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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
本編:未来を負う者たちと、過去を追う者
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043 ソレハ蜘蛛ノ糸デデキテイル【エルヴェ視点】

 エルヴェは皿に乗った最後のミニトマトを頬張る。久々にゆっくりと朝食をとっていると、バタバタと慌ただしく駆け寄る足音が一人分。


 何事かと思い視線を向けると足音の主はアイゼアだった。両手をテーブルへつくと、ガチャンと音を立てて食器が揺れる。ここまで走って来たのか肩で息をしていた。滅多なことでは取り乱すことのないアイゼアの尋常ではない様子に空気が張り詰める。


「何だ。朝っぱらから騒々しい……」

 迷惑だと言わんばかりにスイウはアイゼアをじとーっと睨む。頬杖をつきながらレーズンパンをかじるのはいささか行儀が悪いが、今気にすべきことはそこではない。


「居所を掴んだ。急ぎ準備をしてくれないか」

 その一言にメリーが顔色を変えて立ち上がる。

「それは本当ですか」

「情報を掴んで、斥候(せっこう)からも報告を受けた。僕たちが別働隊として動けるよう許可も得てきてる」


 アイゼアは少し疲れているのか、目にいつもの力強さがない。情報を得てから急ぎ他の騎士たちと作戦を立て、更に動きやすいよう手配までしてくれたのだろう。決行も今日だというのだから休む間もほとんどなかったはずだ。


「場所は?」

「ざっくり言うなら、ヴェッラの森の奥だね」

「えっ」

 ヴェッラの森、という単語に思わず声を上げてしまう。


「ヴェッラの森って、確か東にあるイルシーの森と同じ迷いの森として有名ですよね」

 セントゥーロ国民なら誰もが知っているような常識だ。確か地の精霊が多く存在し、その精霊の力がいたずらをして来る者を惑わす森だと聞いたことがあった。


「その点は問題ない。騎士には精霊の力を払うための道具が配られてるからね」

 アイゼアはそう言って、魔晶石が取り付けられた小さな棒状の機械を見せてきた。


「準備は万端ってことですね。私たちも先を越される前に行きますよっ」

「先を越される、ですか……私たちは別働隊なのですよね?」

 というツッコミは軽く流され、メリーは朝食もそこそこに部屋へと戻っていった。


「俺はもういつでも行ける」

「あふぁひも、ふぁいひょーふよ!」

 フィロメナは目の前の朝食を慌てて口へと運んでいる。さながらリスのように頬が膨れていた。


 緊張感のないいつも通りのフィロメナに少しだけ安心感のようなものを認識する。間もなくメリーが準備を整え戻って来ると、すぐにヴェッラの森へ向けて出発した。



 サントルーサの北にあるヴェッラの森はイルシーの森と併せて幻想の森とも呼ばれる。しんと静まり返る朝の森はどこか厳かな雰囲気だ。

 凛とする澄んだ空気と柔らかな木漏れ日が清々しい。木々の緑や草花は朝日を受け、生き生きと輝きを放つ。


 アイゼアが例の機械のスイッチを入れると、僅かに風景が変わり道が開かれた。


「こんな美しい森が迷いの森ってのも何か信じられないわね……」

 辺りを忙しなく見回しながらフィロメナが呟く。一見穏やかなこの森が人々から恐れられていると誰が思うだろうか。


 さわさわと草を踏みしめ森の奥へと進んでいく。時折会話する声、足音、葉が風に揺れる音、衣ずれの音、呼吸の音……耳を澄ませてもそれ以外の音は聞こえない。


 しばらく森を歩き続けても、クランベルカ家の構成員どころか魔物がいる様子すらない。見張りに魔物くらい放っていると構えていただけに拍子抜けだった。


 むしろそれが不気味でもある。またネレスのときのように何か罠でも張られているのではと警戒を強めたとき──


「わぁ、きれーい!」

 というフィロメナの場にそぐわない声が耳に飛び込んでくる。


 森の中の開けた場所、その一面が空色に染まっていた。よく見ると、ふくらはぎくらいの丈の植物が美しい空色の花をつけている。この植物にとって適した環境なのか、緑が見えなくなりそうなほど隙間なく広範囲に群生していた。


「地上界にも、こんな美しい場所があるのね!」

「おい。少しは緊張感を持って行動しろ」

 先頭を歩くスイウの忠告も聞かず、フィロメナは感激しながら追い越して先へと進んでいってしまう。


「アイゼア様、この花畑の方向で道はあっているのでしょうか?」

「うん。間違ってないよ」

 アイゼアの表情が僅かに曇ったように見えた。


「さ、置いてかれないように僕たちも行こう」

 それも一瞬のことで、いつも通りの穏やかな微笑みに変わる。ここまで綺麗に咲いていると踏み荒らすのが少し勿体無い気もするが、目的地がこの先だというのなら仕方ない。エルヴェもフィロメナとスイウに続き、空色の花を踏みしめながら中へと入っていく。


「ちょ、ちょっと待ってください。この花もしかして……」

 数歩後ろを歩いていたメリーは花の中へ入らず、その手前で止まっていた。


「どうした?」

 その声にスイウとフィロメナも振り返る。メリーは肘の内側で鼻と口を覆っていた。


「間違いない、薬草学の本で見たタリアの花です。かなり珍しい花ですが、こんなに群生してるなんて……三人とも花粉が舞わないように速やかにそこから離れ──」


そこで言葉は遮られた。


 アイゼアはメリーの腕を掴み、花の中へと乱暴に投げ倒す。メリーが花の上を転がると、空色の花弁が舞い上がった。不思議な色の青い花粉が日の光を受けてきらきらと煌めいている。


「げほっげほ……アイゼアさん、何を……」

 メリーは立ち上がろうとするが、力が入らないのかすぐに膝を折ってしまう。手をつき、座っている状態を保つだけで必死なようだ。それに呼応するようにスイウが膝をつく。同時にふらりとフィロメナが地に倒れ伏した。


「アイゼア、お前っ」

「アイゼア……さん」

 信じられない、と見開かれたメリーの瞳。憎悪に満ちたスイウの瞳。その二人の視線がアイゼアを射抜く。二人が何を言いたいのか、エルヴェにも察しはついた。


 それはアイゼアも理解しているはずだ。だが彼は何も答えない。ただただいつもと変わらない同じ表情で微笑(ほほえ)んでいた。妖しく細められた赤紫色の瞳は、不気味なほど底が見えず何の感情も認識できない。


「お前、殺されたいのかっ……」

 普段感情を露わにしないスイウが忌々しげに呟くと、抜き放った刀を支えにして何とか立ち上がる。エルヴェは三人の体に何が起こっているのかわからなかった。


 自分には何の異常もない。花弁を散らせながら目の前をスイウが通り過ぎていく。アイゼアに斬りかかる速度はいつもとは比べ物にならないほどに遅く、キレがない。アイゼアは笑みを崩さず、槍で刀を受け止め()なす。


「スイウ様っ!!」

 瞬間的に先の行動を算出し、エルヴェは地面を蹴る。返す槍でスイウを貫こうとするアイゼアの攻撃を抜刀しながら短刀で素早く受け止める。後方へと跳び退り、足元のふらつくスイウを支えた。


「どう、してです……か」

 必死に意識を繋ぎ止めているメリーは喉の奥から絞り出すように言葉を発する。


「悪いけど、答える義務はないよね」

 温度のない言葉と冷え切った目がその問いを打ち払う。そして限界を迎えたメリーはゆっくりと倒れた。


「クソッ……悪い、エルヴェ……」

「スイウ様っ」

 肩からずるりとスイウの手が滑り落ちる。メリーが意識を失い、それに連鎖してスイウの意識も失われていく。同時にこれが何かの外的要因による体調変化であり、その原因がこの花にあることを理解した。

 エルヴェは更に後退し、メリーとフィロメナの近くに意識のないスイウを横たえる。


「誤算だったよ」

 抑揚のない声が背後から聞こえる。


「アイゼア様……?」

「どうしてエルヴェは花粉で眠らないのかな?」

 タリアの花の花粉。先程メリーが倒れたとき、珍しい青い花粉が舞い上がっていたことを思い出す。アイゼアの言葉を信じるならその花粉に催眠作用があるらしい。


 ならば自分に効果があるわけがなかった。薬物の類は一切効かない。それがエルヴェの体だ。正直に言うと心境は少し複雑だった。人ではない、命というものを宿していない、生きている者ではない、という事実を正面からつきつけられているのだから。


「できれば苦しまないように全て終わらせてあげたかったんだけどね」

 だが今だけは人ではない自分に感謝した。全員を守れることを。もし人の身であればここでアイゼアに皆殺しにされていた。


 短刀を握る右手に力がこもる。壊れた記憶の断片が語りかける。かつてエルヴェには命に代えてでも守りたかった人たちがいた。


 彼らと離れ離れになり自分は違う場所で戦った。その先に平和があると、穏やかな今までの生活が戻ってくると信じて。だが彼らは自分の知らないところで死んでいった。そして自分自身も。今度こそ殺させはしない。守りきってみせる。


「スイウは厄介だから真っ先に殺しておきたかったんだけど、邪魔するなら君が一番最初だよ」

「そんなこと絶対にさせません」

 短刀の切っ先をアイゼアに定める。


「君では僕に敵わない。逃げるなら今のうちだけど……それがエルヴェの答えで良いのかな」

 アイゼアへ向けた短刀のことを言っているのだろう。


「敵わないと決めつけるのは、まだ時期尚早というものでしょう。やってみなければ……わからないのですから」


 心は痛まない。迷いもない。エルヴェの『心』はそういうふうにできている。人に寄り添う心はあっても、情に流されることはない。“人”と違い、この切っ先は何よりも的確で……決して鈍らない。


 エルヴェはいつでも戦闘に入れるように短刀を構える。共に旅をしてきてアイゼアと戦う日が来るなんて夢にも思っていなかった。


 騎士として立ちはだかっているわけではない。ストーベルたちの駒として彼はここにいる。

 皆を気遣う言葉も協力的な姿勢も何もかも全てが嘘だったのだろうか。とても信じられない、というのが本音だが、終始演技であった可能性を否定するだけの根拠もなかった。


「とても親身にして下さっていたのに、(だま)していたのですね」

 素直に思っていることを口にした。少しでも良心が残っているのなら心が痛むはずの言葉を。アイゼアは笑みを貼り付けたままで返答はない。


 二人の間に緊迫した空気が流れる。お互いに相手の出方を探っていた。下手に出れば一瞬で勝敗が決してしまうかもしれない。そう慎重にならざるを得ないほど、互いの実力は拮抗(きっこう)していた。

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