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止まった時間

 


 眼前に立ちはだかるのは、【歩く悪夢】の異名を持つ一つ目巨人(サイクロプス)

 奴は肩を震わせ、飢えた捕食者の目でこちらを見据えている。


 額に浮かぶ血管は湧き立つように脈動し、今にも破裂しそうに膨れ上がっていた。

 なら、そこに一撃を叩き込みたい――そんな考えが、一瞬、頭をよぎった。

 巨体から放たれる圧迫感が空気を震わせる。その中で、むき出しの牙が、今か今かと獲物を噛み砕く瞬間を待ちわびていた。

 一つ目は鋭い光を宿し、逃げ場のない獲物をじりじりと追い詰めるように、ゆっくりとその時を待つ。


 エレノアは後方に控えるメモリアを一瞬見やると、大上段に構えていたロングソードを、一気に振り降ろした。

 剣風が空気を切り裂き、一つ目巨人の顔面を斬りつける。その刹那、一つしかない眼を護ろうとする本能か、巨人は瞳を護るように腕を上げると次の瞬間、エレノアが視界から消えた。


「やっぱり化け物の行動は同じね」


 かつて迷宮で相対した時、一つ目巨人に大惨敗を喫しながらも、エレノアはいつかやり返す日が来るのを信じ、抜け目なくその動きを観察していた。その経験が今、活かされたのだ。


 勝ち取った僅かな隙を逃すことなく、エレノアは地を這うような低い姿勢のまま加速し、一気に間合いを詰める。


(急がないと。アレをされたらやっかいよ)


 先手をとったとは思えない焦燥感がエレノアの心を支配していた。

 そう、この程度で倒せるなら、誰も【歩く悪夢】と呼ばないだろう。

 やつらが忌まわしき二つ名を持つ最大の理由、それは……


 一つ目巨人はヨロヨロと体勢を崩しながらも立ち止まると、ナマコのような分厚い唇を尖らせた。


(――やばい!!間に合え)


『あいぃーーッぶぁ』


 一つ目巨人が、奇妙な鳴き声を発した直後、エレノアが投擲した短刀が分厚い唇を切り裂いた。


 何としても一つ目巨人に鳴かせるわけにはいかない。なぜなら、奴らの鳴き声は仲間を呼び集めるからだ。

 フナムシのように際限なく湧き続けるA級の魔物。群れがもたらす圧倒的な破壊力だけをみればS級といっても過言ではない。それが一つ目巨人が【歩く悪夢】として忌み嫌われる最大の理由だった。

 嘶きを遮られ、さらに二度も切りつけられたことで、完全に頭に血が上った一つ目巨人が暴れ出した。エレノアは、距離を詰め視界の外から脇腹を切りつける。が、ぐにっという感触とともに剣が筋肉の鎧に埋まった。


(なんて硬さなの?こっちは全力で切りつけたのよ!!)


 防御か撤退か、次にどちらを選ぶかがこの戦局を左右する。その確信がエレノアにはあった。だからこそ、彼女はどちらでもない選択をした。そう戦局は選択するのではない。自ら切り開くのだ。


「これでも食らいなさい!」


 小手に仕込んだ丸薬を放り投げた瞬間、それは床に当たって小さく弾け、濃い煙を巻き上げた。

 煙幕は瞬く間に広がり、視界を覆い尽くす。

 怒りと苛立ちが入り混じった咆哮とともに、巨人は乱暴に棍棒を振り回す。

 それは、当たれば即死は免れない暴力の嵐。エレノアはその外側から慎重に動きを見極めていた。

 荒く短い息遣いが、ふと変わる。

 その瞬間を逃さず、彼女は背後から忍び寄ると一切の躊躇なく、首筋に剣を突き立てた。

 見上げるほどの巨体が糸の切れた操り人形のように、崩れ落ちる。

 それでも醜悪な単眼は、殺意を宿したままエレノアを睨みつけていた。


「ふん……」


 あしらうように剣を急所からようやく剣を引き抜き、額の汗を拭った。


「ふぅ。なんと倒したわね。少しくらい褒めてもいいのよ?」


 窮地を脱した安堵からか、エレノアはメモリアに意見を求めた。


「まるで盗賊のような戦い方をするのですね」


「何それ。皮肉?」


「いえ、エレノア様はもっと剣士で在られるかと思っておりましたので」


「……ふん」



 まるで心を読まれているかのようだった。

 そう思えるほどメモリアの指摘は的確だった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 エレノアは剣士であることを誇りにしていた。前衛として正面から敵と相対し、仲間の剣となり盾となる。そのことに生きがいを感じていた。しかし、それでは守れなかったのだ。一番守りたかった愛する息子を……


 愛息ルーカスは、幼くして魔物に殺された。まだ十二歳だった。


 忘れることなど、決してない。


 あれは親子三人で『臓腑の森』を移動していた時だ。突然、大木の影から透明狼(インビジブルウルフ)に強襲された。あの時、エレノアはルーカスとマティアスを護るように二人の前に立つと襲い来る魔物に立ち向かってしまった。マティアスが土壁と砂煙を造り出し、逃げる時間を稼いでいたにもかかわらず……。


 戦況は一進一退、いやエレノアは押されていた。闘気で透明狼のだいたいの場所は掴めるが、素早く動き回る敵の正確な位置を掴めずにいた。これでは、致命傷を与えることが出来ない。

 マティアスから援護を貰い何とか倒した時、ルーカスの姿は消えていた。


「どこ、どこなのルーカス!?」


「落ち着け、ルーカスは僕と同程度魔術を扱える。きっと大丈夫だ」


「な、ならなんで、姿が見えないのよ!」


「闘気で探れないのか?」


「やってるわよ!あなたこそ魔力探知で探せないの?」


 闘気でも、魔術でも探せない。そのことが意味する重みが二人の胸を締め付けた。

 結局、三日三晩探し続けた結果、彼は、焼け焦げた数十体の人面樹の死体の山の中から見つかった。


 人面樹は魔力を吸い取る厄介な魔物であり、魔術を得意とするルーカスとの相性は最悪だった。

 おそらく目を離した隙に木の上か、大樹の洞の中に引きずり込まれたのだろう。バケツの水をこぼすように魔力を削られていく中、これだけの数の魔物を撃退して……。


「私が、撤退しなかったばっかりに……」


「君は悪くない。僕の判断ミスだ」


「何でよ!責めてよ!お前が悪いっていってよ!」


「僕のミスだ」


「あなたは何も分かっていない。私がルーカスを死なせたのよ」


「責任の全ては僕にある」


「違うわ。だって私は……」


 言い争いは終わることなく、いやエレノアの一方的な嘆きは枯れることなかった。

 真実を言えないまま、心に空いた穴は広がり続け、二人は道を違えた。



 あの日からエレノアの時間は止まったままだ。



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