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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
後日譚:その『執念』は、世界の果てさえ越えていく
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108 信念と矜持の果てに【メリー視点】

 降り立った世界の空は白い雪雲に覆われていた。(まば)らに降る雪が舞い、耳が切れそうなほどの凍てついた風が吹き抜ける。ここが魂の中の世界なのだろうか。見渡した景色はノルタンダールを出てすぐにあるブラーナ雪原の風景によく似ていた。


「何を探してるんですか?」

 背後から声がし、振り返るとそこにはメリーと同じ姿をした誰かが立っていた。


「私、フレージエと申します」


 にこやかにメリーと同じ顔が微笑む。フレージエ──それがメリーの真名だ。真名は魂の名だと冥王は言っていた。

 霊族の間では成長と共に自認する精霊から与えられる名だとされていたが、魂の名を自認するというのが本来正しい認識なのだろう。


「私はメレディス・クランベルカです」

 互いの紹介もそこそこに、目の前の魂……フレージエは虚空から杖を呼び出して握った。大方予想通りで、思わず苦笑する。


「やっぱりって感じですね」

「あなたの都合で私は半分に割かれるんですから、当然では?」

「あなたは私なんですから、私だけじゃなくあなたの都合でもあるはずなんですけどね」


 冥王の話が本当なら刀がスイウの魂まで導いてくれるはずだ。メリーは抜刀しようとしたが、刀身が鞘に引っかかり抜けない。キメラと戦ったときとは違い、鞘に入ったままの刀は以前よりも強く重さを主張する。


 フレージエは杖に炎をまとわせ、近接攻撃を仕掛けてきた。一対一で戦うときのいつもの戦法だ。メリーも杖を呼び出し、火球を放ちながら飛び退(すさ)る。


「その刀が応えてくれるのはあなたではないんですよ。スイウさんの魂は魂である私の中にあるんですから。メリー、今のあなたは何も残らない。一人ぼっちの抜け殻……私の器でしかないんです」

 この刀が魔族の魂に応えるものだとすれば、当然今のメリーには扱いきれない代物なのだろう。


 魂のない自分に一体何が残っているというのか。きっと考えてはいけない。そもそも魂と自分は同一の存在なのだ。鏡のように向かい合わせで対峙しているだけで、本来は分裂した個ではない。


「その紐、私が断ち切ってあげてもいいんですよ?」

 火球を火球で相殺し、杖による攻撃を(かわ)し、杖で防ぐ。自分だからこそフレージエがメリーを理解できるように、メリーもまた自分だからこそフレージエを理解できる。メリーは自分を信じている。自分の中に多くの記憶や思い出が刻まれているように、魂であるフレージエにも刻まれているはずだ。


 自分を半分失ってでも救いたいという強い思い。確固たる信念でここまで来た。思いは同じはずだ。


「あなたはスイウさんを死なせたままでいいと本気で思ってるんですか?」

 メリーは地面を強く蹴り、杖に炎をまとわせて振るう。放たれた火球をかき消し、こちらの杖の切っ先はスレスレで避けられた。


「魂を割いて生きられる保証もない。そんな不確かなもので、誰かの犠牲になるつもりですか? 無駄死にかもしれないのに、ですよ?」

 同一の存在にも関わらずフレージエはこちらの頭がおかしいと言わんばかりに鼻で笑い、言葉を続ける。


「私は私の人生を生きる。大切な人たちのため? そんなに認められて、褒められたいんですか? 誰かに媚びるような生き方なんて……反吐が出る」

 万人に認められ、受け入れられるような生き方がしたいわけではない。媚び(へつら)い、取り繕った自分で好かれたいなどと思ったこともない。


 懸命に声をかけたって大半の者たちは怯えたような視線をぶつけ、逃げていく。そんな(みじ)めな思いを抱えて生きるくらいなら、一人でいた方がずっといい。


 大切な人たちを守りたい。その思いは決して純然たる慈愛や献身、正義感や自己犠牲精神からくるものではない。


 そんな美辞麗句で飾り立てられたものであってたまるか、とメリーは心の内で吐き捨てる。もっと剥き出しのナイフの刃のように鋭く、冷たく、冴え渡るような独善的で自分勝手な意思によるものだ。


「誰のためでもない。私は、私のためにこの道を選んだんです。あなたは覚えてないんですか?」

 自分のために掴み取ったはずの未来。それなのに相変わらず自分は誰かのために命を削るような生き方をしている。否、そうやって生きることを自らの意思で選んだのだ。


ミュール兄さんとフランは、私が守ってみせる。


 ずっと昔からしがみつき続けた思いが、信念と矜持に変わって道となった。これは大切な人たちだけでなく、何より自分自身のためでもある。


「私はみんなと一緒にいたいんです。大切な人たちが傷つくところを、“私が”見たくない」


 傷つき悲しむ顔を見ると、自身の無力さと現実の理不尽さに無性に腹が立った。


死んでほしくなかった。

ずっとこの先の未来も、一緒に歩んでいきたかった。


 そんな叶わない願いが、痛みなど忘れたはずのこの心をズタズタに傷つけてくるのだ。


「失う瞬間も、後に続く苦痛も、もううんざりなんです。敗北と屈辱の味は、一度味わえば十分でしょう……!」


身を焦がすような復讐心と怒り。

ミュールとフランを奪われた悲しみと痛み。

スイウが目の前で消えていく瞬間のやるせなさと喪失感。

もう戻らないものへの胸に迫る寂寥感(せきりょうかん)と悔しさ。

何度手を伸ばしても届かず、すり抜けていく焦燥と残る後悔。


 ストーベルによってもたらされたあの敗北と屈辱の味を、メリーは今も鮮明に記憶している。もう二度と同じ思いはしたくない。


「大切な人たちを守るためなら、邪魔なものは全て灰に変えてやる。救える道があるなら、全てをかなぐり捨ててでも飛び込む。私はそのために、この命全てを燃やし尽くす覚悟がある……!」


 この思いは自分以外を幸せにはしないのかもしれない。誰も自分に、そんなふうに生きることを望まないかもしれない。だがそれは関係のない話だ。これは望まれる望まれないの話ではなく、自分の信念の話だ。


 だからこそ誰から非難されようと変えるつもりもない。それを失ったら、自分の中にはもう何も残らない。空っぽのまま生き長らえるくらいなら、譲れないもののために燃え果ててしまいたい。信念も矜持も捨てて漫然と生きられるほど、メリーは器用ではなかった。


「スイウさんを救う最後の機会を逃すわけにはいかないんです。それでもまだ抵抗するなら、冥王じゃなくて私が、半分に砕いてやります!」

 優しさや思いやりは人を救い、守る力がある。だがそれだけでは守りきれないものもある。この手が優しさを紡げない破壊の手だとしても、メリーはメリーのやり方で進み続ける。


 フレージエは突然攻撃の手を止め、胸に手を当てて目を伏せた。


「終わりのない戦いに身を投じることになったとしても、覚悟は揺らぎませんか?」


 魂は本来の自分の本質の権化だと冥王は言っていた。フレージエはメリーに比べると少しだけ臆病で、丸い性格だった。


 その本質が様々な経験を経て、今のメリーを形成している。メリーはフレージエが抱くような不安は……もう抱かない。淡々と切り捨て、貫き通せるだけの鋭さを身に着けてきたつもりだ。


「さっきも言いました。それが私の道です。これまでも、これからも、この命が燃え尽きる最期の瞬間まで変わることはありません」


傷つければ傷つけられる。

奪えば奪われる。

殺せば殺される。

そんなこと、当然だ。


 自分の行動には相応の覚悟を持つべきだとメリーは思う。守るために殺したことを逆恨みされるのなら、その復讐の連鎖が断ち切れるまで殺し続ける。自分はもう、最期の瞬間まで戦い続ける覚悟をした。


 それを不毛だと言う者もいるだろう。ならば問いたい。戦える力があるのに友人や家族が目の前で殺されるのを黙って眺めているのか、泣き寝入りするのか、と。中にはそういう選択をする者や、法の裁きを受けさせるべきという者もいるだろう。


 その選択や意見を否定する気はない。これは価値感の違いだ。メリーは失われてからでは遅すぎると思っているからこそ、その価値観とは相容れない。互いに理解できない価値観を持っているというだけの話なのだ。


「わかりました。私も、スイウさんは見殺しにできません。私は私の覚悟が揺らがなかったことに少し安心しました」

 フレージエは安堵(あんど)したような表情で笑む。刀の鞘をフレージエが握り引くと、刀の刀身が姿を現す。冬の朝を思わせるような清々しく冴え渡る白銀の刀身だ。鞘を手渡され、その手がフレージエ自身の胸をとんとんと叩く。


「刀をここに突き刺してください。やるからには必ず連れ戻しますよ」

 強気な表情は、やはり自分なのだなと思わされる。


「これから向かうのは魂の中にある墓場です。油断しないようにしてください。私たちが切り捨ててきたものの全てが……眠ってる場所ですから」


 メリーはフレージエの胸へ、思い切り刀を突き刺した。驚くほどに感触はなく、吸い込まれるようにして刀身が飲み込まれる。かといって背中へと突き抜けることもなく、まるで鍵のように刺さった刀から溢れる闇に飲み込まれていった。


 雪原の風景もフレージエの姿も見えなくなり、全身を雪解け水のような凍てつく冷たさが襲う。水の中にいるような心地だが、不思議と呼吸はできた。


 息を吐くと、がばりと水泡が上を目指して昇っていく。まるで深海のようで、水面の波紋が僅かに揺らめいて見えた。右手で握ったままの刀の刀身が白く輝き、微かなスイウの気配を感じ取る。重さを増した刀が、まるで導くようにメリーの体を水底へと沈めていった。



 底が見えてくると、何か塊のようなものも一緒に見えてくる。徐々に近づくと、その塊が砂の中に半分埋もれたスイウだということに気づいた。


「完全に保護色ですね……」


 という緊張感のないひとりごとが漏れた。刀がなければこの暗い深海の中で同じような色のスイウを見つけるのは難しかっただろうと思う。スイウは意識もなく眠り続けているらしく、両目は固く閉じられていた。


「スイウさん、必ず連れて帰りますからね」


 砂に埋まった左腕を掘り起こし、自身の腕に結び付けられていた紐をほどく。メリーは手際よくその紐をスイウの左手首に固く結んだ。暗く冷たい濃藍色の世界に、温かな夕日色が煌めく。


 その瞬間、こぽっとスイウの口から小さく水泡が漏れる。眼帯はしておらず、薄く開かれた両目から月のような金の瞳と月白色の銀の瞳が覗いていた。


 その唇がメリーの名を形作る。スイウの左手に触れ、声をかけようとしたところで口を引き結んだ。


『紐を結んだら決して後ろを振り返ってはならぬし、誰とも言葉を交わしてはならぬ』


 冥王の忠告が頭をよぎり、笑みだけをスイウへ返した。メリーは砂を強く蹴り、上へ向かって泳ぐ。泳ぎには全く自信がないが、少しずつ確実に上昇していた。


「……忘れないで」


 小さな声が聞こえたと思った瞬間足首を何かに強く捕まれ、ぐっと底へ向かって引っ張られた。下を見ようとして、慌てて上を向く。


 振り返ってはいけない。下を見ることは来た道を振り返るのと同じだ。こちらを掴んでくる何かを必死に蹴落としながら、上へ向かってもがく。


 水底へと引き込もうとする何かはどんどん数を増し、全身が粟立つような気味の悪い感覚と共に体の中へと侵食してくる。視界に入る黒い手のような影を刀で切り払ったが、切っても切ってもきりがない。


 遠い昔に置き去りにした恐怖や迷い、捨てたはずの思いや後悔に思考を塗り潰されていく。どうやらこの黒い手のような影は捨ててきた一つ一つの記憶らしい。不要だと切り捨てた幼い頃の思いが走馬灯のように蘇ってくる。


お願い父さん、たくさん頑張ったから認めて……自慢の娘だって言ってこっちを見て。

お願い母さん、頑張ったからたくさん褒めて……まだ足りないなんて言わないで。

黄昏の月はどうして嫌われるの?

どうしてみんな怯えて逃げてしまうの?

そんな目で見ないで、私は何も怖くないよ。

ほら、みんなと何も変わらない、同じなんだよ。

嘘じゃない、本当のことなのに。

なんで……どうして誰も私を信じてくれないの……?


 すっかり消え失せ死んだはずの感情が、当時の生々しさを持って呼び覚まされる。思い出したくもない、愚かで脆弱だった頃の自分が必死に訴えていた。


どうでもいい、鬱陶(うっとう)しい、目障りだ、そう叫びたくなる衝動を抑える。


 魂の中の墓場。切り捨ててきたものが眠る場所。フレージエの口にしていた言葉が頭をよぎり、その意味を知った。

 惑わされるな、思い出すな、今はただここから帰ることに専念すべきだ。それだけを考えようとしても、滲み出すようにして溢れる記憶の海へ沈められていく。


どうしたらミュール兄さんの体を治せるんだろう?

どうすればフランに自由な暮らしをさせてあげられるんだろう?

ねぇ、私は二人を守れてるかな?

二人は今、少しでも幸せだと思えてる?


どこにでもある、ありふれた家族になりたい。

どこにでもある、ありふれた幸福で平凡な暮らしを二人と送りたい。

ただ笑い合っているだけの未来が欲しかった。


たった、たったそれだけだったのに。


私は二人の命も夢も何一つとして守りきれなかった。

なのにどうして、私一人だけがのうのうと生きているのか。

三人で一緒にいたい、離れたくない。


ミュール兄さん、フラン、お願いだから私を置いていかないで。

いつもみたいに笑って手を取って、一緒に連れていって。

私を一人、こんなところに残して行かないで。


だって二人がいなくなったら、私は本当に──独りだ。


 今までに感じたことのないほどの強烈な寂しさと息苦しさが体の奥から迫り上がり、目頭が熱くなる。自分の心の片隅にこんな感情が残っていたとは思いもしなかった。


 二人を失ったあの日、確かにメリーは独りになった。フランの遺体の一部とも言える“花”をお守りにしておかなければ、いつ心が折れるともわからないギリギリのところに立っていた。


 だが一緒に連れていってほしいなどと妄言するほど、強い寂しさを感じていたことには気づかなかった。この寂しさはあの時、ストーベルへ抱く憎しみと殺意、そしてミュールを救出しなければという使命感に潰されて葬られた。


 冥王の言っていた一つめの忠告、誘惑や恐怖に飲まれてはいけないという言葉を思い出す。この場所に自身を誘惑するものはないが、たちまち立ち竦んでしまいそうな嫌なものが渦巻いていた。


 どんどん遠ざかる水面に、メリーの焦燥は煽られていく。このままでは飲み込まれて帰れなくなる。よりにもよって自分の弱さに負けるなんて、冗談じゃない。


 周囲にまとわりつく黒い手を払うため、狙いも定めず闇雲に刀を振り回す。胸から伸びる紐の輝きが弱まりつつあった。それでもまだ負けじと夕日の色に輝いている。


 成功率を上げるために魂を半分割いたクロミツの、夕日色の瞳を思い出す。そしてその温かな色に、破滅を止めたあの日にミュールとフランが宿してくれたあの光の色を見ていた。


『自分を信じて。メリーなら必ず、未来を切り拓ける』

『わたしも信じてる! だって、わたしの自慢のお姉ちゃんだもん!』


 二人の遺してくれた言葉が、今もこの胸の中で強く生き続けている。道が分かたれ、たとえもう二度と共に歩むことはないのだとしても、その最期の願いを、信頼を裏切るわけにはいかない。


 必ずスイウを連れ戻して帰って来ると、信じて待ってくれている仲間たちもいる。


私はもう、独りじゃない。


 熱く込み上げる勇気と共に、水面を見据える。ここまできて自分だけ戻るという選択肢はなかった。声を出さないよう歯を食いしばり、死にもの狂いで水面を目指す。過去の弱音に苛まれ、今にも奪われそうな思考を必死に未来へと向けた。


私は私の望む未来が欲しい。

もう誰一人、失いたくはない。

今度こそ穏やかに笑って暮らせる未来を手に入れてやる。

必ず、この手で切り拓いてみせる。

私は今幸せだと、胸を張って生きていくために。


そう強く念じながら刀を真っ直ぐ水面へ向けて(かか)げ、魔力を込める。


「まったく、世話の焼けるヤツだ……」


 というスイウの声が耳元で聞こえたような気がした。急に刀の刀身が強く輝き出し、後ろから突き飛ばされるかのように強く引き上げられていく。急激に体が水面へ向けて上昇を始めていた。


 その勢いに思わず固く目を閉じる。足を引っ張っていた影のような何かがみるみる剥がれていく。刀から手が離れないよう、柄を強く握りしめた。体が突き刺すような冷たさから解放された瞬間、メリーの意識は飛んだ。

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