044 無機物のココロ【エルヴェ視点】
じっと睨み合っていたエルヴェとアイゼアの均衡が崩れる。否、エルヴェは崩さざるを得なかった。
アイゼアに近づかれれば、傍に倒れている三人を巻き込んでしまう。だが離れすぎても狙われる。守りながら戦うには、三人と一定の距離を保たなければならない。
エルヴェは花が散るのも構うことなく跳躍した。右手の短刀を突き出す直前、投げナイフを投擲する。予想通り弾かれ、突き出した右手の短刀も槍に防がれた。その隙に左手にもう一振り短刀を握り、懐目がけて瞬時に斬りかかる。
左手首を捕まれ、そのアイゼアの手を右の短刀で斬り落とすために振るう。刃が触れる前にアイゼアは手を引いた。
地表に着地すると同時に跳び、間髪入れずたたみかけていく。実力が拮抗している以上、何かしらに勝機を見出さなければならない。
アイゼアに確実に勝っているのは持久力くらいだ。だが長期戦に持ち込むためには攻撃を凌ぎ続けなければならない。アイゼアは短期で決めるつもりで必ず仕掛けてくる。薙ぎ払う槍の勢いに圧され、二歩、三歩と蹌踉めく。そこへ風をまとった一撃が放たれ、容赦なくエルヴェの体を吹き飛ばした。
体を庇った腕は袖が裂け、数ヵ所切り傷ができる。眼前に、槍の切っ先が迫っていた。宙に浮いた体では避けきることができず、首を傾け、短刀で横へと受け流す。
背後の木の幹に着地し、飛び込んできたアイゼアの首を狙って飛び込む。ギリギリのところでアイゼアは勢いを殺し、飛び退った。
「さすがに一筋縄ではいかないか」
「そうまでしてアイゼア様を突き動かしているものは一体何なのですか?」
「答える義務はない。さっきもそう言ったはずだけど」
長槍とは思えない速さで繰り出される攻撃を避けながら、エルヴェは言葉を探していた。
バテるのを待つのではなく喋らせて疲労を加速させる。あわよくば隙を作る手立てになるかもしれないと気づいた。同時にアイゼアの真意を知りたいとも思った。今までの出来事やアイゼアの情報を頭から引き出す。
「ランタン祭り……あのときにはすでに私たちを殺そうと画策していたのですか?」
「だったら何だっていうんだい? いつからなんて聞いても無意味じゃないか。これが現実なんだから」
アイゼアの瞳の光が鋭さを増す。言葉でも刺し殺そうとするかのような強さだ。
「私たちはアイゼア様のことを信じていました。裏切ることに心は痛まなかったのですか?」
「あははっ、僕が心を痛めてるように見えるのかな?」
アイゼアは場にそぐわない明るい声で笑い飛ばす。正直に言えば心を痛めているようには見えなかった。だがアイゼアは感情を隠すのが上手だということも知っている。
「僕は君たちを殺すことに躊躇いはない」
アイゼアからスッと笑みが消える。繰り出した攻撃は槍に弾かれ後退する。アイゼアは追撃の手を緩めることなく、攻撃の苛烈さは増していく。
「ここで私たちが死ねば世界は破滅するかもしれません。アイゼア様自身も、ご弟妹も死んでしまうのですよ!」
その一瞬、アイゼアにほんの僅かに隙が生まれた。今発した言葉の中に何か引っかかるものがあったようだ。それをエルヴェは見逃さない。
殺すために繰り出した短刀の一撃がアイゼアの首筋を掠め、背後へと駆け抜ける。体に働く慣性を振り向きざまに右足を踏み込んで殺した。アイゼアの首筋をなぞるように伝う鮮やかな赤い粒を目印に短刀を突き出す。
その間に短刀に取り付けられた魔晶石を使い、雷をまとわせる。寸前のところで短刀を受け止められ、雷撃が激しく散った。アイゼアは勢いに押され後方へと跳ぶ。
「アイゼア様考え直して下さい。それとも貴方は破滅を望んでおられるのですか?」
エルヴェは空中へと身を翻し、静かに降り立つ。
「破滅、か。僕はそんなことどうだっていいんだよね」
「それでは、ご自身もご弟妹も、死んで……構わないと仰るのですか……?」
アイゼアの鋭い光を宿す瞳の奥が揺らいだように見えた。アイゼアに隙を生み出したのは、自身の死か弟妹の死……そのどちらかだ。アイゼアは旅の途中で話していた。
『二人をこの命に代えても守るって決めてる』と。
「命に代えても守ると仰っていた貴方が、ご弟妹の死に加担なさるのですか?」
皮肉と揺さぶり、両方の意図を持った言葉をぶつけた。アイゼアはふっと諦めたような視線でエルヴェを見つめる。
「違う……破滅後の世界を生きるんだよ」
破滅後の世界。以前グースとハックルの言っていた『理想郷』という単語が頭をよぎる。
「それはどういう意味でしょうか?」
「破滅した世界でも生きられるように交渉した方が賢いと思わないかい? 旅をしてわかったんだ。破滅を止めるより、その方がずっと簡単だってね」
エルヴェにはアイゼアが何を言っているのか理解できなかった。
「破滅後の世界がどんなところか私は存じ上げません。ですが、メリー様はストーベルの目指す未来に理想郷などないと仰っていたではありませんか。そもそもご弟妹はそれを納得されているのですか?」
「僕はたとえどんな世界だとしても、二人が生きていてくれれば幸せだよ。二人だって、きっと納得してくれる」
諦めと狂気と、絶望によく似た色の希望。その言葉はエルヴェへ向けたものではなく、まるで自分に言い聞かせているようだと感覚的に思った。
貼り付けたような、どこか諦観を帯びたアイゼアの微笑み。その細められた瞳にエルヴェは映らない。破滅後の世界に彼は一体どんな希望を見出したというのか。
「そんな世界にご弟妹を閉じ込めるのは、アイゼア様のエゴでしょう」
「君にはわからない。わかる必要もない」
「えぇ、理解するわけには参りません。弱い立場であるご弟妹を有無を言わさず従わせるなんて……貴方の仰っていることは『守る』こととはかけ離れています」
癇に障ったのか、アイゼアがエルヴェを鋭く睨む。普段の穏やかな表情からは想像できないほどの激しい怒りに満ちた瞳。その怒りを事実として淡々と受け止め、エルヴェは短刀を握りしめて見つめ返す。
「貴方が二人にしているのは『支配』でしかありません」
強く、強く言い放った。
「破滅が起こらなければ、ご弟妹には十年、二十年……もっと先の未来があるのではありませんか? たった三人だけの未来ではなく、もっと可能性に満ちた未来が」
目を覚ましてほしい、気づいてほしい。それは二人のためになっていないと。だがそんな思いは、一欠片もアイゼアには届かない。
「もう黙っていてくれないか? 君はただここで死んでくれればそれでいいっ!!」
アイゼアが苦しそうに顔を歪めて吼える。今にも崩れてしまいそうなほどの切羽詰まった表情だった。
感情任せになった攻撃はエルヴェに攻撃の隙を与える。雷撃を受けたアイゼアが怯んだ。少しずつ、少しずつ、アイゼアの体には傷が増えていく。
闇雲に槍を振るったことでアイゼアは肩で息をし始める。追い詰められているという事実に焦っているようだ。それでもエルヴェはなかなか決定打を与えることができないでいた。アイゼアとの一進一退の攻防が続く。
「私は負けません、今度こそ守り抜いてみせるんです。皆様も未来も……貴方のご弟妹も! 絶対に殺させはしません!!」
エルヴェは今度こそ決着をつけるために踏み込む。彼を殺すことになったとしても、守らなければならないものが自分にはある。
「君では無理だ。二人を救えるのは僕しかいない!!」
一瞬の油断、いや判断ミスだった。こちらへ前進すると判断したアイゼアが瞬時に後ろへと引いたのだ。
突き出した左腕が狙いから逸れていく。目の前を槍が掠め、左腕が千切れ飛んだ。痛みはない。痛みなどあるはずがない。この体は痛みを感じない。
腕が千切れても顔色一つ変えず平然と突っ込んでくるエルヴェに、アイゼアは目を見開く。その瞳にはうっすらと恐怖の感情を滲ませていた。体勢を崩しながらも、右手の短刀がアイゼアの右の太ももを深く切り裂く。
パッと赤い花弁のように散る鮮血。アイゼアが痛みに小さく呻く。じわりと血の滲む太ももを手で押さえながら、アイゼアは自身が切り落としたエルヴェの腕の断面を凝視していた。
二の腕の途中から引き千切られるように飛んだその断面から血は一滴も流れていない。その代わりに配線やチューブがだらりと垂れている。
「その腕。君の体は機械でできているのか……?」
最初は驚き、緊張した面持ちだったが、やがてくつくつとアイゼアは嗤う。それはこちらへの嘲笑か、アイゼア自身に対しての自嘲なのかはわからなかった。
「正体を偽って騙してたんだ。君だって同じじゃないか……」
アイゼアは太ももにジャケットから取り出した薬を打ち、槍を構える。おそらく痛み止めの薬だ。
足に怪我を負わせたとはいえ、左腕がないエルヴェでは太刀打ちするのは厳しい。人ではないことを知られてしまった。人の手によって造られた機械人形。それがエルヴェの正体だった。
自身の能力に制限をかけているリミッターを解除する。頭の中に響く小さな機械音が、自分が人ならざる存在だと誇張する。魔力が全身を駆け巡っていく感覚と共に力が溢れてくる。
圧倒的な強さを発揮できるようになるわけではないが、それでも制限がかかっているよりはずっと良い。その分稼動できる時間に制限ができ、無理をすれば内部機構が焼き切れてしまう。どちらにせよ早期に決着をつけられなければ敗北は必至だ。
残された右手だけでアイゼアに攻撃を仕掛ける。更に増した力と速さにアイゼアは焦りを隠さなくなっていた。
「君の体に見合わない持久力、力、速さ、その理由がわかったよ……でも!」
短刀をアイゼアの槍に押し返される。足を怪我していてもこの力が出せるのは驚きだ。素早く攻撃を繰り出し続けると、耐えきれなくなったアイゼアが蹌踉めく。
無防備に晒された左脇腹に短刀を突き出し、切り裂く。アイゼアはとっさに体を捩り、致命傷を避けた。エルヴェはすぐに方向転換し背後から首を狙う。その短刀をアイゼアは左手を犠牲に受け止め、刃が手のひらを貫通する。
アイゼアが苦しげに口角を上げるのがゆっくりと見えた。その体の死角から槍が迫り、とっさに短刀から手を離して逃れようとした。体を捻るも、想像以上に槍の速度が速くその刃がエルヴェの左胸を貫通した。
砕かれるような固い音と共にガクンと力が入りにくくなる。簡単に壊れる素材で作られてはいないのだが、突きの攻撃にはやや弱い。
エルヴェは一度目に死んだときのことを思い出した。相手は自分の体など軽く凌駕するほどに大きな敵だった。人口を大きく減らしていた人類は機械人形を戦場に大量投入し、仲間の機械人形は消耗品のように次々破壊されていった。やがてそれは戦闘タイプとして製造されていなかった機械人形にまで及ぶ。
エルヴェにとっても例外ではなかった。戦闘タイプではなかった体を間に合わせの改修で戦闘ができるように調整し、捨て駒のように投入された戦場で動力部を貫かれて停止した。記憶が破損したのもそのときだ。
機械人形は人にとって道具でしかない。感情を理解しても、表現できても、その個体だけの自我や記憶を積み上げても、絶対に覆ることのなかった人類の態度。
だから人ではないことを知られたくなかった。人へ向けられる優しさが、道具へ向ける無機質なものへ変わることが「怖かった」からだ。
槍が引き抜かれ、ふらつきながら後退する。人であれば命に関わる重症なのだろうが、やはり悲しいほどに痛みはない。
体を捻ったおかげで動力自体への直撃は免れたものの供給部が破損してしまったらしい。魔力を上手く集めることができない。頭の中で異常を報せるアラートがけたたましく鳴り響く。解除していたリミッターを戻し延命を図る。それでも動ける時間はあと僅かだ。
それはアイゼアも同じらしく、苦しそうに小さく呻く声が聞こえた。押さえている脇腹からの出血はジャケットにまで及び、大きなシミをつくっている。犠牲にした左手の手袋も赤く染まり、傷だらけになった体からも所々血が滲んでいた。
「まだ君は動けるのか……胸を、貫かれても……」
「痛みも血もないのです。この程度で止まる体ではありません。勝負ありましたね、アイゼア様」
エルヴェはできるだけ平静を装った。警戒しつつ、短刀を拾いアイゼアへとにじり寄る。残り時間が少ないことを悟られないよう祈りながら。
「僕が……」
俯いていたアイゼアが顔を上げる。
「僕が死ねば破滅は止まって……君が二人の未来も守ってくれるのか?」
絶望したように笑っていた。
「わかるなら教えてくれ。僕は一体どうすれば良かった……?」
いや、笑いながら泣いていた。アイゼアの左目から一筋の涙が零れ落ちて砕ける。
「……アイゼア、様?」
その顔を見せまいと背を向け、勝てないと判断したのか足を引きずりながら撤退していく。何も言えず、ただただその背を見つめることしかできなかった。
追う気はない。そんな力は今の自分に残されていなかった。エルヴェは残された右手で三人を花畑の外へと引きずっていく。もう抱える力もない。
全員の避難を終え、最後に千切れた左腕を拾った。左腕を傍らに落とし、口に咥えていた短刀を右手に持ち直す。三人が視界に入るよう少し離れた木に背を預け、ずるずると腰を下ろした。
この命が尽きるまでは三人を守る。本当は目が覚めるまでは見守っていたかったが、それはもう無理そうだった。視界にノイズと呼ばれる小さなゴミのようなものが混ざって見え始める。一度目に壊れたときは動力部を貫かれたせいですぐに意識が飛んだ。
『エルヴェ、必ず無事にここへ帰ってくると約束してほしい』
破壊される前、エルヴェに、人に接するような態度で声をかけてくれた……姿も名前も思い出せない大切だった人の言葉。その命令を果たせなかった無念だけが最期の瞬間まで残っていた。
今回は守りきれただろうか。視界がすぅ……と黒く塗りつぶされる。うるさいアラートの隙間から風の音が心地よくエルヴェの耳に届いた。
守りきれていない、という思いが湧き上がった。最後まで見届けられたわけではないのだから。
ぷつりという音を最後にアラートの音すらもなくなる。やがて風を感じる表皮の感覚もなくなり、体が動かなくなった。
終わりのときが刻一刻と近づく。そんな無に近い世界で、エルヴェはアイゼアの涙を思い出していた。どうして泣いていたのだろうかと。迷いがなければ、本当に破滅後の世界を生きていくことに納得しているのなら、なぜ涙を流す必要があるのか。
『僕が死ねば破滅は止まって……君が二人の未来も守ってくれるのか?』
あの言葉が──妙に引っかかる。アイゼアがどうすれば良かったかなんて、事情を知るわけでもないのに答えられるわけがなかった。エルヴェにはアイゼアの思惑も真意も何もかもがわからない。ただ、思うことは一つだけ。
「皆様が……アイゼア様もご弟妹も、笑って暮らせる未来が──」
それが奉仕型として造られた機械人形として組み込まれた思考パターンなのか、自分の中に育った自我がそう思わせたのか判断はつかない。
どちらにしてもそう願っていることに変わりはなかった。今では裏切られたことへの困惑より、アイゼアへの心配が勝っていた。
殺されることに憎しみや怒りを抱いてはいない。ただただ悲しい、そう感じていた。機械人形は人を憎むという感情が持てない。
だがたとえ憎むという感情があったのだとしても純粋な憎しみを向けることができたのかはわからない。彼を心配してしまうのは、自分に芽生えた自我に情があって、それがそう思わせていると思いたかった。
もしそうだったらそれはとても素敵なことだと思う。自分にも人らしいところが一つはあるのだと思えるのだから。
ゆっくりと思考ができなくなっていく──
エルヴェは静かな世界で、緩やかに緩やかに壊れていった。




