307.ピュリッツァー帝国
そこはピュリッツァー帝国の北部にある山。冬の季節は雪に覆われるその山は何の変哲もない普通の山だ。
ただ、地元民からは信仰の対象として崇められている。その名をミュシュランテス。
霊山として有名なその地は、ある場所から先には人が入れない。物理的に入れないのではなく、独特の生態系により、人を拒む。
毒を多く含んだ植物、凶暴な魔獣。エサとして食べる植物や動物も毒を体に蓄えているから、結果、毒も食べている魔獣は吐く息さえも毒に塗れている。
毒によりさらに凶暴になった魔獣は、他の場所の魔獣よりも遥かに凶暴だ。
だから人を拒む。
そこ場所に、人を拒むその山の山頂近くに、麓からも見ることができる大きな木がある。地元の町では御神木として崇められている。
毒に侵された魔獣は、なぜか山を降りない。まるで遮られているかのように…ある場所から下には居ないのだ。
そして、その山は恵みの宝庫。片や、毒まみれの場所、片や恵み溢れる場所。その対比が不可思議ではあるが、町にとってはさほど問題ではない。
山からの豊富な恵みがあるのだから。
その、毒に塗れた場所を進む人がいた。手元には一頭の馬。しかし、ここは生き物を拒む場所。やがて馬は踞り、動けなくなる。それでも人は夢中で進む。
やがて…人も進めなくなり、そして…山に飲み込まれた。
山頂近くのとある場所、そこには大きな木があった。木は白い幹に白い透けるような葉の、美しい姿だ。周りと比べても明らかに異質で立派。
その木の幹にもたれるように、人が眠っていた。白いローブに包まれたその人は座るような姿勢で、木に背中を預け…そこにいた。
毒に塗れた山頂付近の、美しい木のそばに。
(来たよ)
(来たね)
(眠ってる)
(優しい魔力)
(起きて)
(喜んでる)
(山が喜んでる)
木々が騒めく。吹き抜ける風は優しくその人の頬を撫でる。
さわり…
まるで起きて、と声を掛けるように。
静かな中に、確かな期待を寄せて。
その人の目覚めを待っている。
そして、どれほどの時間が経ったか…ついにその目が開く。ゆっくりと何度か瞬きをして、やがて顔を上げ周りを見回す。
その動作はゆっくりで、周りを見て自分の手を見て、また周りを見て、自分の体を見る。
期待に満ちたような、そんな周りの様子には気が付かずに。
彼はまだ幼さの残る顔で、何かを決心したように慎重に立ち上がる。
そして、また周りを見回して…肩を落とした。
( …て)
( …ってた)
( …て)
何処かで何か言ってるのが聞こえる。ん、何…?もう少し寝させて…
あれ…
寝る?…何処で?
急速に意識が浮上した。ゆっくりと目を開ける。その目に飛び込んで来たのは緑。
緑…?
顔を上げて周りを見る。うん、緑だ。
ここは森?か山…かな。すごく静かだ。ならば、さっきのあの声は何だったのか。周りに人はいないみたいだ。何となく気配が無い。
なのに、何かがいる。怖くは無い。安心は出来ないけど、悪いものではないと感じるから。
自分の手を見る。そして、また周りの圧倒的な緑を見る。うん、やっぱり森というか、多分山だね。背の高い木があるから、そんなに高い山ではない。少なくとも森林限界よりは低い、多分、山。
空気はなんか、しっとり…いや、ジメッとか。肌にまとわりつくみたい。
自分の体を見る。この場所に関わる何かが分かるかなって思って。
服装は普通の白いローブ。
あれ、普通?ローブ…。
何だろう、僕はこんな服を着てたっけ?しばし考える。分からない。考えても何が普通で何が普通じゃないか。なのに、さっきの僕は普通だと思った。
忘れてるだけで、僕はこの場所を知ってる?
とにかく、立ってみよう。少し歩いたら何か分かるかもしれないしね!
…結果、何も分からなかった。分からないことが分からない。困ったなぁ。どうしよう。
どうしたらいいのか…?
(まずは水を飲んだら?)
えっと誰?周りを見ても誰もいない。
(ここだよ!)
また周りを見回す。何処?
(ご主人のスキル 実態はない)
…スキルってえっと、あの何だっけ…冒険者の話に出てくるその人の技能とか能力だっけか。
(そう、ご主人のスキル。知りたいことを教えられる能力)
それって凄いな。でもまずはここは何処?僕は白いローブの下を見る。足元は暖かそうなブーツ、紺色のズボン、腰にはウエストポーチ。シザーポーチみたいな縦型の。そして腰の後ろ部分には横向きに短剣かな?
上着は着てなくて、シャツの上にベスト。肌触りのいい服だ。
そう、荷物は腰のポーチだけ。
(そのポーチに水が入ってるよ!)
またスキルの声がした。えっとこの薄いポーチに?中を覗く。あれ?何も見えないよ。手を入れると何だか変な感覚。加湿器の吹き出し口に手を翳したみたいな。
ん、加湿器…?
(それは空間を広げる魔法がかけてあって、中身を知りたいと考えると頭に保管品が浮かぶよ!)
空間を広げる…?取り敢えず、言われた通りに中身は…と考える。
すると、おわっ…何だこれ?
めっちゃ入ってるやん。
(ふふっ、ご主人が自分で入れたんだよ)
はい?だってこれ…一体何を目指したの?ってくらい色々入ってる。
以下、中身のリスト(抜粋)
ポッアップテント(大きさ自動調整付き)
ふわふわの毛布 10枚(100%白蜘蛛の糸から作った)
枕(聖獣の羽毛から作った)
家(6LDK+大浴場、トイレ、トレーニングルーム付き)
水筒(無限に湧き出る聖水入り)
保温水筒(温かいスープ入り 減ると自動で補充)
サバサンド、キビサンド、オークカツサンド 各20個
オークステーキ、ワイバーンステーキ 各20食
白身魚のフリッター 20食
フライドポテト 50食 各種フレーバー付き
温かいシチューにお鍋各種 たくさん
お米 1000キロル(Kg)
味噌、醤油、出汁、各種調味料 大量
柔らかいパン 200個
パウンドケーキ たくさん
肉 各種 やたらたくさん
魚 各種 たくさん
魔鳥の卵 38個
牛乳 大量
チーズ 大量
小麦粉 たくさん
…
癒し魔法が付与された魔剣など各種
家宝の短剣など各種
ダイヤモンドが埋め込まれた杖
白蜘蛛の糸 たくさん
白蜘蛛の布 たくさん
虹蝶の羽 1501枚
アルミニウム
銀
銅
鉄
ダイヤモンド各色
アイルブルーストーン
アイスエリー
水晶
サファイア
以下略…
治癒魔法の付与されたオリハルコン製の剣
家宝のミスリル製短剣
サファイアが埋め込まれた生命樹の杖
…以下略
蘇生までできる薬
解毒剤
…以下略
一旦、脇の避けておこう。考えちゃいけないやつだ。まずは水を飲みたい。
でも、どうやって取り出すんだ?水筒を取りたいんだけど?
(欲しいものを頭に思い浮かべればいい)
えっと、水筒が欲しい。
ヒュン
来たね?水筒だよ。良くある小さなやつだ。蓋を外してとにかく飲んでみる。コクコクコクン、美味しい。あ…全部飲んじゃった。お水は貴重なのに。どうしよう。と思って見たら満タンになってた。
で、少し前からもよおしてた尿意。こんなにきれいな場所ではちょっと。でももう我慢の限界だ。どうしたら?できる場所あるかな。
(魔力に変換したらいいよ!)
なんて?何を魔力に変換するって?
(排泄物を魔力に…出来るよ!)
もう考えずに言われた通りに尿意をそのまま魔力に変換だ!思わず左手を上に掲げる。
あれっ…?あんなに今すぐに出したかったくらいの尿意が、消えた。
なんかもう、何も考えない方がいいかも。
(ご主人様 名前を付けて!)
…スキルの名前?
(いえ、スキル名ではなく…人格、スキル格としての固有の名前を)
いるの?
(テンションあげ上げで頑張れる!)
ならば、うーん。秘書みたいな感じかな。有能な秘書といえばきれいなお姉さん。
あれ、秘書って何だ?まいっか。で、きれいなお姉さん。ここ重要。だからやっぱりビクトリアさんだ!
(思考は男性です…)
あっ…まさかの有能な秘書は男性の方か。ならば、勝利者ビクトリーと、ビクトリアの男性版でビクトル!どう?
何処を見るともなしに見て、少しだけ胸を張る。
(私はビクトル!)
ん、あれ…この光景に見覚えがあるような…。気のせい、かな。
さっきから良く分からない単語が出てくる。考えても分からないのに頭に浮かぶそれらの言葉。
首を捻りながらまぁ、いいかと思う。なんとなく、考えて分かるようなことではなさそうだし。
(ビクトル、ここは何処?)
初めて明確に、ビクトルに意志を持って聞く。
(ピュリッツァー帝国 霊峰ミュシュランテスの山頂付近)
一つも単語が分からないや。ピュリッツァー帝国、なんか聞いたことのある響き。
確か、建築とかの有名な賞だった筈。
あ、まただ。有名な賞って何?だよね。もう色々と考えるのはやめよう。
(僕は何でここに?)
1番気になることだ。
(回答を拒否…)
(何で?)
何となくそうなんだろうと思ったけどね。理由は知りたい。
(世界の摂理に抵触…)
なるほどね、全く分からないけど多分、そういうことだろう。次元の違う話だ。
だから別の質問をする。
(どうしたらいい?)
(…少し休めばいいかと)
少し間を置いてそう答えるビクトル。いや、もっと具体的なことが知りたいんだけど。その前に1人は寂しいな。ビクトルはスキル格?だけど、実体を持たないのかな?
(ビクトルは実体を持てないの?)
(…待てなくは有りませんが、すぐには無理かと…)
そうか。残念…
(どれくらいで実体化出来る?)
(…状況次第)
うん、煮え切らない答え。これも摂理に抵触する案件なのかな。仕方ない。
(休んだら何処に向かえばいい?)
(少し歩いた所に…ご主人の望みが)
僕の望み?1人は寂しいって奴かな。誰かいるのか!
(どっち?何をすれば…後は、そのご主人ってどうにかならない?)
(左へ進んで… ご主人の名前は?)
左だね、よし。慎重に歩き始める。名前?僕の名前…何だろう。考えながら歩く。名前…
イリィ、ふと名前が浮かぶ。でも自分の名前じゃないような気がする。なのに、凄く懐かしく感じる名前だ。気持ちがふわふわする。いや、今は名前だ。
うーん、ハク…も違う。けど、こちらの名前も何だか胸が暖かくなる。
ふと顔を上げると、さっき寄りかかっていた木に黄金色の実を見つけた。
うわぁ、凄い!これ、食べられるのかな?美味しそう。
(ゴールデンピーチ 激美味)
ビクトル、言い方。激美味ってなにさ?ポツポツと実が成ってるけど、食べていいの?
(ご主人の影響 2つくらいなら取っても大丈夫)
僕?思い出せない元僕、かな。ま、いいや。美味しそうな実を見上げる。どうやって取ろう。だいぶ高い位置にあるな。
(風魔法で落とせばいい)
なんて?風魔法?僕、使えるの…?うーん、試しにあの実を風で落とすように考える。
ポトリ
手の中に落ちて来た。いやいやいや、何で?魔法が発動したような感覚もなかったよ。
(ご主人のジョブ)
…もう色々とお腹いっぱいだから、後で詳しく聞くよ。もう一つ取ってポーチにしまう。
また歩き始める。何を考えてたっけ?そうだ、名前!
うーん、ア…何だ?アイ…。うーん、分からない。でもずっとビクトルにご主人呼びは嫌だしな。ひとまずアイカでいいか。何となくだけど、当たらずとも遠からずって感じだと思うから。ただの勘だけど。
(ビクトル、アイカだよ!アイカって呼んで)
(アイカ!)
ふふっなんか凄く嬉しい。するとさわりと風が揺れた。えっと、何だろう…これ。目には見えないけど、何かいる。いや、何かある?かな。
見えないのに存在は感じられるこの感覚。オバケ?待って、それ系は苦手だから!
(ビクトルだよ!)
ビクトル!?ってスキルだよね。実体は無い筈じゃ?
(精神体として顕現した!)
どゆこと?
(実体になる前の…段階とでも言うか、実体に近付いた)
よし、なんか良く分からないけど一歩前進だね!
そのまま意気揚々と歩く。だってさわりと頬や髪を揺らすビクトルを、僕は感じられるから。
嬉しいな。ふんふんふーんっと。
少し歩いたら目の前が開けた。と言っても3メルくらいの範囲だ。
そこには横たわった銀色の大きな熊と、その熊に寄り添う小さな熊。
『きゅーん、きゅーん…』
何かを訴えるみたいな鳴き声だ。
大きな熊が私を見る。ドキっとしたけど、その目は穏やかだ。怖く無い…その大きな熊はもう寿命だ。何故か分かる。そして、死ぬ間際に最後の子供を産んだ。
まだ生まれて間もない子熊は必死に母熊にしがみ付く。その大きな熊は我が子を見て、私を見る。
託した…そう聞こえた。
私は近寄って、大きな熊の背中に手を触れる。温かい。小熊は私には目もくれず、母熊を見て鳴く。
どれくらいそうしていたか…やがて母熊は天へと召された。それも何故か分かった。そして、その母熊が私に子供を託したことも。
ビクトルに目線を送ったことも。頬のあたりに漂っていたビクトルの気配が消えた。そしてその母熊は水色に光って…
霊峰ミュシュランテス…下書中の別作品で使ってます
使い回し…
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