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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
本編:未来を負う者たちと、過去を追う者
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032 襲撃(1)【スイウ視点】

 炎の魔物が現れたという東区にスイウたちは来ていた。建物は想像よりも形を保って残っているが、白レンガの壁はその大半が黒く焼け焦げている。木製の扉は焼け落ちたのか建物の中が見えた。


 斜め前を歩くメリーは、東区に入ってから終始無言だ。疲労でくたびれたような顔というよりは、どこか思いつめているようにも見える。


 焼け焦げるような臭いに混じる、独特の生焼けの臭いに羽織の袖で鼻を覆った。人らしきものの残骸が黒く焼けて所々に落ちている。


 路地を抜け、少し開けた所に数人の遺体が申し訳程度の布をかけられて安置されていた。布を(まく)ると、遺体はどれも苦悶に満ちた表情で絶命している。

 魔物化と一言で言えば簡単だが、魔物化すると想像を絶するような苦痛があるのかもしれない。何にせよ、スイウには知りようもないことだ。


「魔物から戻った人って、この人たちのことですかね?」

「焼けた痕もないし、そうだろ」

 並んでいる遺体はどれも外傷はなく、不自然なほどに綺麗だ。魔物に襲われて死んだのならこうはならない。間違いなくグリモワールによって魔物化し、討伐されたことで元の姿に戻ったのだろう。


 ここにいるだけでも六人。一体どれほどの人がすでに魔物に変えられてしまっているのか。刻一刻と破滅の足音が近づいてきている。


「見たいものは見れました。戻りましょうか」

 メリーの見たいものとは何だったのだろうか。焼けた街並みか、魔物化した人の遺体か、それ以外の何かか。あっさりと来た道を引き返すメリーの背に、スイウは心の中で問いかけた。


 スイウもメリーに続き戻ろうと足を踏み出したとき、耳に入る複数人の悲鳴に足を止める。声の大きさからして近くはなく、広場のある方向からだった。


「メリー」

 名前を呼んでもメリーは歩みを止める気配はない。もう一度強く名前を呼ぶと、やっと気づいたのかこちらを振り返る。


「悲鳴が聞こえた」

「……聞こえました?」

「今は聞こえない。広場の方からだったが、行ってみるか?」

 人の耳には聞こえない大きさだったのかもしれない。メリーは睨みつけるような目つきを広場の方へと向けた。


「行きます」

 スイウは特に返事をするでもなく、メリーの隣に並んで歩きだす。メリーの横顔は、何となく思い詰めているようにも見えた。



* * *



 広場へ着いたが、魔物の姿は見当たらない。怪我をしたのも数人で程度も軽いらしく、混乱しているわりに被害は少ない。


「思ったより落ち着いてるみたいですね」

 何があったのか尋ねるしかないと思っていたとき、近くで手当てを受けている騎士の一人がこちらへ声をかけてきた。


「申し訳ありませんっ。天使様が何者かに連れ去られてしまったんです。あまりにも突然のことで守りきれず……」

 メリーの息を飲む声が聞こえる。彼女はすぐにその騎士へと詰め寄っていく。


「その何者って、どんな人でした?」

「すみません。暗かったですし、白い外套……フードを目深に被ってて顔が見えなくて。たぶん体格的には男だと思うのですが………」

 白い外套という単語でメリーの目に鋭い光が宿る。まさかそんな身近にいたとは思わず、常に後手に回っている感覚にスイウは静かに拳を握りしめた。


「数は何人でしたか?」

「一人でした」

「教えてくれてありがとうございました」

 メリーは騎士に軽く頭を下げるとこちらへ向き直った。もうのんびりしている場合ではないと、その目が訴えている。単独での襲撃、短時間での撤退、連れ去られたフィロメナ。敵の狙いは初めからフィロメナだったのだろう。


──だとすれば、いつから見られていた?


 フィロメナに限定して狙うということは、天族だということを知っていると考えていい。闘技場で交戦したことはストーベル側に伝わっている。この街を通ることは予測していただろう。


 最初の襲撃自体、こちらを阻むために仕組まれていたものだとしたら、騒動のどさくさに(まぎ)れて住民のフリをしていた可能性もある。やはりフィロメナが天族であることを晒したのは軽率だった。(ぎょ)しきれなかった自分にも責任はある。


「スイウ、メリー」

 アイゼアとエルヴェ、少し遅れてウィルがこちらへ走ってくるのが見える。二人とも別れる前までの穏やかな様子はなく、ピリッと空気が張り詰めた。


「フィロメナさんが連れ去られたみたいですね」

「あぁ、すぐにネレスへ出発しよう。ただ……馬が持てばいいんだけど」

 アイゼアの表情は思わしくない。このまま進めば、途中で馬が走れなくなる可能性が高いのかもしれない。それでも行くしかないと、その目が語っている。


「難を逃れた馬がいるから、そいつと交換していけ。おーい 手の空いてるヤツで荷馬車用の馬を手配してくれー」

 ウィルの一声で数人の騎士が慌ただしくも迅速に動き始める。


「ウィル、良いのかい?」

「良いって。アイゼアには恩もあるし、今回も街のみんなを助けてもらってるしな。それより急ぐんだろ? 荷馬車のとこで待ってろ、すぐに馬を連れて行く」

「ありがとう、恩に着る。あと、ネレスの騎士団屯所に電報を打ってくれないか。スティータの襲撃の件と敵襲に備えるようにって」

「抜かりないねぇ。任せとけ」

 二人は短く言葉を交わし、荷馬車へ戻る。すぐに馬も交換され、スイウたちはスティータからネレスへと発った。



* * *



 普段よりも明らかに速い速度で暗闇の街道を行く。だが心許(こころもと)ないランタンの光では全速力で走らせるわけにもいかない。


 ネレスの研究所へ向かってはいるが、正直フィロメナがそこにいるという確証はない。クランベルカ家に連れ去られたという情報から、クランベルカ家に関連した研究所へ向かうしかないというのが現状だ。


そこにフィロメナがいなければ──最悪ここで見捨てていくことになる。


「なぜフィロメナ様が……やはり天族だから狙われたのでしょうか」

 無言だった荷馬車の中で、ぽつりとエルヴェが呟く。その目は誰を見るでもなく、彼の膝に注がれていた。


「おそらくそうだと思います。魔術に関することなら何でも興味はあると思いますし、特に治癒術は霊族にとって憧れのテーマですからね」

 治癒術は天族の特権だ。怪我を瞬間的に治す力は、人にとっては奇跡の力と言っても過言ではない。治癒術の研究に取り組む霊族はすでに存在しているはずだ。


「そういえばエルヴェさんも鉱山で捕まってましたね。何を調べられてたんですか?」

「わ、私ですか……」

 僅かに動揺し、エルヴェは(うつむ)く。あまり聞かれたくない話だということは、その態度からも伝わってくる。


「エルヴェさんは普通の人間なのに、どうしてその場で殺されなかったんですかね?」

 口に手を当てて真剣に考え込むメリーの追求は止まらない。それに対し、エルヴェは沈黙を貫いていた。ふと、エルヴェが闘技場の控え室で言っていた言葉が蘇る。


『私は……私は『人』でありたいと願っています』


 あのときはそれ以上聞かなかったが、人とはまた違うものだという婉曲的(えんきょくてき)な返答でもあった。そこに、メリーの聞きたい答えがあるのかもしれない。


「それは……」

 エルヴェはあの時と同じ悲しみの色を滲ませた目をしていた。話したくないという意思だけは確かに伝わってくる。


「それは今は良いだろ」

「スイウ様……」

「そんなことよりお前らは寝ろ。アイゼアもそこ交代しろ」

「ちょ、ちょっとっ」

 スイウはアイゼアから強引に馬鞭を取り上げ、無理やり隣に座る。馬車なんて走らせたことはないが、まぁ何とかなるだろう。


「スイウって馬扱えるのかい? 道は?」

「たぶんいける。道も街道に沿って走りゃ良いんだろ? 俺は人より夜目が利く。心配するな」

 適当にあしらうと、アイゼアは大人しく荷台の中へ入っていく。

「このままネレスの研究所に突っ込むなら休めるときは休め」

「君って優しいのか厳しいのかよくわかんないな。でも、ありがたく休ませてもらうよ」


 そう言うなり、アイゼアはすぐに横になって眠り始めた。相当疲れているというのもあるだろうが、そういう図太さや判断の早さは素直に褒めてやってもいい。


「メリーとエルヴェも、要らん気を使うくらいならとっとと寝ろ。敵襲があれば徹夜になるぞ」

「ありがとうございます」

「敵が来たときはすぐにお声がけください」

 メリーとエルヴェも布を被って目を閉じた。あとは敵襲もなくネレスまで辿り着ければ良いのだが。


 鞭を打ち、速度を少し上げる。スイウは周囲を警戒しながら馬を走らせた。このまま行けば明け方にはネレスへ着くだろう。



* * *



 何も感じなかった街道に薄く何かの気配を感じ取る。遥か前方に広がる、街道脇の森の方からだ。

 空は濃紺から薄く紫がかり、明るさを取り戻しつつある。あと少しでネレスへ着くというのに、そう簡単には行かせてもらえないらしい。


「おいっ、起きろ。敵襲だっ」

 その声にアイゼアとエルヴェがすぐさま反応し、飛び起きた。メリーも起きたようだが、少しぼんやりしている。


「数は?」

 槍を手にアイゼアが荷台から身を乗り出す。周辺を見渡し、敵の姿を捉えようと目を凝らしていた。


「わからん。前方の森から妙な気配を感じる」

「君が対応した方がいいね。僕が馬を走らせるよ」

 スイウは馬鞭をアイゼアへ手渡すと、すぐに抜刀しいつでも対応できるよう警戒を強めた。エルヴェは少し不安そうにしながら短刀を握りしめている。


 メリーは荷台に積んだ麻袋の中から大量の乾燥植物や鉱石を取り出し、何かぶつぶつと呟いている。まだ若干目がとろんとしており、覚醒しきっていない。

 朝があまり強くないのは、旅をしている間に何となく察していた。しばらくは当てにできないかもしれない。こんなときに暢気(のんき)に寝ぼけていることに小さくため息をついた。


「もし森から敵襲があったとして、どう対応する? このまま研究所に向かえば挟撃(きょうげき)される可能性もあるし、かといって止まって迎撃するなら荷馬車は捨てる覚悟じゃないと。それに到着もだいぶ遅れる」

 悩ましいところだ。挟撃されればこの少人数、形勢は圧倒的に不利だ。しかし立ち止まって迎え撃つ暇もない。結局大勢に囲まれれば不利なことに変わりはない。


「やはり強行突破しかないのではありませんか?」

 エルヴェの言葉にスイウとアイゼアも頷く。


「行き先を研究所じゃなくて、ネレスの街にしよう。まだ街への襲撃は魔物にしかさせてない。正体を嗅ぎつけられたくないなら、街へ入ってしまえば追ってこないはず」


 神妙な面持ちで提案するアイゼアにスイウは思わず声を出して笑った。そんな様子を、アイゼアとエルヴェは奇妙なものを見るような目で見てくる。

「騎士様が一般市民を危険に晒す手段を選ぶとはな」

 一か八かの賭けだ。賭けに負ければスティータのようにネレスの街で甚大(じんだい)な被害が出る。


「そのための電報も打っておいてあるから、少しは被害を抑えられると信じてるよ」

 スティータを出る前、アイゼアがウィルに電報を頼んでいたことを思い出す。言い方は悪いが、襲撃があったことが少しだけ有利に働いている。


「スティータと違ってネレスは大きな街だから、騎士の数も圧倒的に多い。数の心配だけはいらないと思ってるけどね」

 方針は決まった。あとは森の前を通り過ぎるときが一番の問題だ。気配はより強くなっている。何かが潜んでいることだけは間違いなさそうだ。

 あと少しすれば森の近くへと差し掛かる。スイウは気配へと集中を高めた。


 ふっと隣にメリーが来る。森の方を見据えたまま突っ立っているメリーの右手には煌々と真紅の光を放つ小さな結晶がふわふわと浮いている。


「奇襲に怯えるくらいなら、全部焼き払えば良いじゃないですか」

「え? メリー、焼き払うって?」

 アイゼアの呼びかけにも答えず、メリーは再び何かを小声でぶつぶつと呟き始める。


────噴出、膨張、炸裂、猛火の鉄槌、全てを灰燼と化せ」


 よく聞いてみれば単語の羅列を呟いているようだ。まるで簡潔に何かを説明し、命令しているようにも聞こえる。メリーのまとう空気が変わり、それが詠唱の(たぐい)だと理解する。


 メリーが詠唱を絡めた魔術を行使しようとしているのは初めて見る。手にしている結晶は、先程の植物や鉱石を魔力で練って触媒化(しょくばいか)させたものだろうか。


「待てメリー、勝手に」


 スイウの静止も虚しく、メリーの手にある結晶が燃えるように輝いて砕け散った。

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