104 屍を踏み越え私は征く(1)【メリー視点】
夢を見た。それは死という終わりを渇望する青年の叫びだった。フィーニスと二人きり、行くあてもなく世界を彷徨った。あの日から何度も魔物も、機械人形も、人も、無差別に殺し尽くした。
フィーニスと自分の思いや考えは、いつから道を違えていたのだろうか。もしかしたら始めから違うものを見ていただけのかもしれない。
魔物への復讐を誓い、この世から根絶やしにするためならば手段は選ばないと、何度となく確かめ合うように言葉を交わしてきた。だがフィーニスは魔物を根絶やしにし、復讐さえ遂げられれば他のものがどうなろうと構わないらしい。
ただ怒りをぶつけるだけの復讐に何の意味があるのか、到底理解できるものではなかった。
「なぁ、アーテル。あとどれだけ壊せば俺らは認められると思う? この力があれば、魔物だって根絶やしにできる。何で皆はそれがわからないんだ……」
フィーニスの言葉に心がざわつく。自分の心なのか、誰かの心なのか、それともその両方か。
殺したくない。やめてくれ。
──こんなはずじゃなかった。
自分のとも他人のとも判別できない叫びで思考がぐちゃぐちゃに掻き乱され、引き千切られていく。
狂いそうだった。いや、いっそのこと狂ってしまえれば楽なのかもしれない。それでも、狂うことはなかった。
「……軍が来たか。こんなことをさせてすまない……アーテルは冷淡に見えて、心根は優しいからつらいだろう。でも、わかってくれるまで止まるわけにはいかないからな」
フィーニスの声は昔と何も変わらない。だが、取り巻く環境は何もかも変わってしまっていた。
体は勝手に動き出す。もう殺したくないという思いを置き去りにして、守りたかったものをこの手が全て壊していく。こんな自分をクリスティナが見たら何を思うだろうか。
これではまるで──自分の方が魔物だ。
「俺は人を殺したかったわけじゃない。俺を止めてくれ。頼む、フィーニス……誰かっ……」
縋るようなこの思いも叫びも決して言葉にならない。バケモノの体が虚しく吼える。
誰にも届かない声、思い。この苦しみを理解してくれる者はいない。殺戮の限りを尽くす心無きバケモノ、復讐者の成れの果て、それが今のアーテルだった。
曇天の中、虚しく雨に打たれていた。街は壊滅し、すでに廃墟の状態になっている。最初にやって来た機械人形の部隊を一掃した。
機械人形の部隊を破壊することすら、見るに耐えなかった。彼らは人ではないが、人と寸分違わぬ見た目で献身と共に喜んで人類のためと死んでいく。
それはかつての自分のようでいて、今はすっかり立場が逆転してしまったことをまざまざと見せつけてくるのだ。
次にやって来た軍の攻撃でもこの体には僅かな傷しかつかず、蹂躙していった。恐慌状態になった者たちが戦意を喪失して逃げていく。逃げてくれれば、関わらなければ……殺さなくて済む。
雨は更に激しさを増し、灰色の世界を白く霞ませる。その煙るような世界の中に一人だけ逃げず、立ちはだかる小さな人影が見えた。瓦礫と化した灰色の街に、夕日のように燃える瞳の色だけが煌々と輝いている。
忘れはしない。
共に語らい、共に飯を食い、共に過ごしてきた。お調子者で軽薄なように見えて、実は義理堅く情に厚い。いつも大雑把でどこか抜けてる親友の……燃えるような夕日の色。
「逃げろラーウム。俺はお前を殺したくない……!」
バケモノの体が一際大きくラーウムに向かって吼える。
「アーテル! オレが必ず助けてやる。もう人を殺させたりなんかしねぇ!!」
こちらの思いも通じず、ラーウムは立ちはだかる。あまり身体強化の手術を受けていなかった彼が、たった一人で太刀打ちできるはずもない。
そもそも人間が束になってかかってもこの体はほとんど無傷なのだ。結果はわかりきっている。だからこそ焦燥が募った。
「来るな、来るなっ! 阿呆が、無駄死にするな! お前には家族が……家族がいるだろっ……!!」
叫んでも叫んでもラーウムには届かない。せめて言葉が話せたら、この思いの一欠片だけでもラーウムに届けば。そんな切実な思いが虚しく空回る。
「ラーウム。わかってくれると思ってたけど、残念だよ……」
フィーニスの落胆と諦観を混ぜた声が、無慈悲に命令を下す。ラーウムには家族がいる。ラーウムが死ねば、自身がクリスティナを失ったときのような途方のない悲しみに暮れることになる。
そして他でもないこの手がラーウムを殺すのだ。先に待っているはずの、魔物のいない未来を生きるはずだった友を。
「やめろ……俺を止めてくれっ、フィーニス!!」
喉が潰れるくらいの叫びを上げた。それでもフィーニスはこの体に停止命令を出そうとはしない。
思いとは裏腹に、この腕は容赦なく振り下ろされる。そしてその爪はあっさりとラーウムの胸を貫いた。勢いよく地面に叩きつけられたラーウムは動かず、半開きになった瞳は沈みかけた夕日を想起させる。
灰色の景色にラーウムが同化しようとしていた。だが、水溜りに広がっていく赤が、灰色の世界に鮮やかな花を咲かせていく。
あぁ、死んでしまう。
何度も、何度も、戦場で仲間の死を見送ってきた。もう助からないことくらい考えなくても理解できる。
「……偉そうなこと……言っといて、結局このザマか」
夕日色の瞳がバケモノと化したこの姿を見上げている。曇天の空から落ちる無慈悲な雨は、ラーウムの体温を奪っていくのだろう。
そしてこの雨は、まるでもう泣けなくなった自分の代わりに涙を流してくれているようだった。
「悪い……な、……弱い……俺を、許せ──」
僅かに開かれた夕日色の瞳から光が失われていく。まるで地平の彼方に、沈んでいくように。
「 」
声になってはいなかったが、最期の瞬間確かにその唇が「アーテル」と形作る。言葉にならない声が漏れ、絶叫していた。
「もう殺してくれ……誰でもいい、早く俺を殺してくれっ!!」
バケモノは天を仰ぎ、咆哮した。その遥か上空に黒い竜の姿を見た。直後、背後から胸を貫かれたような激しい痛みを覚える。真っ白な世界に、色とりどりの結晶が花弁のように舞っているのが見えた。
「愚かな人の子らよ……」
「やはり一度滅びなければわからぬか」
その声を最後にアーテルの人生は終わった。魂の一部をバケモノの体と共にグリモワールへ封印されて。今にして思えば、あれが一度目の世界の終焉の日だったのだ。
魔族はろくな死に方ができなかった者の末路だ。スイウに授けられた特殊能力は「読心術」だった。魔族に必ず一つ授けられる特殊能力は生前の死や思いと密接に関わっている。
制御しきれないこの不完全な力に悩まされる度に、なぜ生前の自分は人の心を覗きたいと思ったのか、と理解に苦しんだ。
どうやって死んだのか。
何を思って死んだのか。
なぜ人の心を覗きたいと望んだのか。
そしてなぜ自分の魂は欠けてしまったのか。
やっと全てがわかった。
アーテルは、フィーニスの真意と壊れた復讐心を見抜けなかった。気づいていればフィーニスとは違う道を選び、道を踏み外している彼を説得もできたのかもしれない。
ラーウムの言葉を素直に聞き入れられたかもしれない。親友を、多くの人々を、この手にかけなくて済んだかもしれない。
思いのズレに気づくことができれば、少なくともこんな愚かな最期を迎えることはなかっただろう。
心を覗くことができたら、大切なことに気付けていた。決して見落としてはならないはずの、大切なことを。
そんな愚かな後悔をアーテルは……スイウは最期に抱いた。
* * *
目を開くと何もない暗闇の中にメリーは立っていた。いろんな嘆きの声が頭を侵食するように飛び交っている。だが微かに近くにスイウの気配を感じた。
「スイウさん! どこにいるんですか? 返事をしてください!」
スイウの気配を辿るようにして、暗闇の中を走る。その先にぼんやりと小さな塊が見えた。よく目を凝らして見ると、座り込んで背中を丸くしたスイウだった。
「スイウさん、聞こえたら返事はしてください」
「……」
スイウはじっと黙ったまま、真っ黒な地面を見つめ続けている。今まで失われていたスイウの生前の記憶。あれを目の当たりにすれば茫然自失とするのも仕方ないだろう。
復讐の果ての結末が、これだったのだ。同じ復讐者の身であったからこそ、その悔しさと後悔は計り知れない。
様子を静かに見守っていると、スイウは肩を震わせて小さく笑い声を上げる。少しずつ大きくなるそれは泣き笑いのようで、悲痛さに胸を締めつけられていく。その姿がどうしようもなく歯痒くてたまらない。
弱々しくて、今にも消えそうなスイウをなんとかこの場に繋ぎ止めようと、その肩を正面から押して揺さぶり上向かせる。
「しっかりしてください!! 笑ってる場合ですか!!」
「メリー……いたのか」
メリーが叱咤すると、スイウはハッとした表情で顔を上げた。これまでの声も、存在も気づかないほど、スイウは憔悴していたようだった。
「お前も見たか? 本当に……俺はどうしようもない阿呆だ。救いようもないな」
スイウはいつもの調子に戻り、過去の自分を鼻で嗤った。先程までの様子が嘘のようだった。スイウはあんな現実を目の前に突きつけられても平気なのだろうか。
「一度目の破滅の元凶は俺だ。俺の存在がグリモワールを発動させるきっかけになった。その俺が魔族で、世界の秩序を守るって? そんなおかしな話があるかよ」
スイウは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに吐き捨てる。彼らしさのない弱音のような言葉に、やはり平気なはずがないのだと悟る。
スイウはいつでも魔族の使命を優先し、時に冷徹さを感じさせるほどの気迫があった。生前の記憶を知った今、それは皮肉なことでしかない。
「さすがに滑稽だな」
力なく乾いた笑いを漏らす姿が、あまりにも痛々しくて見ていられなかった。メリーには過去のスイウ……アーテルの思いは痛いほどに理解できる。
大切な者を奪われ、復讐してやりたいという感情。
この身がどうなろうと構わない、手段は選ばないという自暴自棄にも似た苛烈な思い。
たとえ人の道を外れることになったとしても、それでも構わないという刹那的な思考。
実際に行動に出るだけの覚悟。
その全てが同じだった。
アーテルとメリーは、一体どこで明暗を分けたのか。言葉が見つからず思案を巡らせていると、メリーはふとあることを思い出した。
リブニークの街で人の道を逸れそうになったとき、スイウが止めてくれたことを。メリーは肩を掴んでいた手を背中へと回してスイウを引き寄せる。そしてゆっくりと子供をあやすように背中をさすった。
「もういいんです。アーテルさんは十分頑張りました」
「……頑張った、か。ハッ、結果がこれじゃなんの意味もないだろ」
「そう言う人もいるかもしれないですね。でも私はそうは思いません。アーテルさんは今、スイウさんとして存在してます。きっとそのことに必ず意味があるはずなんです」
スイウは弱々しく「あるわけないだろ」と独り言のように呟く。
「スイウさんはもう、ここで立ち止まるんですか?」
「立ち止まるも何も……あの日から俺は何も進んでない。死人に進むも止まるもあるかよ」
「スイウさんは魔族として新しい道を進んでいるはずです」
メリーはそっとスイウから離れ、立ち上がる。
「人の道から外れそうになった私を止めてくれたのはあなたです。スイウさんがいなければ、きっと私はアーテルさんと同じ道を辿っていました」
「……」
「私と行きましょう。今度は私があなたを……こちらへ引き戻してみせます」
まだ終わりではない。生ある限り、いくらでも前に進むことができる。きっとスイウなら立ち上がる、そう信じている。メリーはスイウへ……アーテルへと手を差し出した。




