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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
本編:未来を負う者たちと、過去を追う者
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007 海峡の空に舞いて【メリー視点】

──『厄災の種』と名付けられた赤い流星は負の気を放つ。

 精霊、妖魔は負を溜め込み、狂い始める。

 負の気に(むしば)まれ、やがて禍々(まがまが)しい負の結晶を生み出し、体に宿すのだ。──


 ティム・パーシング著『終焉の黄昏と世界の再誕』

 第二章「滅びの序曲」より抜粋。



* * *



 全身を震わすような轟音と揺れに、メリーは跳ね起きる。


「スイウさん! これはっ………スイウ、さん?」


 眠る前にいたはずのスイウはこの部屋にはいない。船が揺れる度に扉の向こうから悲鳴が上がる。何かただ事ではない事態が起きていることだけは間違いなかった。


 フード付きケープを羽織りながら廊下へ出ると、客室へ避難しようとする乗客でごった返していた。おそらくこの流れとは反対の方向にその原因はあるはずだ。


「すみませんっ! 通してください!」

 声を張りながら、流れに逆らうようにして懸命に進む。


「ちょっと、どこへ行くの!」

 左腕を掴まれ、すぐそばから声がした。掴まれた腕の先には少しふくよかな中年の女性が、流れの方向へと手を引いてくる。


「すみません、急いでるので」

「外には魔物がいるんだよ! 危ないからやめなさい!」

 女性は厳しい口調で咎めるがメリーには逆効果だった。何が起こっているか把握した今、スイウがこの先にいることを確信していた。

 魔物に襲われているのであれば撃退しなくては。こんなところで船ごと海に沈められるわけにはいかない。


「放して下さい。友人がこの先にいるのでっ」

「とっ、友達が?」

 適当な嘘をついて女性が動揺した隙に、メリーは力尽くで手を振り払うと再び流れに逆らい始める。


「友達もきっとすぐに避難してくるよ! 戻ってらっしゃい!」

 女性の静止の声が後方から飛んでくる。スイウはきっと避難なんてしてこないだろう。メリーはその声を無視し甲板(かんぱん)へと向かった。



 甲板の階段を人をかき分けて何とか上りきる。徐々に人の声が遠のき、複数の鳥の魔物の声が聞こえた。


 前方に濃藍色(こいあいいろ)の羽織と生成(きな)り色のマフラーを(ひるがえ)し、魔物と戦うスイウの姿が目に飛び込んでくる。


 刀は冷気をまとい、白銀に閃く。剣筋は力強く荒々しいが、まるで相手の出方をわかりきっているかのように的確で一切の無駄がない。その剣捌きは恐ろしいほどに冴え渡っている。


 彼の周囲には事切れた魔物が何体も散乱し、甲板の床は散った羽と血で染まっていた。数人の船員も魔術で応戦し、少しずつ数を減らしている。


 フッと大きな影が甲板に走る。上空を見上げると一際大きな鳥の魔物がこちらを伺うように旋回している。美しい白雪のような羽を持つその巨大な鳥は、青い空によく映えていた。


雪華鳥(せっかちょう)……!」


 なぜこの海峡に、とメリーは思った。雪華鳥(せっかちょう)はメラングラムの北西にあるヴェンデニア山脈に住む魔物だ。『風を打ち消すもの』とも呼ばれる雪華鳥(せっかちょう)は他の魔物とは一線を画す。厳密に言えば魔物ではなく、魔物に近い精霊……妖魔だ。


 生態系にも関わる雪華鳥(せっかちょう)は、周辺に住む者にとって山脈と雪原の守り神と崇められる存在でもある。人を襲ったという話もほとんど聞いたことがなかった。上空を呆然と見上げているメリーの耳にスイウの声が飛び込んでくる。


「メリー! あのでかい鳥を落とせ!」

雪華鳥(せっかちょう)はただの魔物ではなく妖魔です! 追い払いますっ」

「はぁぁーっ?」


 メリーの返答に、スイウは今までにないほどの驚いた表情をする。当然だ。

 人は平然と殺しておいて魔物は殺したくないなんて、普通気が狂ったと思われてもおかしくない。だがメリーにとっては罰当たりなような、妙な感覚なのだ。


「私たちにとって雪華鳥(せっかちょう)は守り神的なものなんですっ!」

 スイウは魔物たちと戦闘を続けながら小さく舌打ちする。


「信仰心っつーのはマジで面倒だな」

「信仰心ってほどでもないですけど……」

 霊族には少なからず精霊信仰的な考え方はあるが、メリーとしては生態系が狂いそうという心配の方が上であった。


「何でもいい、鳥の胸元に黒い石があるだろ」

「えっ、く、黒い石ですか?」

「あれを壊せば何とかなるかもしれん」

 上空を見上げると、確かに胸元に妖しく光る黒い宝石のようなものが突き出ている。メリーは杖を虚空から呼び出し、構えた。


「石に魔術は効かん。とりあえず魔物の数を減らすぞ」

「わかりました」

 メリーは杖を逆さまに構える。逆さまの杖の先端は刺突できるような形状で、短槍のようにして扱えるようになっている。

 決して得意ではないが、接近戦にも対応できるよう訓練はしていた。足手まといにはならないはずだ。


「雑魚には魔術効くだろ。何でわざわざお前が接近戦を──」

 苛立たしげに話していたスイウはそこで口を(つぐ)む。


「ったく、面倒だな……」

 スイウは群がる鳥たちを八つ当たりするかのように斬り伏せていく。どこへでも逃げれる陸地ならともかく、ここは船上だ。メリーが魔力を使えば『黄昏の月』であることが他の霊族に知られてしまう。


 そうなれば妖魔を操っただのと濡れ衣を着せられる可能性は十分にある。『黄昏の月』は魔に魅入られ、魔性へ身を堕としやすいというのは霊族の間では定説だ。


 メリーは魔物の群れへと飛び込み、襲いかかる魔物を薙ぎ払う。繰り出される攻撃を右前方へ(かわ)しながら、背後へ回り込み突き刺す。一体ずつ潰しても、どこからともなく湧いてきているのではないかと思うほどの量だ。


「キリがないですね」


 あまり使いたくなかったと思いつつ、メリーはカバンの中にある魔術試験管を一本取り出す。中には小さく砕いた魔晶石と触媒を詰め、時間をかけて術式として完成させた試験管だ。


 自然から生成したもので作られた純粋な魔力を詰めたこの試験管ならメリーの魔力は介在していない。これを使用する分には正体がバレることもない。

 試験管を宙へ放り、杖の先で薙ぐ。パキッと音を立てて割れた試験管から術式が展開し始める。


「スイウさん伏せて!」

 急速に膨張する魔力に、応戦していた船員も慌てて伏せる。力場を起点にし耳を(つんざ)くような音と共に、平面かつ放射状に稲妻が走った。雷術は魔物と魔物を繋ぐようにして広がり、やがてぼとぼとと音を立てて落ちていく。


「メリー!」

 術が収束するなり、スイウがこちらへ駆けてくる。伏せた姿勢のまま呆気に取られていると、姿勢を低くしたスイウに拾われ小脇に抱えられる。


「えっ、えぇ? どんだけ力あるんですかっ!」

 スイウはそれなりに体重もあるはずのメリーを軽々と運ぶ。まるで風のように軽い身のこなしで手すりに飛び乗り、更にそこから高く跳躍する。


「一発で決めろ。しくじったらあの鳥はぶち落とす」

 スイウの左手がメリーの右腕を掴む。右手が腰から離れると左腕を掴まれ、ぐるんと一回転したかと思うと、力任せに高く放り投げられた。


「わあぁぁーっっ!! 何するんですかぁーー!!!」

 急速に遠退(とおの)いていく甲板となぜか無表情で敬礼しているスイウの姿。次に見えたのは上空の妖魔。ゆっくりと回転しているせいか交互に視界に入ってくる。


 石を壊すために近づく方法がこんな荒々しい手段だと思わず、混乱している思考を落ち着けるようにメリーは強く杖を握った。


機会は一度だけ──


 重力の力で徐々に減速し、標的をハッキリと視界に捉えられるようになる。杖を逆手に持ち、その切っ先を狙いに定め、ギリギリのタイミングを待つ。


 距離は十分。体が上昇をやめ、フッと浮遊感に包まれる瞬間、切っ先を力いっぱい胸元へと突き立てる。黒い宝石はビシッと音を立てて亀裂が入り、砕け散った。雪華鳥(せっかちょう)は悲鳴を上げると、逃げるように山脈の方角へと飛び去っていく。何とか成功したことにメリーはホッと胸を撫で下ろす。


「やりましたよ! スイウさ──」


 重力に抗うことのできなくなった体が急速に落下を始める。風術を使えれば問題ないのだが、正体云々以前にメリーはそもそも風属性を扱えない。


 尋常ではない速度でぐんぐん近づいてくる甲板の床、両腕で頭を庇い、迫ってくる床を見ないようギュッと目を閉じる。


──痛みはない。落下の時に感じていた風も圧力もない。


 代わりにふわりとした浮遊感と背中に添えられた手の温もりを感じた。恐る恐る目を開けると景色はやっぱり甲板の床だ。だがその迫る速度は圧倒的にゆっくりで、ストンという軽い音と共に落下も終わりを告げる。


「投げた後のこと考えてなかった。悪かったな」

「うっかり死ぬかと思いましたよっ」

「安心しろ。契約してんだから、死なば諸共(もろとも)だ」

 全くその通りなのだが、だからといってその言葉のどの辺に安心すれば良いというのか。

 丸太を担ぐような格好で抱えられたメリーは、自分の情けない姿と恐怖から解放された安堵(あんど)からがっくりと項垂(うなだ)れる。


「それ洒落になってませんよ」

 わざとらしく大きなため息と共に文句をつけてやる。


「冗談だ。ちゃんと拾ってやっただろ? 大げさな」

 表情は見えないが、ふっと小さく笑う声が聞こえる。どこか楽しそうな声色は初めて聞くものだった。



* * *



 もうすっかり日も暮れ、外は黒のインクで塗りつぶしたかのように何も見えない。


 あの騒動の後すぐに二人は客室にこもった。ただ騒動前の客室とは違う。お礼がしたいと言って聞かない船員があまりにもしつこく、無駄に注目が集まってしまったために、さっさと受け入れることにしたのだ。


 部屋はこの船の客室の中でも高いランクなのか、ベッドだけでいっぱいいっぱいだった前の狭い客室とは比べ物にならない。ソファや美しいデザインのテーブル、ベッドは四つもあり、寝具も良いものが使われているのかふかふかだった。


 そしてもう一つ、丁寧に調理された夕食がこの部屋に運ばれていることだ。かぼちゃのポタージュからはほわほわと湯気が上がり、スモークサーモンのマリネは色の濃い野菜と共に華やかさを添えている。


 つやつやでふっくらとしたオムレツ、何より厚切りのローストビーフは赤身とソースのコントラストが食欲をそそる。デザートにはプリンまでしっかりつけてもらった。メニューを見て、全て自分で注文したものばかりだ。


「いただきます」

 早速ポタージュを口に運ぶ。とろりととろけるような舌触りと牛乳の濃厚さがかぼちゃのまろやかさと甘みを引き立てている。

 数日ぶりのまともな食事にじんわりと感動しつつも、ミュールやフランにも食べさせてあげたかったと寂しさが込み上げた。


「美味しいですね、スイウさん」

 思考を切り替えるように、目の前の人物に話しかける。魔族は食べなくても大丈夫だと言っていたが、二人分を平らげる自信はメリーにはなくスイウにも食べるように勧めてみたのだが……


 正面を見ると、スイウは眉間にシワを寄せていた。口に合わなかったのだろうかと静かに観察していると、フォークとナイフの使い方が若干ぎこちないのがわかる。


 食事をしないのであれば、カトラリーを使う機会もないはずだ。むしろ初めてなら、使い方を教えてもいない道具を器用に扱えている方だ。ふと、スイウが左手で刀を扱っていた姿が頭に浮かぶ。


「スイウさん、左利きならフォークとナイフは逆の方が使いやすいと思いますよ」

「……そうか」

 スイウは素直にフォークとナイフを持つ手を入れ替える。おそらく右利きのメリーの持ち方を見て真似ていたのだろう。


「スイウさんは今まで何か食べたりはしなかったんですか?」

「木の実とか果物、あと水は飲んだことがある。だが一々調理はしないし必要もないからな」

 そう話しながらも、すでにカトラリーの使い方が馴染み始めているのには感心する。


「メリーは使い慣れてるな」

「人は食事をするから、みんな慣れてると思いますが?」

 確かに習慣のないスイウに比べれば慣れているが、それはメリーに限ったことではなく人であれば当たり前だ。


「ずいぶん恵まれた環境で育ったんだな」

 想定外の言葉にスイウの言いたいことが汲み取れず首を傾げる。


「動きに無駄がないし、甲板で食べてたヤツらより丁寧だ。それだけの教養を身に着けられる環境にいたって言いたいだけだ」

 スイウはちょいちょいとオムレツを指差す。


「甲板にいたヤツらはフォーク一本かスプーンで食べてたからな」

 その言葉を聞き、メリーはオムレツに使っていたナイフを置く。


「所作一つでそいつがどんな育ち方をしたか何となくわかる。ナイフもフォークも揃ってて、そうやって食べるように教えられた。貧乏で食うに困ってるヤツらもお前や他のヤツらと同じように道具を上手く使いこなせると思うか?」

「それは……」

 確かにスイウの言うとおりだ。使う習慣がなければ上手くは扱えない。そういう人の存在に思考が働かない程度には、貧しい人の暮らしはメリーにとって遠い世界の話だった。


「別に説教したいわけじゃない。もっと一般人に擬態しないと些細なとこから探りを入れてくるヤツもいるって忠告したかっただけだ」

 スイウはフォークとナイフを置くと、おもむろにスープの皿を持ち上げ、あろうことか直接ごくごくと飲み始めた。


「ちょ、スイウさんっ。それはマナー違反です! あと音を立てるのもダメなんですよ!」

「そんなちっさい(さじ)で一々掬ってられるか。腹に入れば同じだろ」

「スイウさんも変に探られたくなければ、最低限のマナーは必要ですよ。私がビシビシ指導してあげますねっ!」

 この後メリーとスイウの食事マナー講座が開催され、全て食べ終わる頃にはすっかり料理も冷めきっていた。



* * *



 翌朝、船は無事にセントゥーロ王国領の港町エスノへと到着した。二人は早速、ベジェという村を目指す。エスノから街道を歩いて半日ほどの比較的近くに位置する農村だ。


 エスノでは、そのベジェという村が魔物に襲撃されたという話題ばかりが飛び交っている。二人は船上で魔物を撃退したせいで「昨日みたいに退治してくれよ」などと何度も絡まれる羽目になった。ろくに情報収集もできないまま最低限の準備だけを済ませて逃げるように出立した。



 ここのところ天候にも恵まれ、見渡す限りの草原に通った街道には、少しひんやりとした心地良い風が吹き抜けていく。これから魔物に襲撃された村へ向かうとは思えない清々しさだ。


「襲撃した場所にグリモワールを盗んだ人がいるんでしょうか?」

「まぁ、まずいないだろ。そもそもこれがグリモワールの仕業とも限らないしな。だが手がかりを掴めないことには動きようもない」


 ストーベルの行方もわからない今、メリーが次に向かうのは首都のサントルーサにある研究所だが、そこにミュールやストーベルがいるとは限らない。

 そしてグリモワールの件も決してスイウだけの問題ではない。世界が終わってしまうというのであればメリーにとっても無関係な話ではなかった。


 ベジェに何か手がかりがあることを祈るしかない。先の見えない焦燥感を拭うように一歩一歩街道を進んでいく。今の自分にできることはそれだけなのだ。

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