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記憶の迷宮

 


 気付けばエレノアは、眩い光の中にいた。

 あらゆる方向から降り注ぐ、温かな光に包まれ、さっきまでいた無機質な石造りの迷宮がまるで遠い夢のようだった。

 背後に佇むメモリアが無言で頷く。ならば、ここで報酬が支払われるということか。


「――ふぅ」と、一呼吸。


 もう後戻りは出来ない。報酬を受け取れば、対価の回収が行われる。

『期待』と『後悔』。せめぎ合う揺らぎに決着をつけるため、エレノアは足を踏み出した。


 心音の高鳴りが足音を超えたころ、煌めく光の中、光輪を纏った人影が見えた。

 その人影にゆっくりと近づくと、エレノアはその胸に顔を埋めた。

 懐かしい匂いがした。灰と薬草と少しだけするお日様の匂い……


「ーーえっ!?どうして?……エレノア、まさか僕の記憶を残したの?」


 目を丸くして驚くマティアスを、エレノアはぎゅっと抱きしめた。

 そして潤んだ瞳で見上げると、


「そうよ。だって、あなたが迷宮から解放されれば、あの子はひとりぼっちじゃなくなるじゃない」


「迷宮から解放? ……あぁ、そうだった。僕は迷宮で死んで囚われたんだ」


【規則其の五 迷宮で命を落とした者の魂は、迷宮に囚われる】


「そう。規則其の五によってあなたの魂はこの迷宮に囚われたのよ。でも私、気づいたの。この迷宮の矛盾に」


「矛盾だって?」


「ええ。だって規則其の六にはこうあるもの。


【規則其の六 迷宮を踏破した者は、望んだ死者と話すことができる】


 迷宮を、踏破した者(・・・・・)が死者と話せるなら、その場所は迷宮の外ってことでしょ?なら迷宮に囚われた魂と対話を希望すれば、その魂は迷宮から解放されるってことなんじゃないかって」


「そんな屁理屈……」


「ええ。だからメモリアに直接確認したわ。そしたら、あっさりと認めてくれたわ。精霊は嘘をつけないって言っていたのも本当だったのね」


 マティアスはエレノアの行動力に呆れつつも、

「そう言えばこの娘は、ここぞという時の行動力は図抜けていたな」と思い出し「はは」と乾いた笑いを浮かべた。


 エレノアの言葉は続く、


「それにね、あなたをこの迷宮に置き去りにしたら、ルーカス絶対怒るもの。私は、あの子にはカッコつけたいのよ」


 そう口にした瞬間、胸の奥がずきんと痛んだ。エレノアは唇を噛みしめ、言葉を継いだ。


「私の身勝手な感情で、あの子を一人ぼっちにしておくなんて、そんなのまっぴらよ!」


 マティアスは、肩を震わせながら強がるエレノアの頭を撫でてから、少しだけ強く抱きしめ返した。


「……でも多分だけど対価として、ルーカスの思い出を求められたんじゃないのか?君は本当にそれでいいのかい?」


「いいわけないわよ。……でも、親ならいつかは子離れしなきゃいけない時が来るわ。なら、奪われた子離れの瞬間を奪い返したと思うことにするわ」


「……そうか、君が決断したのならそれで……。僕は、君が前を向いて歩けるならそれでいい」


 マティアスは言葉を切り、どこか寂しげに目を伏せた。

 静かに息を吸い込み、懐かしさと未練を胸にしまい込むように、ゆっくりと顔を上げる。


「ルーカスのことは僕に任せてくれ。君がいつの日か天国に来た時に――僕たちは、もう一度家族になろう」


「ええ。約束よ」


「……ああ」



 ◇ ◇ ◇ ◇



 マティアスが徐々にエレノアから離れていく。

 名残惜しそうに何度も振り返り、ずっと手を振りながら。

 歩みを進めるその先には、荘厳な装飾が施された白磁のような透明感を放つ門が見える。

 あれが天国の扉というやつだろうか。


「――もう、よろしいので?」


 ずっと黙っていたメモリアが口を開いた。その顔には性悪そうな負の感情は消え……いや、思えば初めからそんなものは無かった。緊張と不安からエレノアには、勝手にそう見ていたのだ。だって、この精霊はわざわざ必要のない対価の再選択を持ちかけてくれたのだから。


「ええ。ルーカスに寂しい思いをさせたままにできないわ。メモリアありがとう!性悪なんて言って、ごめんなさい」


「お言葉を返すようで恐縮ですが、その言葉をいただくには、いささか早いかと……」

「待って!? それってどういう意味?」


 意味深な発言にエレノアが首を傾ける。メモリアの視線は門へと向いていた。その視線の先、重厚な白い門が音もなく開くと、そこに小さな人影が見えた。


「まさか……」


「【迷宮の規則その六 迷宮を踏破した者は、望んだ死者と話すことができる】なので、話さなければ問題ありません」



「……ぁぁ」



 小さな人影が、両手を大きく振っている。

 やがてその手が静まり、深々と頭を下げると――

 手にした剣が、天を衝くように高く掲げられた。


 それは、エレノアが得意とする構え「大上段」。

 拙いながらも溢れた剣気が、空気を微かに震わせる。


 そして次の瞬間、小さな影が力強く踏み込んだ。

 反動が両腕に伝わり、勢いそのままに――剣が、振り下ろされる。


 ――「ピッ!」


 ()鳴りが空気を裂き、剣風がエレノアの頬をかすめた。

 それは幻かもしれない。けれど、彼女が今まで見た中で、最も美しい一閃だった。


 エレノアの目から滝のように涙があふれた。拭っても拭っても止まらず、視界は何度もにじんだ。

 嗚咽を堪えきれず、喉の奥から洩れた声が震える空気に溶けていく。


「……うぅ……っ」


 けれど彼女は、それでも目を逸らさなかった。

 今この瞬間を、ひとつ残らず心に刻みつけようと、全身で泣きながら見つめ続けていた。

 小さな影は、最後にもう一度大きく礼をすると、マティアスと手をつなぎ光の中に吸い込まれるように消えていった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「――良かった。あんた生きてたんだな」


 打ち寄せる荒波の中、一艘の小舟がエレノアの帰りを待っていた。深い皺の刻まれた顔がくしゃりと崩れると、


「会いたい人には、会えたかい?」


「いいえ、会わなかったわ」


「それが、あんたの決断かい?」


「ええ、そうよ!」



 晴れやかな顔でそう答えたエレノアの視線は、遠い遠い水平線の彼方を見つめていた。




【記憶の迷宮】  おわり



最後までお読みいただき、ありがとうございました。

心より、深く感謝申し上げます。


この物語が、ほんのわずかでもあなたの心に何かを残せたのなら、

それは作者にとって、何よりの幸いです。


いつかまた、

この〈記憶の迷宮〉を目指す、別の冒険者たちの物語を紡げたならと思っています。


それでは、またどこかで――


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