003 協力者【スイウ視点】
メリーに案内されるまま路地裏の奥まった場所にある階段を下りる。少し歩くと、先の行き止まりに扉が見えてきた。
周囲の白レンガ造りに似つかわしくない鈍色の重々しい鉄の扉を、メリーは奇妙なリズムで叩く。程なくして扉の向こうからバタバタと慌ただしい気配が近づき、扉が開くと同時にいきなり人が飛び出してきた。
「えーっ! めっちゃ久しぶりじゃなーいメリー!!」
「うぐっ……」
その様子を見ていたスイウは、うるさいやつだと僅かに顔を顰める。
鶯色の髪にやや化粧の濃い女が、メリーを絞め殺さんばかりの勢いで抱きしめて……締めている。
「ねぇ、メリー死にそう」
少し遅れてのそりと出てきたのは、メガネをかけた赤茶色の髪のじめっとした印象の女だ。じめっとした女の一声でメリーはようやく解放されたが、よほど苦しかったのか肩で息をしている。
「ごめんごめん! でもびっくりしたわ。ノルタンダールからは離れられないって言ってたのに急にどうしたの?」
「少し事情が変わって……」
メリーの深刻な表情から何かを読み取ったのか、二人はメリーに中へ入るように促す。
「あ、待ってください」
メリーが呟きながらこちらを振り向くと二人の視線も一緒にこちらへついてきた。
「え? なになに? そこのクッッソ目つき悪い男、まさかの恋人だったりする……? 事情って、私たち結婚しまぁーす! とか、駆け落ちとかじゃないでしょうね?」
「おぉー、これはなんと。大胆かつ趣味の悪い……」
二人ともが、大仰な身振り手振りを交えて、わざとらしい大げさな反応を示す。突っ立っているだけでボロクソに貶され、一体自分が何をしたんだと小さくため息をつく。
「二人ともさすがに失礼すぎます……彼は私の協力者なんです」
「協力者?」
二人はこちらを不躾にじろじろと観察している。サラッと暴言を吐かれはしたが、本人たちの様子を見るに悪気はない……のかもしれない。
今更目つきの悪さや人相を指摘されたところでスイウは何も感じない。すでに耳にタコができるほど聞き飽きているからだ。
「うーんまぁ、そういうことなら。じゃあアンタも早く入っちゃって」
スイウも派手な女に促されるまま家の中へ入った。
中はかなりこぢんまりとした規模の研究所になっているらしい。見たことのない機材や道具、変な植物が吊るしてあったりと、スイウにとっては見慣れない奇妙な光景が広がっている。
近くのソファに案内され座ると、じめっとした女がご丁寧に紅茶を淹れて持ってきた。別にいらないんだが……と思いつつ、無言で受け取る。
「スイウさん、二人は私の学生時代の親友なんです。二人にも協力してもらおうと思ってここへ来たんですよ」
友人二人を紹介し始めるメリーの姿に、一応その辺の常識は持ち合わせているのだと再確認する。
ただ本人は至って常識人然とした態度なだけに、ずいぶんと振り切ったやつらと親しいんだなと不思議に思った。
「アンタ、スイウって言うんだ? 変わった名前ねー。アタシはペシェ・ペルシィ、よろしく〜。で、こっちの地味なのが──
「地味じゃない。そっちこそちゃんと本名名乗らないと、ドゥーラス?」
「アンタねぇ、その可愛くない名前で呼ぶのやめろっつってんでしょ?」
派手な方……ペシェが顔を引きつらせ、その容姿からは想像もつかないような低い声を発する。見た目は普通に女性に見えるが、本来の性別はどうやら男らしい。スイウは顔色一つ変えず、じっとその様子を見ていた。
「キミ驚かないんだ?」
じめっとした女が、メガネの向こう側の瞳がこちらを探るように見つめてくる。
「いや、かなり」
肩を竦めてみせると、じめっとした女は薄く笑った。
「ウチはミーリャ・アプフェル。魔工学の研究してる。ペシェは魔術の新技術開発とかやってる」
「アタシたちは少ない魔力でも快適に魔術が使えるような生活になるように研究してんのよ」
「この国ではウチらみたいな魔力が高くない霊族ほど蔑ろにされやすいから格差を減らすために」
「だから頭の固〜い、魔力と血統で威張り散らしてるこの国の連中には、あんまり歓迎されてないのよねぇ」
二人がこんな路地裏の奥まった所で、ひっそりと研究を続けてる理由をスイウはうっすらと理解した。
ペシェは、げんなりした顔で正面のソファの肘掛けに片足をかけて座る。置いてあった紅茶を一気に飲み干すと、ティーカップをソーサーの上に戻し、改まった表情でこちらへ向き直った。
「で、メリー。何があったのよ。協力してもらおうと思って来たって言ってたわよね」
「はい、二人にお願いがあるんです。大きな建物を遠距離で爆破できるものとか、人が空間移動できるものってないですかね?」
メリーは至極真面目な顔で突拍子もないことを言いだし、スイウは面食らった。常識があるかについては早速評価を改めた方が良いかもしれない。
遠隔での爆破はともかく、空間移動はグリモワールを使ってもさすがに無理だろ、と内心ツッコミを入れる。
「ないわ、ないない! 大体、爆破とか炎はアンタの専門でしょー? その膨大な魔力でふっ飛ばしちゃえば良いじゃない」
「そもそもなんで爆破したいの?」
「そう、それよ! いつもアンタと無茶苦茶やってきたけど、さすがに建物の爆破は犯罪よー?」
二人の心配そうな視線がメリーに向いている。建物を爆破しようとしていることについて積極的に止めようとしないあたり、こういったことが何度かあったのか、それともこの二人の常識もやはりズレているのか。
だが話は早くて助かる。こんなところでくどくどと説教を聞いてる暇はない。スイウとしては手がかりのないグリモワールの行方や魔物の情報も集めなくてはならないのだ。
「こいつらに協力してもらうんならさっさと説明しろ」
「そうですね」
雑に促してやると、メリーは一つ頷く。小さく口を引き結んだあと、意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「実はミュール兄さんが連れ去られて、フランが殺されたんです」
時が止まったかのように空気が凍った。メリーの淡々とした口調とは不釣り合いの重い事実。その落差に、二人はなかなか言葉の意味を飲み込めないでいるようだった。やがて、その沈黙はペシェによって破られる。
「え……ミュールさんとフランちゃんが? なによそれ、どこのどいつよ……」
ペシェは怒りを露わにし、ミーリャは一言も発さず目を伏せて顔を顰めた。
「父ですよ。私の」
「はぁーっ? 父ってストーベル様のこと? 父親が自分の子供を殺したわけ?」
「そうです」
淡々となんてことないように返ってくる返事にペシェの顔色が青ざめる。
「ちょっと待って。てことは、御三家のクランベルカ家に喧嘩売るってことよね? バレたら一瞬で首飛んじゃうわよ? 物理的に」
二人は顔を見合わせ表情を曇らせる。御三家とわざわざ呼ばれるクランベルカ家というのはそれほどに恐ろしいらしいが、冥界出身のスイウには今ひとつピンとこない話だった。
「メリー、クランベルカ家にはそんな力があるのか?」
地上界の情報や常識は多く集めておいた方が間違いない。そう思って投げかけた質問だったが、二人は信じられないといった表情でスイウを凝視する。
メリーは少し驚いたような焦るような複雑な表情を見せたが、それも僅かな間だけだった。
「ちょっとアンタどこ出身なのよ? クランベルカ家を知らないって、スピリア国民ならありえないわ」
「ペシェ、スイウさんはセントゥーロ王国の人だから知らなかったんだと思いますよ」
サラッと嘘をつくメリーの顔をスイウは横目で一瞥する。取り繕うように苦笑いを浮かべているメリーに、見かけによらず意外と強かなところもあるのだと感心する。いざとなったとき馬鹿正直なよりは、巧く切り抜けるタイプの方がやりやすい。
「スイウさん。スピリア連合国は風・炎・地・水の各種族と四つの種族で共同統治する五つの種族自治体から成り立ってるんです。クランベルカ家は炎霊族の長に仕える名門御三家の一つなんですよ」
「ってことは、王の側近のようなもんか」
確かにこの国ではトップクラスの家柄ということになる。知らない方が驚かれるのも仕方ないと納得する。
「だから喧嘩を売るのは自殺行為。相手とは物量も違う」
「アンタたち本当にやる気?」
「当然です。ミュール兄さんを連れ戻すとフランと約束したんですから」
不安そうに問いかける二人に対し、メリーは間髪入れずにピシャリと言い放った。その表情に迷いはなく、意見を挟む余地もないほどに決まりきった覚悟が滲んでいる。
「でもねぇ、爆破はさすがにどうなのよ。連れ戻すことだけは不可能なわけ?」
「どの道喧嘩ですよ。それに徹底的に叩き潰してあげた方が、世のため人のため、私のためです」
「喧嘩なんてかわいいものじゃすまない。殺し合いって言う」
まったく考えを変えようとしないメリーに、これはいよいよダメだと言わんばかりにミーリャは盛大にため息をついた。
「アンタは昔からそうよねー。こうと言い出したら一人でだって行っちゃうんだから……まったく」
「でも、こんなことされて黙って何事もなかったみたいに暮らすなんてできますか? ミュール兄さんとフランが何をしたって言うんですか? こんな酷いめに遭わされるようなことをしたと?」
「メリー、落ち着いて。二人はそんなことしない。馬鹿にされてたウチらにも優しく接してくれたし、優しい人たちだったって覚えてる」
ミーリャはゆっくりと否定の意を示しながら首を横に振る。表情にこそ出にくいタイプのようだが、瞳に明らかな悲しみの色が浮かんでいる。
「先に犯罪に手を染めたのは向こう。父が二人に危害を加えたのも、おそらく禁止されている研究のため。その研究所を爆破しても事実の露見を恐れて表立って非難はしてこないと思います。ただ……裏で何をしてくるかはわかりませんが」
メリーがそこまで話すと二人は何かを察したようで、顔を見合わせて頷く。
「わかったわよ、協力したげる。どの道アンタと仲良いアタシたちは危険に晒されるってわけよね」
「怖い……けど、二人にしたことは許せない。その気持ちはメリーと同じ」
二人は不安に感じつつも、どこか腹を括ったような表情だ。むしろ進む道を決めたからこそ、その顔には清々しさのようなものすらあった。
「アンタ魔法薬学専攻でしょ。爆薬制作を始めるわ! 魔力もありったけ提供しなさい!」
「そういう薬学ではないんですけどね」
「とか言って作れるくせに」
「じゃあウチは爆薬を起動する装置を考えてみる。たぶん前研究してたやつの応用でいけるはず」
「ペシェ、ミーリャ。ありがとう」
「まったく、そんな顔しないの!」
罪悪感の入り混じった笑みを浮かべたメリーを、ペシェはバシッと肩を叩いて喝を入れる。
「さ、早速制作に入るわよ! ぐずぐずしてる暇ないんだからね!」
ペシェの一声で三人は研究室奥の部屋へと入っていった。手持ち無沙汰になったスイウは、一声かけて街へ出ることにした。
* * *
メリーと契約する前は歩くこともままならなかったメラングラムの街をスイウは悠々と歩く。情報収集がしたいと言って街へ出てきたが、厄災の種が散ってからまだ半日。めぼしい情報は得られなかった。
この広い地上界で顔も名前も知らない犯人をシラミ潰しに探すのは途方もない。何人の魔族がこちらへ送り込まれたのかはわからないが、無事に契約相手を見つけられなければ身動きはとれない。他人を当てにするわけにもいかなかった。
クロミツ、今何してんだろうな……
別れ際のクロミツの顔を思い出す。風のように自由で勝手気ままなやつだが、要領も愛想も良い。自分より上手くやっているのは確実だろう。
問題はグリモワールの行方だ。犯人の情報もない、全く手がかりなしの状態なのだ。グリモワールが人の願いを叶えることで、人が魔物化して暴れるか、魔物が大量発生でもすれば情報が流れてくるはずだ。
直接聞き込みをしたり、立ち話を盗み聞きしたりしてみたものの収穫は皆無だった。後手に回らざるを得ない現状に頭を抱える。
そうしている間にすっかり日は傾き、空は緋色から柔らかな紫色へと変化しつつあった。冥界の空によく似た黄昏色の中に、鋭利に尖った細長い月が浮かんでいる。黄昏に浮かぶ月を見て、メリーの姿が頭を過った。
『危害を加えられたら焼き殺せば良い』
腕を掴まれたときメリーはそう考えていた。まさか本心がスイウに見透かされていたなどと微塵も思ってもいないだろうと思うと愉快でたまらない。
そして自分をまっすぐ睨むあの目と、まとう魔力。羊のように善良そうな顔で、瞳の奥にはゾッとするような殺意を宿していた。
戦うことや殺すことに躊躇いがないのはスイウにとって好都合だ。多少の倫理観の欠如などどうでも良い話で、問題は使えるヤツかそうでないか、戦力になるかならないかだけだ。
「『黄昏の月』……か」
スイウは小さく呟き、ほんの僅かに笑みを浮かべる。メリーが契約相手として好条件だった理由はそれとは別にある。
それが『黄昏の月』だ。月食の日に生まれた霊族をそう呼び、その魔力には冥界の気が混じる。これを精霊や天界の天族は忌み嫌うが、妖魔のような冥界寄りの精霊は好み、冥界に住む魔族もまた例外ではない。
メリーはそれに加えて魔力量も豊富だ。スイウは自分の運の良さに内心ほくそ笑む。魔力があるということは魔術士としての戦闘能力にも期待できる証でもある。
あとはこちらの事情をメリーにどう伝えるか、どこまで伝えるかだけだ。より彼女の能力を引き出せるように、積極的に協力してもらえるように。スイウは思考を巡らせながら帰路についた。
翌日の早朝にはすでに爆薬と装置が完成していた。想像していたよりずっと早い仕事に、ペシェとミーリャの有能さが伺える。
二人はこれから魔術鉄道で港町のポルティカへ向かい隣国のセントゥーロ王国へ渡る。それ以降どこへ逃げるのかは聞いていないが、その時間を稼ぐために決行は今晩になった。
「メリー、しくじるんじゃないよ」
「死ぬのはダメ、ウチらも必ず逃げきる」
「当然です。二人も、くれぐれも気をつけて」
出立の準備を終えたペシェとミーリャに別れの挨拶をし、見送る。大きく手を振る二人の姿が路地裏の角に消えていった。
室内へ戻ると、一睡もしていなかったメリーは長いソファの上に横になった。顔が少し青白く、かなり疲れているのは傍目から見てもわかるほどだ。契約を結んだことでスイウに魔力が微量に流れてしまうことに慣れていないのも原因の一つだろう。
「スイウさん、日が暮れてきたら起こしてもらえませんか?」
「あぁ。お前が知りたがってた話もそろそろしておかないとな。少し早めに起こす」
「お願いします……」
メリーは小さく返事をすると目を閉じた。立っている意味もないので、スイウも向かいのソファに座る。
時間を持て余しているのがもったいないが、一人にして万が一寝込みを襲撃されたらひとたまりもない。
契約の従者側は依代にしている主人側が死ぬと一緒に消滅してしまう。だからたとえ時間をどんなに持て余そうと、ここに一人で置いて再度情報収集に行く気にはならなかった。
間もなくメリーの規則正しい寝息が小さく聞こえ始める。話す内容について思案しながら、ぼんやりとメリーを眺めていると寒そうに僅かに身じろいだ。
それを見て、この部屋の室温があまり高くないことに気づく。あらゆる感覚に鈍感な魔族でも、この街がかなり寒いことはわかる。ストーブを焚いてはいるが日の光があまり入らないせいか、なかなか室温が上がらないようだ。
スイウは自分の隣にあるくしゃくしゃのまま置かれたブランケットを掴むと、メリーの上にかけてやった。こんなところで体調を崩されては元も子もない。これからはゆっくりと睡眠を取れるとは限らない。今のうちに休ませておかなければ後々面倒事になるのは明白だ。
自己回復機能に優れる魔族と違って、人の身体はかなり脆弱にできている。メリーを死なせれば自分も消滅する。それを忘れないようにしなければ。管理を怠れば足元を掬われるのは自分自身だ。
「厄介だな……」
スイウの小さな呟きはストーブの炎の音に消えていった。