038 軋む心とその悲鳴【アイゼア視点】
ストーベルが突然出したスイッチが何のためのものか、アイゼアにはわからなかった。ただそれが何か良くないものであることだけはメリーとスイウの反応から推測できた。
ストーベルによってスイッチが押され、その場にいる全員に緊張が走る。だが何度ストーベルがスイッチを押しても何も起こらない。
『あぁ、良かったです……何とか間に合ったようですね』
室内に響く、聞き覚えのある少年の声。
『この研究所のシステムは私が全て掌握しました。誠に残念ですが、そのスイッチは機能いたしません』
二階部分にある板状の機械にエルヴェの姿が投影される。その姿はずいぶんと汚れていた。戦闘をこなし研究所を制圧するために奔走してくれたのだろう。
「新しい兵器はついつい試したくなっていけない。少年、お前は確かベジェで──」
ストーベルの幻影は言葉を言い切る前に消え失せた。エルヴェが何か操作したことで切断されたのだろう。アイゼアはフィロメナが閉じ込められた機材の前まで駆け寄る。
「エルヴェ、フィロメナの入ってるガラス管を開けられないか!」
『承知いたしました』
エルヴェが返答をし、しばらくしてガラス管が開く。
「フィロメナ、大丈夫かい?」
「えぇ……大丈夫よ」
声をかけると目を閉じたまま答えた。手を貸し、ゆっくりと立ち上がらせると機械の外へ避難させる。
「そんなことより、みんなは大丈夫かしら?」
その問いかけにアイゼアは言い淀んだ。メリーとスイウの容態は良くない。特にメリーは、駆けつけたときですら、立っているのが不思議なほど酷い状態だった。
全身に火傷を負い、特に右半身はかなり深刻だ。右手の先から腕にかけて皮膚が大きく焼け爛れており、神経が機能していないのか動かしているところを見ていない。
悲壮感漂う姿だと言えば聞こえは良いが、あの執念と捨て身の行動は直視するのも憚られるような痛ましさだった。
押し黙ってしまったせいかフィロメナはあまり良い状況ではないことを察したようだ。
「すぐに案内してちょうだい」
疲れていたフィロメナの目に強い光が宿る。
「治癒術を使う余力は残ってるのかい?」
「平気よ。戦ってる声はずっと聞いてたもの。あたしだけ弱音なんて吐いてらんないじゃない」
強がってはいるがフィロメナの足取りはまだ覚束ない。肩を貸しながらメリーとスイウの元へと連れて行く。
メリーは意識を失ったのか仰向けで寝かされていた。このまま放置すれば間違いなく死ぬのだとわかる。その焼け爛れた姿にフィロメナが一瞬眉を顰めた。これが死体だと言われても誰も疑わないだろう。
「酷い……すぐに治療に取り掛かるわ」
フィロメナの背から翼が生え、両手の柔らかな光がメリーに働きかける。ここで火傷が治ってこなければこのまま死ぬしかない。メリーの左手にはしっかりと赤い魔晶石が握られている。
今にも泣き出しそうな顔で兄のことを「助けたいです」と強く言い切った彼女の姿が蘇る。
その先に待っていた結果がこれだ。こんなのはあんまりだ、と吐き捨てたくなるような惨状だった。怪我は少しずつ塞がりつつあるものの、治りは良くない。
「俺に残ってる回復力と魔力をメリーに回す」
「そうしてちょうだい」
まだ自身の傷も治りきらないまま、スイウは治癒術の光を受けないよう、メリーの左手に手を添え目を閉じた。スイウが左手に触れて間もなく、メリーの顔の火傷がじわじわと修復し傷痕もなくなっていく。
「この右腕だけは治すのに時間がかかりそうだから、今は応急的な治療だけしておくわ。じゃないとあたしの魔力が持たないかも」
顔の治療が終わると体全体の火傷の治療を始めたようだ。ここは二人に任せて良さそうだと判断する。アイゼアは立ち上がり、騎士たちに命令を下す。
「皆は先に撤退し報告と救援要請を。怪我人は運べる者が運ぶか、無理であれば救援隊に任せるように。シュド分隊長、頼まれてくれるか?」
「はっ、お任せ下さい。アイゼア隊長もお気をつけて」
敬礼を交わすと、シュド分隊長を中心に騎士たちは撤退していく。
「エルヴェ、部下たちを先に撤退させた。入り口までの道を開けておいてくれないか」
『承知しました』
機械を通したエルヴェの声が響く。まさかエルヴェが魔工学や機械にこれ程まで強いとは思っていなかった。
おそらくここまでの道が開かれたのもエルヴェのおかげで、彼がいなければ自分もスイウもここへは辿り着けなかった。そうなればきっとメリーはここで死んでいただろう。
「とりあえず危険域は脱したわ」
「俺たちも撤退するぞ。長居は無用だしな」
スイウはメリーを横抱きにし、蹌踉めきながら立ち上がる。
「少し待ってくれないか。あの魔晶石を拾ってくよ」
「あたしも手伝うわ」
あの石がメリーの兄だというのならこんなところに放置するわけにはいかない。アイゼアとフィロメナは散らばった魔晶石を丁寧に拾い集め、ハンカチに包む。スイウは無言で様子を見守ってくれていた。
魔晶石を包んだハンカチをジャケットの内ポケットに入れる。フィロメナが手をかざすと、散らばった小さな魔晶石の破片が赤くキラキラと煌めいて浮かび、空気に溶け込むように儚く消えていく。その不思議な光景に呆けていると「魂の一部を還したのよ」とフィロメナは説明してくれた。
「終わったんならとっとと行くぞ」
「あぁ。エルヴェ、僕たちも撤退する。君もすぐに撤退してくれ」
『はい。すぐに合流します』
エルヴェを映し出していた機材からその姿が消える。
「スイウ、僕がメリーを運ぶよ」
「そうしてもらえると助かる」
素直に提案を受け入れたところを見ると、やはりスイウ自身もかなり具合が悪いのだろう。契約しているメリーが死にかけていたのだから仕方ないのだが。
槍を収納し、スイウからメリーを引き継ぐ。メリーの全身の火傷は右腕以外綺麗に消えている。フィロメナの治癒術のおかげで何とか一命を取り留めていた。
だがメリーは目が覚めたとき何を思うのだろう。妹のフランを殺され、兄のミュールを失った。兄自身でもあるその魔晶石を自らの手で砕いて。
それをどう思うのか。現実を受け入れることができるのか。ストーベルに向かって、殺してやると吼えるメリーの激情はアイゼアには計り知れない。今までのメリーの行動を思い返せば、冷静でいられるとは到底思えず一抹の不安を抱く。
もし自分が彼女の立場だとしたら──
そう自問し、それ以上考えるのをやめた。
* * *
安全面を考え、全員騎士団宿舎に泊まれるように二部屋確保した。その日はここで一泊し、翌朝魔力の戻ったフィロメナがメリーの火傷を完全に治癒させることに成功した。
研究所という大きな証拠を掴み、クランベルカ家の暗躍について騎士団本部への報告も済んでいる。全国に散らばった騎士たちへ今日にも通達がいくだろう。
結局ネレスの研究所には優勝者たちもグリモワールも存在しなかった。察知されて逃げられたのか、単に自分たちが罠にかけられただけなのか、今となっては判断もつかない。
問題はこれからの行動だ。それを話し合うために、眠るメリーを傍らに四人は集まっていた。
「また足取りがわからなくなったわけだけど、これからどうする?」
「俺はサントルーサを目指す」
その問いに即答したのはスイウだった。
「あそこには研究所があるってメリーが言ってたからな」
「その研究所については本部の騎士が動くと思うけど、それでも?」
「手がかりがないなら仕方ないだろ。大きい街の方が情報も集まるだろうしな」
スイウの言っていることは間違っていない。王都でもある首都のサントルーサであれば人も情報も集まる。
「サントルーサを目指すとして、出発はいつ頃にしましょうか?」
本来であればすぐにでもネレスを出たいところだが、メリーはまだ眠ったままだ。
「それだけど、今日一日……せめて半日だけでもメリーを安静にさせてほしいの」
「私もフィロメナ様に賛成です。移動中に襲撃を受けたとき、メリー様が動けないのは痛手になると思います。むしろ目が覚めるまではここに滞在する方が良いのではないかと……」
ネレスの研究所を壊滅させたあとだ。スティータからネレスへの移動中に受けたような襲撃や待ち伏せがある可能性は十分にある。急がば回れ。ここは万全を期して慎重に進むべきかもしれない。
「わかった。メリーの様子を見つつになるけど、出発はとりあえず最短で明朝ってことにしておこうか。フィロメナはメリーについていて。旅支度は僕たちが進めておくから」
「えぇ、ここは任せてちょうだい」
フィロメナはとんっと拳で軽く胸を叩き、得意げな表情だ。メリーとフィロメナを部屋に置いて、アイゼアたちは旅支度をするため街へと向かった。
必要な買い物を済ませ、宿舎への帰路についたのは正午より少し前のことだった。もうすぐで宿舎へ着くというところで「メリーの目が覚めたみたいだな」と、淡々とスイウが呟いた。
同時に宿舎へ向かって走り出す。その後ろを慌ててアイゼアとエルヴェが追った。
「それは本当なのかい?」
「あぁ。大声でなんか言ってるからよく聞こえる」
「急ぎましょう!」
宿舎の門を潜ると、フィロメナが駆け寄ってくるのが見えた。
「メリーの様子が変で……騎士の人たちが何とか抑えててくれてるけどっ。とにかく早く!」
「わかった。すぐに行こう」
メリーの目が覚めたとき、少なからず取り乱すのではないかという不安が的中してしまったのだと確信する。だが想定していたより早い目覚めだ。フィロメナも連れ、全速力で部屋まで辿り着く。数人の騎士が部屋の入り口を塞いでいるのが見える。
「アイゼアさん! 良かった……彼女全然俺たちの話を聞いてくれなくって」
ほとほと困ったといった様子で一人の騎士が声をかけてくる。
「僕たちが話をしてみるよ」
そう答えるなり、アイゼアたちは部屋の中へと入った。部屋の中には杖を構え、物々しい雰囲気のメリーがこちらを睨んでいた。一体その杖で、何をするつもりだったのだろうか。
「どうして私の邪魔をするんですか」
「邪魔? 君は一体何をしようとしてるんだい?」
「ストーベルを殺しに行く以外に何かあると思いますか?」
紺色の瞳は夜の闇のように昏く、どろりとまとわりつくような憎悪が潜む。落ち着けと言っても素直に聞いてはくれないだろう。まずは否定するつもりはないということをわかってもらわなければ。
「殺しに行くってことは、ストーベルの居場所がわかったってことかな?」
「それはわかりません。ですが、このままじっとしてるなんてできません。きっと近くにいるはずなんです」
その言葉でこの不可解な行動の理由の全てがわかる。きっと……湧き上がる感情の行き場がないのだ。
「はず……か。それって根拠はないってことだよね」
「研究所に幻影がいたんです。その場にはいなくても、そう遠くはないはずです」
「と言っても、それは昨日の昼の話だけどね。メリーが起きるまで丸一日、本当にまだ近くにいると思うかい?」
「丸一日……?」
反応からして、そんなに時間が経っていたとは思っていなかったらしい。メリーはそれ以上、言葉を返してこなかった。
「焦る必要はないさ。必ず機会は来る」
「そんな悠長に構えてる暇なんてないっ!!」
メリーの剥き出しの激情がアイゼアへと叩きつけられる。だがこちらが感情を乱してはいけない。あくまで落ち着いた静かな声色で話を続ける。
「向こうも君を野放しにしておくとは思えないし、次は絶対によう周到に準備しておく方が賢明だと思うけどね」
「周到な準備?」
そう呟くとメリーはベッドに腰掛け、自分の手のひらを凝視していた。とりあえず杖を構えるのをやめたことに静かに胸を撫で下ろす。フィロメナとエルヴェも顔を見合わせホッとしているようだった。
ただ一人、スイウだけが警戒したような表情でメリーを見つめている。入り口の前にいた騎士たちもしばらく様子を見届けたあと、それぞれ戻っていった。
室内が静まり返る。それでも誰一人部屋を出ていこうとはしなかった。またいつメリーが暴走するかわからないと思っているのは自分だけではないのかもしれない。そんな中、メリーが沈黙を破る。
「スイウさん、精霊降ろしをしてください」
魔術に関する専門用語なのだろうが、アイゼアは『精霊降ろし』という単語に馴染みがない。ただスイウとフィロメナの顔を見れば、何かとんでもないことを言い出したのだということだけはわかった。
「精霊降ろしなんて正気じゃないわ! スイウも絶対に精霊降ろしなんてダメよ!」
「うるさいな……わかってる」
二人の表情がサッとかき曇り、険しくなる。
「どんな代償があっても関係ありません。魂を売ってでもストーベルを殺して地獄に引きずり落としてやる」
尚も手のひらを見つめ続けるメリーの瞳は底のない沼のように濁って見えた。
「人を辞める覚悟でか?」
「人を辞める……? 面白いこと言いますね。私は生まれてから一度だって人として扱われたことなんてないのに」
メリーは自嘲的な笑みを浮かべて言葉を吐き捨てた。きっと今のメリーは、ストーベルを殺せるなら命を引き換えにしても良いと思っている。ストーベルとの記憶だけが頭を占めてしまっているようだった。
「すみません。精霊降ろしとか、人を辞めるってどういう意味でしょうか?」
エルヴェが申し訳なさそうに肩を縮こまらせながら質問する。それに答えたのはフィロメナだった。
「精霊降ろしは、魂を契約相手に喰わせることでそれを膨大な魔力に変換させるの。でも一度降ろせば最後、魂を喰らい尽くされるまで止まらないわ」
「喰らい尽くされたらどうなるんだい?」
「人を殺して魂を求め続けるだけのバケモノになる。精霊側は喰った魂の性質を得られるし魂を延々供給してくれる眷属ができるだけで不利益はない。冥界的にはご法度だが」
フィロメナとスイウから返ってきた説明にぞっとした。命をなげうつ以上におぞましい結末が待っているのだ。それを理解していて交渉しているのかと愕然とする。
「僕も精霊降ろしは反対。メリーは人なんだからバケモノになるような選択はすべきじゃない」
「道具扱いされて、黄昏の月の力で忌避されてきたのに、今更“人”なんだからって? 白々しい。そんな上辺の言葉だけで思い留まるとでも?」
そんな自暴自棄にすら見える様子に、スイウは呆れたような深いため息をつく。その瞳に哀れみと静かな怒りが滲んでいる。
「……本気でそう思ってんなら、少し頭を冷やせ」
「いいえ、私は冷静です」
「全く冷静じゃない。何も理解してないし、自分で言ったことすらも忘れてる。お前は“人”だ。その意味を一度よく考えてみろ。理解しても覚悟が揺らがないなら応えてやる」
「何を理解しろって言うんですか? 応える気があるなら今応えてください」
今度はメリーの方がスイウへと詰め寄る。一歩も譲る気はないと言いたげなほどの圧があった。
「だから落ち着いて考えろって。そもそもお前は本当に道具なのか? 俺はメリーやお前の兄妹を道具だと思ったことは一度もない。自分で勝手に道具だと思い込んでるだけだろ」
「スイウさんに……道具として生き続けた私たちの何がわかるっていうんですか!! 知ったような口利かないでください!!」
声を荒げるメリーに対し、スイウは感情を乱すこともなく淡々とメリーを見つめ続けている。フィロメナとエルヴェは二人のやり取りを緊張した面持ちで見守っていた。
スイウが冷静に会話してくれていることが救いだ。ハッキリと冷静に物を言うスイウは、こういう場面で本当に頼もしく感じる。
「その考え方こそストーベルの思うツボだろ。とにかく今のままじゃ、お前も俺も必ず後悔する」
「スイウさんが何を後悔するんですか? 従者契約から解放されて、魔力の枯渇も太陽も何も心配いらなくなるんですよ? いつもみたいに自分の利益だけで決めれば良いじゃないですか」
自分の利益を前にしても応えないスイウの態度に、聞き入れる意思が全くないのだと理解した上であえて言っているようだった。
「これ以上、その話を続けるつもりはない」
そう言い残し、スイウは部屋を出ていった。自分はこの場に残らない方が良いと判断したのだろう。メリーは頭を両手で掻き毟りながら蹲る。
「……私には何も残ってないのに。どうしてストーベルを殺す力すら得られないんですかっ」
絞り出すような声。僅かに漏れ聞こえた心の叫びがアイゼアの心を深く突き刺した。
やるせない思いを抱えながら、窓から天を仰ぎ見る。現実はどうしてこうも残酷で無慈悲なものなのだろうか、と誰にあてるでもなく心の中で呟いた。




