050 戦うは己が理想の為か(1)【メリー視点】
冷気をまとったスイウの刀が閃くのが見える。メリーは杖を虚空から呼び出し、右手に握った。
「フィロメナ、アイゼアをカストルに運ばせて撤退しろ。ここは俺とメリーだけで凌ぐ」
戦力バランスや全員の状況を考慮すれば、ここをスイウと二人で凌ぐのはやむを得ない。すでに多数の気配が包囲するかのようにじわじわと近づきつつある。
「囲まれる前に行けっ」
フィロメナが頷く。同時にカストルがアイゼアを抱え上げ、二人を守るようにして走り出す。入り口まではさほど距離もなく、森を脱出するのに時間はあまりかからないはずだ。
メリーは打ち漏らさないよう注意しながら、魔術で敵の進路を妨害する。
「ずいぶん嬉しそうだな、どうした?」
「スイウさんと二人だけなら久々に遠慮なく殺れそうだなって思っただけです」
「遠慮? お前はいつだって全力で殺る気満々だろうが」
「そんなふうに思われてたなんて心外です」
無闇に殺すなと言われ、研究所ではともかく外では気をつけていたというのに。それなりに。
「心外? ははっ、面白い冗談だな」
スイウは珍しく声を上げて笑いながらこちらを一瞥した。地面にはスイウの手によって無残に命を散らせた死体がいくつも散乱している。
メリーが広範囲に魔術を展開して動きを封じ、スイウが確実に撃破することで先遣隊は想定していたよりも早く片付いた。以前より連携が上手くいっているのかもしれない。
次に備え、いつでも魔術を放てるよう魔力を杖に貯め込みながら思う。自分はこんなにも簡単に人の命を奪えてしまうのだと。幼い頃からの訓練で、命を奪うということに対して他人より麻痺している自覚はさすがにある。
だがアイゼアと対面したとき、迷いがあったのは事実だ。もしこちらへ武器を向けるようなら殺さなければと思っても、いざそうなったときに躊躇わないかと聞かれれば自信はなかった。クランベルカ家の教えでは、それを『弱さ』と呼ぶ。
「一気に来る、構えろ」
スイウの声に物思いに耽っていた意識が引き戻される。スイウは右を、メリーは左を。互いに背を預けて立つ。
一瞬の静寂のあと、周囲から複数人の魔力を寄り集めた魔術攻撃が一斉に放たれる。
それを躱すのではなく、杖で一度地面を突いて魔術を構築する。メリーを中心に波紋のように炎の波が広がっていく。時間をかけて練られた炎が掃射された魔術を打ち消し、木々を焼き払った。
威力を減衰させながらも拡大していく炎に、潜んでいた敵が文字通り炙り出される。メリーとスイウは分かれ、接近戦で敵を殺していく。
杖を逆手に持ち、一人めは首を跳ね、二人めは振り向きざまに目から脳天へ向けて貫き、迫ってくる三人めは威力を圧縮した火球を頭部に至近距離で捩じ込む。最小最短で片付けるなら、やはり頭部が最も効果的だ。
クランベルカ家の一員として訓練してきたメリーにとって、ただの構成員の練度などたかが知れている。どれだけ数を揃えようと一度足並みさえ崩してしまえば恐れるものはない。殲滅するまでに時間はかからないだろう。
このまま少しずつ撤退しようかと思っていたとき、突然背後から聞こえた拍手の音に振り返る。
「お見事、相変わらずの強さのようで」
男が一人、こちらへ近付いてくるのが見える。クランベルカ家の証のピンバッジ、メリーと同じ薄紅色の髪、氷のように冷たく澄んだ水色の瞳。メリーはこの男をよく知っている。
腹違いで同い年の兄、カーラントだ。同い年の彼とは何度も顔を合わせ、一時同じ場所で暮らしていたこともある。
「私があなたに模擬戦で勝てたことがなかったのを、つい思い出してしまったよ」
「なら殺されにわざわざ出向いてくれたんですか? 嬉しいですね」
「それは幼い頃の話だ。魔力をぶつけるだけしか能のないあなたと一緒にしないでもらいたい。当然勝てる算段はつけてきてる」
「私をそう評価してるなら足元掬われますよ」
「ほう……それはそれは……」
カーラントはほくそ笑みながら虚空から双剣を呼び出す。メリーの知っているカーラントは双剣ではなく片手剣を使用していた。
次期当主候補の一人であったカーラントが剣術を学んでいても不思議ではないのだが、会わない間に武器が変わったらしい。接近戦主体に切り替えたのならあまり得意ではない相手だ。
「彼の部下は、想定より持たなかったようだ。ローアン兄様も……連絡もなく作戦決行とは恐れ入る」
カーラントは周囲を軽く見回した後、鋭く目を細めてからため息をついた。
「いやはや、ジューンを見下していたわりに、この知能指数……実に嘆かわしい。実験の経過もわからずじまい……まるで失敗を芸術にしたような惨状ではないか」
カーラントはひとりごとを呟くと、また深々とため息をついた。彼の部下というのは、すでに始末したローアンの部下やアイゼアたちのことを指しているのだろう。
「実験ってのは、このくだらない薬物のことですか? こんなもので足止めしようと?」
アイゼアから奪ったピルケースをチラつかせる。元よりアイゼアがこちらを殺すことは期待していなかったようだ。薬物の被験体を兼ねて、使い捨てで利用したのだろう──彼の弟妹を思う気持ちを逆手に取って。
裏切り者のアイゼアの話に耳を傾けようと思ったのは、エルヴェの“願い”がきっかけだった。そうして話を聞いて、彼の弟妹が犠牲になりかけていることを知った。
その瞬間に、メリーの気持ちは決まった。
アイゼアの話していた家族の話は、メリーの憧れであり、二度と叶わぬ夢だ。彼に手を差し伸べたのは、同情や救いたいという正義感からではない。単純に『守りたかったもの』を重ね見ていた存在が、ストーベル共に潰されていくのが癪なだけだった。
「あなたが持っていたのか。彼はちゃんと被験体をしてくれてたのか? 効果と副作用は?」
「教えるわけない。身体強化、毒を効果として利用するなんて正気じゃない。ミュール兄さんがなぜあんな体になったのか、忘れたとは言わせません……本当に、くだらない」
込み上げる怒りと憎しみに杖を強く握りしめる。膠着した状態を打開するため火球を飛ばそうとしたが、なぜか不発に終わった。
魔力もまだ戦えるくらいは残っていたはずだが、いつもの感覚が全くない。まるで人間になってしまったのではないかと錯覚するほど、自分の中に魔力というものを感じなかった。
「おや、どうした?」
カーラントのわざとらしい声が耳に障る。魔力が使えない、こんなことは今までになかった。何か魔術で封じられているのかと思ったが、カーラントから魔力を感じられない。いや、魔力がなくなったのなら感じる術もなくなったという可能性もある。
勝てる算段というのはこのことか、と悔しさに奥歯を噛みしめた。とにかく何らかの方法で封じられた魔力を取り戻す必要がある。だが今のメリーは戦闘能力のない人間と考えても遜色ないほどに話にならない状態だった。
「スイウさんっ」
助けを求めるも、返事はなく姿も見えない。この空間にはメリーとカーラント、先程殺したばかりの死体が転がっているだけだ。
「一緒に戦っていた男ならジューンを追っていったが……さて、どうする?」
スイウがいなくなったことに全く気づかなかった。形勢の悪さに背中がじっとりと汗ばむ。
カーラントは地面を蹴り、一気にこちらへ距離を詰めてくる。とっさに投げナイフを放って牽制するも、剣に弾かれた。
左右から繰り出される剣撃を必死で避ける。杖で応戦するものの、魔術が使えず防戦一方だ。次第に息は上がり、避けきれなかった小さな切り傷が少しずつ痛みと共に体へ刻まれていく。
「そろそろ本気を出させてもらおうか」
辺り一面が朱の光に染まると凄まじい熱がメリーを襲った。ここに留まっていては危険だと判断し、森の奥へと走る。背中にじりじりと熱を感じて振り返ると、どろりとした溶岩が死体も木々も飲み込んで追いかけてくるのが見えた。
カーラントは当主候補の一人ということもあり、魔力量は確かに高いし実力もある。だがそれでも、詠唱も触媒もなくここまで強大な魔術を扱えるような人ではなかった。
茂みに足を取られながらも前へ前へと走り続ける。溶岩に飲み込まれれば死しかない。森の先に光が見えた。開けた場所へ出るのかもしれない。
そう思ったのも束の間、その先に待っていたのもまた溶岩だった。煌々と光を放ちながらまるで川のように目の前を流れている。後ろからも少しずつ溶岩に追い詰められていく。近場にある木の上に登ると、正面の木に憎らしいほど涼しい顔をしたカーラントが立っていた。
「メリー、なぜあなたは昔からずっと父様に逆らっている?」
カーラントの問いかけも無視し、眼下に迫っている溶岩を見下ろす。やはりカーラントの魔術らしく、侵攻は止まっていた。すぐにでも殺せるはずのところをわざわざ生き延びさせているということは、それ程までに聞きたいことなのだろうか。
「父様は過酷な土地に住まう領民のために尽力していらっしゃる。それを知ってもまだ、あなたは逆らうのか」
「はい? そんな人道的理由なわけがない。これまで一体どれだけの命を犠牲にしたと思ってるんですか?」
「我々クランベルカ家の犠牲は民のための尊い犠牲。領主たる者たちの責務なのだ、本望だろう?」
カーラントは次期当主候補として育ち、彼の性格に合わせて制御しやすいよう丁寧に教育を施されてきているのだろう。正義感の強い性質を逆手に取られ、自己犠牲を厭わない思考へ作り変えられているようだった。
「馬鹿馬鹿しい……ストーベルはただ自分の思い通りにしたいだけですよ」
「それはミュール兄様の方だ。当主候補から外されて恨み、思い通りにならなかったからと、優秀なあなたを父様から引き離したのだ」
「見当違いにも程がありますね」
ミュールの心を占めていたのは恨みや憎しみではない、虚無感だ。自ら考え、意見してくるミュールはストーベルにとって邪魔でしかなかった。
壊して無力化すれば、能力至上主義の兄弟たちは途端にミュールの言葉に耳を貸さなくなる。思うように動かない体、終わりの日を待つだけの命、計り知れない虚無感と絶望感に苛まれていたことは想像に難くない。
それでもミュール兄さんは……私を大切にして、いつも気に掛けてくれていた。優しく笑いかけてくれた。
今にして思えば、あの閉じられた世界での幸福は、放置されていたものではなく、ストーベルがわざと作り出したものだったのだろう。
全てはミュールという高級素材を保つための箱庭。互いを思う気持ちや失う恐怖心……クランベルカ流に言うなら『弱さ』につけこまれていたことに、二人を失って初めて気づいた。最初からストーベルの手のひらの上だったのだと。
「本当に見当違いだろうか? ミュール兄様に利用されていたとは考えないのか?」
何も知らない部外者の戯言に貸す耳はない。やはり正義感は強いがストーベルに歪められているように見える。静かに息を吐き、カーラントの目をまっすぐに見据えた。
「……むしろあなたが利用されてるんですよ。身内以外も平気で殺している現状にどんな言い訳をするつもりですか? あなたの大好きな“大義”とやら、語ってくれてもいいですよ」
カーラントの瞳が僅かに揺れる。そこに雨粒が落ちて波紋を広げるように、少しだけ不安定な印象を抱いた。
「導手再誕計画。そこにどんな大義があるんですか?」
更に踏み込んで追撃すると、今までとは打って変わってわかりやすくカーラントは動揺を示す。微かな揺らぎが、確かな手触りへと変化した瞬間でもあった。




