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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
本編:未来を負う者たちと、過去を追う者
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076 鏡合わせのあなたと【メリー視点】

 船の駆動音が聞こえる。どうやら再び目が覚めてしまったらしい。薄く目を開けると、離れたところに船を操舵するエルヴェと退屈そうに前方の海を眺めるスイウの姿が見える。

 反対側の壁際ではアイゼアとフィロメナが眠っている。規則正しく上下する肩から、二人はしっかり眠れているのがわかった。


 あれから何度浅い眠りを繰り返しただろうか。気分が高ぶっているのか、それとも緊張しているのかはわからないが、どうにも寝付けずメリーは小さく息を吐き出した。


「眠れないのかね」


 近くから、ささやきほどの小さい声が聞こえた。気遣わしげな雰囲気を帯びた声色に思わず眉間にシワが寄るのを感じる。


「カーラント、私のことなんて放っておいてとっとと寝てください」

「私を心配してくれているのか?」

 ジロっと睨みつけてもカーラントが黙ることはなく、(とぼ)けたような顔で気色悪い妄言を口にした。


「本当におめでたい頭ですね」

「冗談だ」

 心底不愉快だと、更に強く顔に出して睨むと、カーラントは小さく鼻で笑った。


「魔力は十分に回復しているから問題ない。それより、この程度で寝れなくなるとは……鍛錬が足りていないのではないか?」

 今度は説教か、と思いつつも至極正論で反論の余地はない。あっさりと舌戦に敗北し、黙り込むしかなかった。


 カーラントは幻術使いとしてかなり優秀だ。幻術は相手の精神や感情に干渉する性質上、術者の精神状態を安定させることがかなり重要な要素となる。優秀な幻術使いとして成立するために、精神や感情の制御に長けていることは絶対条件の一つと言っていい。


 魔術の完成度や威力は、幻術に限らず感情や精神に左右されることも多い。だが精神的に揺らぐと一切使えなくなる幻術と違い、普通の魔術は多少精神が揺らいでも術自体は発動できる。それが単純な魔術と幻術の大きな違いだ。


 こちらの言葉でカーラントの精神を揺さぶったことは何度かあったが、それでも幻術自体を破ることはできなかった。精神が乱れても幻術を維持し続けるというのは並大抵のことではない。性格的な才能とそれだけの鍛錬は積んでいるということだろう。


 だからこそこの場でも眠れるだけの強靭な精神がカーラントにはある。そこに自分自身が本質的に幻術に向いていないという現実を感じた。


「顔見知りも大勢いると思いますけど、腕が鈍るようなら消し炭にしますから」

「顔見知りなどと、ずいぶん生温い事を言う。昔あなたに何度も半殺しにされたのを懐かしく感じるな。今日こそ死ぬのかと何度思ったことか」

 思い出したくもない過去のことを蒸し返され、メリーは静かにカーラントの腕を殴りつける。カーラントは、乱暴だな、と呆れを滲ませた声で小さく呟いた。


「……私たち兄弟は父様に全てを捧げ、父様で繋がっているに過ぎない。兄弟間の情など欠片もないことは知っているだろう。私とジューン、あなたとミュール兄様たちの関係の方があの中では特殊だ」


 もちろんそれは知っている。メリー自身もミュールとフラン以外の兄弟たちに全く興味がなかった。今では大切だと思える仲間も、最初は利用価値のことばかり考えていた。


 自分の意識を変えたものが経験なのか時間なのか、その両方なのかはわからない。カーラントは長くストーベルの下で兄弟たちと関わって生きてきた。その積み重ねが何かしら情を生み出していても不思議ではないと何となく思ったのだ。無駄な心配だったらしい。


「私から見れば、カーラントは比較的普通の人の感覚を持っているように見えたんですよ。市民が死んで心を痛めるなんてあり得ません。私にもそんな感情ないですし」

 カーラントはきょとんとしたあと「そうかもしれないな」と呟き、「だが……」と言葉を続ける。


「私はクランベルカ家の中に身を置きながら、今日まで生き残ってきた。それが私がまともではない何よりの証明になる」

 自嘲気味に吐き捨てるカーラントの言葉には同意せざるを得なかった。クランベルカの名を持つ者は、きっと何かしら狂っているところがあるとメリー自身も思っている。


 あの環境の中ではどんなに優秀だろうと、まともな感性の者は早々に壊されて死んでいった。当主候補であったミュールでさえ、そうであったように。


「私はこの戦いに私自身の全てをかける。何かあれば遠慮なく私を使うといい」

 カーラントはサラッと大したことではないと言わんばかりにそう言った。全てをかける、なんて傍から見れば大げさで冗談みたいなやり取りに聞こえるだろう。


 だがカーラントは本気だ。全てをかけると言うのなら、簡単に本気でその全てをなげうってしまえる。自身の信ずるもののために命を捧げることへの抵抗はなく、命というものに対する価値の感覚も希薄なのだ。


 クランベルカの名に連なる者は皆、そうなるように作られている。だからこそ、このカーラントの言葉は手に取るように理解できた。カーラントだけではなくメリーもまた、同じ思考回路を持っているからだ。


 メリーはふとあることを思い出し、カーラントの前にしゃがみ込んで魔力をかざす。


「メリー?」

 こちらが魔力を使っていることを感知しているはずだが、カーラントは怯えることも抵抗することもしなかった。こちらを信用しているのか、もしかしたらここで殺されても別に構わないと思っているだけなのかもしれないが。しばらくして赤い光を放つ法陣がカーラントから浮かび上がる。ストーベルが仕込んだ自爆のための術式だ。


「へぇ、当主候補でも仕込まれてるものなんですねー」

「当然だ。私たちの体はいつでも都合の良いときに死ねるようにできている」

 法陣に魔力で干渉し、術式を一つずつ解除していく。


「あなたも例外ではなかっただろう?」

「ミュール兄さんが三週間かけて解除してくれました」

「壊れた体で解除など、一歩間違えば自分の方が死にかねないだろうに……」

「私やフランのことばかり心配してるような人でしたから」

 自爆術式の解除は自分ではできないようになっている。術式に魔力情報が組み込まれているため、書き換えようとして本人の魔力が加わると起爆するのだ。


「思い出して良かったです。自陣に爆弾を抱えたままストーベルと接触したと考えるだけで寒気がします」

「……父様は驚くだろうな。あのメリーがまさか私を生かすなんて、誰が想像できる?」

 カーラントは力なく笑いながら、少しだけ困ったように息を吐いた。それから間もなく、赤い法陣は薄くなって消えた。術式は無事に解除されたようだ。


「この術式で父様と刺し違えるのも悪くなかったかもしれないな」

 冗談っぽく笑うカーラントの肩を、メリーはまた静かに殴りつけた。


「……少し勘違いしてるみたいですけど、私はあなたを捨て石にするために生かしたわけではありません」


 メリーは鞄から魔晶石と薄い紙束を取り出し、カーラントへと差し出す。スイウと初めて乗り込んだメラングラムの研究所から持ち出した気味の悪い魔晶石と研究資料だ。


「これは混合魔晶石か。資料は……生体魔晶石の実験記録に、器の培養実験の資料だな」

 カーラントは一目見ただけでそれが何であるのかがわかったらしい。無言のまま手錠がかけられた手で資料を捲り、目を通していく。


「導手再誕計画……何か知っていることは?」

 こちら側についた今なら教えてもらえるかもしれない。これまでほとんど口にしてこなかったその計画名をカーラントに尋ねた。それに対してカーラントは、小さく首を横に振った。


「父様は、理想郷の導き手を再び呼び戻すのだと言っていた。そこは優しい者が死ななくて済む世界だと……当主候補の私ですら、父様の真意は聞かされていないのだよ」

「……そうですか」


 目新しい情報を得られず、少しだけ落胆した。ただ『導き手を呼び戻す』という言葉から、理想郷を築き上げたあとの統治はストーベルではなく、その『導き手』にやらせるつもりなのだということだけは察することができた。


「もう、何でもいい。とにかくここまで来たんです。私と一緒に……心中覚悟で、スピリア連合国を潰してください。未来永劫ストーベルのような野望を抱かせないよう、徹底的に」

「それはまた大胆かつ過激な」

「本気なんですけど」

 カーラントは「すまない」と口では言いながら、笑いをこらえて肩を震わせている。


「"スピリアを"潰す、か。こういう実験が他家でも行われているとあなたが知っていたのは少し意外だったな」

「ミュール兄さんから少し聞いてただけで詳しくは知りませんよ。だからカーラントが必要なんです」

 国を変えようなんて自分の柄ではないし、ご立派な志や愛国心は欠片も持ち合わせていない。ただ、ミュールやフランだったら、きっとストーベルを殺したところで全て終わりだとは思わないだろう。だがメリーは破壊することしかできない。


 二人のような犠牲を出さなくて済むよう、自分のような思いをする人をなくせるよう、自分に何ができるのだろうかと考えていた。そしてカーラントがいてくれれば、望む未来が拓けるかもしれないと思い至ったのだ。


 スピリアが行き過ぎた魔力至上主義社会でなければ、二人のような犠牲は出なかったはずだ。理不尽な犠牲や歪んだ思想を大量に生み出したあの国を破壊し、腐敗した者共を一掃してやろうと思ったのだ。自分が未来のためにできることは、きっとこれなのだと。


「カーラントならもっと違法行為の証拠や他家の情報を知ってるでしょうし、引き出せますよね? それに『黄昏の月』の発言は詐欺師の戯言と同じ扱いですから。私が一人で告発してもきっとでっち上げだと一蹴(いっしゅう)されるだけです」

 あの国の『黄昏の月』への偏見は強い。酷い者は、初めから犯罪者や魔物のような恐怖の対象として見てくる。


「確かに。父様に加担していたことが露呈しても、きっとメリーより私の方が話を聞き入れてもらえるだろうな。かなり厳しい戦いにはなるが」

「重々承知です。それでもやってみないとわからないじゃないですか」

「……わかった。あなたがそう言うのであれば、いくらでも協力しよう」


 カーラントは混合魔晶石に優しく触れながら何かを呟いたが、それは静かな空間でも聞き取れないほどの小さな声だった。少しの沈黙の後、カーラントが再度口を開く。


「そうだ、メリー。少し聞いておきたいことがある」

 カーラントの氷色の瞳が暗闇の中でより色味を帯びて浮かび上がる。


「私とあなたが見た幻術の話なのだが、あれは単なる記憶の再現ではないと考えている。記憶と違う行動やそこにないものが存在したりはしなかったか?」

 カーラントに問われ、あのとき見た幻の内容を思い返す。屋敷にいて、二人に連れられてリビングへ行った。


「私の発言に合わせて言葉が変わってたくらいで……」

 出てきた紅茶もケーキもあの日と何も変わらない。贈り物もこの髪飾りで、とそこまで思い出して気づく。


「そういえば……記憶と少し違うことをミュール兄さんが話していましたね」

 ミュールはあの日、髪飾りに込めた思いを語らなかった。だが幻の中ではその話をしてくれたのだ。メリーはあの日と同じように何も追求しなかったにも関わらず。


「やはり、か」


 カーラントの中で何かが確信に変わったのか一つ頷く。カーラントの説明によると、メリーの記憶から再現した幻だった場合、記憶の中の人物が自発的に想定範囲以上の動きをすることはないらしい。


 記憶再現型の幻術は通常の幻術とは異なる特殊な型で、術者は人物の幻影を自由に動かすことができない。それは「対象者の記憶を再現する」という性質上、人物もその再現の一部として扱われ、対象者の記憶にある範囲内の行動に限定されるからだ。


 環境や状況だけを再現し、人物を任意の型の幻影にすり替えるということもできないらしい。そのため記憶とズレが生じることはまずあり得ないという。


 だが実際に見た幻は本来の記憶とは異なっていた。それはつまりメリーの記憶から再現した幻術ではなかったことを示している。であれば、環境や状況そのものを一から作り上げた幻を見せられた以外にあり得ないと言うのだ。


 つまりあの誕生日の出来事ことを知っており、幻術として再現し、カーラントへ幻術返しできる程度の実力の持ち主に限定される。それは自ずと、たった一人の人物を導き出していた。


「ミュール、兄さん? そんなの、それこそあり得ませんよ」

「理由はわからないが、それ以外に答えがないのも事実だ」

 死んだ者がどうやって幻術をかけるというのだろうか。しかしカーラントの表情は冗談を言っているわけでもなく真剣そのものであった。


「……まぁ、真偽はどうあれ、あなたはミュール兄様だと信じればいいのではないか?」

「どういうことですか?」

「最期に一目会って、会話できたようなものだろう」

「あ……」

 鼓動が一つ強く胸を叩く。カーラントに言われて初めて意識をした。あれがミュールの生み出した幻なら、あの場にいたミュールは幻であって幻ではないことになる。


 幻術返しだったということは本来はカーラントだけに幻術がかけられているはずだった。ミュールはわざわざメリーにも幻術をかけたということになる。


「どうしてこの話を?」

「……仮説を立証するための最後の確証が欲しかった。得意分野で完敗したのだから、悔しいだろう?」

「なるほど。鍛錬が足りてないんじゃないですか?」

 先程言われたばかりの嫌味をそのまま返すと、カーラントは手錠をかけられた両手を見つめながら、ミュール兄様には敵わないな、と苦笑していた。


「死してなお、妹を救った。もしかしたらミュール兄様は、運命を一つ変えたのかもしれないな」

「ならなおの事、こんなところで折られるわけにはいきませんね」


『自由で幸福な未来が拓けるように』


 いつもメリーを支え、優しく見守ってくれていた。一度だって恩返しなどできなかった不出来な妹を、それでもミュールは「十分だ」と言ってくれたのだ。

 抱きしめてくれた二人分の温もりが思い出せる。あの幻がメリーの背中を押している。


「カーラント。あの幻術がミュール兄さんのものだったと言うなら、名誉のために一つ訂正させてもらいます」

「訂正?」

「ミュール兄さんは、罪悪感を植え付けるためにあの幻を利用するような人ではありません」


 カーラントは最初、罪悪感を植え付けるためにメリーが見せた幻術だと思いこんでいた。だがミュールはそういう性格ではない。優しすぎる性格が仇となって壊されたあの兄が、そんな理由であの幻を見せるとはどうしても思えないのだ。


「たぶんカーラントにも、何か別に伝えたかったことがあるんだと思います」

「私にか?」

 カーラントは純粋に驚いたような表情をし、考え込み始める。やがて沈黙が訪れた。メリーは心の中でミュールに問いかける。自分は何かしてあげられていただろうか、と。胸の内側に空いた穴を寒々しい風が吹き抜けていくような心地がした。


 髪に結ばれた、二人の祈りに手を触れる。二人の思いを背負って、自分はどこまで道を切り拓いていけるだろうか。膝を抱えて顔を埋める。眠りはまだ遠い。

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