70.失踪
マズいことになった。あれからアイルと連絡が取れないのだ。
イーリスに聞いても首を振るばかり。
アイルが連れていた犬も鳥の雛もいない。
アイツが泊まっていた部屋には石鹸といい匂いのするオイルがあるばかり。
それ以外の荷物はなかった。
まるではじめからいなかっみたいに。
忽然と姿を消した。
俺たちの中に記憶はある筈なのに、思い出そうとしてもその顔が思い出せない。
アイル、お前は本当に存在したのか?
ウルと俺の呪いを解いてくれたのはアイルだよな…幻なんかじゃないよな?アイル…早く帰ってこい。
スーザンたちは準備を進めているが何となく覇気が無い。ラルフは抜け殻だし、ロルフはアイルが消えたことにショックを受けていつも以上に無口だ。
フェリクスも普段なら笑顔を絶やさないが、最近は真顔だ。
おい、アイル…帰ってこい。全くお前がいたらそれはそれで大変だけどよ、いないと寂しいじゃねーかよ。
探索者ギルドのギルマスであるバージニアはそっと息を吐いた。
アイはまだ帰って来ない。ハクと一緒に出て行ってからもう5日。いつの間にかブランもいなくなってた。
シングルのこの部屋…2人だと少し狭かったのに今はガランとして広く感じる。
ユーグ様のところにいるのは分かっている。ハクに連れて行ってって言っていたし、何より感じるんだ。僕たち森人は生命樹と親和性が高い。特に僕は末の子だから。ユーグ様に抱かれて眠っているアイを感じる。
早く目覚めて欲しい。でも…。
アイ…早く帰っておいで。ずっと待ってるから…。
私は揺蕩うような心地で目を瞑っている。
「アイリ、帰っておいで」
「アイリ、こっちに戻っておいで」
「アイリ…あなたのいる場所はこちらよ」
「アイリ、早くこちらに…」
「アル。助けてくれてありがとう。大好きだよ、アルの命がある限り側にいるよ」
(ぴきゅきゅぴっきゅぴっ)「アル大好き!」
「アイ…ずっと側にいるよ。僕が守るから…君を…君の全てを受け止めるよ。だから泣かないで…僕は君の味方だよ。思うように生きて。出来れば僕をその側にいさせて…大切なアイ」
柔らかな白い毛、ふわふわな羽毛、そして優しくて温かくて全てを受け止めてくれる大好きな手。
あぁ、そうだ。私はこんなにも愛されている。
私はこんなにも守られている。どうして忘れていたんだろう。どうして忘れていられたんだろう?
こんなにも愛おしい存在が私を待ってくれているのに。
私の心はまだ弱い。弱くて傷つきやすくて脆い。でも支えてくれる皆がいる。私は1人じゃない。
律、本当にそうだね。もっと頼っていいんだよね…?
私は1人で抱えて1人で…誰にも私の気持ちなんて分からないってそう思って。当たり前なのにね。
まだ間に合うよね?待っていてくれる皆がいるから…。また泣いちゃうと思うけど、その時はたくさん甘えさせてくれるよね。
まだ不安になることはあるだろうけど、それでも私は皆と生きたい。消えたくなんてないから。
もう少し肩の力を抜いて頑張るよ…律。それでいいよね?
「1人で抱えてぐずぐずするくせに、ちゃんと1人で答えを出せるんだから…アイリは大丈夫。もう私がいなくても大丈夫だよ。周りを見て。今、支えてくれる皆んなを見て…アイリ、さようなら…」
律…ありがとう。本当にいつも私が欲しい言葉をくれる。私、こっちで頑張るよ。いつかあの世で会えたら話を聞いて。私、頑張ったって胸を張って言えるようにここで生きるから。
さよなら…律。さようなら19才のアイリ。
イリィ、ハク、ブラン…早く会いたいよ…。
愛し子が目覚めた。あぁ、希薄だったその気配が濃くなったね?向き合えたんだね、自分の心と。
消えるのは簡単だよ。でもね、生きていくことでしか得られないものがたくさんある。
君はもう知っている筈。思い出したね?君は皆に愛されてるんだ。
悩んでもいい、泣いてもいい。でも迷わないで。
道しるべはいつだって君の前にあるんだから。
あぁほら、もう気が付いた。君の番が泣いてるよ。凄いよね、彼の想いは。自分の運命さえも塗り替えて君を手に入れたんだ。
彼なら大丈夫。彼になら託せるよ、私の大事な愛し子をね。
運命に負けないで…私の愛し子の手を決して離さないで。女神の名をもつイーリス、愛し子を守って。
この頃、ゼクスの宿で。
アイが目覚めた。あ…自然と涙が溢れてくる。薄くなっていた気配が濃くなって行く。アイ…僕を呼んでくれた?今から迎えに行くよ。
僕は部屋を出て階段を下りスーザンを探す。彼は厨房にいた。僕を見ると手招きし、厨房の奥にある部屋に導く。
「どうした?アイルのことか?」
「スーザン、馬車はどこで借りられる?迎えに行く」
「アイルか?どこにいる?」
僕は答えない。
「俺がギルドで借りてくる。ウル、コイツを頼む」
ウールリアさんが頷くのを見てスーザンはギルドに向かった。
アイルの恋人であるイーリスは部屋からほとんど出てこなくなった。食事は食べているけど大丈夫だろうか、スージィとそんな話をしていた何日か後のこと。突然馬車で迎えに行くと言う。
スージィがギルドに借りに行き、私はイーリスと向かい合っている。
「君はどうしてそこまで彼を?」
「僕自身を見てくれたから…」
「ねぇ、顔を見せてくれない?」
なんとなく彼と僕は似ている気がする。
彼はそのフードを外す。でも顔が良く分からない?するとやがてその顔が顕になった。
認識阻害か…。
僕は驚いた。
だってそこには息を呑むほど美しい青年がいたから。
淡い金髪に銀の目。虹彩の縁に青が入っている。切れ長で大きな目は涼しげで形の良い鼻と唇は絶妙なバランスで配置されている。
次元の違う美形だった。これはまた…。
僕もそれなりに容姿は整っているけれど、これは凄い。月の女神もかくや…か。なるほど、納得だ。
「彼は本当の君を見てくれたんだね…」
またフードをかぶり頷く。静かな時間が過ぎていく。
君は出会えたんだね、私のように。
やがてスージィが帰ってきた。
「表に止めてある。御者もいるからすぐ行ってやれ」
イーリスは頷くとそのまま出て行った。
扉を出る時に振り返ってありがとうと呟いて。
「ふぅ心配かけやがって」
「彼にとってのアイルは僕にとってのスージィみたいな存在なんだよ」
「どういうことだ?」
「フードの下の顔はね、それはもう言葉で言い現せないくらいの美形だった。僕が凡人に見えるくらい」
スーザンは驚いた。ウルだって相当な美形だ。貴族に追い回されるくらいには。そのウルが凡人ってどんだけだよ?!
全く2人して危ういとか、お前らは全く…世話のやける。でもそれが決して嫌ではないんだからな。
早く帰って来いよ、アイル。
時は少し遡り…アイルがユーグに抱かれて眠りについた翌日の朝。
ざわざわ…ざわざわ…。精霊が騒がしい。何があった?気になって目が覚めた私は部屋を出る。
ちょうど息子たちも部屋から出てきた。
一緒に宿を出て生命樹に向かう。
(愛し子なの)(愛し子が来たの)
(眠っているの)(心配なの)
(ユーグ様も憂いているの)
ざわざわとする妖精たち。
そしてたどり着いた生命樹の根元には白い犬が体をぴたりと伏せて目を閉じていた。
やがて精霊王のユーグ様が現れた。
『守り人よ、その子は聖獣。愛し子と契約している白銀狼だよ』
聖獣…愛し子の?
私たちは片膝をついて頭を垂れる。
聖獣様は目を開けてチラリとこちらを見た気がしたがまた目を閉じる。
『彼はこういうのを望まないから。顔を上げて…』
「はっ!聖獣さま。お初にお目にかかります。森人のファーブルと申します。こちらは息子たちです」
また目を開けてチラリとこちらを見る。そしてまた目を閉じてしまった。
『愛し子が心配なんだ…今はそっとしておいて。朝から騒がせたね』
「いえ、その…愛し子様は眠って…?」
『私の繭の中で眠っているよ』
繭の中…なんてことだ。目覚めなければ消えてしまう。
生命樹の繭、それは命の狭間。こちら側は生、そしてあちら側は消、ただ消えてなくなる。
でも繭は閉じていない。
自力で目覚めれば戻れる。
私はイーリスを想う。魂を捧げる筈だった末の息子。
18才で生命樹の繭に抱かれ、消えてしまう淡い存在。その宿命を背負って産まれた子。
魂を捧げる時、繭は閉ざされる。決して開くことのないその中で、静かに生命樹へと取り込まれる。そしでやがて人としての命を終える。
しかし、愛し子の繭は閉ざされず…ユーグ様に抱かれている。あぁ、その子は望まれているのですね。
生きることを。私の末の息子のように…。
ならば私も願いましょう。愛し子様の目覚めを。
聖獣さまの強い想いを叶えるためにも。お待ちしましょう。ここで…一緒に。
『ハクだ』
聖獣様が名乗って下さった。名乗りは信頼の証。
私はまた頭を垂れる。ハク様と愛し子さまの末永い生を心より願って。
※読んでくださる皆さんにお願い※
面白い、続きが読みたいと思って貰えましたらいいね、やブックマーク、↓の☆から評価ををよろしくお願いします♪




