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境界線に立つ者たちへ──その『執念』は全てを覆す  作者: まな板のいわし
後日譚:その『執念』は、世界の果てさえ越えていく
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100 秘密の味を識りたくて【メリー視点】

 夢を見た。それは遥か遥か遠い昔の、愛しい人の夢だった。顔はぼんやりとしていてよく見えないが、心の安らぐ気配がした。

 物静かで、それでいてよく笑う、笑顔の素敵な人だったように思う。静かな朝の森を彷彿(ほうふつ)とさせる、隣にいると心が癒やされていくような心地になる人だ。


「アーテル」


 彼女の慈しみのこもった声が、アーテルと名を呼んだ。この前の夢にもアーテルという名の青年の姿があった。きっと彼女がアーテルの婚約者のクリスティナなのだろう。


「ティナは俺が幸せにする。もっと稼いで、早く安全な暮らしをさせてやる。必ず……俺が守る」

「……アーテル、私はあなたの隣にいられればそれだけで十分幸せだから」

 隣に柔らかな重さと温もりが寄り添う。それをどこか心地よく感じる自分がいた。心の奥に強い意志が芽生える。


守りたい。

大切にしたい。

失いたくない。

共に人生を歩んでいきたい、愛しい人。


──たった一人の、家族になってくれる人。


 それはキリキリと胸を締め付けるような切実な願いだった。


「戦場で無理しないで。必ず、無事に帰ってきて……」

 怯えて震える手を、壊れ物のように優しく握る。力の加減なんてよくわからなかったが、とにかく彼女を安心させてやりたかった。


心配するな。

俺が怪我一つ負うわけがない。

必ず帰ってくる。


 いろんな言葉が浮かんでは消え、口にすることが難しく感じられた。アーテルという青年はあまり思いを口にするのが上手くはなかったらしい。


 無言で肩を引き寄せ、優しくさすった。彼女は小さく肩を揺らして笑む。


「あなたのそういうところが、好きなの」

 自分も彼女の好きなところはたくさんある。だがそのどれもが口にできない。言ってやった方が喜ぶのはわかっていた。それでも照れ臭さと言わなくても伝わっているという思いに甘え、引き寄せる手に少しだけ強く力を込めた。


 穏やかで小さな幸せを感じる、なんてことのない日常風景だった。


 だが突然突風が吹き、気づくと目の前の景色が変わっていた。灰色の街は瓦礫と化し、黄昏の色の空の中で立ち尽くしていた。目の前には折り重なるようにして死んだ人々が散らばっており、流れた血で赤く染まっている。


 死体の中を亡霊のように彷徨(さまよ)い歩いていくと、見覚えのある姿に心臓を握り潰されるような心地がした。


「ティナ……?」


 愛しい婚約者の名が口から零れ落ちる。その亡骸が瓦礫の街の片隅に転がっていた。彼女の遺体を壊してしまわないように優しく抱き上げる。質量を持った柔らかい固形のものが地に落ちる音がした。


 それは「無事に帰ってきて」と祈り、震えていた彼女の片腕だった。冷たくて脆く、触れれば簡単に崩れてしまうほどに──遺体は無残な姿をしていた。


「なんでだ……なんで、ティナがっ……!」

 人目も(はばか)らずに泣き叫んだ。普段無愛想なアーテルからは想像もできないような悲痛な嘆きが瓦礫の街に虚しく響く。血で張り付いた髪を除け、指先で彼女の頬をなぞった。


「もう一度だけでいい。笑ってくれ……頼む……」

 懇願も虚しく、乾いた風が砂埃と血の臭いを乗せて吹き抜けていく。強く抱きしめたら壊れてしまいそうな遺体を血に濡れるのも構わずそっと抱きしめ、頬を寄せた。もう人ではなくなった冷たい感触だけがそこにある。


 守るという約束を、守ってやれなかった。愛や家族を知らなかった孤児の自分にそれを教えてくれた優しい人。


失いたくなかった。

もっと喜ぶことをしてあげればよかった。


 突き上げるような悲しみと後悔と喪失感。そして憎しみ。金と地位を上げる存在としてしか見ていなかった魔物が、初めて憎くてたまらない……復讐すべき存在へと変わった瞬間だった。


「ティナ……俺を許してくれなくていい。だが、俺はお前の仇を必ず取ってやる。俺が魔物を殺し尽くしてやる……最後の一匹まで残らず……!」

 その声は低く唸るような、激しい憎悪に満ちたものであった。



* * *



 がばっと布団を押しのけてメリーは上体を起こす。呼吸は荒く、鼓動は早い。昨日に引き続き、今朝のこの夢は一体何なのだろうか。


 妙に現実味のある夢は、迫り来るような悲しみと憎悪をメリーの中に残す。まるでストーベルへの復讐のみに囚われていた頃の自分を追体験させられているようで、寝覚めは最悪だった。


 呼吸を少しずつ落ち着ける。フィロメナとポルッカの目が覚めていなかったのは幸いだった。こんな姿を見られては、おそらく無駄に心配をかけてしまっていただろう。

 夢のことを思い出さないようにし、少し早いが身支度にとりかかることにした。



 船は無事に対岸のレーニスへと到着した。一日と少しかかったため、すっかり日は落ちている。

 次に目指す方向を探るため、使い魔のエナガにモナカの気配を探らせると、サントルーサ方面を示した。ここでアイゼアたちとは別れることになるかもしれないと思っていたが、最後まで行動を共にできそうだ。


 かなり高額ではあるがアイゼアと折半でサントルーサ行きの夜間特急券を人数分購入した。夜間特急は寝台付きになるらしく、その分やはり割高らしい。

 カストルやポルッカには悪いが、極力先を急ぐ身としては車中泊も我慢してほしいとしか言えない。とはいえ本人たちは初めての寝台列車に興奮気味だった。


 レーニスからサントルーサまで乗り換えなしの一本とはいえ、かなり時間がかかる。到着は明日の午前中になりそうだ。


 寝台列車の最も安い部屋は八人で一つの個室になっている。基本的には相部屋のようだが、こちらは七人ということもあり相部屋にはならなかった。


 室内には二段の簡易ベッドが四つ詰め込まれ、それぞれが仕切りやカーテンで区切られるようになっている。上で寝たがる双子とフィロメナに上の段を譲り、残りの四人で下の段のベッドを使うことになった。


「馬鹿と煙はなんとやら、だな」

 聞こえないくらいの小さなスイウの呟きにひやりとする。アイゼアはシャワーを浴びに行くと言って外しているから良いが、問題はフィロメナだ。

 こっそりとメリーの真上のベッドにいるフィロメナへ視線を向けると、どうやら聞こえてないらしくホッと胸を撫で下ろした。


 メリーも所定のベッドへ腰を下ろし、鞄から作成中の魔法薬の小瓶を取り出して窓辺へと置く。早くシャワーを浴びてしまおうと、荷物を簡単にまとめて部屋を出た。



 シャワーを浴びて戻ってくると、すぐにエルヴェに声をかけられる。

「メリー様、その小瓶は何ですか? カストル様とポルッカ様が興味を示していたのですが」

「えっ! あの、触らせてないですよね?」

 迂闊だった、とメリーは内心後悔しながらエルヴェへと詰め寄る。青い小さな宝石や赤い欠片がキラキラと光を放ち、小瓶の中を漂う様は美しい。二人が興味を示しても何ら不思議ではなかった。


「大丈夫です。私と戻ってきたアイゼア様の二人で注意をしたので」

「それ、そんなに触ったらまずいものなんだ?」

 斜向かいのベッドで腰掛けているアイゼアや向かいの上の段にいる双子もこちらを興味深そうに見ている。


「魔法薬を作っているんですけど、作成途中はどんな影響を人体に与えるかわからないので……」

「魔法薬? どんな効果の薬を作ってるのかしら?」

 フィロメナが上のベッドからひょこりと顔を出す。そんなに興味を持たれるとは思いもしなかった。


「まだ完成してませんけど、幸せな幻覚を見ながら楽しく死ねる感じの毒薬ですね」

 その瞬間スイウを除く五人の表情が凍りつき、想像通りの反応にメリーは満足した。


「冗談ですよ。これは飲んだ人が最も望んでいる夢を幻覚として見ることができる薬です。死にはしません」

 メリーは瓶を片手に、この魔法薬のことを詳しく説明することにした。


 この薬は清らかな水と雪の涙と呼ばれる青い種子、炎の花の花弁からできる。メリーは雪解け水と雪の涙、凍土に咲く特別魔力の強い炎の花の花弁をそれぞれに魔力を込めて効能を高めてから入れている。


 日光を極力避け、毎晩夜の気配……できれば月の光に晒す。それを続けるとある日突然水の色が深い赤色になり、月の光にかざすと青い光を放つようになる。そこで初めて薬が完成したのだとわかるらしい。


「幻なんて見ても虚しいだけじゃない。夢はやっぱり叶えてこそじゃないかしら?」

 理解できないと言わんばかりにフィロメナは首を傾げる。フィロメナの意見にはメリーも同意だが、世の中には叶えることのできない夢というものもある。そしてこの薬は単純に自分の夢を幻に見るのとは少しだけ違う。


「この薬がすごいのは無意識のものまで引き出せるってとこですよ、フィロメナさん!」

「無意識に抱く……夢? それはどういう状態なのでしょうか?」

 エルヴェも興味を示してくれたようだ。自分の好きな分野の話をし、それを興味深く聞いてもらえるというのはやはり楽しい。


「人は規則や規範、常識、倫理、道徳……いろんなものに縛られて生きてますよね。そうすると無意識に願望を抑制するようになるんです」

「えっとつまり……薬の効果で理性を外すことで、本来であれば無理だと諦めてしまう夢も幻として見ることができる、ということでしょうか」

「その通りです!」

 さすがエルヴェだ。理解力が高く、打てば響くところが気持ちいい。何より否定せず、知識の一つとして純粋かつ素直に聞いてくれるところが本当に聞き上手だと感じる。


「フィロメナさんもこれを飲めば、チョコレートの海で泳ぐ夢や綿菓子のベッドで眠る夢も……夢じゃなくなるかもしれませんよー?」

「そっそんな夢が? でも普通に考えてそんなのありえないわ……」

「だから、理性を外すんです。そんな夢ありえない、って考えを吹っ飛ばして、この薬が幻として実現してくれるんです」

 フィロメナが明らかな興味を示した。自分の体よりも大きいケーキかしら、と小さく呟いている。


「何が自分の中に夢として潜んでいるのか、ちょっと気になってきません?」

「お前、知らぬが仏って言葉を知らんのか……」

 スイウの呆れたような視線がメリーへと向けられる。もし仮に危うい夢だったとしても別に実行するわけではない。ただの幻としてどんなものが潜んでいるのか見てみるくらい自由ではないだろうか。


「知的好奇心を失ったら人生楽しくないじゃないですか」

「好奇心は猫をも殺すぞ」

「猫耳生えるスイウさんに言われると、ちょっと説得力ありますね」

「前言撤回。お前は神経が図太いから死なんな」

 スイウは言っても無駄だと感じたのか、ため息をついてベッドへ寝転んだ。


「それにしても、何でそんな薬を作ろうなんて思ったんだい?」

「いや、なんでと聞かれても。趣味ですから」

 理由を問われても特に何も思い当たらない。魔法薬を作るのはただの趣味で、この薬にしようと思ったのも単純に本を見て面白そうだと思ったからという理由でしかない。


「強いて言うなら……こういう遊び心のある薬の方がわくわくしません?」

 小瓶を月明かりにかざし、軽く揺する。中で青と赤の小さな煌めきが舞い上がり、やがてゆっくりと沈殿していく。


「ねぇねぇ、メリーさん! わたくしもその魔法薬飲んでみたいです!」

「僕も! 僕はおっきなプリンがいいなー!」


 向かいの上の段からキラキラとした純真さと好奇心に満ちた瞳がこちらを見下ろしている。もちろんメリーの返事は決まっている。

「えぇ、いいで──」

「こらこら、二人共。怪しげな薬に興味を持つんじゃない」

 アイゼアの二人を止める言葉に、少しだけ馬鹿にされたような気がしてもやもやとする。怪しげな薬、という言われようはさすがに聞き捨てならない。別に犯罪でもなく、体を壊すわけでもなく、依存性が出るようなものは入ってはいないのだ。


「怪しげとは失礼ですね。私の腕を疑ってるんですか?」

「いや、そういう意味じゃないんだけど」

「あ、ならアイゼアさんが先に飲んでみるのはどうですか?」

 我ながら名案を思いついたのではないかと、更に気分が高まってくる。むしろこの薬はアイゼアが一番面白い結果を得られるのではないだろうか。普段から規律に縛られ、集団の中で自己を強く抑えている者ほどそれを解放したときの反動は大きいはずだ。


「……慎んで辞退させてもらうよ」

「それは残念です」

 さすがに無理強いはできない。本人にやる気がないのであればそれ以上勧めるつもりはなかった。


 魔法薬に(たずさ)わる者としてそれは当然のことだ。面白半分で人に試したり薬を盛るような真似は、それこそストーベルがやっていたことと何ら変わらないとメリーは思う。もちろん他人に試したがる者も多いので、否定するつもりはない。これはメリー個人の考えと主義の話だ。


「とりあえず、まずは自分に使ってみますよ」

 そもそも自分に試したくて作ったものなのだから、誰からも需要などなくて一向に構わないし、理解されようとも思わない。薬を作り上げた達成感と知的好奇心を満たせる瞬間は何物にも代え難い高揚感がある。まだまだ先になるであろう魔法薬の完成がより楽しみになってきた。


 そのときガタガタと慌ただしく動く気配がし、スイウが体を起こしてこちらを凝視している。珍しく焦っているように見えた。


「なぁ、お前……俺と契約してること忘れてないだろうな?」

「……あ、そういえば」

「おいおい、勘弁してくれ……」

 ストーベルを追う途中、毒を盛られたときにスイウも弱り、タリアの花の花粉で眠ったときにはスイウも眠ってしまったことを思い出す。


 当然この体で魔法薬を試せば、その効果はスイウの体にも少なからず影響するだろう。だからといって、これはスイウと出会う前からのことなので、今更咎められたところでやめるつもりはない。


「さすがに毒は自分の体で試してないな?」

「毒は虫とか、精々動物で試せば十分ですよ。私の作った毒が人を殺し損ねるなんてあり得ませんから」

「すごい自信だな……」

 そもそも薬ですら用量を誤れば毒になるのだ。毒として作ったものは毒になるしかない。わざわざ自分で試す必要性などないだろう。


 毒薬自体を作ることは当然あるが、殺さず苦しめるような類のものは趣味ではないし、毒のもたらす症状にもあまり興味はない。毒薬というものは結局最後に死ねば良いのだ。死という同じ結果しか得られないものの過程などどうでもいいし、面白味もないというのがメリーの持論だった。


 それよりも毒をいかに有用に利用するか、薬草の力だけでは得られない効果をどう調薬して可能にするか、魔法薬をいかにして身近なものに活かすか、魔法薬でしかできないような効果の研究の方が余程興味深くて面白い。それこそが魔法薬の醍醐味(だいごみ)というものだとメリーは思う。


「とにかく魔法薬は私の生き甲斐ですから、やり方を変えるつもりはありませんよ」

「冗談だろ……」

 スイウは肩を落とし、諦めたように長く長く息を吐きだした。



 ようやく騒がしかった部屋の中も静まり、夜の静けさが訪れる。室内の照明は切られ、窓の外から見える月の光とそれに輝く魔法薬の煌めきをじっと見つめながら眠りが訪れるのを待っていた。すると真上のベッドで寝ているはずのフィロメナが顔を覗かせる。


「あ、メリー起きてたのね」

「眠れないんですか?」

「うん。寝台列車なんて初めてだから、何だかそわそわしちゃって。だからまたコイバナしましょ!」


 ひそひそと小声でやり取りしているものの、双子はすでに就寝している。話し声が二人の眠りを妨げるのは本意ではない。


「今日は大人しく寝てください。二人を起こしてしまいます」

「うぅ、そんなことわかってるのよ。でも……」

 あからさまに気落ちしているのがわかり、どうすればいいのかもわからず困り果てる。


「アイゼア様、この本をフィロメナ様にお貸ししてもよろしいでしょうか?」

「構わないけど、エルヴェが一晩暇になるよね。僕の方を貸すよ」

 エルヴェとアイゼアは本を読んでいるらしく、小さな読書灯に照らされた横顔が見える。


 アイゼアはベッドから下りると、閉じたばかりの本をフィロメナへと差し出した。その手からフィロメナの手へと本が渡されていく。


「何の本かしら?」

「騎士仲間に勧められた恋愛小説だよ。恋の話がしたいフィロメナにはぴったりじゃない?」

 今は顔も姿も見えないが、真上から嬉しそうにしている気配がわかりやすく伝わってくる。


「ありがとう、アイゼア。それからエルヴェもね」

「夜更かしはしすぎないようにね」

「もちろんよ。ふふ、楽しみねー」

 とりあえずこの件は落着だ。二人に感謝しつつ、もう誰にも声をかけられないようメリーは固く目を閉じた。

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