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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
本編:未来を負う者たちと、過去を追う者
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068 守りたいもののためならば(1)【メリー視点】

 コツ、コツ、と音のない空間に一人分の靴音が響く。灯り一つない遺跡の地下を杖に灯した光術の光を頼りに奥へと潜っていく。振り返ると、すぐ背後に黒く塗り潰された闇が迫っていた。


 この先へ進むことが正しい判断なのか、まだ迷いはある。だからといって引き返したところで何かが解決するわけでもないと、再び歩きだした。



 (かさのぼ)ること一時間前。天幕の中で目を覚ましたメリーは、野営していた街にたった一人取り残されていた。スイウもアイゼアもエルヴェもフィロメナも、あれだけ大勢いた騎士団の者たちすら忽然と消えていたのだ。


 強く吹く風にほんの僅かに魔力が乗っていることに気づいて辿ると、遺跡に向かう街道に面した入り口に立っていた。この先、万が一何かあっても対応できるよう、カバンの中身を確認してから出発した。


 魔力の出処を探り、辿り着いたのはやはり遺跡だった。罠かもしれないという想像は道中幾度となく頭をよぎったが、忽然と消えた行方不明者たちを思えば、ただ待っているだけが正解とも言いきれない。


 本来であれば一人で飛び込むべきではないことも理解はしているが、実質退路を断たれているも同然だった。ひとまずスイウとの契約が継続されていることから消滅していないことだけはわかるが、居場所まで特定できるほど契約は万能なものではない。無事だというなら自分が助け出すしかないと腹を括ったのだ。


 それでも何となく心がざわついて落ち着かない。いつからこんなに一人を心細く思うようになったのだろう。それはこの暗闇のせいか。それとも音もしない空間のせいか。遺跡の奥から漂ってくる得体の知れない魔力のせいか。足元からゆっくりと侵食されていくように、拭い去れない不安と緊張感が湧き上がってくる。


 一人で対処することができるだろうかという問いに頭を振る。考えても仕方のない事だ。頼れる相手がいないのなら一人でだってやるしかない。一人では限界があるが、何もできないというわけではないのだ。不安を振り払うように、無意識に歩調が速まっていた。



 しばらく歩き続けると前方がぼんやりと明るく、先の空間が開けているのがわかる。敵がいる可能性を考え、気配を抑えて忍び寄る。壁に背を預けてそっと覗き込むと、照明に光が灯されて明るくなっているようだ。


 それは間違いなく人のいた形跡と見て間違いない。中は広間のようになっており、他にもいくつか別の通路へと通じる入り口がある。周囲を警戒しながら広間の中へと侵入する。


 明るくなっていること以外に特別不自然な点はない。この広間を一旦拠点にし、通路を一つずつシラミ潰しにして進むしかなさそうだ。更に奥を目指すため入り口の一つへと足を向ける。


「そちらへ行ってもあなたの探しているものなどないと思うがね」


 降って湧いたような男性の声に心臓が跳ね、とっさに声の方向へ火球を放ちながら振り返る。


「相手を確認せず火球とは。仲間だったらどうするつもりなのか……」

 声がするまで気配など一切しなかった。鼓動がけたたましく脈打つ音が耳元で響き、聴覚を鈍らせる。同じ薄紅色の髪、蒼氷のような色の瞳。ストーベルの部下であり、兄弟の一人……カーラントだ。


「あなたの方からわざわざ出てきてくれるなんて好都合ですね」

「その言葉をそのままお返しさせてもらおう。私の術中に嵌まり、ここまで来てくれたこと感謝する。仲間など見捨てて逃げれば良いものを……」

「この魔力はあなたでしたか」

 風に乗った魔力はカーラントのものであり、やはりメリーを引き寄せるための罠だったのだ。


 だがこちらも罠だという可能性は承知で来ている。その点に今更特別驚きはなかった。魔力感知能力の鋭い者でなければ感じることも難しい微量な魔力は、それだけで引き寄せる者を限定させる。


「あなたがみんなを連れ去ったんですか?」

「でなければ他に誰がいると?」

「どうやってあれだけの人数を?」

「残念だが種明かしをするためにあなたを誘導したつもりはないのでね」

「そうですか。ならさっさと本題に入ったらどうですか。不意打ちで殺せたのにそうしなかったのには訳があるんですよね?」


 カーラントは一瞬だけ目を逸して眉根を寄せる。だが次の瞬間には元の無表情に戻っていた。何となくひっかかりを覚えつつもカーラントの言葉を待つ。


「単刀直入に言う。あなたの力を差し出してもらおうか」

「お断りします、と言ったらどうするつもりですか?」

 メリーは杖を逆手に持ち替え、いつでも戦闘に入れるよう戦闘態勢を取った。ミュールやフランを殺したストーベルに与するというのなら、ここで死んでもらう他ない。


 だが仲間が捕らえられている以上下手に動くのは命取りだ。内心焦燥に駆られているメリーとは裏腹に、カーラントは武器を呼び出すこともなくこちらを静観していた。


「あなたの仲間を一人ずつ目の前で殺すしかあるまい。助けたいのなら大人しく従うことだ」

「私が条件を飲んだところで、仲間を解放するなんて保証はどこにもありませんよね」

「こればかりは信じてもらうしかない」

 カーラントのどこを信じれば良いというのだろうか。そもそもカーラントがストーベルの障害になる者をみすみす解放するわけがないのだ。


 この取引には到底応じられるはずもないのだが、仲間の命が握られている事実が変わったわけでもない。少しでも優位に立つために、以前カーラントが動揺していた会話を蒸し返す。


「虐殺の次は人質を使って脅迫ですか。大義はどうしちゃったんですか? これではすっかり悪党の仲間入りですねぇ」

「……手段を選んでいる場合ではなくなったからだ」


 更にわざとらしく値踏みするように視線を送ってやると、それまで無表情だったカーラントに明確な不快感が滲み出る。悔しそうに苦悶を浮かべる表情は、どこか切羽詰まっているようにも見えた。それらを隠すように目を細め、忌々しげこちらを睨みつけてくる。


「ミュール兄様があなたを守っていたように、私にも守りたいものがあるのだ」

 『守りたいもの』という単語を聞いた瞬間、メリーの胸の奥深くで眠らせていた何かがふつりと目を覚まし、にわかに熱くなる。


「……はい?」


 急速に湧き上がった煮え(たぎ)るような激情が冷静さや理性を焼き切ろうとしていた。冷静であらねばと頭ではわかっていても、こらえきれない思いが(せき)を切って溢れ出していく。


「守りたいもの? それ、どの口で言ってるんですか……虐殺者風情が」

 自分でも驚くほど憎しみに満ちた、まるで呪詛を吐くような声だった。


「今更そんな綺麗事を……」

「罵られても仕方ないだけの罪を私が背負っていることは理解している」

 カーラントは自嘲気味に吐き捨てる。それがこちらを陥れるための嘘か、本心からの言葉なのかはわからない。


 だがメリーにとって、そんなことはどうでもいいことだった。澄ました顔で罪を受け入れ、自分は何も間違ってはいないという態度が気に食わない。そもそも言っていることとやっていることがまるで一致していないではないか、と。


「ならなぜあなたはいまだにストーベルに従ってるんですか? 罪を背負ってるなんて薄っぺらい言葉、虫唾が走るだけです」

「同じ答えの繰り返しだ。私は守りたいもののため、父に従っている」

 まただ。苦しげに視線を逸す様子がどこか被害者ぶっているように見え、神経を逆撫でした。杖を握る手に思わず力がこもり、ギリギリと手袋が音を立てて軋む。


「私にだって守りたいものはあった! それを理不尽に踏みつけて奪っておいて、よく自分は守りたいものがあるなんて言えますね!」

「……返す言葉もない」

「上っ面だけ取り繕って、自分は悪くないとでも言いたいんですか?」

 ミュールとフランの顔が脳裏に浮かんだ。力及ばず失った大切な兄と妹。その最期を知らないからこそ、そんな一言で片付けようとする。


魔力を全て抜かれ、羽のように軽くなった体の軽さを。

解離し、体が花となって砕けた瞬間を。

バケモノにされた大切な人と対峙しなければならない痛みを。

魂とも呼べる魔晶石を、この手で砕いた感触を。


カーラントなんかに……理解できるはずがない……!


「……ただ思っていることを口にしたまでだ。私の感情と行いは別のところにある。残念ながら」

 仲間のことも忘れ、ただ突き上げる殺意に任せて拳を振り上げられたらどんなに楽だろうか。カーラントを八つ裂きにし、灰も残らないほどに燃やし尽くしてやれば少しは胸がすくだろうか。そんなことを考え、ギリギリのところで飲み込む。


 闇雲に挑んだところで勝ち目は薄い。今はまだ、仲間の存在がなんとかメリーを繋ぎ留めている。


「それと、あなたの言葉を訂正してあげよう。守りたいものが"あった"ではなく、今も守りたいものはあるだろう? ジューン、連れて来なさい」

 カーラントの呼びかけに応え、奥からジューンと縛り上げられたフィロメナが現れる。フィロメナの頬や服は砂で汚れ、肩のあたりの擦り傷から僅かに血が滲んでいた。


「フィロメナさん!」

「メリー……痛っ!!」

「うるっせぇぞ! 兄貴、一番反応が面白そうなヤツ連れてきてやったぜ」

 ジューンがフィロメナを突き飛ばすと、カーラントの足元へと倒れ込む。


「おおっと、メリー。近づいたらコイツは挽肉になるまで滅多刺しだ。わかってんだろうなァ?」

 ジューンの剣がフィロメナの喉元に突きつけられ、フィロメナが小さく悲鳴を漏らした。


「メリー、ごめんなさい……」

 フィロメナの掠れた声と小さく震える体に、恐怖をこらえているのが伝わってくる。その痛々しい姿に、一刻も早く解放しなければと気持ちだけが急いた。


「私とあなたは似ていないと思っていたが、同じ立場に立たされてわかったのだ。存外似ているのかもしれないとな」

「あなたと同列に扱われるなんて、心底気分が悪いですね」

 嫌悪を隠さないメリーに、カーラントは小さく笑む。


「あなたは本当にわかりやすい。私はそれをとても好ましく感じているよ」

「気色悪っ……見たまま受け取るなんて、カーラントも意外と単純なんですね」

「あなたは私に興味がなかっただろうが、私はあなたを幼い頃から観察していた。体裁を取り繕うくらいはできるが、感情を取り繕うような器用さはない」

「あなたに私の何がわかるっていうんですか? 一々癇に障りますね……」


 『何事においても、冷静さを欠いた方が負ける』と、ミュールの遺した言葉を何度も繰り返し、逸る殺意を押し留める。挑発や言葉も戦術の一つ、乗せられてはならない。

 相手はカーラントなのだ。得意な魔術……幻術の性質上、魔力のぶつけ合いより言葉で精神を崩して優位に立ち続ける戦い方を好む。


 だが人質には剣が突きつけられ、数も一対二と不利だ。この様子では構成員たちもどこに潜んでいるかわからない。元々一対一でも勝ち目が薄かったのだ。


 幻術使いが相手である以上、幻影を作り出されれば多勢に無勢で殺されるのがオチだ。下手に動けばフィロメナはおろか、捕らえられている全員の命まで危うい。


「あなたが手を(こまね)いているのは、この人がそれだけ大切なのだろう? どうでもいいなら見殺しにして私に戦いを挑めば良い。私の知るあなたは元々そういう性格だった」

 幼い頃から観察していたというのなら、戦い方や性格、ミュールやフランへと態度、ストーベルを追ってきたこれまでの行動などの蓄積からこちらを見抜いてきている。極力顔には出ないように意識したとしても、それがカーラント相手に通用するかは微妙なところだ。


「闘技場、ネレス研究所、ヴェッラの森。あのメリーが他人と行動を共にしているのは少々驚いた。あなたに人らしい感情が生まれたのは幸か不幸か……だが父様は昔からよく、こう嘆いていた。メリーは弱くなった、とね」

 人らしい感情は邪魔なもので、弱さになる。それがクランベルカ家の、ストーベルの教えだった。かつての自分は人らしい感情が欠けていたことは事実だ。


 ミュールとフランが、そして共に旅をする仲間がメリーに人らしさを取り戻させてくれたのだ。それを弱さなどと呼びたくないとメリーは思っている。たとえ逆手に取られて不利な立場に追いやられたのだとしても。


「大切なもののためなら手段は選ばない。あなたがそうであるように、私もそうだったというだけの話」

 無意識に奥歯を噛みしめる。大切なもののためなら手段は選ばない、確かにそれはメリーも同じだった。大切なものを守れるなら、ジューンを人質にカーラントを脅すことなど厭わない。この命さえも懸けてしまえる。きっと仲間の命を懸けることよりずっと簡単に。それと同じことをカーラントはしているのだろう。


「大切なものを守るためにあなたの力が必要なのだ。応じてくれるのなら彼女たちは見逃そう。私もあなたの気持ちは理解できるのでね」

「……本当に私が力を差し出せば、捕らえた人は全員無傷で解放してくれるんですね?」

「約束しよう。私とて、もう不要な殺戮は避けたいのだ」

 また綺麗事を、とメリーは内心毒づいた。


「それにしても、あなたがこうもすんなりと受け入れるのは意外だった」

「私一人ではストーベルは殺せません。でもみんなが生き残るなら必ずストーベルを殺してくれる。だから私はこの手でストーベルを殺せなくても、確実にストーベルが殺される未来を選ぶ。それだけの話です」

 挑発的に睨みつけると、カーラントは苦々しげに目を伏せた。


「それで、私はどうすれば? あなたについていけばいいんですか?」

「いや、あなたにはここで魔晶石になってもらう。文字通り力だけあれば良い」

「なるほど。石なら逃げたりしませんしね。私の命で生成された魔晶石でミュール兄さんと同じことをさせようってわけですか」

 メリーという存在がストーベルにとって利用価値を失っても、この体に秘められた魔力や才能には十二分に価値がある。物言わぬ石となれば好都合というのも納得だ。


「触媒は鮮度が命ですよ? ここで石に変えて良いんですか?」

「逃げられるよりはずっといい」

 石にされたその先はミュールと同じ道を辿る。バケモノになり果て、自我もなく、思うがままに道具として操られる。


 自身の力が仲間を傷つけるなんて想像もしたくない。その魔物がメリー自身であったと気づかないうちに殺してほしい。死んで利用され、道具になり果てたところなど知られたくはないと強く思う。


「メリー、考え直して! ねぇ、あたしがメリーの代わりに犠牲になるわ。それで見逃してちょうだい!」

「何を言ってるんですか、フィロメナさん」

「天族の魔晶石に興味はあるが、今はそういう話ではないのだよ。お嬢さん」

「そんな……! メリー、あたしのことはいいわ。一人で逃げて、お願いよっ」

「お前に喋る権利はねぇんだよ!」


 ジューンの剣がフィロメナの首筋を浅く傷つける。彼女の喉の奥で小さな悲鳴が(くすぶ)った。もたもたしていたらフィロメナが不必要に傷つけられてしまう。


「さぁ、返事は決まったんです。さっさと殺すなり石にするなりしたらどうですか!」

 杖を虚空へ返し、戦う意思のなさを示す。もちろん霊族は魔術が使えるため、丸腰というわけではないのだが。


「そうだな」


 カーラントが静かに呟き、メリーの目の前まで迫る。無防備に、そして簡単にカーラントとの距離がゼロになる。

 この瞬間を作り出すために、メリーは一か八かを賭けて受け入れるフリをした。強く地面を蹴って背後に回り込み、至近距離から火球を放つ。


「ぐっ……メリー、やはりあなたはっ!!」


 魔術障壁の展開よりも早く火球がカーラントへ直撃する。勢いで吹っ飛ぶ姿を横目に、ジューンへ複数の火球を放つ。ジューンが障壁で防御に徹している隙をつき、フィロメナの縄を切って手を引いて走り出した。


 目指すのは奥の入り口だ。ジューンはあの先からフィロメナと共にここへ来た。ならば他の者たちはあの奥に閉じ込められていると考えるのが妥当だろう。


「フィロメナさん、みんなはどこにいますか? 助け出してここを脱出しますよ!」

「わかったわ。あたしが案内するからついてきて!」

 フィロメナに先行してもらい、背後を警戒しながら走った。

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