式でなければ敵わないというのは常識だが固定観念でもある。
強力な術式も、圧縮した魔力をまとわせた接近戦も、ストーベルには一切通用しなかった。魔力も技術もこちらが上のはずなのに、だ。術や動きを簡単に見破られ、的確に防いでくるのは経験の差なのかもしれない。
メリーは一人ではここまでこれなかったことを思い返していた。足りないときは、皆の力を合わせて乗り越えてきた。魔術も人が寄り集まれば強化できるように、きっと同じなのだ。
媒体に魔力を流し、術を展開する。目の前に現れた法陣から狼の形をした炎の塊が群れを成し、縦横無尽にストーベルへと飛びかかっていく。
「この程度の中級魔術で私に敵うとでも思ったか。さては魔力切れか。魔力量の調節と配分もできぬとは、まだまだ青いな、メリー!」
メリーにとってはほぼ瞬きの速さで展開できる、難しくない難度の術式だ。ストーベルは火球と杖で炎狼たちを蹴散らしていくが、次から次へと来る狼の数に追いつけず魔術障壁を展開する。
ストーベルの顔に、僅かに焦燥が滲んだ瞬間だった。徐々に障壁は崩され、突き破った一匹がストーベルの三つ編みになっている後ろ髪を食い千切る。
「フレッサ!!」
ストーベルは血相を変え、炎狼に対して過剰すぎる魔力で相殺すると、すぐさま千切れた髪に駆け寄る。自身の髪の前で膝をついてそっと掬い上げると、髪に……髪を束ねていた黒いリボンに頬に寄せる。まるでそこに──最愛の人がいるかのように。
「フレッサ……フレッサ……!!」
その名前に、メリーは聞き覚えがあった。そしてストーベルの理想が何であるかを、理解してしまった。
フレッサ。フレッサ・クランベルカ。ストーベルの前、先代当主であり、ストーベルの姉でもあった人物。炎霊族にしては珍しく革新的でありながら、領民からの信頼も厚かった。
そして彼女はこう語り継がれている。領内を旅していた人間を魔物から庇い、命を落とした“心優しき”当主……と。




