71.忍び寄る影
私はまた頭を垂れる。ハク様と愛し子さまの末永い生を心より願って。
顔をあげるとハク様が起き上がりこちらに歩いて来た。
そして私の匂いを嗅ぐとその体をすり寄せてくる。柔らかで温かい。
『あの子は返ってくる。イーリスも待ってるからな』
「ハク様はイーリスを?」
私は驚いて問いかける。
『良く知っているよ。私の大切な契約者…アイルの番だからね』
愛し子さまはアイル様…そしてイーリスの番?
あぁ、イーリス…お前は出会えたんだね。魂の番に。
私は涙が溢れるのを止められなかった。横で息子たちも泣いている。
ならばなぜ?愛し子さまは眠ってしまわれた?
『乗り越えなければならない試練だろうね…あの子の心はまだ脆い。この世界に試されているんだよ』
ユーグ様が悲しそうに言う。
私は、私たちはお待ちしましょう。アイル様。イーリスと並んだ姿を私たちに見せてください。
そう祈った。
その頃、死の森の中に蠢く影があった。彼らは黒いローブを羽織っている。その数はおよそ50ほどだろうか。
アイルたちが出入りする森の入り口からは少し奥、そこからさらに森に分け入ったあたり。ハクの縄張りからは離れた一帯だ。
アイルがユーグ様の繭に包まれて眠ってから5日目の夜。
(起きて)(起きて)
(愛し子)(起きて)
(ユーグ様を)(守って)
(守れるのは愛し子だけ)
私は不穏な気配で目を覚ました。これは…息子たちが部屋に静かに入って来る。
「父上、囲まれています」
「黒いローブのヤツらです」
「目的が分かりません」
「危険です。父上はまだケガが…」
「いや、ダメだ。生命樹が…」
息子たちはハッとする。ハク様の気配がない。
何が起きている?
ユーグ様も愛し子さまも危険だ。私が行かねば。
「父上…」
泣きそうな顔で私を見る息子たちに頷く。
「ハク様とユーグ様、そして愛し子様をお守りしろ」
私は魔力を高めて攻撃する。まずは数を減らさなくては。息子たちは風に乗って窓から生命樹に向かって飛び降りた。
それが戦いが始まりだった。
くっ攻撃が効かない。魔力無効の装備かスキルか…?
これではダメだ。やはり出なければ。前ほどではないが多少は動ける。今ならば半分くらいは道連れに出来るだろう。
イーリスと愛し子さま並ぶ姿を見たかったが…やむを得まい。考えている場合ではない。守らなければ。
(起きて)(起きて)(愛し子)
(ユーグ様を守って)(聖獣様を守って)
声が聞こえる。起きなくちゃ。早く起きなくちゃ。
アイルは微睡の中で精霊たちの声を聴いていた。起きなくちゃ…。
襲撃の少し前。
黒いローブの男たちをまとめるシナリはほぉと声を出した。
こんなところに生命樹があったとは。これは幸先が良い。しかも聖獣までいる。
「香を焚け」
それは聖なるものの心を捉える香。嗅げばその心を捉えて凍りつかせる。もちろん禁制品だ。ここで役に立つとはな…。
「香を焚いたら作戦開始だ」
ゆっくりと香が生命樹へと流れて行く。
(危険)(危険)
(聖獣様起きて)(聖獣様逃げて)
精霊たちがざわめく。
ハクは夢を見ていた。アルとお散歩に行く夢。アルは優しく笑って僕を撫でてくれる。
その温かい手に体を擦り寄せる。捕まえたよ。アルもうどこにもいかせない。僕が守ってあげる。誰にも邪魔させない。いらないものは僕が全部排除してあげる…。
甘美で優しい夢。どこまでもどこまでも優しい夢。
ハクは夢を見ていた。
ユーグは遠い記憶の中にいた。懐かしい人、懐かしい風景。優しい日々。あぁ、戻って来たんだ。良かった。あの楽しい日々が戻って来て。私はこのまま…この時間を慈しもう。
ユーグは遠い記憶の中にいた。
ふいに意識がハッキリした。
アイルは目を覚まし耳を澄ます。
ハク!ユーグ様…どこにいるの?
感じられない。ハクの気配も、ユーグ様の温もりも。
私を覆う繭に手を触れる。それはポロポロと崩れてしまった。
ユーグ様の加護が…?
動かなきゃ。今すぐ…ハク、ユーグ様…待ってて…今度は私が必ず助けるから。
私は生命樹の中から外を窺う。
ユーグ様は木の中で眠っている。ハクは木の根元に横たわっている。良かった。生きている。
でも心が…凍ってる?
大丈夫。まだ間に合う。
どうか目覚めて…。
ハク…またその温かい体を抱きしめさせて。
ユーグ様…私から感謝のキスを送らせて。
目覚めるまで待ってる。
楽しいだけの生なんてないのだから。
無くしたものは戻らない。だからこそ今を大切に生きないと。
だから返ってきて、私の元に…。
ハクはまだ夢を見ていた。
アル、どこに行くの?
そっちは…大丈夫。私がいるから大丈夫。他のものはいらないよね?守ってくれるんでしょ?全てから私を?なら他のものなんていらない。いいよね。
全部壊してくれるんでしょ?私の為に…、ねぇハク。
違う、僕のアルはそんなこと言わない。ダメだよハクって、きっとそう言うよ。
だってアルはとても優しくて温かいかいんだから。
自分より人の気持ちを考えてしまう心優しい人なんだから…。
バキッバキッ!
優しい夢は崩れていく。でもそれでいい。優しいだけの夢は夢でしかない…僕は今を生きるよ、アル。
うぉぉぉぉ〜〜ん。
遠吠えが森から森へとこだましてゆく。
ユーグはまだ夢を見ていた。
ユーグ…良かった。無事だったんだね。もう心配いらない。ここは安全だよ。誰も来ない。
ここでずっと一緒にいようね。ユウリが歪に笑う。
ユウリ…君はそんな顔で笑う子だった?
人間なんて駆逐しましょう。大丈夫よ、私がいるから。
ユーグ様、もういいでしょ。ここで一緒に眠りましょ。私も一緒に眠ります。
他の人間なんてどうでもいいから、愛し子の私と一緒に…。
違う…ユウリはそんな顔で笑わない。末の子との契約をいつも涙を流しながら見ていた。
そして私の愛し子はそんなこと言わない。傷ついても辛くても必死に生きようとした…お前ら違う。
ピキッピキッ!
懐かしい記憶は崩れ去った。でもそれでいい。私は今の時間を慈しもう。愛し子を見守りながら。
その瞬間、生命樹は花開いた。その虹色に光る花は夢のようでやがて消えた。
ほんの一瞬の出来事。
それを生命樹へと向かっていた森人の2人は見た。
なんで神々しい光…。
ユーグ様と聖獣様はきっと大丈夫だ。
父上は?弟と目を見合わせる。戻ろう、宿へ。
黒いローブの男が隣の男に聞く。
「首尾は?」
「こちらの思惑通り、魔法攻撃が効かないことに焦っています。やがて打って出るでしょう」
「予定通りか…そこで捕縛だな」
宿の窓から1人、飛び降りる。その手には剣が握られていた。近くにいたローブの男たちが仕留められていく。1人2人…強いな…利き手は使えていないようだが…。これはいい。
男は笑う。いい獲物だ。
やがて20ほどは仕留められただろうか?どうせ雑魚だ。死んでも惜しくない。そろそろか…ふふはっ。
私は宿の窓から飛び降り剣で斬りかかる。次々と屠っていくが数が多い。くっ、体が…なんだ、これは…。
ぐはっ…。体が動かない。あぁ、イーリス。もう一度会いたかった。
「倒れたか?以外ともったな」
「捕縛しました。遠くから耐力を奪う呪いをかけていたのですがね…」
「想定内だ。生命樹と聖獣はダメか…まぁ仕方ない。撤収だ」
「はっ」
ローブの男たちは走り去って行く。森人を抱えて。
その森人の首に魔力吸収の首輪をかけて。
私は帰ってきたハクとユーグ様を感じた。良かった、間に合った。起きて帰らないと。私の居場所に、イリィの元に。
その時、何かを感じた。それは何?良くないもの。
誰かが連れて行かれる?ダメ…分からないけど、でもそれは絶対にダメ。助けなきゃ。
私なら動けるから。助けに行かなきゃ。
私はユーグ様の木から出る。変な匂い?風魔法で散らす。
そしてその人を追う。なぜか分からない。でも失ってはいけない。そう感じるから。
ハクの声が聞こえた気がする。私はハクにユーグ様を守って、と伝えて走る。
ダメだ!アル戻って…アル…。
ハクの叫び声は風にかき消えてアイルの耳には届かなかった。
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