016 やはり衝突は避けられないのか【メリー視点】
野盗や魔物に襲われることなく、メリーたちは日が暮れる前に何とかドルミンへ到着した。首都のサントルーサと港町のエスノを行き来する人の方が多いのか、フラフィス側のこの街は昨日のような人の量ではない。
宿も無事に見つけれたところまでは良かったのだが、早速というかやはりというか、部屋割りのことで揉めていた。二部屋取って男女別で分かれようとアイゼアが提案したのだが、それが事の発端となった。
「『黄昏の月』と同室なんて無理よ!」
ホテルの廊下にフィロメナの張りのある声が響き渡る。『黄昏の月』はあまり良い単語ではないのでそんなに声高に叫ばないでほしい。
「それはこっちのセリフだろ? 俺も、寝首かかれてメリー諸共消されたら敵わんからな」
「何よそれ、あたしがそんな卑怯なことするって言いたいわけ?」
まさに売り言葉に買い言葉という感じで、フィロメナとスイウの間で言い合いが勃発する。
「スイウさん、私はそんな簡単に死ぬつもりないから大丈夫ですよ」
何とか空気だけでも落ち着けられないかと諭してみた。
「だから、冥界の気を放ちまくってる二人との同室は嫌なのよ! 穢れて堕天しちゃったらどう責任とってくれるのよ?」
力強くフィロメナに否定されてしまい、メリーの小さな努力は虚しく消えた。
「じゃあ私とスイウさん、フィロメナさんとアイゼアさんとエルヴェさんに分かれるのはどうですか?」
「それじゃ、あたし男の人二人と同室ってことよね……」
「生殖機能もない天族に男も女もないだろ……何一人前にガワに影響されてんだ」
何とか丸く収まる形にと提案してもフィロメナは渋る。スイウいわく見た目こそ男性や女性の姿をしているが、天族には性別というものがないらしい。
見た目の性別は女性。フィロメナも自分を女性だと自認している。けど種族的には性別がない。フィロメナを女性とするか否か、複雑すぎて考える気も起きなくなった。
とにかく男性と一緒が嫌だと言うのだから、今重要なのはそこだ。余計な情報を頭から追い出しながら、メリーは腕を組んだ。
スイウも自分の存在がかかっているのだから天族の近くにいたくない気持ちはわかる。とはいえ心配しすぎだし、フィロメナは注文が多すぎる。
冥界の気を忌避するのは百歩譲ってわかるとして、アイゼアとエルヴェの同室は腹を括って我慢してほしい。一体何様のつもりなんだと内心呆れてしまう。
「僕は男女別で提案しただけで、お金持ってるなら個人的に一部屋取ってもらってもいいんだけどね」
アイゼアの言う通りだ。別にこうでなければいけないというものはない。自分で工面する分には自由にやってくれればいいのだ。
「あたし、お金は持ってないわ……」
でしょうね、とメリーは心の中で呟いた。空腹で倒れてた人がお金など持っているわけがない。アイゼアもそれをわかっていてあえて言ったのだろう。
「なら金払うメリーとアイゼアの提案を我慢して受け入れろってことだ。それが嫌なら荷馬車で一泊すりゃ良い」
「うっ……そうよね……ごめんなさい」
「それはスイウさんもですよ」
「はいはい」
スイウに正論を突きつけられ、それまでの勢いはどこへやらフィロメナはしゅんと小さくなった。まだ素直に非を認めて謝ってくれるだけいいのかもしれない。
思えば天界から出てきたばかりの天族で、スイウのようにわからないなりに上手くやっていく器用さも知恵もなさそうだ。何といっても空腹で道端で倒れているような人なのだから。
「どうする、メリー?」
「え? そうですねー……」
おそらくアイゼアは、極力それぞれの要望に添える形はないかと模索しているのだろう。メリーには一つだけ要望に添える組み合わせが頭に浮かんでいた。それはフィロメナが一人で片方の部屋を使い、残り四人がもう一部屋という形だ。
おそらくそれはアイゼアも気づいているだろうが、昨日同室になった際、こちらに気を使ってくれていたことを思えば、アイゼアの口から提案してくることはまずないだろう。
その案を自身の口から切り出そうかと思ったとき、別の声がそれを遮った。
「私に一つ案があるのですが、聞いていただけないでしょうか?」
遠慮がちにメリーとアイゼアに声をかけたのは、これまで静かに事の成り行きを見守っていたエルヴェだった。
「ぜひ聞かせてよ。どうするのが良いのか困ってたところなんだ」
アイゼアが苦笑しながら促すと、エルヴェは少し嬉しそうな顔になる。
「私はいっそ恨みっこなしということで、五人一部屋で良いのではないかと思います」
その提案に対し、声を上げる者はいなかった。メリーとしてはエルヴェの提案は悪くない。誰の要望にも添ってはいないが、みんなが対等の条件だ。
何より五人一部屋が一番お金を節約できる。アイゼアは昨日支払いが苦しそうだったが、自分の財布も有限なのだ。消費は極力抑えていきたい。
「それは僕にはかなりありがたい提案だけど」
「私は五人一部屋で良いですよ」
昨日も思ったことだが、男性と同じ部屋に泊まることにあまり抵抗はない。そもそもこの顔ぶれなら何かあるとも思えないし、万が一の事があったとしても返り討ちにすればいいだけの話だ。
魔力さえ封じられなければ、メリーにはいくらでもやりようはある。
そもそもこの命はスイウと契約を結んでいて一蓮托生なのだ。この身に何かあればスイウの命にも関わる。
つまりスイウだけは必ず協力してくれるという確信がメリーにはあった。メリーはアイゼアの目を見つめると、意思が伝わったのかアイゼアはこくりと一つ頷いた。
「じゃあ、五人一部屋で泊まれそうな部屋がないか聞いてくるよ」
そう言い残し、アイゼアはすぐにフロントへ部屋の確認に行ってくれた。
「エルヴェさん、ありがとうございます。おかげで宿代も節約できて助かりました」
お礼を言うと、エルヴェは嬉しそうにはにかんだ。
「昨日皆さんと同じ部屋で泊まって楽しかったんです。私、ここ数年はずっと一人で暮らしていたもので……誰かとあんなふうにお話するのは久しぶりでした。フィロメナ様も一人でいるより、きっと楽しいと思いますよ」
純粋さに目が眩みそうになるほどの笑顔。自分の浅ましさを炙り出されるような気持ちになるほどの圧倒的な善の気だ。
「わがまま言って悪かったわね。自己嫌悪で潰れちゃいそうなんだからやめてよ……」
フィロメナは唇を尖らせると、少し拗ねたようにそう言った。
「フィロメナ様はスイウ様やメリー様から遠い位置のベッドでもよろしいでしょうか」
「そうですね。体に害があるならフィロメナさんが不安に思う気持ちもわからなくはないですし」
同意すると、エルヴェがフィロメナに変わって頭を下げた。
見た目だけならメリーよりも大人っぽい雰囲気のフィロメナと、どう見ても十五歳前後の少年のエルヴェ。この二人は外見と中身がまるで逆だ。
言い争いも一段落し、メリーはエルヴェの「一人でいるよりもきっと楽しい」という言葉を反芻していた。一人でずっと暮らすのはやはり寂しいものなのだろうか、と。
フランを亡くしミュールを連れ去られた今、穏やかだったあの頃の生活がメリーに戻ることはもうない。
今はミュールを追うことや怒りばかりが心を占めているが、全てが終わったときに自分には何が残るのだろうか。そもそも今の自分には何があるというのだろうか。
急速に心が冷えていくのを感じ、それ以上考えるのをやめた。
* * *
「す、すごい! すごいわ! ふわふわに乾いてる……!」
「私も昨日乾かしていただいて、とても感動したんです。まるで天日干ししたみたいですよね」
フィロメナとエルヴェが乾いたばかりの服を手にはしゃいでいる。一年がほとんど冬の気候のノルタンダールでは洗濯の乾燥は大体魔術か魔晶石で済ませる。
兄のミュールと妹のフランの分も全ての家事を負担していたメリーにとって、この程度は朝飯前だった。
「フィロメナさんも髪乾かしますか?」
フランやミュールにそうしていた習慣の名残りで、エルヴェの髪を乾かし終わってすぐに声をかけてみた。
「そうね、お願いし──やっぱりやめとくわ」
スッとフィロメナの表情に影が差す。その反応を見て、メリーはふと昼間の会話を思い出していた。
天族にとって冥界の気は猛毒だという話を。メリーの魔力には冥界の気が混じっている。そもそも近くに寄るのも避けているくらいなのだ。つい習慣で提案してしまったが、少々短慮だったと反省する。
「ごめん、別にあんたが嫌いとかってわけじゃなくて。あたしにもどこまでが大丈夫なのかわかんないのよ。今まで近くにいるだけでも気にあてられて堕天しちゃうんじゃないかって思ってたけど、今のところそうでもなさそうだし。正直に話すと、魔族に会うのも『黄昏の月』に会うのも今日が初めてだから……」
フィロメナは手にしていたスカートをキュッと握りしめる。何がきっかけかはわからないが、本心から申し訳なく思っているのは間違いなさそうだった。
わがままで見た目よりずっと子供で、感情で物を考えるタイプだが、その分素直なところもあるらしい。それに今更差別されることに傷つきなどしない。
こんなもの自分には日常茶飯事で、多くの霊族はもっと嫌な言葉を投げつけてくる。逆に申し訳なさそうな態度が新鮮なくらいだ。
「気にしなくて良いですよ、こういうのは慣れてます。それに害がある可能性もあるんですから、自衛は自分でしてくれた方が助かります」
ハッとフィロメナが息を飲む声が聞こえた。そこにはハッキリと彼女の罪悪感が滲み出ていた。
根拠もなく罵ってくる霊族と違い、天族にとってこの力は明確に害を及ぼす。その可能性があるならこれは自己防衛のための至極当然の反応だ。自分がフィロメナの立場なら同じことをするだろうし、きっと一々謝ったりもしない。
フィロメナは内心複雑そうな表情で何を言うでもなく、ただただジッとこちらを見つめていた。
* * *
朝は苦手だ。決して寝起きが悪いわけではないのだが睡魔にはどうにも弱い。スイウは寝る必要がないから当然としても、アイゼアもエルヴェも早起きは平気なタイプらしい。
のそりと重い体を起こす。起きてさえしまえば後はすぐに動き出せる。昨晩用意していた水差しから水を口に含み、すぐに布団から出る。
「フィロメナ様、朝ですよ!」
すでに身支度を済ませたエルヴェがフィロメナを揺り起こしているのを横目で見ながら、口を濯ぐために洗面所へと向かった。
五人は一つのテーブルにつき、昨日よりも遅い時間に朝食を摂る。窓越しに見える空に、厚い雲が垂れ込めていた。道中は雨が降るかもしれない。それ用の準備もこの街で済ませていかなければ。
ここからフラフィスまでの間に街はない。高原に通った街道をいくのだが、フラフィスまでは数日かかる。野営は避けられないため、食料等の準備はここで万全にしていかなければならない。
「ボーッとしてどうかしたのか?」
正面の席に座っているスイウが、暇潰しにパンをかじりながら話かけてくる。
「雨が降りそうだなって思ってただけですよ」
返事をしてからサラダを口に運んだ。改めて全員の朝食を食べている様子をそっと観察する。
スイウは正体がバレて開き直ったのか、今日はもうまともに食べていない。暇潰し程度にパンや果物のような食べやすいものばかりをつまんでいる。
エルヴェは菜食主義なのか野菜や果物、パンなどしか口にしないうえ少食だ。反面よく噛んで味わっているのか食べる速度はかなり遅い。
アイゼアは食べる量もかなり多いが、何より目を引くのはその食べる速度で、現時点ですでに完食しそうな勢いだ。昨日それを指摘したとき、騎士の性分みたいなものだと言っていた。食事もゆっくり摂れないほど騎士という仕事は忙しいのかもしれない。
フィロメナも食欲旺盛でよく食べているが、やはりというか慣れないカトラリーの使い方に少し苦戦しているようだった。
「フィロメナさん、ナイフの持ち方はこうですよ」
「……こ、こうかしら?」
「そうですそうです」
フィロメナは慣れない手付きで焼き魚をナイフで崩し、その一欠片を口へ運ぶと顔を綻ばせる。
「料理というものはこんなにも美味しいのね!」
目を輝かせながら、焼き魚の味にいたく感動しているようだった。天族なら生き物を食べるのは禁止されてるのかと思いきや、別に問題ないらしい。メリーがサラダを食べ終わる頃、アイゼアが席を立つ。
「ごちそうさま。僕は先に旅の準備をしておくよ。みんなはゆっくりで良いからね」
「準備なら俺も手伝うか? 時間も惜しいしな」
スイウはもう食べることに飽きたのか、頬杖をつき片手でミニトマトを弄んでいる。
「んー、なら馬の餌を買い込まないといけないから、それ運ぶの手伝ってよ」
「わかった」
スイウはミニトマトをひょいっと口に入れるとアイゼアと宿を出ていった。
「申し訳ありません。私が食べるのが遅いせいで」
「いえ、アイゼアさんが異様に早いんですよ。スイウさんも寝食は必要ないって言ってましたし」
エルヴェは二人が出ていった方を見つめてから、先程の倍速で咀嚼している。その姿はまるで小動物のようで可愛らしい。
一方フィロメナは意に介することもなく、カトラリーと戦いながら食事を進めていた。
餌を買い込むと言ってもそれほど長い時間ではない。メリーも一口の量を増やして急ぎ済ませることにした。買い出しはまだまだたくさん残っているのだ。




