078 黄昏は太陽を追いかけて(2)【メリー視点】
黙々と解除作業に追われる中、一羽の鮮やかな青をまとう小鳥がメリーの肩に乗る。
「使い魔のカワセミか?」
カーラントがこちらを一瞥して呟く。カワセミということはモナカの使い魔だろう。使い魔へ魔力を注ぐと、さえずりがモナカの声に変化する。
『お久しぶりメリー、元気〜? 忙しいと思うから要件だけ言うわね〜』
間延びしたおっとりめの声に毒気を抜かれたような気分になりながらも、作業を続けながら耳を傾ける。要件はおそらくグリモワールの写しの解析結果の話だろう。
『写しからわかることは少なかったんだけど、これは役に立つかもーってこともあったのよ。グリモワールは世界にかけられた大きな呪いなんだと思う。本自体は呪いの塊だね。無数の呪いを集めてぎゅっと一つにしたって感じかなぁ』
だから冥界管理なのかと納得する。初めてフィロメナに会ったときや、天族の魔族や穢れに対する異様な反応を見れば納得だ。穢れの塊のような魔書を傍に置いて管理しようとはならないだろう。おそらくグリモワール自体を作成したのも冥界に住む側の者のはずだ。
『で、大切なのはここから。前に魔物になった双子ちゃんをフィロメナが浄化してたの覚えてる?』
アイゼアの弟と妹が、アイゼアの力になりたいという思いを利用されてグリモワールで魔物化したことがあった。その魔物化を魔力を借りることでフィロメナは浄化しきったのだ。
『グリモワール自体も同じで、天族の力で対抗できると思うんだよね。だから天族に協力してもらうのがいいかなーと。以上、モナカからでした〜』
モナカの提案に思わず口を引き結んだ。天族の生き残りなど存在しているのだろうか。世界のどこかにはいるかもしれない。だが、この島にいる天族は絶望的だ。
となれば最後の頼みの綱はフィロメナになる。今のうちにモナカからの情報を含めて話しておくためにメリーは四人を呼び寄せた。
* * *
「何かあったのか?」
結界の解除に支障が出たと思っているのか、スイウとアイゼアの表情は険しく、エルヴェとフィロメナはどこか不安そうにしている。メリーは空いている方の手にカワセミをのせ、四人へ向けて差し出す。
「モナカさんから連絡が来ました。簡潔に言います。グリモワールは呪いの塊で、対抗するには天族の力が必要だそうです」
「ならあたしの出番ね! 氷漬けになったみんなの分もあたしが頑張るわ。任せてちょうだい!」
使命に燃え、明るく振る舞っているフィロメナをメリーは気の毒に思ってしまった。他の三人の表情を見るに、当事者であるはずのフィロメナ以外は、メリーが本当は何を言いたいのかを察しているようだ。
「承知いたしました。全てを引き換えにしても、フィロメナ様をお守りいたします」
「全てって……エルヴェそれはダメよ! そこまでして守られるわけにはいかないわ。あたしだって自分の身くらい……」
「阿呆が。天族の替えが利かない今、お前が死んだら世界が終わるだろ。お前が嫌がろうが俺らが死のうが最後まで生き残ってもらわないと困る。軽率な行動は慎めよ」
「……わかったわよ」
いつになく妙な迫力と威圧感のあるスイウに、フィロメナが身を縮める。
「それはわかったけど、グリモワール相手にたった一人でフィロメナは持つのかい? 二人を浄化するときに魔力を借りたんだよね?」
アイゼアの不安は、メリーが最も懸念していることでもある。魔力の方はメリーとカーラントだけでも相当量補えるだろうが、メリーの魔力はフィロメナには猛毒だ。
そして確実に魔力が足りる保証もない。前回の堕天に関してはメリーの魔力による要因だったが、体に通常あり得ない量の魔力を受け入れて浄化を行っていた以上、相当な負荷もかかっていたはずだ。
グリモワールを全て浄化しきるための負荷を一身に受け続けたとき、フィロメナの体が耐えきれるとは到底思えなかった。
「現状かなり厳しいと思います」
「メリー様。それはもしや、フィロメナ様は……」
嘘や誤魔化しで隠したところで何も意味は成さない。言うべきことは言う、たとえそれが本人にとって残酷な現実だとしても。それが心から相手を思う誠意なのではないかと、少なくともメリーは信じている。
「ほぼ間違いなく消滅すると私は予測しています」
言葉を選び、配慮しろと責められるかもしれない。だが正直に話そうとするほど、言葉選びが上手くできなくなる。
それでも自分にできる誠意の示し方はこれしかない。あからさまな嘘で取り繕って利用する方が、余程卑怯で狡い選択ではないのか、と。確定された死という結論の前に、嘘は何の意味も成さない。
「僕たちはフィロメナが死ぬとわかってて、浄化を頼むんだね。この世界や僕たちのために死んでくれって言ってるようなもんじゃないか……」
アイゼアは悔しさとやるせなさを滲ませながら顔を顰める。表情を隠そうともしないのを珍しく感じながら見つめていると、おもむろにスイウが口を開いた。
「それが天族の役目だ。気に病む必要ないだろ」
常に役目を重んじていたスイウだからこそ重く、しかし酷く冷たい温度を持って耳に届く。
「スイウ。君はフィロメナが死んでもいいと──」
「思ってるが?」
「……っ! 君はっ!」
「お二人共、お止めください!!」
一触即発のところまできていた二人の間にエルヴェが割って入る。アイゼアがここまでの激しい感情を露わにするのは双子の件以来だろうか。スイウは眉一つ動かさず、無表情でアイゼアを睨みつけていた。
「共に旅をしてきた仲間だろう? 君には情というものがないのかい?」
「あいにく、必要以上の情は持ち合わせてない」
アイゼアの怒りもスイウの言葉もメリーには理解できた。いくらフィロメナが天族とはいえ、死んでも構わないというのはあまりにも言葉として鋭すぎる。
一方で、役目のためならば消滅するのも仕方ないというスイウの意見は至極正論だともメリーは思う。
スイウ自身もまた、魔族としての役目のためなら消滅することを厭わない。だからこそ、その凶器のように鋭い言葉をフィロメナへと向けられるのだ。スイウは同じ鋭さを持った言葉で刺される覚悟をしている。
それはきっとアイゼア自身もわかりきっていることだろう。だからといって彼は、フィロメナが傷ついたり死んでいくことを仕方ないことだと割りきれるような性格でもなかった。
「お前はそのクソ難儀な性格をどうにかしろ……そもそも人と俺らを同列に扱うな。魔族や天族は世界の調整役に過ぎん。そのためだけに存在する。それ以上でも以下でもない」
「僕は君たちをそんなふうには見られない。フィロメナだけじゃない。スイウにだって死んでほしくは……」
「温いことを言うな。俺の役目は最初からグリモワールの回収と破滅の阻止。その過程で消滅するなら仕方ないことだ。俺らが世界のために殉じることは、雨が降って雑草が生えるのと同義だ」
自分やフィロメナが世界のために死ぬことを、この世の摂理なのだとスイウは言いきる。
「だから気に病む理由がないつってんだ。それともお前は、そこらへんの雑草が枯れる度に一々泣き喚いてんのか?」
それはスイウなりの慰めか、それともただ事実を言葉にしただけなのか、メリーにはわからない。アイゼアは諦めたようにスイウから視線を外し、こちらへと視線を向けた。
「メリー、何か方法はないのかい?」
アイゼアの行き場のない嘆きが刺さった。他の道はないのかと求め、赤紫色の瞳が揺れている。
「方法……」
フィロメナには生きてほしい。死んでいいわけがない。だが心のどこかで、誰かがやらねばならないのだという諦めに似た思いもある。自分がフィロメナの立場でも同じことを思うだろう。死にたいわけじゃない。でもやらねばならない、と。
元々自分の命への感覚が希薄なこともあるが、この心はもしかしたら石でできているのかもしれないと時々思うことがある。
「他に生き残りの天族がいてくれれば……」
絶望的な可能性にも関わらず、無意識に口をついて言葉が漏れる。誰もが口を噤み、重苦しい沈黙に包まれたときだった。
「もー……あんたたち、なんて顔してんのよ!」
それは場にそぐわない一際明るいフィロメナの声だった。
「そんなに心配しなくても平気よ。あたし、みんなと旅をして……いろんなものを見て、出会って、考えて、強くなれたと思うの。昔の私だったらきっと怖がって泣いてたんだろうけどね」
フィロメナは自身が消滅するかもしれないと、本当に理解しているのだろうか。そんなふうに感じてしまうほど、今の彼女は明るく晴れやかな顔をしている。
「あたしとみんなは役目が違うだけで同じなのよ。ここにいるみんなが命をかけてて、犠牲になることだって覚悟してる。だからあたしも……覚悟を決めるわ。あたしだけ死にたくないだなんて言ってらんないもの。本当は怖いけど、怖くない。あたしのやるべきことがグリモワールの浄化なら、あんたたちはあたしを……必ずグリモワールの所まで導いて」
フィロメナの言葉は嘘がなく、どこまでも素直だ。だからこそまっすぐに心に突き刺さる。健気で純粋な瞳がキラキラと煌めいている。絶望も不安もまるで視界に入っていないかのようだった。
「でもね……どうせ守って死ぬなら、あんたたちが笑顔で生きてる世界がいいわ。だから、みんな死なないでね……お願いよ」
柔らかな春の日差しのようでいてどこか寂しげな笑みと、真摯な言葉が胸の内を抉っていく。自分という存在を粗雑に扱い、道具のように扱われて生きてきた。命の重さがわかるようでわからなくて、わかったような気でいた。
だがそんなふうに死なないでと言われたら、自分の命にもそれだけの重みと価値があるのではないかと錯覚しそうになる。こんなことのためにフィロメナを消滅させたくない。死なせてたまるか、と強い怒りに似た感情が込み上げた。
話は終わり、それぞれが今すべきことのために解散していく。メリーは重い気持ちを抱えたまま再び結界の解除作業に戻った。
「アイゼア殿、少し残ってはもらえないだろうか?」
立ち去りかけていたアイゼアを引き止めたのは、先程まで沈黙を貫いていたカーラントだった。
「僕? 構わないけど……?」
アイゼアがメリーとカーラントの傍まで近寄る。
「確認したい。今まであなたが彼らをまとめて、策や行動指針を出してきたのではないか?」
「どうだろう……意識したことはないかな。立場上そういう場面は確かにあの中では多かったかもしれないけど」
カーラントの指摘する通り、メリーたち五人がバラバラにならずに一つにまとまってきたのはアイゼアのおかげだろう。
何かしら策を立案したり、騎士団に働きかけての根回しや作戦の成功率を上げる努力を誰よりもしてくれていた。カーラントはそれを同行している間に察したのだろう。
「父様は今の戦力をぶつけて勝てる相手ではない。力も数も状況も圧倒的に分が悪いからな。何か作戦は立てているのかね?」
「ずっと話し合ってはいるんだけど、僕たちは霊族の戦術をほとんど知らない。戦闘経験も魔術の知識も乏しくて、推測をするのも難しい状態だね。何か考えがあれば知恵を貸してくれると助かるよ」
アイゼアは何か方法はないかと眉間にシワを寄せる。そんなアイゼアにこの話をするのは心苦しいが、黙っているわけにもいかないとメリーは口を開く。
「策の話ではないのですが、これからの戦場は天界になるので、下手をすれば私は魔術が一切使えなくなります」
アイゼアの表情が陰り、一人だけ時間が止まったように凍りつく。
「……えっ、魔術が使えなくなるってどういうこと?」
「天界には精霊しかいないはずです。私の魔力は精霊には好かれないので、魔術が発動するかどうか……」
冥界の気を好む妖魔の性質を考えれば、天界に妖魔はいない。そして精霊は冥界の気を嫌い、あまりメリーに協力的ではないのだ。
「触媒を使えば全く使えないってことはないはずですけど、威力が減衰するのは避けられないと思います」
「そっか、頼りにしてたんだけどかなり厳しいね……」
苦笑して誤魔化してくれてはいるものの、落胆したのは確実で、少し心苦しさを覚えた。
「やはりセントゥーロの人間は霊族や魔術に詳しくないのだな。もしよければ私の話を聞いてほしいのだが」
いよいよ手詰まりだと言わんばかりのアイゼアは、少しでも何か手がかりになるものがあればとカーラントに続きを促す。
カーラントが話し始めたのは霊族の戦術の話だった。当主候補として英才教育を受けてきたカーラントは戦術や用兵術にも詳しいはずだ。
「霊族は使える魔術や得意技能、戦況によって役割が大きく変わる。例えばメリーは攻撃特化型だから集団戦の場合は最前線配置が良いだろう。私は防御支援型だから中衛に配置するのが定石だ」
「魔術士を前線に配置?」
信じられないといった様子でアイゼアは首を振る。
「セントゥーロの魔術士は魔力が弱いから後方だな。メリーの魔術には破格の瞬発力と威力がある。少数での近距離戦はさすがに向かないが、混戦が見込める戦いにおいて無詠唱かつ高威力の魔術が最前線で炸裂すれば敵陣に簡単に穴をあけられる」
カーラントの話にアイゼアは真剣に耳を傾ける。メリーとしても用兵術や戦術に関しては簡単な知識しかないため、かなり興味深い話であった。
「それと天界で魔術が使えないという話は、媒体を使えばある程度解消できる。魔力と威力もそれなりに補えるはずだ」
メリーはクロノ鉱石をカーラントから手渡された。これがカーラントの言う媒体だ。
「なるほど。クロノ鉱石ですか。魔術に使用する魔力がほぼ媒体から発せられるなら、冥界の気はかなり抑えられるかもしれませんね」
「これでメリーの魔力の問題はほぼ解決だろう」
魔力を直接行使すれば穢れは当然含んだままだ。だがクロノ鉱石は一度魔力を溜め込む性質を持つ。そこから溜め込んだ魔力を引き出して魔術に変換すれば、魔力に含まれた穢れはかなり抑えられ、威力も実用可能範囲まで引き上げられるはずだ。
「良ければカーラントが中衛に位置する理由も聞かせてくれないかい?」
「あぁ。私は幻術使いだから、そもそも存在自体を敵に気取られない方がいい。全体の状況を判断しつつ陣形の維持や敵を妨害したり撹乱したり、味方の生存率を向上させる防衛を得意としているのだよ」
戦いながら誰かを守るというのは非常に難しい。それに専念し、支援してくれる味方がいればかなり助かるだろう。
「霊族の集団戦の役割は大きく前衛、中衛、後衛、最後衛に分けられる。後衛は魔術を切らすことなく打ち続け、最後衛は大魔術の発動を複数人で行う。霊族同士の戦闘であれば優先的に潰すのは面倒な中衛か防御が厳しい最後衛になる」
そこまでの説明を受け、アイゼアは腕を組みながら僅かに俯いた。
「僕たちの陣営は大半が人間だから、後衛の波状攻撃だけで壊滅するかもしれないね」
「その通りだ。霊族のように魔術障壁か、魔術をかき消す方法を持っていればいいのだが」
「とすると方針は二つ、後衛を最優先で潰すか後衛の波状攻撃を防ぐ方法を考えるか……」
カーラントはアイゼアの方針に頷く。後衛を真っ先に排除する方法か、後衛の攻撃を防ぎきる方法と言われて真っ先に頭をよぎるのは、魔術で薙ぎ払えばいいという短絡的な考えだ。それだけ自分が魔力と技量だけに物を言わせた戦い方に頼り、戦術や策を疎かにしてきた証だろう。
「敵を無力化できれば良いのだろうが……幻術も父様の精鋭たちにどれほど通用するかわからない。私のことは知り尽くされているも同然なのでね」
「幻術は精神が不安定なほどかかりやすいんですよね。相手が有利な状況でストーベルもいる。精神的に乱すのはかなり厳しそうですね」
自身の魔術も若干の不安要素を残しつつ、カーラントさえも当てにならない状況に、こちらの陣営は霊族はいないに等しいのかもしれないと焦燥感に駆られる。人間対霊族の戦いの結果はこれまでの歴史が証明しているように、人間側が圧倒的に弱い。
「そうかな? 精神的に揺さぶればいいなら、僕は案外簡単なんじゃないかって思ってるけど」
アイゼアはいまひとつピンときてないのか首を傾げている。クランベルカ家の者にとってストーベルがどれだけ絶対的な存在なのかをわかっていないのだろう。
「アイゼアさんにはわからないかもしれませんけど、ストーベルのためなら死すらも躊躇わないんです。それもそのストーベル自身がその場にいるんですから、更に強気になってますよ?」
「それはそうだろうね。でも、僕の方法は案外上手くいくんじゃないかって思うんだけどなぁ」
アイゼアは自信があるのか、閃いた案の説明を始める。その内容は至極単純なようでいて、とても有効的だと思えた。
「なるほど……言われてみれば確かにそうだな。試してみる価値はありそうだ」
「よし、なら僕は協力してもらえるよう頼んでくるよ」
そう言うなりアイゼアは街の方へと走って戻っていく。ストーベルへの対抗策は立案された。後はフィロメナの死をどうやって回避するかだ。結界の解除を継続しながら、メリーは何か方法はないかと思案を巡らせていた。




