106 弔いの炎に抱かれ《いだかれ》【メリー視点】
キメラはスイウの魂がこの世から失われたことで狂ったように暴れていた。戦っている者は皆怪我を負い、かなり消耗している。
驚いたのは、キメラの尾の部分が切り離されていることだ。外側からの攻撃は通らないと思っていたが、皆の力強さにメリーは勇気づけられていた。
「メリー様、目が覚めたのですね! キメラが急に苦しみだしたのですが、暴れるせいでなかなか近づけないのです!」
のたうち回る巨体はなかなかに近づき難い。下手に寄れば巻き込まれて潰されかねないだろう。遠距離攻撃で今は何とか抑え込んでいるようだが、決定打にはなっていないようだった。
「メリー、あんたの目が覚めたってことはスイウも目が覚めたのよね?」
フィロメナの言葉に、スイウが消える直前の光景が脳裏に蘇る。メリーは何と答えれば良いのか迷い、口を開きかけて止まった。
「それ、スイウの刀だよね。どうしてメリーが?」
アイゼアは質問しておきながら、左手に握られたスイウの刀を見て表情を曇らせる。おそらく何があったのか僅かに察しているのだろう。心を奮い立たせ、深く息を吸う。
「スイウさんはキメラに取り込まれないよう、魂を代償にして契約解消しました。これでキメラは完全体になれないって……したり顔で笑ってましたよ」
「消滅を、選ばれたのですか……?」
「なんでよ……どうして止めなかったのよ、メリー! 勝つためなら、なんでも良かったの……?」
エルヴェとフィロメナのやるせない声がメリーの心を抉る。止められるものならば止めたかった。スイウを犠牲にせず、打破したかった。泣きたいくらいの悔しさが胸の内側を掻き毟る。
思いが漏れないよう俯き、強く唇を噛みしめると口内にじわりと血の味が広がった。
「フィロメナ、やめよう……メリーにも止められなかったんじゃないかな。スイウは……そういう人だったからね」
「……ごめん、メリー」
フィロメナの気持ちは理解できる。いきなり消滅したと告げられて、はいそうですかと言えるわけもない。
特にフィロメナは一人一人を尊び、大切にしている。スイウが犠牲になったことを悲しみ、苦しく感じるのは当然だろう。
『ヨ……ヨコセ……ヨコ……セ……タマシ……』
じくじくと頭が痛み、波が寄せて返すように声が反芻する。鞄から雑に触媒を引っ張り出して練り、丁寧に魔術を構築する。
夜は死の世界、妖魔も活発になる時間だ。つまりメリーにとって実力を発揮しやすい都合の良い時間でもある。詠唱の一つ一つに思いを乗せ、魔力と共に練り上げていく。メリーの足元に徐々に法陣が形成され、魔術が完成に近づく。
「アーテルさん、私が必ず助けます」
右手を静かに薙ぐ。キメラの足元にも同様の法陣が浮かび上がり、天高く逆巻く炎の渦が現れ、体を焼き切らんと燃え盛る。所々焼け焦げたがやはり体が頑丈なのか、殺すまでには至らない。
たが暴れ狂うキメラの動きをだいぶ鈍らせることはできた。メリーはキメラへ一直線に駆けながら叫ぶ。
「魂がほしいんですよね? 喰らえるものなら喰らえばいい!!」
その瞬間、頭の中に一際強くキメラの声が響く。獅子のような顔面についた口がぱっくりと割れた。中からどす黒い手のようなものが現れ、メリーを捕らえ内側へ引き込もうとする。皆のメリーの名を呼ぶ声が聞こえた。
「ただし、私は猛毒ですけどね!」
内側から崩す。強い思いと共に、キメラの中へと飲み込まれた。次の瞬間、体が真っ黒な世界に放り出され、宙を舞う。
こんなはずじゃなかった。
人を殺したくなかった。
誰か止めてくれ。
人々を救いたかっただけなのに。
守る強さがほしかった。
中では様々な声が飛び交っている。
メリーの思考蝕むように、人々の嘆きや苦しみが心をぐちゃぐちゃに掻き回していく。耳を覆いたくなるような魂の叫びたちが、キメラの中に渦巻いていた。どれが自分の思いかわからなくなりそうな中、喉が引き千切れそうなほどの叫びがメリーの胸を貫く。
「殺してくれ……誰か、早く俺を殺してくれっ!!」
それは紛れもなくアーテルの声だった。手のひらに握られた刀の鞘が一際冷たさを帯び、メリーの意識と意思を覚醒させる。刀の柄に右手をかけ、静かに抜き放った。
『六花・白露』
刀の名が頭の中をよぎった。美しい白い刃が黒の世界に一際眩く冴え渡る。圧倒的な剣術と、揺らがない確固たる信念と共に振るわれてきた刀。その光に、力に、メリーは幾度となく救われてきた。今度は、自分が救う番だ。
「私が、あなたたちを導きます!」
その声に呼応し、黒い触手のようなものが救いを求めるように縋りついてくる。
炎霊族の葬送の儀を真似て手を組むように、刀を握る右手に鞘を持ったままの左手を添え、祈りを捧げる。
「人類のため、その身を投じた英霊たちに、哀悼の意を捧げん……」
故郷では古より炎は弔いと慰めの象徴とされている。死者を冥府へと送り出し、その昏い道を照らす灯火になると、葬送の儀に用いられてきた。
「その嘆きと苦しみ、無念の思いを鎮めたまえ」
黒の世界に紅く煌々と輝く法陣が足元に展開されていく。
「我が炎よ、彼の者たちを冥府へと導き、悠久の眠りを与えたまえ」
法陣が完成し、ゆっくりと舐めるように炎が広がる。柔らかな緋色に包まれながら、まとわりついていた触手もキメラの体も、光の玉となってほどけるように消えていく。夜の闇を照らし、天へと登っていく様はとても幻想的な風景を作り出していた。
やがてキメラの体は燃え尽き、緩やかに地上に降り立つと、傍らにクロミツとモナカが倒れていた。スイウはクロミツが先にキメラを追っていたという話をしていた。おそらくキメラと対峙し、中に飲み込まれてしまっていたのだろう。
「クロミツ、モナカ……!」
フィロメナはすぐにモナカの様子を確かめたあと、治癒術を施す。
「二人は無事みたいだね。メリーも、何をしたのかは全然わからないけど、とにかく無事で良かったよ」
「キメラに飲まれたときは、メリー様まで死んでしまったのかと思いました……」
「ホントよ。またひやひやさせて、いつもいつもあんたは!」
三人の困ったような笑顔にメリーは苦笑いを返す。素直に喜べる勝利ではなかった。抜き放たれたままになっていた刀に視線を落とし、鞘に収める。
「スイウさん、託された通り……ちゃんと終わらせましたからね」
三人も沈痛な面持ちでスイウの刀を見つめている。しんみりとした空気を変えるため、メリーは大きく息を吸い込み静かに吐き出した。
「宿へ戻りませんか? クロミツさんとモナカさんを、地面に転がしておくのも忍びないですから」
「……そうだね」
アイゼアがクロミツを、エルヴェがモナカを運び、リディエの街へと引き返していく。東の空が徐々に白み始めていた。もうすぐ夜明けがやってくるのだろう。
──スイウのいない、この世界に。
* * *
宿に戻ってから、アイゼアとフィロメナは力尽きたように眠り始めた。あれだけ傷つき、長時間継戦したとあれば無理もないだろう。
エルヴェは眠ったままの四人を甲斐甲斐しく世話している。機械の体で疲れ知らずとはいえ、少しは休んでほしいとメリーは思った。
クロミツ以外の三人が目を覚ましたのは昼過ぎのことだった。モナカから事情を聞き、キメラに飲み込まれるまでの経緯は大体把握できた。
クロミツとモナカは世界の破滅が止まった後、冥界に戻ろうとしていたらしい。だが途中でクロミツが冥王の命を受け、共に行動し、キメラを発見したが敵わなかった。二人が死なずに済んだことが不幸中の幸いだっただろうか。
「ん……ぅっ……ここは?」
「あー、よかった〜。クロミツも目が覚めたのねぇ」
「モナカ? オレは確か、キメラに……」
「メリーたちが助けてくれたんだって。キメラも倒しちゃったみたい」
モナカのもったりと間延びした話し方とは真逆に、クロミツは勢いよく飛び起きた。
「キメラを倒したって……? スイウは、スイウはどこにいる?」
部屋を忙しなく見回すクロミツに一瞬言葉が詰まる。
「……スイウさんは、消滅しました。力及ばず、すみませんでした」
だが彼にきちんと話をするのも、スイウから託され、その過去を覗き見たメリーの責任だ。
冥界にいた頃から、生前の記憶を一人抱えていたクロミツは、記憶のないスイウをずっと気にかけていたのだろう。初めて会ったとき、気さくな兄貴分のようにスイウと会話していたことを覚えている。
「洒落にならない冗談だぞ、それは。スイウが消滅したって?」
メリーは無言でスイウの刀をクロミツへと差し出す。スイウが消滅し、後に残ったのはこの一振りの刀だけだった。その刀の意味を理解し、クロミツは悔しさに顔を歪め、布団を殴りつける。
「また……救えなかったのか? 力が及ばなかったのはオレの方だ……!」
悔しげに歪められた夕日色の瞳に涙が溜まっていく。やがて落ちた雫は掛け布団のシーツにシミを作る。クロミツの瞳は、雨に烟る灰色の街で立ちはだかったあの日と──同じ色をしていた。
「あんなバケモノになるまで、何でオレは止めてやれなかったんだろうなぁ」
耳が痛くなるほどの静寂の中、クロミツは消え入りそうなほど小さく掠れた声で呟く。
「バケモノに……なるまで?」
その意味に疑問を持ったアイゼアが、クロミツの言葉をなぞるように復唱した。
「キメラと戦ったんだろ? アレの核にスイウの命と魂が使われた。魔物を殺すために開発された身体強化技術の……果ての果てだ」
クロミツの忌々しく吐き捨てるような声に、誰かの息を呑む声がした。対峙したあのキメラを、あの場にいた誰がスイウ自身だと思っただろうか。
「婚約者を魔物に殺されたのがきっかけだった。あの日からスイウは……アーテルは復讐のために魔物と戦うようになったんだ。復讐したい気持ちはわかる。けどさ、人を辞めてまで根絶やしにしようって、どうしてそこまで自分を捨てられるんだよ」
クロミツはわからないと首を横に振った。本当は理解できない方がいいとメリーは素直に思う。
「捨てたんじゃなくて、アーテルさんには復讐以外何も残ってなかったんです。復讐だけが存在理由だったんです」
アーテルは自分は魔物と戦う以外に存在価値はないと感じていた。自分が死んでも悲しむ者もいないと。それはかつてのメリー自身も同じであった。
しかしアーテルとメリーには決定的な違いがある。メリーは、ミュールとフランの復讐さえ果たせれば後はなんでも良かった。人を殺すことも、自分の命も、他人を利用することも、その後の未来も何もかも。決意はアーテルに似ていたが、考え方はフィーニスとの方が近い。
だがアーテルは違う。彼は破滅的な復讐の先に、希望のある未来を見ていた。自身が歩むことはないと捨てた……未来を。
「アーテルさんは人類を守りたかったんです。あなたと家族の幸せも、願っていました。あなたが一人立ち向かったとき、アーテルさんは家族のためにも逃げてくれと願っていました」
「なんだよ、それ。ホント馬鹿だよなぁ、アーテルは。オレには後ろにいればいいとか言ってさ、少しは自分の心配しろっての……」
「これは私の想像ですけど、アーテルさんにとってあなたとあなたの家族は、最後の希望だったんだと思います」
孤児で家族の愛を知らずに育ち、家族になるはずだった婚約者を失った。そこでアーテルの夢や希望は絶たれてしまったのだ。
復讐だけに染まりそうなアーテルの中には、それでも人類の存続という大義と、幸福を守り未来へ繋げたいという思いがなぜか強く残っていた。
「あの姿に成り果てても人の心を留めていられたのは、あなたのおかげです」
普通、人は大義だけでは戦えない。人の道を外れていく自分と向き合い、友と呼び、名を呼び、真剣に怒ってくれたラーウムの未来を、アーテルは最期の瞬間まで憂えていた。
ラーウムとその家族を通して、その先にいる見知らぬ多くの人々や幸せな暮らしを見ていたに違いない。だからこそ復讐に身を落としても、人類とその未来を守るという大義を捨てていなかった。友の幸せを願う気持ちが、人としてのアーテルを繋ぎ留めていたのだと、メリーは思う。
「アイツ、もう殺してくれって叫んでた。あんな感情的な叫びは初めて聞いたんだ。せめて最期の望みくらいオレが叶えてやれりゃあ良かったんだがな」
クロミツは力なく笑ったあと、涙をこらえるように目を伏せ、千年をも超える遥か昔の記憶をぽつりと語る。
「オレは昔から結構大雑把で抜けててさ、でも見捨てられたり置き去りにされたことなんかなかった。必ず数歩前で背中を向けて、文句言いながらも待っててくれるようなヤツだった。淡白だし言葉は辛辣だし、おまけに人相まで悪いから、めちゃくちゃ友達少ないヤツだったけどさ。オレにとっては掛け替えのない……親友だったんだ」
ラーウムがクロミツになっても変わらないように、アーテルもまた、スイウになってもほとんど変わらなかったのだろう。クロミツの語る昔のスイウは、メリーもよく知る人物だった。
「すっかり置いていかれちまったなぁ……」
クロミツはゆっくりと息を吐き出すと、いつものカラッとした笑顔を浮かべた。ニッと釣り上がった口元が微かに震えている。
「アーテルを助けてくれたこと、ありがとな。アイツは礼を言うのも苦手だったから、親友のオレが代わりに言っておく」
クロミツは悲しくも穏やかな眼差しで全員を見つめたあと、静かに頭を下げた。その瞳に胸を締めつけるような思いが込み上げる。
「さて、いよいよやることも終わったし、オレは冥界に帰るとしますかねー」
伸びをしながら、元通りの明るい調子を取り繕うクロミツの片腕をメリーは掴んだ。隠しきれない悲しみを湛えた夕日色の瞳をまっすぐに射抜く。
「まだ、何も終わってませんけど、クロミツさん」
「……は?」
そう、まだ終わらない。
終わらせてたまるか。
諦めて悲しみに暮れるなんて、冗談じゃない。
このメレディス・クランベルカを本気で怒らせたこと、絶対に後悔させてやる。
全てはここから始まる。逆転勝利の鍵はまだこの手の中に残っていると信じて。




