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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
本編:未来を負う者たちと、過去を追う者
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046 咎人の懺悔(1)【アイゼア視点】

──少年は願った。兄を守れる力が欲しいと

  少女は願った。兄を支える力が欲しいと──




 物の輪郭が滲んで見え、音はこもって聞こえる。細い糸に吊られて何とか歩いているような感覚だ。朦朧(もうろう)とした意識の中、自分がどこを歩いているのかもわからなくなってきている。


 アイゼアはとにかく前へ前へと彷徨(さまよ)うように歩き続けていた。血が止まらず、まるで水の中にいるかのようなふわふわとした感覚が襲う。


 エルヴェから受けた傷は深く、痛みに耐えながら浅い呼吸を繰り返す。致命傷は何とか回避したが、この出血量では結局死ぬのかもしれない。押さえた手の隙間から血が溢れ、ポタポタと歩いてきた道に沿って跡を残していた。


 このままでは血痕を辿られてしまう。血が足りないのかまともな思考ができない。(うす)らぼんやりとした頭でそう思った。

 力の入らない足が何かに絡め取られ、地面へと倒れ伏す。受け身も取れず地面にぶつかる衝撃が傷に響く。焼けつくように痛む傷の感覚以外、何も考えられなくなってきた。


 こんなところで死ぬわけにはいかない。カストルとポルッカ──二人を助けるためにも自分の命は必須なのだから。這いつくばりながらも、前へ進もうと手を伸ばす。ゆっくりとナメクジが這うように進んだ。


 これはもういよいよダメかもしれない。滲んだ世界が、まるで夕闇が迫るように薄暗くなる。背中を駆け上がるように寒気が襲ってきた。日が暮れるにはまだ早い。これが人の終わりの瞬間なのだろうか。


 一瞬だけメリーの姿がアイゼアの脳裏を過った。焼け(ただ)れた体でも尚、立ち上がる姿──あのときメリーは何を感じていたのだろう。守りたいものに手が届かない現実に何を思ったのだろう。


知りたい。


君は僕と同じ思いだったのか、と。

どうして君は立ち上がれるのか、と。


 生きたまま全身を引きちぎられていくような心地だった。

「カス……トル、ポルッカ……ごめん」

 (うめ)くような掠れた声だった。この声は誰にも届かない。アイゼアの意識はそこで途絶えた。



──冷たい感覚が襲う。


 どうやら冷水をかけられたらしく頬を水滴が伝う感覚がした。拭おうと手を動かすと、ガチャガチャと金属質の音が響く。後ろ手に手錠のようなものをかけられているらしい。体も重く思うように動かない。


 目を開けると薄暗く、どこかの建物の中のようだった。這いつくばるアイゼアの視界に誰かのブーツのつま先が映る。その足に蹴られて仰向(あおむ)けになると見たくなかった女の顔が現れた。


 青紫のウェーブのかかったセミロングの髪に赤黒い血のような色の瞳。ミルテイユ・ジェーム。メリーの仇敵であるストーベルの部下の女だ。鉱山で魔物を操りベジェの村を襲わせていた人物でもある。


 両親の墓参りの帰り道、ミルテイユはアイゼアの目の前にふらりと現れた。優雅に歩み寄ると、甘やかな声で囁く。


『アナタの大切な双子ちゃん、助けたいと思わない?』


 その一言で二人が人質に取られているのだとすぐに理解した。ミルテイユは艶やかな髪を優雅な仕草で耳にかける。


「因果応報ってこのことよねぇ」

 ミルテイユは鮮やかな赤の紅を引いた艶っぽい口元を歪め、嘲笑う。


「アナタがアタシを傷つけたのも脇腹だったもの……うふふ」

 鉱山で負わせた腹部の怪我のことを言っているのだろう。だいぶ根に持つ性格らしい。

 傷の痛みは意識を失う前より和らいでおり、治療が施されているようだった。その事実にまだ何かに使う気なのだと理解し、顔を(しか)める。


 あのまま死んでいれば無念だが、楽ではあっただろう。何が正しくて何が間違っているのか、もう判断がつかない。どれを選んでもきっと必ず後悔する。もう何も考えたくない、と心が悲鳴を上げていた。そんな自分の弱さが恨めしくてたまらなかった。


「それで、一人くらい殺せたのかしら?」

「……」

「あらぁ〜? 情が移った相手なら油断して殺されてくれるかも〜って期待してアナタに声をかけたのにねぇ」

「それはそれは、ご期待に添えず申し訳ない」

 こんなときでも減らず口だけは一人前で、自分で自分が嫌になりそうだった。


「かぁわいそぉ〜。お仲間さんに容赦なく斬られちゃったのね。よっぽど好かれてないのか、それとも信用されてないのか……それにしてもホントがっかり。役立たずねぇ」

 完全には治りきっていない傷口をミルテイユに蹴られ、思わず呻き声が漏れる。


「うふっ。お腹の傷、まだ痛むのね」

 ミルテイユの愉悦に満ちた瞳がアイゼアを映す。


「兄様っ!」

 自分を呼ぶ声がカストルのものだとすぐにわかった。弱気になっていた精神が急速に研ぎ澄まされていく。

 声の聞こえた方へ顔を向けると、鎖つきの首輪に繋がれたカストルとポルッカが見える。そんな二人の姿に眉を(ひそ)めそうになって、ミルテイユへと視線を戻した。


 二人の体の一部は……もう人の形をしていない。カストルは両腕に黒い毛が生え、長さも太さもその体に見合っていない。手の先の爪は獣のように鋭利で尖っており、熊の腕のように見える。

 ポルッカは肌の一部が爬虫類の鱗のように硬化しており、トカゲのような尾が生えていた。墓参りの後に会ったときよりも魔物化が進んでいることに焦燥感を覚える。


 ミルテイユは右手に持つグリモワールと思しき書をチラつかせる。メリーたちを殺せばグリモワールで願いを叶えてくれるという取引だった。

 アイゼアの魂と引き換えに二人を元の姿へ戻し、破滅後の世界で二人が生きることも保証する。その代わりにメリーたちを殺す。二人のためにも死んでもらうしかないと思った。


「誰も殺せてないんじゃ、取引は成立しないわねぇ〜」

 ミルテイユ蹴りがみぞおちに入り、先程よりも強い力で蹴られたことで咳き込む。


「やめてぇぇっ! お兄様が死んじゃうっ」

 金切り声に近いポルッカの悲鳴が、がらんとした冷たい空間に響く。


「死なせたくないわよね? そうよね? だったらアナタたちがやることは一つじゃないかしらぁ」

「やること……?」

「聞くな、カ……トル、ポル……」

 二人へ視線を向け、掠れた声で絞り出す。ほとんど音になっていない言葉は、簡単にミルテイユの声に潰されていった。


「そう。アナタたちはお兄様のためにグリモワールに力が欲しいってお願いしてたでしょ。だったらもっと求めなさいな。力が欲しいって。ほらっほらほら、お兄様死んじゃうわよ?」

 ミルテイユは歌うように朗らかに二人を(そそのか)す。傷口を踏みつける力がより一層強くなった。その痛みに声を上げないよう必死に噛み殺して耐える。


「兄様……」

 アイゼアは目を見開く。今、確かにじわりと魔物化が進んだ。


「それだけしか進まないの? こんなにも魔物化が遅いなんて、お兄様への愛が足りないんじゃない? ワタシ待ちくたびれちゃうわ」

 わざとらしくあくびをして見せたミルテイユは、再度傷口を強く踏みつけてきた。食い込むピンヒールに、刺すような鋭い痛みが全身を駆け抜ける。アイゼアはとっさに歯を食いしばり声を押し殺した。痛みに悶え苦しめば二人は心配する。より強く助けたいと願ってしまう。


「えー……もっと泣き叫びなさいよ。助けて! 痛いのはやだよぉ〜って。二人に効果がないじゃない?」

 少しムキになったのか何度も何度も執拗(しつよう)に踏みつけられる。せっかく塞がっていた腹部の傷口から、じわりと熱いものが滲んでいく感覚がした。


 何とか開けた片目で二人の様子を伺う。大粒の涙を流す二人が何か言いながら泣き叫んでいた。先程とは比べ物にならない速度で体が侵食されていっている。


「カストル、ポルッカ! 目を閉じて耳を塞げ!!」

 痛みに叫び出したい力を利用して声を出した。二人は戸惑いながらアイゼアを見つめている。


「頼むっ」

 懇願するように叫ぶと大人しく目を閉じ、耳を塞ぐ。二人の様子を見届け、アイゼアは額を床に押しつけた。万が一にも苦悶に耐える表情は見せたくない。


「余計なことしてくれるわね、本当に困った子。アナタはやめて双子ちゃんを痛めつけちゃおっかな?」

「それだけは……やめてくれっ」

 精一杯ミルテイユを睨みつける。情けないことにそれしか今のアイゼアにはできない。


「やめてくれ? 人に物を頼むなら、相応の言葉遣いってものがあるでしょう? 誰に躾けられたの?」

 そう言うと同時にミルテイユは氷塊をいくつも生成し、それをカストルとポルッカめがけて放った。容赦なく叩きつけられる氷塊に、痛い痛いと泣き叫ぶ二人の悲鳴が部屋中に響き渡る。ただただ痛みを与えるだけの攻撃が絶え間なく二人へと向く。


「やめろ、やめてくれっ!! あぁあ……カストル、ポルッカっ……」

「お願いするときは?」

 心底愉快そうなミルテイユの声が上から降ってくる。

「……やめてください、お願いしますっ」

 その瞬間、ミルテイユはピタリと二人への攻撃をやめた。


「うふふ……物分かりの良い子は好きよ?」

 恍惚(こうこつ)としたミルテイユの表情に戦慄(せんりつ)した。同時に二人の強い視線も感じる。


「双子ちゃんを痛めつけられたくないなら、僕を痛めつけてくださいってお願いしてちょーだい?」

 その言葉を言うことに抵抗はなかった。自分に大した挟持はない。

 だがそれが「二人の前で」となれば別だ。そんな姿は見せたくなかった。二人の前だけでは、立派な騎士で憧れの兄でありたいと。それでももう、取り繕うのは無理だと悟り固く目を閉じた。


 貴族の養子になっても、騎士になっても、誰かに慕ってもらえるようになっても、本質は何も変わりはしない。


──貧民街育ちの負け犬。同い年の子供を殺した、裏闘技場の生き残り。


 どれだけ研鑽(けんさん)を積もうと、そう罵られ続けてきた。普通の人から見れば自分など、薄汚い踏みつけても構わないような存在なのだ。


 少し前なら悔しいと思ったかもしれない。だが、今はそんな感情は欠片も湧いてこなかった。


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