015 厄介者【スイウ視点】
今日中にフラフィス方面の宿場町ドルミンに到着するため、早朝にドゥエルを出発した。峠の中間には小さな宿場町があるらしいが、満場一致で今は少しでも先を急ぐことを選んだ。
峠とはいえ、荷馬車が通行できるように道が整備されているため、順調に進めれば日が暮れるまでにはドルミンに着ける計算だ。ドゥエルからドルミンへは片峠と呼ばれる地形になっている。
ドゥエルから中間の宿場町までの高低差はあるが、そこからドルミンまでは比較的平坦な道が続くらしい。
エスノ方面から吹く海風と内陸の大気がぶつかり、非常に霧が発生しやすい土地柄なのだとアイゼアは言っていた。とすれば、日暮れまでに着けるかどうかがかなり重要だとスイウは考える。
ここは賊の出没情報も多く、行商で通行する人々にとって難所の一つとも呼ばれている。霧深い夜に、この決して広くはない山道で賊に襲われるのはかなり厄介だ。相手は地形を熟知している。
気配に敏感な自分はともかく、夜の闇と霧の中でメリーやアイゼアが上手く対応しきれる保証などない。おまけにこちらはエルヴェという保護対象までいる。
本人は戦えると言っていたが、どの程度の実力なのかはまだ把握はしていない。襲われれば荷馬車を含め、全くの無傷というわけにはいかないだろう。
中間の宿場町での分岐からフラフィス方面へと入ったのは昼をちょうど過ぎた頃だった。宿場町で手早く調達した昼飯をスイウは作業のように淡々と口へ運び、飲み込む。
アルパネルテ群島国という国の商人から伝わったものらしく、付近で採れる山菜と米を炊き込み、樽のような形に握られたおむすびは腹持ちも良く持ち運びも便利で美味しいと行商人の間で評判が良いのだとか。
山菜とざっくりとした呼ばれ方をしている茎みたいな草は独特の食感だが嫌ではない。味も評判が良いだけあって美味しい……たぶん。
何より食にさほど興味のないスイウにとって、片手で持ってそのまま食べられるスタイルは楽で良い。
メリーとエルヴェも美味しそうに頬張っている。スイウが最後の一つに手を伸ばそうとしたとき、突然荷馬車が止まった。
馬を休めるにはまだ早い。ここまで順調にきていたが何か問題でもあったのだろうか。周囲に妙な気配や殺気は感じない。
「アイゼア、何かあったのか?」
荷台の幕を開き顔を覗かせると、アイゼアが荷馬車から降りて前方で屈んでいるのが見えた。
「人が倒れてるんだ」
アイゼアのそばには確かに色素の薄いくすんだ色の金髪の女が倒れている。そんなもん無視しろと言いたいが、職務にクソ真面目な騎士は聞き入れないだろう。
面倒臭い気持ちに目を瞑り、スイウも荷馬車を降りる。それに続くようにしてメリーとエルヴェも降りてきた。
「この方、大丈夫なのですか?」
エルヴェが心配そうに顔を覗き込む。メリーは女の首筋に手を当てて脈をみているようだ。
「うーん……死んでるわけじゃないみたいですけど、どうします?」
「どうするもこうするも保護するって選択肢しかな──」
とアイゼアはそこまで言って言葉を止め、一つため息をつき苦笑いを浮かべる。
「君たちなら放置していくと言いかねないな」
スイウもメリーも否定はしなかった。
「え! こんな場所で見捨てるのはさすがに酷すぎると思います」
エルヴェは助け起こそうと女の上半身を抱えるように持ち上げた。その違和感からなのか、女は小さく呻き、薄く目を開ける。その隙間から草原の若草のような色の瞳が覗いていた。
「大丈夫ですか?」
「うぅ……あ、たしは……」
「無理に体を動かさない方がよろしいのでは?」
女はそのまま体を起こし、まじまじと四人を眺め最後スイウと視線が合ったきり固まったように動かなくなった。
そして女の顔は見る見る険しいものへと変わる。スッとその人差し指がスイウへと向けられた。
「あんた、正体を現しなさい!」
「は?」
「避け──」
メリーの反応は僅かに間に合わず、女の指先から放たれた光をスイウは真正面から受けた。メリーが先に勘づいたということは魔術の類だが、痛みも衝撃もない。攻撃を目的とした魔術ではないらしく、相手の女にも殺気はまるでなかった。
庇っていた腕を下ろすと、顔を強張らせて放心しているメリーの顔が真っ先に見えた。アイゼアとエルヴェはこちらを見て驚いたように目を見開いている。
そして、「どうだ!」と言わんばかりに口角を上げている女の背中には淡く光る白い翼が生えていた。その場にいる者たちは皆一様に何が起こったのかわからず完全に停止してしまっていた。
白く光る翼。こいつは天族だ、と思考が追いつき始めたとき小さく笑う声が場の空気を一瞬で破壊した。
「ふふっ……くくく……スイウ、その姿、傑作、ふふっ……なんだけど、あはっあははは」
アイゼアがひぃひぃ言いながら無遠慮に腹を抱えて笑い出す。急に壊れたように笑いだしたアイゼアを不気味に思いながら見つめていると
「スイウさん、猫耳が………」
メリーがこちらの頭上を指差しながら、そう言った。
猫耳?
スイウは慌てて頭に手を当てると、いつもはそこにないはずの柔らかな感覚が手に伝わる。
「は? はぁぁー!?」
「獣の特徴を身に持つ者。穢らわしい冥界の魔族! あんたたちには天王様から『返還』の命令が出てるわ。世界の破滅を目論む不届き者は大人しく成敗されなさい!」
女は立ち上がると一際大きく白い翼を広げ、ロングスカートの裾を翻しながらふわりと浮かぶ。
「うわー、飛んだ……」
というアイゼアの間抜けな声。天族の女は指先に光輪を作り出し、臨戦態勢だ。こうなってはもう手遅れだが、こんなところで『返還』されるわけにはいかない。
スイウも刀を抜き放ち、構える。天族……どれ程の実力か。天族の光術は魔族にとっては猛毒であり、無闇に受ければ『返還』どころか消滅待ったなしだ。
張り詰めた空気が一瞬流れる。先に動いたのは女だ。光輪がその手から放たれると同時にスイウは地面を蹴った。
──遅い。
女はスイウの動きにまるで反応しきれていない。天族だと思って警戒したが、この程度の実力かと拍子抜けする。鋭く耳につく甲高い剣戟の音と共に、女に届くはずだった刀は槍に阻まれていた。
「何しやがるアイゼア」
「はーい、終了ね」
にこりと微笑むアイゼアにいつものような胡散臭さはない。そんな生温いものではない。
その瞳は冷え切り、妖しく鋭い光を殺気と共に放っている。こんな気も放つのかと感心しつつ、スイウは後ろへ飛び退る。
それを好機と見たのか女は光輪の追撃を飛ばすが、アイゼアが槍で光輪を砕き落とし、今度は女へ容赦なく槍を向けた。
「君も、大人しくしてくれないと困っちゃうんだけどなぁ」
「て……天族に向かって槍を向けるなんて! それにあんた、そいつは魔族よ! あんたたち騙されて──」
「天族だか魔族だか何だか知らないけどさ、ここはセントゥーロ王国なんだよね。騎士の静止命令を聞かないと、後悔するのは君の方だよ?」
「うぅっ……」
「あぁ、逃げようなんて思わないでね。あまり手荒なことはしたくないんだ」
女は悔しそうに口を閉じ大人しく地上へ降り立った。
「君は僕たちに同行してもらうよ」
アイゼアに先程の鋭さはない。先程までの殺気が嘘のように、暢気な笑みで女を荷馬車に乗せると、自身も乗り込んだ。
「ほら、時間ないからみんな荷台に乗って」
促されるままに三人は荷台に乗り込む。女は荷台の隅で居心地が悪そうにしながら座っていた。
「お前のせいで耳と尻尾が隠せないんだが?」
先程から試みているが耳と尻尾を消そうとしても消えてくれない。
「時間が経てば魔術の効力も消えるわ」
ツンと女はそっぽを向いた。大人っぽい見た目のわりに中身はガキそのものだ。天族ならもっと落ち着いていてもいいだろ、とスイウが深いため息をつくと同時に荷馬車がゆっくりと動き出した。
荷台の幕を開け、四人はアイゼアの近くに寄っている。相変わらずスイウの耳と尻尾は生えたままだ。アイゼアは肩を揺らし、笑いをこらえながらチラチラとこちらを見てくる。本当に不愉快極まりないヤツだ。
しかしこの姿を見られては今更どんな言い訳も通用しないだろう。とんでもないバカとの遭遇で、まさか昨日の今日で正体をバラす羽目になるとは……と、スイウは頭を抱えた。
仕方なく腹を括り、これまでの経緯を必要な点だけ簡潔にまとめて話した。そもそも隠しておいても、天界や冥界で起きていることをこの頭の悪い天族がべらべら喋るだろうと思ったことも素直に話すことを決めた要因の一つだ。
変に嘘をついていることがバレれば余計に面倒になる。天族や魔族をおとぎ話と信じていなかったアイゼアでも、さすがに信じざるを得ないといった様子だった。
「えっと、つまり……スイウ様はグリモワールを取り戻すために冥界から来た魔族で、メリー様と契約した。思いがけず利害が一致してここまで来た、ということでしょうか?」
「君たちがベジェであんなに必死だったのはメリーのお兄さんのことだけじゃなかったんだね。素直に尋問に答えてくれてるって、僕は信じてたのになぁー?」
大げさに被害者ぶるアイゼアに、心にもないことを、とスイウは内心毒づく。
「アイゼア、エルヴェ、あと頭の悪い天族。この話は他言無用だ。特にアイゼア、軽率に騎士団なんかに報告するなよ」
念押しするとアイゼアは「んー、まぁそうだねー」と曖昧な返事を返してきやがった。
「ちょっと待ってよ。あんたの事情も、魔族たちも破滅を止めようとしてるのはわかったわ。でもこのまま隠してたら知らないとこで被害が広がるじゃない? あと、頭の悪い天族じゃなくてフィロメナって名前があるの。次からは名前できちんと呼んで」
フィロメナと名乗る天族の女。そのあまりの頭の悪さに、早々痛まないはずの頭が痛むような気すらした。
「フィロメナさん、あなたは人の善性をどこまで信じますか?」
そんなスイウを見兼ねてか、メリーが感情を排した声音でフィロメナに尋ねる。
「人の善性?」
「何でも願いを叶えるというグリモワールの存在を知った人々がどうなると思いますか? きっと中には魂を売ってでも願いを叶えようとする人もいますし、悪用しようとする人も大勢いますよ。世界が破滅に向かってると知れば、間違いなく混乱を招きます。闇雲にこの情報を広めることが得策とは言えません」
「それは確かにメリーの言う通りだね。さすがに僕もこの話を上に報告するかは悩んじゃうよ。王は聡明なお方だけど、仕えてる貴族や騎士にはいろんな人がいるしね」
そういう人物に心当たりがあるのか、アイゼアから乾いた笑いが漏れる。
「えっと、今私たちは白い外套の方々を追っていますが……グリモワールを奪っていったのが彼らなのですか?」
「奪ったかはともかく、何か関係はあると睨んでるって話だ。まだ確証があるわけじゃない。で、天下の天族様は何で地上界に来てるんだ?」
「魔族が気安く話しかけないで。穢れたらどうするつもりよ」
「はいはい、そりゃどーもすいませんでした」
フィロメナはこちらをギッと睨んでくる。敵意剥き出しで面倒なことこの上ない。
「あたしは天王様から魔族の『返還』とグリモワールの奪還の命を受けて地上界へ遣わされたのよ。あたしたちは今回のグリモワールの使用を魔族の反乱の可能性も視野に入れて行動してたの。それ以上あたしが知ってることはないわ」
スイウはその説明に若干の違和感を覚えた。天族に直接会うのは初めてだったが、天族がどういうものなのかについては冥王から聞いて知っていることもある。
「単身でか? 天族は基本的に群れて行動するって聞いてたんだがな」
「そ、それは……」
今までの強気な態度から、急にもにゃもにゃと言い淀む。何かを隠しているのがわかりやす過ぎて笑ってしまいそうなほどだ。
「それは、なんでしょうか。フィロメナ様」
「う……あんたそんな目で見ないでよ」
エルヴェの無垢な瞳がジッとフィロメナを見つめる。
「……なっ仲間とはぐれたの! そう、はぐれたのよ!」
「あぁ、それで行き倒れてたんだね。空腹で、ふふっ」
「ぬー……」
フィロメナは余程お腹が空いていたらしく、荷馬車に乗ったあと、残っていたおむすびを全て食べさせてやったのだ。
スイウとしては天族が存在を維持するのに食事を必要とすることに驚いた。てっきり魔族と同じで、寝食を必要としないものだと思いこんでいたからだ。
「と、とにかく! これからあんたたちはあたしが監視するわ。グリモワールを奪還するために戦ってるのかどうか、ちゃんと見極めて報告しないといけないし。あんたたちが世界を滅ぼそうとしてるなら、あたしは容赦しないわよ」
ビシッと音がしそうな程の勢いで人差し指をスイウに突きつける。正義感に燃えるフィロメナはしんどいくらいに暑苦しい。
スイウは『監視員はすでに一人いるんだよなぁ』とアイゼアを横目で一瞥する。
その視線に気づいたのか、アイゼアは「スイウはホント大変だなぁ〜」などと、まるで他人事のような発言をかましてきた。
「すみません、フィロメナさん。一つ聞きたいことがあるんですけど」
メリーが控えめに手を上げながら、フィロメナの様子を伺う。
「何? 答えられることなら教えてあげるけど」
「フィロメナさんはどうしてスイウさんが魔族だとわかったんですか? スイウさんはフィロメナさんを天族だと見破れなかったみたいですが……」
メリーは手を口元にあてて考え込む。
「あぁ、そのことね。それはあんたのせいよ」
「私、ですか?」
メリーはハッと顔を上げると、食い入るようにフィロメナを見つめる。
スイウもそれについては疑問だった。魔族が天族を翼が生えていない状態で見破れないのと同時に、天族も獣の特徴が出ていない魔族を魔族と見破ることはできないはずだ。
「あんた『黄昏の月』よね」
「……はい」
「『黄昏の月』と魔族の契約は、通常の契約よりも双方に大きな力を与え合う関係だわ。でもね、その分冥界の気配もずっと濃くなるのよ。何もしてなくても天族ならその不愉快な気配ですぐにわかるわ」
フィロメナの強い視線がまっすぐにメリーを捉えている。
「不愉快な気配……ですか」
「気を悪くしないで。あたしたち天族にとって冥界の穢れは苦手なんてもんじゃない。下手をすれば堕天しちゃうし、最悪消滅するわ。逆に言えば、そこの魔族もあたしの力には触れたくないはずよ」
スイウを見るフィロメナの目に侮蔑の色が滲む。
「そりゃそうだ。お前の治癒術と攻撃術、俺に向けんなよ」
「それはあんたの行い次第よ」
何をしたわけでもないが魔族というだけで目の敵にされている。仕方ないといえば仕方ないのだが、こんなギスギスしたヤツがこの先同行するというだけで酷くげんなりとした。
正直話がまともに通じる分、アイゼアの方がずっとマシに見えるレベルだ。
「まぁまぁ、お二人共。一緒に旅をするのですからもう少し穏やかにいきましょう……穏やかに……」
エルヴェもすっかり困り果てている。そうは言われても別に喧嘩しようと思っているわけでもなく、一々突っかかってくるのはフィロメナの方なのだから、とばっちりも良いところだ。
たが、ここでフィロメナだけを名指しすれば、きっと不満を爆発させるだろう。もうそれでいい……むしろ『お二人共』でまとめたのは良い判断だとエルヴェを褒めたいくらいだった。
「……わかったわよ」
フィロメナもエルヴェの言うことは素直に聞き入れていた。これで少しは態度が変われば良いが。
思いがけず正体がバレたのは誤算だったが、人間のフリをしなくて済むのは楽だ。アイゼアに知られたことも痛手だが、慎重さに関してはまだ信頼が置ける方だと思っている。血迷った行動に出ないことを願うばかりだ。
自然と下へ落ちた視線の先に、だらりと力無く横たわる自身の尻尾が目に入った。




