105 屍を踏み越え私は征く(2)【メリー視点】
今度は自分の番だ。メリーが今も人のままで復讐を完遂できたのは、仲間たちやスイウのおかげだ。絶対に見捨てたりしない、ここからが本当の勝負だと、メリーはスイウに手を差し伸べていた。
「……メリーたちと旅をして、心がざわつくことがあった。キメラという言葉を聞いたとき、人を辞めてまで復讐を果たそうとしたとき、普通の暮らしが欲しかったとお前が泣いたとき……それから──お前が道半ばで死にかけたときは意味もわからず“こんなはずではなかった”と思っていた。記憶はなかったが……自分の姿と重ねてたからだと……今ならわかる」
スイウはメリーの手を見つめながらぽつりぽつりと言葉を零す。アーテルの記憶を見ていたメリーが自身の姿と重ねていたように、スイウもまた……記憶がなくとも心の奥で似たものを感じていたようだった。
「……本当に、お前が俺と同じ道を辿らなくて……よかった」
「いえ、今度はスイウさんが“私と同じ道を辿る”んです。ここで諦めたら、踏み外したまま終わってしまいます。あなたはまだ、ここにいるんです。だから……今から、一発逆転するんですよ」
スイウの瞳が微かに丸さを帯びる。目を逸らすように俯き、フッと小さく息を漏らして笑った。
「まさか、こんなガキに叱咤される日が来るなんて……俺もいよいよ焼きが回ったか」
スイウはいつもの人相の悪い不敵な笑みを浮かべて顔を上げ、メリーの手を取った。
「魂の欠片を奪い返すにはアレを殺さないとだな。外側からはかなり厳しいが、内側はボロボロで脆い」
それはメリーもあの記憶でなんとなく理解している。いろんな人間の感情が混ざり合って、傷つけ合って、共鳴していた。瓦解させるなら内側だ。
「キメラの弱点は繋ぎ目だ。確か前にエルヴェがそう言ってたはずだ」
「内側はつぎはぎだらけでしたね」
「あぁ、弱点がわかれば余裕だな。内側から崩せば一撃、力技は得意分野だろ?」
握ったままになっていた手をスイウは強く握り返してくる。その力強さに、元のスイウが戻ってきたと安堵した。
「我が名は『 』。名を代償に、汝『 』との契約解消を宣言す」
突然のことにメリーの思考は一度停止する。今のは契約解消の言葉ではなかったか、と。
かつて一方的に契約を結んだときのように、スイウはそれを一息で言い切った。こちらに気取られて遮られる前に。
「スイウ、さん……今、何を……?」
困惑と焦燥と動揺が同時にメリーに襲いかかり、状況が飲み込みきれず意味のない問いかけが漏れた。寸前までキメラと戦う話をしていたばかりだった。
「俺は共には行けん……気を緩めたらすぐにでも魂を持ってかれそうだからな」
それまで余裕すら感じられた表情が焦燥を滲ませた笑みへと変わり、メリーは掴まれていた手を振り払った。
それももう遅い。
全てが遅すぎた。
「飲まれたらそれこそ終わりだろ? だがこれでアレは魂が欠けたままで完全な形を成せない……ハッ、ざまあみろ」
スイウは焦燥を飲み込み、清々しい声色としたり顔で言い放った。
「お前との約束を守れないことは謝る。だがこんな俺でも、世界の秩序を守る……その役目くらいはさすがに果たしてかないと、だろ?」
言いたい言葉が溢れて、メリーは言葉が紡げなくなった。
俺は約束を守る。
スイウはそう言ってくれていた。地獄を案内してやる、と。だがそれ以上に、役目に対して実直な人であったことをよく知っている。非難できるわけがなかった。
魂を代償にし消滅を待つスイウへ、感謝も文句も胸の奥から溢れて詰まる。今言うべき言葉が何かわからず、思考がぐちゃぐちゃになっていく。
「俺を……アーテルを元の道に戻してやってくれ」
スイウの体から光の粒子が溢れ、体が透けて明滅し始める。
「どうして諦めてしまったんですか!!」
「違う、諦めてないからだ。取り込まれたときが諦めたときだからな」
やっとの思いで口にした言葉の真意はスイウに伝わらなかった。そういう意味ではない。なぜ共に生きることを、前へ進むことを諦めてしまったのかと言いたかった。
だがスイウはアーテルであった頃から、未来を託すつもりで今を刹那的に生きている人間だった。消滅することが最も未来を守る可能性が高いとわかっている。だからこそ未来を確実に守るための選択を、躊躇いもなく選んだ。そう理解できてしまった。
「お前に後を託す。最後まで引っ掻き回して悪かったな」
スイウは刀を外し、こちらへと差し出す。メリーはその刀とスイウの顔を交互に見つめる。
とても手を伸ばす気にはなれなかった。受け取った瞬間、この場から消えてしまいそうだと思ったからだ。
「だが、それもこれで終いだ。じゃあな、メリー」
スイウは今までに見たことのない、憑き物の落ちたような晴れやかな笑みを浮かべる。
「そんな笑い方、できたんですか。みんなにもそうやって──」
その笑顔が、音もなく、ふっと暗闇に溶けて消える。
スイウの手をすり抜けた刀が滑り落ち、虚しく固い音を立てる。一人残された暗闇の中、メリーは呆然と落ちた刀を見つめていた。
「いつもいつも、勝手すぎるんですよっ……!」
ぽつりと一粒だけ雨が降り、黒い地面へ吸い込まれる。いつも役目に対して鋭すぎるくらいまっすぐに向き合っていた。最期までそうだった。人には散々言っておきながら、スイウは簡単に消滅を選んでしまった。
スイウはアーテルの頃から何も変わらない。彼の中には元から未来を歩む自分の姿など存在していなかったのだ。
だからこそ諦めてほしくなかった。
消えてほしくなかった。
存在を保てば飲まれるかもしれない、そんなことは想定済みだ。もし飲まれてもそこからこちらへ引き上げてやるつもりだった。その無駄に研ぎ澄まされた決意だけが行き場を失って彷徨っている。
「……最悪の気分ですね」
胸の中に淀む虚しさと怒りと悲しみを言葉と共に吐き捨てた。過去は変わらない。過ぎ去ったこの瞬間は変えられないのだ。ならば進む以外に道はない。
メリーは涙の滲む目元を拭い、落ちている刀を強く握りしめた。その瞬間、暗闇が裂けて光が差す。
飛び起きるようにして目を覚ますと、手にスイウの刀が握られていた。スイウの姿はやはりどこにもなく、気配も感じられない。あれは単なる夢ではなかったのだ。部屋にはメリー一人が残されており、三人の姿も見えない。
『ヨコセ……タマシ……タマシイイ、ヲ……ヲ』
強く魂を呼ぶ声と頭痛が暴風の如く一瞬だけメリーを襲う。このままベッドの上で悲しみに打ち拉がれていられたらどんなに楽だろうか。
「本当、うるっさいですね……」
それでも行かなければ、と自身を奮い立たせる。そうでなければスイウの死が無駄になる。魂をかけ、その遺志と刀を託された。
どうして自分は誰かを犠牲にしなければ道を切り拓けないのだろう。ミュール、フラン、スイウ。目の前で何かがすり抜けていくのはもううんざりだ。
大切な者を守りたい。
そのためなら奪うことも、傷つけることも躊躇いはしない。たとえ自分が酷く傷つくことになっても、命を散らすことになっても構わないという覚悟さえあった。
それでも彼らはメリーが守るより先に、守るために逝ってしまった。一瞬前までは確かに握っていたはずの手が、今はもう二度と届かないところへいってしまったのだ。
メリーは悔しさに強く刀を握りしめ、宿を飛び出した。騒然とする街の中を、ただ一人キメラを目指し全速力で駆け抜けていく。
地響きの先に、守りたい仲間たちがいるはずだ。今度こそ誰も失わないように、この手が届くように。たとえ心が傷つき悲鳴を上げ、この命が全て燃え果てようとも。絶対に守ってみせると、この思いが打ち負けないよう強く鋭く意思を固める。
街を抜けると、街道の先に夢の中で見たのと同じキメラの姿が闇夜に浮かび上がっていた。アイゼア、エルヴェ、フィロメナの姿と街の騎士たちが応戦している。
「スイウさん、行きますよ……!」
メリーは刀に声をかけ、走る速度を更に上げた。まだ魂を求めるあの声は聞こえている。




